アビドス留学生フロム魔界   作:まむかい

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アビドス砂漠と梔子ユメ

「なるほど、要は砂漠を歩いていたら遭難したと」

「そうなの。もう喉もカラカラで、私もついに死んじゃうんだと思ってぇ……」

「売買契約の振り込みのはずが見ず知らずの私と契約して帰るのも、ホシノって後輩は怒りそうに思うけれど」

「ひぃん、やっぱりそうかな? でもベルちゃん優しそうに見えるし、実際私を助けてくれてるし……」

「あく……までけいや……くそく。そう、約束だからね」

 

 悪魔は契約にうるさいからねと軽口で返そうと思ったベルベットだが、梔子ユメと名乗ったこの生徒の頭上に天使の輪のような物体が浮かんでいたことを思い出し、悪魔への印象が悪い可能性を考慮して咄嗟に言い回しを変えた。

 初対面で羽や尻尾が見えていた時は「……ゲヘナの生徒さん?」と首を傾げていたので近い存在はいるらしいが、念のためであった。

 

「いずれにせよ生きて帰るべきかな。真意は常に推測できるけど、実測に勝るものはない。ホシノがどう思うかは彼女次第だよ」

 

 梔子ユメと名乗った少女をクーシーのペットであるパイルの背に載せ、ベルベットは悪魔としての知覚で神秘の多い方向にあたりをつけながら砂漠を横断していた。

 パイルの見た目は角が生えている以外は超大型の犬であり、ユメもすぐに受け入れていた。

 

 ユメの案内は頓珍漢であったのでベルベットは途中からこの遭難者(梔子ユメ)の言う道順は適度に無視しながら前述の第六感により進んでいったところ、ユメが見たことのあるというオアシス跡や砂に埋もれた市街地や線路などといったランドマークが次々と見つかっていく。どうやら順調に帰ってこれているらしい。

 

 ベルベットの持っていた水筒の中身を飲み干したユメは、残してきた後輩に思いを馳せていた。

 事情を聞くに喧嘩別れをしたらしいが、その点はいま気にすることではない。ホシノとの思い出を救出の道程の手慰みに効いたところ、ベルベットはホシノがおそらくユメを慕っていることは悪魔として人の心をよく知らない彼女から見ても容易に想像できたからだ。

 

「……ホシノちゃん、元気かな……」

「私が考えるに、今ごろあんたを探し回っていると思うけれど。まぁ、あの時干からびて死んだところを見られるよりは良かったんじゃない?」

「それ、一番怖い未来かも!? よく考えつくねぇ、ベルちゃん」

「……ねぇ、さっきから呼んでいる"ベルちゃん"ってのは何?」

「あ、ごめんね!? ベルベットちゃんって少し長いから、勝手に略して呼んでたの。気に障ったなら、ええと、ごめんね?」

「……そういうわけじゃないよ、どうしてか気になっただけ。うーん、梔子ユメ、小鳥遊ホシノ……確かに命名法則が私たちの世界と違うな」

 

 ベルベットはユメに聞こえない程度に呟きながら考察した。

 キヴォトスにおいて一般的な命名法則はベルベットの知る人間界のものに近いらしい。以前時空ゲートの暴走による時空歪曲現象により現れた風祭フーカという人間の少女が最も近い命名法則に則っている。

 彼女の故郷は確か……ニホン、という場所だったはずだ。

 

「それなら私は今からベルって名乗ることにしようか。ベルは鐘……二文字以上でファミリーネームとするなら、釣鐘あたりが適切かな」

「あれ、ベルちゃん?」

 

 一緒にパイルに乗っていた関係上ベルベットの顔を見るには少し前に身を乗り出す必要があったユメは、不意にニヤリと笑ったように見えたベルベットに何か良いことがあったのか聞いた。

 

「うん、ベルでいこう。ユメ、今から私は釣鐘ベルだ。よろしくね」

「? ……うん。よろしくね、ベルちゃん!」

 

 みずから名乗って呼ばれてみれば存外悪くない響きであるとベルベット改め釣鐘ベルは思った。

 キヴォトスでの活動をするにあたっての名前が決まったことで少し機嫌のよくなったベルは、その後も広大な砂漠を抜けるべくパイルを歩かせ、なにかと口の軽いというか、おそらく突き抜けたお人好しのケがあるユメからこの世界、キヴォトス……というよりもこのアビドス自治区について多くを聞くことができた。

