「それじゃあね美鈴。お仕事がんばってね!」
「はい。それでは、また」
精一杯の笑顔を浮かべながらも、やはり失意を隠し切れずに肩を落として図書館へと消えていくフランドール。それを見送る美鈴もまた、若干の後悔に表情を歪めていた。
これで良かったのだと、これしか道は無かったのだと、半ば自分に言い聞かせた。この結果に至ってしまった理由に対する言い訳は無数に用意できても、鬱屈とした気分は抑えられない。
心優しいあの子の些細な望みを叶えてあげられず、挙句に傷付けてしまった事への罪悪感は拭えそうになかった。
持ち場へと戻る最中、美鈴は自分の抱え込んでしまったモノの大きさに改めて当惑していた。
美鈴は見誤ってしまったのだ。あの子は──フランドール・スカーレットとは、この世の理から逸脱した歪な存在である事を。
一番に感じた恐ろしさは、精神と肉体の乖離。
心と身体の波長が噛み合っておらず、何をやるにしてもチグハグなのだ。前回は何故か気が二重に感じ取れてしまい、気が付けなかった。しかし今回はフランドールの気が安定していたため、異常性が容易に見て取れた。
あんな状態でまともに生きていける筈がない。アレは心が壊れてしまっている廃人、または狂気に頭を侵されている者のわかりやすいサインだ。
言葉を選ばずに言えば、もはや自然体で言葉に感情を乗せて話す事ができているのが奇跡というか、不可解な領域。まるで未知の生命体を相手にしているような感覚だった。
しかしフランドールは違った。
彼女には心がある。優しさがある。美鈴に対しての確かな好意がある。あまりにも普通過ぎた。
叫びたくなるような心身への負担をおくびにも出さず、笑顔を絶やさない。
正気であるからこその狂気。純真な優しさと好意が生み出す矛盾。それらがフランドールの異質さをありありと示している。
だから、そんな彼女に武術を伝授する事は危険だと判断せざるを得なかった。
精神と身体の一致を見て武術は初めて真価を発揮するのだが、その前提から壊れてしまっている。行き着く先は破滅しかない。
それにあの歪みへ不用意に手を加える事は、周りも、フランドールも不幸にするだろう。
紅魔館に仕える門番である自分が、内側の秩序を掻き乱すことなどあってはならない。
これが一つ目の理由。
「さて、どうしたものか……」
「取り敢えずガラ空きの門に戻って、自分の職務に邁進したらいいんじゃない?」
「いやいやそんな事やってる場合じゃ──おっと」
思わぬ失言に慌てて口を噤む。
不意の侵入者に備え、張り巡らされている気の感知網。それを変哲のない超スピードで掻い潜る事ができるのは、世界広しと言えど美鈴はただ一人しか知らない。
部下の驚く様にしてやったり、という表情。
レミリアは寝惚け眼を擦りながら美鈴の隣に佇んでいた。寝巻き姿での登場である。
主人の急な登場も慣れたもの。美鈴は一度悩みを胸の奥にしまい込み、和やかに対応する。
「おはようございますお嬢様。今日はまた、随分と早いお目覚めですね」
「あんな大きな声で叫んでたら嫌でも起きるわ」
「あー……なるほど、聞こえちゃいましたか」
「デビルイヤーは地獄耳だからね」
冗談めかした声音。怒りは感じられない。
レミリアは己の快と不快を分かりやすく態度で示してくれるので、臣下は自ずと彼女への対応の加減を把握できる。敢えて、そうしてやっているのだろう。
ある意味、彼女に行動と思念を半ば支配されているような状態。自分の掌の上に在るうちなら好きにして良いという、傲慢なのか寛大なのかよく分からない方針。
この方ほど仕えやすい主人など然う然うおるまい。それが美鈴の偽りのない本音だ。
「で、何がそんな事だって?」
「いやぁ……あはは」
