ユニバース・グレイル 試作版 作:gfd
第一話 檻の中からこんにちは
ふと目を覚ますと、そこは冷えた牢屋だった。
無機質な白い壁に、小さな窓付きの鉄扉。天井には一面のライト──知識として知る刑務所の中とは随分違うが、それでも“牢屋”と直感で理解できる寒々しい部屋。
「……」
ぼおっと自分の体を見下ろす。
黒い制服だ。何の変哲もない、俺が通う共学制高校のそれ。標準的な学ランである。
「……」
硬いベッド。
隅で仕切られたトイレ。
窓ひとつない壁。
どこまでも馴染みがないそれらを、ゆっくりと見渡して。
「……………………は?」
絞り切るような声が漏れた。
だってそうだろう。寝て起きたら牢屋にいたとか、現実味がなさすぎる。
「いやいやいや……状況を整理、整理しよう」
出来れば今すぐ思考を放棄して眠りたい、というかもう一度寝て起きればこの状況も解決するのでは──なんて考える呆けた頭を強引に回して、記憶の限りを掘り返す。
「俺は……そう、樹、
一番大事な俺の財産。その無事を口に出して確認する。
「名前は大丈夫。なら次は同期生……問題なし。学校、もはっきりしてる」
念の為それらも口ずさんでみる。どれも欠けひとつなく、頭の中に鮮明に浮かび上がってきた。
「記憶喪失の線はなし……いや、そもそも記憶喪失って自覚できるものなのか?」
詳しいことは知らないが、もし欠けていることにすら気付かないとしたら。
それに思い至った瞬間、きゅっと心臓が冷える。
まるで心臓を握りしめられるような圧迫感。
自分が自分でなくなるかもしれない。自分の意味を忘れてしまうかもしれないという焦燥。
それらを
血が巡るように。
どろどろと濁るように。
腹の底が抜けそうなほど────体が、重い。
「……考えても答えなんて出ないんだ、考えるな」
深呼吸を一つ。
無理やり思考を打ち切って、やるべきことをこなすのだ。
それしか今はできないのだから。
「……改めて整理しよう」
そもそも俺は眠る前に何をしていた?
思い出せれば、今に繋がるヒントになるかもしれない。
「今日は、そう、学校に行っていたはず」
問題なのはその先だ。
「…………学校に着いた覚えは、ない」
それが毎日の習慣になっていても、それ自体を記憶していない、なんてことはあり得ない。
なら考えられるのは────登校中に何かが起こって、こうなったという可能性。
……まさか、誘拐?
「……俺を? 何の得もないのに?」
俺を攫うくらいならその辺の野良猫を捕まえた方がよっぽど金になるだろうに。
金が目的でない可能性まで考えるとお手上げだが────はて、さっぱり心当たりがない。
「なら途中で倒れて搬送? ……それこそあり得んだろ、こんな病院があるかよ」
もしかしたら俺の知らない病院がこんな内装かもしれないが、その場合でも不自然な点がありすぎる。
……ああ、荒唐無稽すぎて
果たして本当に誘拐なのか、それとも第三の選択肢があるのか。
不明瞭すぎてなんとも言えないが……これ以上は考察ではなく妄想だろう。
「よし……少し落ち着いてきた。次、次は……荷物」
スマホ、財布、その他諸々。どれも現状打破の鍵になり得る俺の財産。
スマホは言うまでもなく、現金があれば大抵なんとかなる。備えあれば憂いなし、というやつだ。
改めて周囲を見渡すも、それらしいものはどこにもない。どこまでも
ならベッドの下は、と床に手を付いて覗き込むも当然ない。あるのはピカピカの床だけだ。……無駄に掃除されていて腹が立つ。
「くそ、誰だか知らんがちゃんと保管しといてくれよ……」
もっともこんな状況では、身元に繋がりかねないスマホを返してくれるとは思えない。
財布に至っては手を離れている時点で中身は失せたも同然だろう。
「…………」
膨れ上がる不安を押し込める。
残るは手がかりはひとつだけ。それがなくなったら、俺は────
「……次は、あのドアだ」
四方を完全に閉ざすこの部屋で、外部との接触点である鉄扉──そして付属する覗き窓。
現状唯一の手がかりだ。
調べない理由は、ない。
ベッドから、ゆっくりと腰を上げる。
……自分でも及び腰になっているのがわかった。
「…………」
怖い、のだろうか。俺は。
もしあれを調べて何もなかったら──あるいは何か、見てはいけないものを見てしまったら。
「………………」
先ほどから妙に頭が痛い。
脳漿を掻き回されている、と言った方が適切だろうか。
「けど、確かめないわけにはいかない、よな」
まずはやるべきことをやるのだ。
喚き散らすのは全部終わった後でいい。