 

 前期は新規の入学者がおらず、在校生はユメと新入生のホシノのたった二人であること。在校生666万人を誇るマンモス校の邪悪学園とは大違いであり、学校として成り立つようによく切り盛りできていたなとユメに感心するのも束の間、砂漠化が進んだ自治区の復興のために投じた公共事業により借金が9億円ほどあることを知り、311年返済のローンであることを聞くと、寿命の極端に長く時間感覚も違うベルでさえも少し引いていた。

 

「逃げ出すことは考えなかった? それだけの借金、力ずくで説得して踏み倒せばいいんじゃない」

「え、それはできないよ……ホシノちゃんがいても難しいかもっていうのもあるけど……それをしたら、アビドスは私の好きなアビドスの形を保つことはできないだろうから」

「そういうもの、なんだね」

「うん、そういうものなのです」

 

 ベルは思ったよりも数百倍ほどお人好しなユメに驚きながら、人間ってこういうものなのかとカルチャーショックを受けていた。

 悪魔におけるメンツやプライドといった観点とはまた違う信念が、このユメという少女が存外に芯の強い少女であることを裏付けていた。

 

 話は変わり、ベルはユメの頭上に浮かぶ光輪について尋ねる。

 

「これ? わざわざ聞くなんて珍しいね? これはヘイロー。詳しいことは私にも分からないけど……キヴォトスでは生徒の皆の頭の上に浮かんでるんだよ」

「へぇ、そういうものなんだね」

 

 ベルは格別に飲み込みが早かった。原理を読み解くのは後にして、法則に納得する力が強い。

 それは銃の扱いに似て、中身を解体しなくとも使える機械仕掛けの数々のように、まずは概要を知り、飲み込むべきだと知っているのだ。

 

「それに、ベルちゃんの頭の上にも付いてるでしょ?」

「へ?」

「うん。変なこと聞くなぁって。……いやいや、助けてもらった恩人に失礼だよね、ごめん!」

「……ちなみにどんな形?」

「えっと……普通はそう言われてもよくわかんないはずなんだけど……ベルちゃんのはぼんやり、魔法陣? みたいな丸型で、縁取りにぐるっと文字が書いてあるみたいに見えるよ。文字の方はさっぱり読めないけど」

 

 読めない文字とはおそらく魔界語だろう。次元すら違う領域からやってきた悪魔であるベルとこのキヴォトスでは言語体系もまた違う。

 こうして会話が成立しているのが奇跡のような、もしくは法則が自身に当てはめられた(レギュレーションが適用された)と見てもいいだろう。

 

 ヘイローは頭上を追従するものの自分で見ることができるらしく、上を向いたベルは視界の端に円形の赤いヘイローと縁取りの文字の一部を見ることができた。

 文字はべ・ル・べ・ッ・ト……と読むことができ、文字は常にゆるく回転しているらしい。ちょうど、元の世界で人間たちが自分を呼び出す時に使う魔法陣そっくりだとベルは思っていた。

 

 ユメのほうを注視するが、やはりヘイローは自分以外ではあやふやな形しかわからないようだ。そこにあると認識できる常識だが、見分けは到底つかない。

 おおかた呼吸や自律神経のような一種の体組織の運動の識別に近いのだろうとベルは結論付けた。ヘイローは息遣いや足音のような存在であり、個人の見分けはよほど親しくなければ難しそうなのだと分かればそれでいい。

 

 それに、これなら天使の輪というより人物を表す記号の意味合いが強そうだ、と悪魔としての忌避感が薄れたことを感じたベルは、不倶戴天の敵である天使に形だけでも近づいたかもしれない憂慮を解いた。

 

 そうしてしばらく質問を交えながら砂漠を進んでいると、前方から大きな神秘の気配がした。

 

「この先に何かいるね。ひときわ輝くような……人の形をした神秘。ねぇユメ、これ、生徒かも」

「! もしかしてホシノちゃん!?」

「あ、パイルから降りちゃ……まぁいいか。それにしても、今のがホシノ。うちの魔界でも魔神級――――いや、魔王級に匹敵する魔力を持っているように思えるけど。……ホントに新入生?」

 