「今の待遇に対する不服か、それともフラン絡みかしら。どっちを私に報告したい?」
「お見通しでしょうが、後者についてです」
「ふふん、まあね」
鋭い相貌が途端に柔らかくなる。これはつまり、紅魔館当主ではなく、レミリア・スカーレットとの個人的な話として処理するという事。下手に畏まらず報告したい事だけ伝えてくれればいいと、暗にそう言っている。
正直、フランドールについてどこまで話して良いものか測りかねていたので、非常に助かる。厨房での出来事は秘密にする約束なので、破らずに済んで一安心だ。それに、美鈴もレミリアに聞きたい事があった。
先述したフランドールの歪みを伏せたまま、美鈴は図書館前でのやり取りの一切を報告する。レミリアは途中頷いたり、時に首を傾げながらそれを受け入れた。
「そう、あの子がそんな事を」
「意外でしたか?」
「半分だけね。フランは私と違って向上心が強いから、武術に興味を示してもおかしな話じゃない。昔もね、急に『魔法を極めたいから魔導書を寄越せ』だの言われて酷い目に遭ったわ。あの子ったら気に入らない事があったら容赦なくグーで殴ってくるからね」
「は、はぁ」
フランドールが暴力に訴えるのは少々驚いたが、姉妹間での戯れだと思えばそういうものなのかと勝手に納得する他ない。少なくともレミリアの口調からして、フランドールに対する悪感情は無いようだ。
「で、どんな手を使ったの?」
「すみません。仰る意味がよく……」
「どうやって関心を得たか聞いているの。だってアレに気に入られるなんて並大抵の事じゃないわ。かなり気難しい奴だし、何よりちょっと気が触れてるもの」
「……妹様は誰にでも優しく接するお方でしょうから。きっと私がたまたま目に入っただけで、特に理由はないんじゃないかと」
「そうね。フランは優し──……うん、まあ、そのあたりは人の感じ方次第よね」
何やら含みのある言い方だと思った。僅かな気の揺らぎから、レミリアがちょっぴり引いている事も分かる。はて何かおかしな事を言っただろうかと、美鈴はハテナを浮かべるしかない。
と、レミリアが咳払いして仕切り直す。
「まあどういう経緯があるにしろ、フランがお前に会うために地下から出てきている現状は悪くない」
「このまま続けても?」
「構わないわ。多少の問題が発生しても目は瞑るから、お前のやりたいようにやるといい。……ああ、勿論自分の身の安全を最優先にね」
そこまで言って、レミリアは大きな欠伸を噛み殺す。それが少々わざとらしく見えたのは恐らく気のせいだろう。そういう事にした。
「もしもフランドールが美鈴を通して外界に戻るキッカケを掴もうとしているのなら、是非とも支えてあげてちょうだい。門番の貴女にこんな事を頼むのも変な話だけども」
「お嬢様の仰せのままに」
「悪いわね。ウチの問題に巻き込んじゃって」
「……失礼を承知でお聞きしたいんですけど、お二人の仲って拗れてたりします?」
フランドールと初めて言葉を交わす前から、漠然と思っていた事だった。門番という職業上、屋敷内での暗闘やいざこざにはどうしても疎くなってしまう。スカーレット姉妹の奇妙な現状もただの又聞きでしかない。
それに、自分から積極的に物事へと顔を突っ込んでいくレミリアが、頑なにフランドールとは会おうとしない様は、美鈴には不自然に映っていた。
「うーん……別にそんなつもりはないよ。私の方はね。フランは多分、今も私のことをあまり良いようには思ってないんだろうけど」
「……」
「寝るわ。おやすみ」
レミリアは話をバッサリ切り捨て、ひらひらと手を振りながら自室へと帰っていく。少々デリケートな部分に踏み入り過ぎてしまったようだ。
だがこれで、美鈴は一定の答えに辿り着く事ができた。そしてそれは、フランドールの願いを断った二つ目の理由にも繋がってくる。