痛みを振り切り、鉄扉に近づく。
ドクドクと緊張で高鳴る心臓を胸に、覗き窓に目線を合わせ──────────────嗚呼。
窓から見えるのは、ひどく無機質な黒だけだった。
「…………はは」
乾いた声が漏れる。
そりゃそうだ。もしここが本当に牢屋なら、内側から外を把握できるわけがない。
看守が一方的に把握できるよう、
「何期待してたんだ……は、はは……、っ」
「誰か! 誰かいないのか!?」
「目的は何だ! なんで俺を閉じ込める!? なんで俺は捕まった!?」
聞こえないのか。
これだけ叫んでいるのに届かないのか。
痛い。痛い。頭が痛い。
「ここはどこだ!? お前らは誰だ!? 俺は、お前らは、クソっ!!」
何も声は帰ってこない。
覗き窓には誰も映らない。闇よりも暗い黒の中。
「……お前らの要求だって聞く。何かをしろって言うならそれに従う」
なんだってする。
なんだってするから。
だから。
だから、せめて。
「せめて、誰か、返事をしてくれ……!!」
頭が、割れそうだ。
「────」
────その瞬間だった。
ずるり、と。
まるで花が開くように。
あるいは水風船が弾けるように。
一気に
「──ぐ」『次の出撃は?』『さあ?』『さあって』「──な」『でも』『近いう』『ちに終わる』『と思う』「に」『今日の飯は』『現地の』『具材を使っ』『て』「が」『ま』『だ見つかって』『いないの』『か』『星の』『護り』『おそらく』『第四王──』『ならば』『早々に探』『し出して我らが』「起き」『早く整』『備しろ』『わかって』『る』『っての』『なんだそ』『の口の聞き方──』『ブッ殺』「て」
誰かが誰かと話している。
ここでない何処かで、知らない誰かが話している。
「ぅ」
視界が揺れる/吐き気が和らぐ。
足がふらつく/痛みが安らぐ。
相反する不快感に耐えきれず。
床に倒れ込むと同時に、俺は意識を失った。
昔から寝ることが好きだった。
この時間だけは、どんな不安も過らないからだ。
「…………」
ぱちり、と目を覚ます。
気絶した割に悪くない寝起きである。
頭痛も今は晴れていた。
緩慢に身体を起こすと同時に、気付く。
「……ベッド?」
硬く狭く、安っぽい寝台。
乱れた制服と合わせて寝心地はかなり最悪だが、それ自体は慣れているから問題は────いや、違う。
「誰かが俺を運んでくれたのか……?」
信じられないような気持ちで呟いた、その直後。
「そのとーり」
ガチャリ、と鉄扉が開いた。
俺が縋っても開きもしなかったそれが、容易く。
「お、起きてんな。叩き起こさずに済んでよかったぜ」
トレー片手に牢屋に入ってきたのは、
突然のことで呆然とする俺を置き去りに、少女はツカツカとベッドに歩み寄ると、俺の目前にトレーを置く。
「これメシな。テキトーに包装破れば食えっから。じゃ」
「…………ちょ、ちょっと待ってくれ!」
あっさりと去ろうとする少女の腕を掴み──その
少女は目深に帽子を被り直してから、こちらを振り返る。
「んだよ。アタシは忙しいんだけど」
「あ、いや……急に腕を握ったのは、謝る。けど、今はちょっと聞きたいことが……!」
「──知るかよ」
その声は、ひどく無機質に響いた。
皮肉げに口角が上がり、こちらをじっと睨めつける。
「あァ、そうさ。アタシの知ったことじゃない。さっさとソレを食って何も考えず寝ちまいな。それが今、アンタにできる唯一だ」
日本ではそうそう見られない、鋭い剣幕に息を呑む。
それは拒絶だ。
冷えた刃を突き立てるような断絶だ。
平時であれば怯んで目を逸らしたかもしれない。素知らぬふりで見送ったかもしれない。
だってそうだろう、自分を邪険にする相手と仲良くしたい人間なんているものか。
けれど。
あるのは漫然とした義務感だけ。それが何故か理解できて────
「────だとしたら!」
恐れる理由は何もない。
ベッドから身を乗り出す。その拍子に落ちたトレーに少女の気が逸した僅かな間に、再び彼女の腕を捉えた。
「っ! オイ!」
「この中で君がどんな立場にあるかは知らない!」
服装からして作業員だと当たりは付くが、正解なんてわからない。
「君が何故俺と話したがらないのかもわからない!!」
「はっ!? おまっ、なんでそれっ」
「伝わってきたんだ! 理由はわからない! そう、わからないことだらけだ! どうして俺がここにいるのか! どうして君たちは俺をここに連れてきたのか! 何もわからないままんだよ!」
俺にやらせたいことがあるなら何故、目前の少女はそれを伝えない?
