「……プロデューサー……」
花海さんが心配そうな目で俺を見てきた。
空気が、非常に、微妙である。
「っ……ぁぁ……っ……!!」
花岡さんは、大粒の涙をこぼして床に崩れ落ちていた。
自信満々の啖呵を切った花岡さん。実際、曲が始まった直後は彼女本来のパフォーマンスが出せていた。だが、Aメロに入ったあたりから怪しくなり、無駄に力んで動きに硬さが出てきてしまう。それを修正しようと焦って、さらに状況は悪くなり……とうとう、曲の途中で足がもつれ、立ち上がることができず、踊れなくなってしまった。
勝敗はついた。誰がどう見ても花海さんの圧勝だった。幸い、花岡さんにケガはない。
だが……まさか、こんなことになるとは。俺は頭を抱えた。
「思ったより深刻、か……」
「……やっぱり、何かあるのね。イップスみたいなものかしら?」
花海さんは察しがいい上に冷静だった。おそらく、アスリートとして活動する中で同じような子を見てきたのだろう。
「んー……まあ、それに近いですかね。ただ、ここまで重いものとは思っていませんでした。おそらく花岡さん自身も初めて思い知ったはずです」
「どうして?」
「実力が近い相手と勝負するのが初めてだったからです。花岡さんは、自身より遥かに優れた相手か、明らかに格下である相手しか知らなかった」
俺は、花海さんにタブレットを渡す。
「これは?」
「花岡さんの中等部時代のライブ映像です。本来の実力は、だいたいこんな感じだと思っていただけると」
花海さんには過去のライブ映像を見てもらうとして。
「こんなっ……こんなはず、じゃあ……っ!」
混乱と絶望にまみれた彼女を、どうにかしなくては。
「花岡さん。大丈夫ですか?」
姿勢を低くして優しく声をかける。
花岡さんは床に顔を押し付けている。表情を見られたくないらしい。
「安心してください。落ち着くまで待ちますよ」
「うぐっ……うっ……!」
どうにかしなくては、と思ったが、おそらく俺ではこれ以上の干渉は逆効果になる。俺が女性なら、頭をなでたり、そっと抱きしめたりして、落ち着かせるといったことができたのだが……。
「……………………」
俺が立ち尽くしていると、花海さんが黙って花岡さんの隣に来て、慈しみをもって頭をなで始めた。まるで、妹をあやすかのように。
「や、やめてっ……!」
「落ち着きなさい、ミヤビ。悔しいときは、泣いていいのよ」
「あなたに言われたく……なん……か……うあああああぁ!!!」
花岡さんは一瞬意地を張ろうとしたが、気持ちには逆らえなかったようだ。すぐに、花海さんに思いきり抱き着いて人目もはばからず大声で泣き始めた。
……花海さんでよかった。本当に来てくれて、感謝しかない。
-☆-
花海さんのおかげもあって、花岡さんはひとしきり泣いたあと落ち着いた。
「花海さん。その……ごめんなさい! せっかく来てくれたのに、こんなみっともない姿、見せたくなかった……」
「謝らなくていいわよ。プロデューサーから聞いたわ。ギリギリの勝負、初めてだったんでしょう?」
「……そうでした、ね。こんなにも、勝つか負けるかがわからない勝負は初めてだった。確かに、アイドルの経験はミヤビの方が上ですけど……きっと、勝負の経験はあなたの方が上だと思います」
「きっとそうね。わたしは、わたしに勝ちうるような、強いひとと勝負するのが大好きだから」
「うらやましいです。ミヤビも、そうなりたいな」
今回の勝負の結果は最悪ではあった。最悪ではあったが、花岡さんのこの弱点はいずれ露呈するものだったし、おそらく放置しておけば取返しのつかないことになっていたはずだ。
それこそ、定期公演の試験がまったく突破の兆しがなくなるような。どんな顔をしていたかすら誰にもまったく印象に残らないような。完全な
その点では、この致命的な弱点がプロデュース初期に判明したのは良かったとさえいえる。――もちろん、その弱点を発現させたプロデューサーとして、花岡さんには絶対に克服してもらわねばならない。
……いや、違う。俺が、克服させてあげないといけない。
「ミヤビ。今回はわたしの勝ちだけど……もし、あなたが普段通りの力を出せていたら、わたしは負けていたわ」
「えっ? どうして分かるんですか?」
