アビドス高等学校、特別飼育舎。
基本的に何でも食べ、どこでも生きていけるたくましい悪魔である
微睡みから目覚め、大きく伸びをしたパイルは、アビドスに留学することになった自身の主人、ベルベットの姉御こと釣鐘ベルに会いに行くため教室をその刃のごとき角を手足のように器用に扱い引き戸を開け、彼女の仮宿である宿直室へと向かっていった。
規律正しさとは程遠く、悪魔の例に漏れず朝の弱い彼女のモーニングコールが1000年以上前からの、彼女の500歳の誕生日に家族に迎えられて以来の彼の仕事だ。
悪魔とはいえ時間の浪費をよしとしないベルは、パイルに起こされたなら必ず起きる。
毎日掃除をしているはずが依然として砂だらけの廊下をじゃりじゃりと歩き、教員も誰もいない職員室の扉を開け、宿直室の鍵をくわえたパイルはご主人のいる宿直室へ足を向きなおし、またのしのしと廊下を歩く。鍵の使い方は知っているが、あいにく四足獣であるパイルは上手く開けることができない。
しかし、宿直室に着けばこの通り、待っている人物がいるのである。
「あ、パイルくん! 今日も早起きできて偉いね~!」
柔和な笑顔でパイルに近づき、よしよしと顎下を中心に青白のパイルの身体を楽しそうに撫でてくる人間、梔子ユメだ。
彼女は早起きであり、校舎の玄関や砂嵐に巻き込まれた教室の原状復帰などを朝から飽きもせずやっている生粋の不良*1である。
モーニングコールは長らくパイルの仕事であったが、この学校に籍を置いてからはユメがその役割をパイルと共に担っていた。
パイル自身はこの仕事についてただの朝のルーティン以上の思い入れもなかったので、朝の早いユメの申し出にいささかの不満を持つこともなかった。要はご主人が起きてくれればそれで良いのである。そうすれば、餌を食いっぱぐれることはない。
千年を越えて共にいるとは思えない忠誠心の薄さは必ずしもベルに対しての好意がないことに直結しないのが悪魔の難しい精神構造ではあるが、とにかくユメは宿直室の扉を開け、寝坊助のご主人、ベルに優しく声をかけて起こしている。
「ベ〜ルちゃん。朝だよ〜」
「うぅ、ん……コーヒーはビーカーに淹れて炙ったほうが……」
どんな夢を見ているのかは定かではないが、どうやら穏やかな夢を見ているようだった。
鼻を押し当て、ゆさゆさと揺らす。最近、ご主人は服というものを着替えるようになった。悪魔としては魔力で一着を縫製するだけ、もしくは自分のような体毛のある魔物型悪魔は衣服を着用しないのが主流なので、毎日ベルの着ているものが替わる様子はパイルにとって新鮮であった。それに、洗剤というものの匂いもなにやら爽快な香りで好ましい。
「ベルちゃん、おはよぉ~!」
「ワフ、ワフ」
「ぅん……」
重たいまぶたを擦りながら、ベルは布団から体を起こす。彼女の覚醒とともに、その頭上にヘイローとやらが浮き出てくる。どうやらこのヘイローというのは新たなご主人のトレードマークということらしい。その詳細を基本的な生態は犬であるパイルが完璧に理解をしているわけではないが、かつて安物のモデルガンだけを片手に「研究の邪魔をした」という理由で名うての暴走族悪魔集団を壊滅させた”魔弾”のベルベットに相応しい、イカしたアクセサリーに違いないとパイルは思っていた。
パイルがその顔を懐っこく寄せると、ベルは呼応するように彼を撫でる。
もふもふとした一分間の朝の習慣を終えると、ベルはユメとともに更衣室へと向かっていく。その姿を見送ったパイルは一足先に彼女たちの教室、アビドス生徒会室へと向かっていく。ご主人はそこで「書記」の役職とやらを担っているらしい。
人間的階級制度に興味のないパイルにとってそれがどういったものなのかはあまり認識したものではないが、少なくとも現在のご主人の様子は悪くないと彼は思っていた。
マオによって半ば強制的にここに来たわけだが、ベルの様子からしてよい息抜きになっているようで何よりだ。いつもは奇妙な実験ばかりしていた
ご主人の幸福が自身の幸福である。それは人間も悪魔も、犬でさえも変わらない。
「ワフ」