厨房で出会った時に見た、暴行を受けた痕。フランドールは必死に事故であると主張していたが、あり得ないのだ。妖怪の域を完全に逸脱した吸血鬼の強靭な肉体。その破壊を可能にできるのはレミリアかフランドールのみ。
そして今日。美鈴は姉妹両方と話した上で、あれがフランドールの自傷によるものと断定した。
やはり、彼女は非常に危うい。破滅願望の見え隠れは、気のせいではなかった。
それに──。
(妹様が武術を修める上で設定していた仮想敵。あれは間違いなく──レミリアお嬢様だった)
フランドールが武術の習熟を望んだ理由は既に聞いている。曰く「私と同じ体格で、身体能力と技術が私よりも優れている相手に勝てる術が欲しい」とのことだった。
やはり条件で一番に該当するのはレミリアである。
その懸念が存在する時点で、武術を教える選択肢はほぼ消滅していた。
(妹様はお嬢様を憎んでいて、害する為に私へ近付いた……? でもあの笑顔は……)
判断できない。自分が目の当たりにした少女の人柄と、周りから得られる情報が一致しない。
そもそも考える事が多過ぎる。体育会系の美鈴にとって柄でもない事なのは確かだ。複雑な人間関係だとか、腹芸なんかは専門外である。
だが自分の為すべき事は見えた。
◆
記念すべき初の単独地上歩きは、結局読みたい本を幾つか図書館から拝借するだけのつまらないものに終わってしまった。控えめに言って大失敗だ。
地上での事を思い返しただけでも羞恥のあまり死にたくなってくるので、全てを投げ出してベッドに潜り込み枕を濡らしたい気分である。
だがマイロードはそれを許さず、地上での一切合切の報告を要求。私は半泣きになりながらありのままを答えるのであった。
「──という事があったんですけど、これってやっぱ脈ナシなんですかねぇ。ぐすん、どこで選択肢を間違えちゃったんでしょうか。ここからどうすれば挽回できますかね? マイロードはどう思います? ねえねえ」
「鬱陶しい。三秒以内に黙れ、そして泣き止め」
「はい」
私の恋愛シミュレーション的知識によれば、美鈴さんに誘いを断られる事は無いと思っていたのだが。まだまだ好感度が足りなかったのだろうか。プリンをあと十個は届けておくべきだったかもしれない。
これがゲームなら即リセット案件である。でも残念、ここは現実。コンテニュー出来ないのさ!
「ごめんなさいマイロード」
「……何が?」
「私、今までマイロードのこと引き蝙蝠とかコミュ障とか地底人とか散々に言ってきましたけど、他人のことをとやかく言えるような立派な妖怪じゃなかったみたいです……。外に出るのがちょっと怖くなっちゃいました。マイロードとお揃いですね」
「お前は私に喧嘩を売りたいのか謝罪したいのか、どっちか一方にしろ」
「ごめんなさいごめんなさい!!!」
「……ふん」
マイロードは軽く睨みを利かせると、そのまま棺桶の中に戻ってしまった。一発も拳が飛んで来なくて拍子抜けだ。殴られなかったのはマイロードなりの慰めだったのだろうか。優しいなぁ。
でもなんだか物足りなさを感じる。マイロードの鉄拳が恋しくなるなんて私は本格的に参っているのかもしれない。こんなのただの異常者ではないか。
これも全部、武術をやりたいなんて考えてしまった私の判断ミスのせいだ。
願わくば2時間前に出直したい。助けて咲夜さん。
「……」
そしてこの時、マイロードが発した小さくて酷く苛立たしげな舌打ちを、私のへっぽこデビルイヤーは拾う事ができなかった。
??「2時間前に出直してきな!」
分身ちゃんは自分のことをコミュ強だと思い込んでいるので、今回の失敗はそこそこ堪えた様子。なお次回からは元通りであるものとする。