「ちょっとだけ、あなたのプロデューサーに中等部時代のライブの動画を見させてもらったの。あなたって、すごいのね」
「ありがとうございます。正直……花海さんのパフォーマンスを見た時点では、ミヤビもギリギリ勝てる、って……そう思いました。だから、結構強気でした。でも、あなたの初心者離れしたパフォーマンスを見て、ちょっと怖気づいたのも事実で……僅差だと思ってしまったから、本気を出さないと、本気を出さないとって……」
「力みすぎよ、まったく。……ほら、頑張ったあなたにコレをあげるわ」
花海さんは自分のカバンから何かを取り出してきた。
「ひっ……!?」
花岡さんがそれを見て、恐怖に震え上がる。
「花海咲季特製、
半透明の水筒に入れられたそれは、液体だった。
虹色に、不気味に光る、およそ人体に入れるにはまったく相応しくない外見をしている……謎の液体だった。
「そ、それ……飲み物……?」
「もちろん! ものすっご~~~~く栄養のある、超万能の最強飲料よ!」
「た、たしかに栄養のありそうな見た目はしてますけど……う、うわぁ……」
「もう、そんなに警戒するなら……わたしが目の前で飲んであげる!」
花海さんは謎の液体をまったく躊躇せず、一気に口に流し込んだ。
そして、すべて飲み干してしまった。
「ぷはぁっ! ふー……やっぱり水分補給にはコレが1番ね!」
「の、飲めるんですね……」
「当ったり前よ! 失礼ね!」
とにもかくにも、これで謎の液体はなくなった。花岡さんは安心して――。
「さ、どうぞ!」
――そこに安心などなかった。
いつの間にか、花岡さんの手に握られた、謎の液体。
「な、何で複数本あるんですか!?」
「小分けにして持ってきてるわ! 1回の水分補給ごとに適量が決まっているもの!」
「几帳面っ!!」
手に握られた、虹色に光る明らかにヤバそうな液体。
ニコニコと無邪気にほほ笑みかける花海さん。
……花岡さんが何かを訴えるような目でこちらを見つめてくる。
ここで俺が助け舟を出せば、おそらく花岡さんの好感度は上がるだろう。
が、しかし。俺は、決して、花岡さんに懐かれてはいけないのだ。今後のプロデュースに支障が出る。
それに……これで、なんか起これば、花岡さんの致命的な弱点の解消の足掛かりになるかもしれない。
つまるところ、これ飲んでなんか都合のいいことが起きてくれ。ということである。
「花岡さん」
「はい」
「……人の厚意は、素直に受け取るものですよ」
絶望に染まったその顔は、ひどく美しかった。
逃げ場をなくした花岡さんは、目をさんさんと輝かせる花海さんの注目を浴びながら――覚悟を決めて、一気に謎の液体を飲み干した。
「ごちそうさまでした。…………………………………………」
花岡さんがものすごくこちらを見てくる。睨んでくる。顔色が若干悪いが、まあ、荒療治ってことで。
「……たしかにコレは、味はそれほどよくないわね。でも、栄養は満点よ! わたしたち姉妹は毎日これを飲んで、スポーツで結果を出し続けてきたもの! ミヤビもきっと、実感できるはずよ!」
「あ、ありがとう、ございます……」
「希望するなら、これから毎日あなたの分も用意するけど?」
「それは結構ですっ!!!!!!!!」
よし。上手に
「あ、ミヤビのプロデューサーの分もあるわよ?」
「……………………………………え?」
天国から地獄であった。
「いや、俺はちゃんと栄養には気を使ってますし、まったく疲れていませんし……」
「プロデューサー」
花岡さんがすっと立ち上がり、こちらに向かってくる。
……憎ったらしいほど、清々しい笑みを向けて。
「人の厚意は、素直に受け取るものですよ♪」
「……………………………………はい」
味はちゃんと地獄だった。たとえるなら、そう――肥料と生卵に謎の生物のたぶん何かしらの体液が濃縮還元されたような、まさしく不味さの宝石箱であった。
しかも、飲んだ後に何か口の中でねちょねちょしてる感がすさまじかった。後味も舌にしつこくこびりつく感じがして最悪であった。
唯一ほめられる点があるとするならば……すごく、体にはよさそうだ、という感じが得られるところだけだった。
もう、二度と、飲まない。俺はそう誓った。