生徒会室にたどり着いたパイルは、腕を枕にしてもう一度微睡みへと向かう。
今日も始まるご主人と少女たちの青春を見守りながら、彼は彼なりの日常を過ごしていた。
◆
「それじゃあ定例会議を始めよっか。私が入ってからは初めてだね。よろしく」
「は~い!」
「ユメ先輩、もう少し危機感を持って返事をですね……」
アビドス生徒会、三人の全校生徒によって組織された委員会で書記としての役職についたベルは、ホワイトボードに正確なアビドス全図と重要施設などを書いた方眼紙を持ち出し、磁石で四隅を貼り付けた。
「これはパイルのお散歩ついでにまとめた地図。砂嵐に遭う前の古いものしか無いって聞いていたから、とりあえず作ってみたよ」
「わぁ、すごい! 綺麗にまとめてあるねぇ!」
「ホントだ、私の巡回ルートまで……って、なんでそれを知ってるの!?」
「パイルがホシノの匂いを辿ったから」
「うへ、まぁそりゃ犬? 大きくて角があるけど犬だし、それなら仕方ない、か」
「とにかく、この学校の借金は砂嵐とその復興資金によるものだけど、原状復帰すらできてないのが現実。まずはこれを再認識してもらおうと思ったんだ」
ベルはパンと手を合わせて打ち鳴らし、注目をベルの方に向かわせる。
「だから、残った施設の力で何ができるか議論していこう。まずは地域密着型の政策を取って信頼を得る、これは難しくない。お金を生み出せると知れば人間は食いつくから」
「……」
「はい、副会長」
「ホシノでいいよ。どうせ三人しかいない生徒会で役職なんてあってないようなものだしさ」
スッと手を挙げたホシノは呆れたように、もしくは諦めたようにしてベルに反駁する。
ホシノとてベルの意見が正道であることはわかっていたが、議論を進めるための反論として、あるいはアビドスに最近来たばかりのベルがどこまで考えているのか知りたかった。
「アビドスは昔すごく大きな学校だったけど、今は自治区内の大半を砂漠化した土地が占めているのは知ってるよね? もう余力がない砂漠と砂嵐だらけの片田舎の自治区に、信頼を寄せてくれる大人なんていないはず。それを打破できるような算段はあるの?」
「あるよ」
「へ?」
「そうなの、ベルちゃん?」
あっけらかんと簡潔に応えるベルに、二人は呆気に取られていた。
邪悪学園生屠会、魔チェンジ学およびアイテム学部ゼミ、風紀委員会、ガンナー部、エトセトラ、エトセトラ。
ベルが邪悪学園にて所属していた部活動及び学生サークルは数多く、そして現行のマンモス校であった邪悪学園は悪魔の常識外れな学校といえど、資本主義からは逃れられていない。
学園の運営には金がいる、学区である魔界の秩序維持には金がいる。
そのような事態であれど一様に怠惰な悪魔である理事会は自主性の名の下に一部の生屠に資金運転を任せていた。その資金繰りを任されていた
人間と契約を交わし、悪魔と取引をし、天使をシバいて財政難から立て直すことは彼女にとって得意分野であり、無数に個性を持つ魔界で唯一の共通点として流通する通貨である
「311年返済だっけ。なら、それを3年以内に完済してみせるよ」
「そ、そんなことができるの?」
「この程度の
「ベルちゃん、かっこいい!」
「五十年って……君、ほぼ同年代でしょ」
「ふふ、どうかな」
ユメの純粋な賞賛とホシノの怪訝な顔をよそにベルは曖昧に笑みを浮かべ、アビドスの郊外にある市街区のうち、協力的な会社や店舗、逆に要注意の企業や魔界にはない判断不明の業態の企業などを手作りのアビドス全図に書き込んでいく。
彼女は研究者であり、同時に自身の自由な研究のための資金を賄う経営交渉の天才でもあった。
「でも、私はまだまだ新参者。アビドスについて、キヴォトスについても何も知らない」
彼女は自分の交渉術などが魔界基準であることを認識している。大言壮語は生徒会のホシノとユメを動かすためのビッグマウス。そして今から口に出す言葉は、悪魔としての契約の言葉だ。
「私はアビドスの復興に協力する。その代わり、私の身元は常にあなた達が保証して。今後百年間、すべての期間において」
(百年……?)