誘拐したなら何故、俺に対して事情を説明しない?
そして何故──俺は彼女の声に、聞き覚えを感じている?
何故、何故、何故と、疑問ばかりが湧いて出る。誰も答えてはくれないし、まして今の俺が結論を出せるわけがない。
手詰まりなのだ。
妄想と考察の境目で足踏みしている状態は、ひどく不健全で──あまりにも耐え難い。
「っ」
少女が怯む。
帽子がズレて、少女の瞳とばちりと目が合った。
「……だから。だからせめて、理由を教えてほしい。誘拐犯かもしれない人間に訊くことじゃないかもしれないが……それでも、俺がここにいる理由を教えてくれ。何も知らないまま──何も考えられないままは、嫌だ」
綺麗なブラウン色の瞳孔が、逡巡するように揺れる。
戸惑い、伏せて、けれど断ち切れず、拒み切れず。
いずれにせよ──先ほどまでの、不自然な冷たさは消えていた。
そのまましばらく見つめ合っていると。
「…………はァ~~~~~~~~……」
少女は深くため息を吐きながら、白い天井を仰いだ。
「……まァ、単に規則だし……。ココまで迫られたらしゃあねえし……。ってかアタシ以外来ねえし……誤解が楽になるかもだし……ヨシ、言い訳終わり!」
バシン、と両手で自分の頬を叩いてから、ぐっと作業帽を上げる。
「いいぜ、色々教えてやるよ。アンタの気が済むまで……」
「……樹だ」
「あン?」
「俺の名前だ。高瀬樹。アンタじゃなくて、樹。よろしく」
俺がそう言うと、少女は────
「タカセ……じゃなくてイツキ? “稀人《マレビト》”はそこも違うのか、ってそれは別にいーか」
「アタシはコレン。コレン=バーニー。そんなに長くヨロシクできねーけど……ま、ヨロシクな」
────コレンは、帽子から覗くベージュの髪とブラウンの瞳を揺らしながら、にかりと笑ったのだった。
「ああ、よろしく。それで、早速だけど──」
──ぐぅ。
真面目な話を断ち切るように腹が鳴った。
誰の? 言うまでもないだろう。言わせるな。
「…………」
「…………ぷっ、む」
「やめて……気を使って我慢しないで……逆に恥ずかしい……」
「ん、っぐ、……まァしゃーねえって。今昼時だしな。まずはメシ食えメシ」
「ごめんなさい……」
「気にすんなって。そのトレーの上だから……ってさっき落としたんだったな。っと、ホレ」
「ありがとう……」
「いいっての。ゆっくり食って、話はその後な?」
その後五分ほど、俺は羞恥に震えながら食事を摂るのだった。
「……っていうかなんだこれ、固形ブロック?」
「携帯性抜群で栄養満点、おまけに安価な完全栄養食だ。味も悪くねーだろ?」
「………………モソモソしてる……」
「いやスゲエ顔。そんな不味いか? これ」
「…………形容し難い……」