 砂嵐の中でかすかに見えた人影に矢も盾もたまらず駆け寄ったユメを見送りつつ、パイルの足を早めながらベルは考察する。

 悪魔が元来持つ力である恐怖を源流とする魔力とは違う、どこか正反対に感じる、ここに自分を送り込んだマオによれば"神秘"と形容すべきそれは、ユメを基準としていたために面食らうほどの神秘を目の前の推定ホシノは内包していた。

 崇高に至る転炉。マオがキヴォトスに冠したその呼称は、あながち間違っていなさそうだ。

 

「ホシノちゃん! 会いたかったよぉ〜!」

「……ちょっ、色々当たって……って、服も何もかも汗と砂でドロドロじゃないですか! 少しは離れてくださいよ! それにまたコンパスも忘れて砂漠に行って……って違う、そういうことを言いたいんじゃなくて……」

「うん……ごめんねホシノちゃん。あんなに怒ってて、それにもう会えないかと思って、私……ふぇ〜ん!」

「……私も、少し機嫌が悪かったんです。そんなもの、お互いに次は気を付ければいいことですから。……お帰りなさい、ユメ先輩」

「──うん! ただいま、ホシノちゃん!」

 

 ユメはホシノに抱きついたのち、涙を指でぬぐってしゃくり上げる。

 ホシノは表面的には鬱陶しそうにそれをさらりと流すが、ベルから見てもホシノの様子は嬉しそうに見えていた。パイルのように犬であれば、尻尾がブンブンと振られ、耳がぴこぴことせわしなく動いているような錯覚に陥るほどに。

 

 感動の再会、というヤツだ。

 悪魔としての感性ならばこれは唾棄すべき友愛の一幕だが、ベルは研究職の悪魔であり、一般的な悪魔の感性とはズレていた。読み取れた感情をフラットに受け取り脳内での分析に掛ける癖が功を奏して、色眼鏡で見ることなく彼女たちの再会を祝福するでも、唾棄するでもなくただ見ていた。

 

 人間とは三日会わざれば再会を喜ぶものなのだと認識を擦り合わせている、と言った方が正しいだろう。

 悪魔であるベルはキヴォトスのルールを把握するように、人の心の機微を学習していた。これは留学を経なければ学び得なかった知見だと、知識や体験の貴賤を問わない彼女は素直にその再会を見守っていたのだ。

 

「それにしても、ユメ先輩が自力で帰ってこれたとはとうてい思えません。悪魔と契約でもしたんですか?」

「さすがにひどいよホシノちゃん!?」

 

 悪魔と契約したのは実際に的を射た意見だったが、ベルが生粋の悪魔であることなど想像だにしないユメは慌てて否定した。

 しかし、自分一人では間違いなく帰ってこれていない点についてはユメも同意していた。このまま自分は死ぬのだと思っていた状況から全てを覆した恩人を紹介するべく、ユメはホシノを抱く手をにわかに離し、ベルのいる方向の砂嵐に手のひらを向けた。

 

「でも実際、一人じゃなかったの。ホシノちゃんにも紹介するね。じゃーん、砂漠で出会ったベルちゃんです!」

「……このアビドス砂漠に人が? 妙なこともあるものですね……」

 

 ホシノはユメの指した方向を注視し、警戒を緩めず見据えていた。

 それはアビドスにおいて当然の警戒であり、ことユメというこのお人よしの先輩を騙して搾取する不届きな輩は今までごまんと見てきたからだ。

 この荒んだアビドスに無償で人助けをする者などいないと猜疑を向けるホシノ。すわどのような悪人面が出てくるのやらと砂嵐の影が近づいてくるのを見つめていると……ホシノは別の意味で度肝を抜かれた。

 

「え……生、徒? 他校の生徒、ですか?」

「偶然砂漠で出会って助けてくれたんだぁ! ここまでパイルちゃん……ベルちゃんの飼っているワンちゃんに乗せてもらってここまで来たんだよ!」

「……はじめまして、あなたがホシノ? ユメから話は聞いてるよ。優しい後輩だって」

「……うへ?」

 

 ホシノの目の前にやってきたのは、どこの物か分からないがとにかく他校の制服を着た、どことも知れない制服を着た少女。

 このアビドスにいるはずのない存在に、ホシノは心の底から唖然とするのだった。

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