ユメとホシノはその契約内容にも、期間の長さにも疑問を抱いた。
「あの、そこまで長いと私たちはもちろん、ベルちゃんも死んでるんじゃない?」
「うん、それでも。交わした人間が死んでも拘束されるほどの強力な契約を結ぶ、それが私に払う代償だよ」
ベルの言葉はただの妄言の類ではない。それはアビドス全図に描き込まれた正確な社会勢力図であったり、一体いつリサーチしたのかと思うほど執念深い企業形態の詳細と個々に合わせたアビドス高等学校との業務提携の素案であったりといった要素がほぼ完全に証明している。アビドス自治区がアビドス自身の力で復興するという、二人が夢見ていた奇跡につながるシナリオがそこには描かれていた。
ホシノとユメの双方において、対価は破格の条件だった。ベルがアビドス自治区の住人であると太鼓判を押すだけで、それは簡単に手に入る。
ユメは目の前のベルがまるで古い伝承に出てくる天使のように、ホシノは逆に悪魔のように錯覚した。慈しみを持って手を差し伸べる天使の愛か、はたまた魔法陣の外に出たくて甘言を弄する悪魔の舌先三寸か、二人の意見は対象的ながらもどこか合一していた。
「さぁ、いますぐ決めてほしい。私は一度交わした契約は必ず守るよ」
――――悪魔だからね、と言外に含めながらベルは二人を見やった。
ユメとホシノの二人は顔を見合わせる。一方は何がなんだかわからないと助けを求めるように、もう一方はいまだ絵空事の計画に乗るべきか吟味するような渋面で。
しかし、彼女たちの意見は一致した。
「うん、その契約に同意します。ベルちゃん、私達に力を貸して!」
生徒会長として、ユメがはっきり宣言する。
ベルは微笑み、力がみなぎるのを感じた。キヴォトスにおいて契約は重要な概念であるが、魔界出身の悪魔にとっても同じこと。
契約により力を増し、同時に契約によって縛られる魔性の者。
この瞬間から、アビドスの運命は大きく変わってゆく。
「ふう、よかった。……なら、まずは残っている優良な企業に連絡を取ろう。携帯電話は何個あれば足りるかな……」
「へ? なんでそんな数のケータイを持ってるの、ベルちゃん?」
「? 携帯電話はランダムに繋がる上に使い捨てだからだよ。悪徳出前や闇金に繋がったら切らないといけないし」
「……は? そんなわけないでしょ、ベル」
「はっ……しまった。ここではそんなわけないのか」
「もしかしてだけど、スマホは持ってないの? ベルちゃん」
「すまほ……?」
「はぁ、なるほど。さっきまでの気迫はなんだったのかって感じだよ……」
懐から無数のガラケー、それもガラクタ同然の代物を取り出してきたベルにユメは困惑し、ホシノは嘆息した。
常識外れの経営能力とはチグハグに、社会常識からも足を踏み外している。
よく見れば判断不明で保留されていた企業の箇所にスマートフォンショップや回線契約会社がリストアップされているのを確認したホシノは、まずは彼女にスマホを買い与えるところから始めるようだともう一度嘆息した。
後日談
・モモグループ直営ケータイショップにて
ベル「おお、コレがすまほ……正式名称が”スマートフォン”だからそう呼んでるんだね」
ホシノ「うへ、そこから説明が必要な女子高生なんて初めて見たよ」
ユメ「モモトークで生徒会のグループトークも作ろうよ! こういうの憧れだったんだ~!」
ベル「板状の画面に情報が集約されてて、しかも連絡先を登録できる。効率的な機械だね」
ホシノ「確かに、ベルの持ってた信じられないくらい非効率な携帯電話からしたら未来の装置かもね」
ベル「アレはアレで使い道があるよ。相互に非通知だから闇金に繋がれば担保を踏み倒してがっぽり借りて……」
ユメ・ホシノ「ベル(ちゃん)、そういうのはダメ! 禁止!」
よくありそうな質問
・実際アビドス復興ルートいける?
A.いける。ミラクル悪魔パワーを信じろ。なにしろこの小説の形態は短編ですからこの辺りをガチると話が別の方向に行って長くなるので実際の復興手段については示唆するだけでカットになると思われます。なので深く考えずに「へ~、アビドス復興ルートなんだ」くらいに思ってくれると助かります。
・ベルってホントは何歳?
A.1578歳。人間基準(100歳≒1歳換算)だと16歳直前の15歳なので現在のホシノと同じ高校一年生相当。
・借金9億に対して代償が少なくない?
A.ベルにとってはそうでもない。いくら魔界で優秀だったとしてもキヴォトスでは戸籍なし学籍なし人脈なしの不審者には違いないので、身元を保証して認めてくれる学校って実は他には多分ない。ベルとしても千載一遇のチャンスだったので対価は見合っている。ホシノとユメがどう思うかは別。