治癒魔法が制限された世界で   作:公私混同侍

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闇に住まう者たち

 

『魔封じ洞窟』の道のりは平坦だ。多少の分岐があるが基本は一本道となっている。慣れている冒険者であれば苦労せず抜けられることもある。しかし、それは魔法生物に出会わなければの話であり、熟練の冒険者であっても油断は命取りとなる。

 

洞窟に足を踏み入れたコールは、地面に落ちていた一本の木の棒を拾い上げた。朽ちかけているものの、手のひらにしっくり馴染む硬さがあった。

 

「この棒なら、使えそうだな」

 

そう呟くと、コールは腰のポーチから小さな瓶を取り出した。それはセラから渡された蛇燃液。濃厚な油のような液体で、火をよく燃え広げる性質を持つ。

コールは木の棒の先端に慎重に蛇燃液を塗りつけた。液体は糸を引くようにねっとりと粘り、木の繊維にじわりと染み込んでいく。

 

「よし、これで火を起こせば――」

 

棒を握り直したコールは、腰から剣を抜き、石ころを手に取ると火打石のようにカチカチと打ち付けた。

 

「……頼む、ついてくれ」

 

数度の試みの末、石と剣の間から小さな火花が飛び散った。蛇燃液を塗った木の棒は、それを瞬時に受け取り、鮮やかな炎を上げて燃え始める。

ボッという音と共に、松明が燃え上がり炎が揺れる。オレンジ色の光が洞窟の壁を舐めるように照らし出し、長い影を引きずる。湿った岩肌の冷たさと、どこからともなく流れ込む風の気配が全身を包んだ。

 

「コール様、洞窟に入る前なら魔法で火を起こせましたよ?」

 

「えっ?あ、あはは。この先何があるかわからないから、魔力を節約しようと思ってたんだ」

 

コールの天然ぶりにソフィアの頬が緩む。

 

「魔封じの洞窟か、フッ、皮肉なものだな。騎士の私には何も感じない。ソフィアは魔法が使えないのなら、松明持ちくらいはできるだろう?」

 

マーシャの言葉には棘があった。ソフィアは少し肩をすくめ、縮こまりながら答えた。

 

「体中がヒリヒリします……洞窟に魔力を吸い取られるような、嫌な気配がまとわりついてます……」

 

一方、コールも険しい表情を浮かべていた。剣を握る手に力を込め、洞窟の奥を見据える。

 

「俺は体がズシッと重くなった感じだな。まるで何かに押さえつけられてるみたいだ……あっ、今二人とも“筋肉が多いからだ”って目で見ただろ!」

 

その突拍子もない指摘に、マーシャは顔を横に向けたままため息をついた。ソフィアは何とか笑いを堪えようとして、唇を押さえている。

洞窟の中は想像以上に不気味だった。魔封じの影響が、コールとソフィアの体にもじわじわと浸透しているようだった。それでも進むしかない。三人は暗闇の奥へと足を踏み入れる。

洞窟の天井に光るものが見えた。小さな赤い目がいくつも瞬き、じっと三人を見下ろしている。

ソフィアがコールの背後に隠れるようにしながら指を天井へ向けた。

 

「あれって蝙蝠の姿をした魔法生物のムビッツです」

 

声を震わせながらソフィアは説明を続ける。

 

「ムビッツに噛まれると血の代わりに魔力を吸われます。でも、本当に恐ろしいのは――」

 

「熱っ!熱いってソフィア!」

 

不意に熱さを感じて、コールは顔を横にそらしながら手を振り回す。ソフィアが持つ松明が、いつの間にかコールの顔に近づき過ぎていたらしい。

 

「あ……ごめんなさい!」

 

慌てて松明を引き戻すソフィアに、マーシャが冷静に言葉を挟む。

 

「本当に恐ろしいのはムビッツが媒介する病原菌だ。噛まれれば治癒魔法ではどうこうできる問題ではない。だが、幸いムビッツは火を嫌う生き物だ。松明さえあれば襲われることはない……そうだろう、ソフィア?」

 

「はい、その通りです」

 

頼りない声で返事をするソフィアにマーシャは剣を抜いた。じっと天井を見上げ、ムビッツが毛づくろいをする隙を狙う。その瞬間、剣が横一閃されるとムビッツは短いうめき声を上げて地面に落ちた。

 

「拍子抜けだな」

 

マーシャは剣を鞘に戻しながら冷たく言い放つ。その横で、ソフィアはムビッツを土に埋めて小さな墓を作り始めた。

 

「……ん?」

 

ソフィアがふと顔を上げる。マーシャの背中に背負われたバッグに、妙な膨らみがあることに気づいたのだ。ソフィアは少し怯えた声で問いかける。

 

「あの、マーシャのバッグの中に入ってるのって、まさか生き物じゃないですよね?」

 

その言葉にマーシャは観念したようにバッグを下ろし、中から小さな生き物を取り出した。

すると――。

 

「それってビッティじゃないですかぁぁぁ!?」

 

ソフィアの叫び声が洞窟内に響き渡った。ビッティはウサギのような魔法生物で、ソフィアのお気に入りだ。マーシャに首根っこを掴まれたビッティは、ぐったりとしてピクリとも動かない。ソフィアは慌ててビッティの元に駆け寄り、その体を優しく抱き上げた。

 

「まだ息はしてるみたいです……でも、どうしてビッティを痛めつけたんですか?こんな臆病な生き物の命を奪うなんて酷いです」

 

「話を最後まで聞け」

 

マーシャは冷静に言い返し、事情を説明し始めた。

 

「私たちが魔封じの洞窟に向う前に、お前がトイレに行きたいと申し出ただろう?その後、酔が覚めていないコールが岩陰に身を隠した瀕死のビッティを見つけたんだ。頭部に裂傷を負っていたから、コールが『ソフィアが心配するから病院に連れていきたい』と言い出した。だが、『私は先に行く。病院に行くつもりなら二人で行けばいい』と答えた。コールは私の言葉を聞いて洞窟の手前で、ビッティをソフィアに治してもらうつもりだった……だが、その様子を見るに失念していたな?」

 

「俺が悪いんだ、ソフィア」

 

コールが申し訳なさそうに言葉を続けた。

 

「ビッティが具合を悪そうにしてたから、すぐ病院に連れて行こうと思ってたんだよ。全部俺のせいなんだ」

 

ソフィアは泣きそうな顔でうなずき、静かにビッティにヒールライトをかざす。

 

「傷口は塞がりました。でも、脱水症状と栄養失調の兆候があります。洞窟を出たらアビゲイル先生に診てもらいましょう」

 

ビッティを大事そうに服の中に入れたソフィアは立ち上がり、再び歩き出した。コールとマーシャも安堵の表情を浮かべた――その時だ。

突然、地響きが洞窟内に響き渡り、三人の目の前に巨大な影が現れた。それは蜘蛛の姿をした魔法生物だった。通路を完全に塞ぎ、鋭い脚をカチカチと鳴らしている。

ソフィアは目の前の魔法生物を見上げ、その正体を即座に見抜いた。

 

「あれはシュピンデル!」

 

彼女は抱きしめていたビッティを庇うように一歩下がり、警戒を強める。

 

「シュピンデルが吐く糸は魔力を奪います! 絶対に触れないでください!」

 

ソフィアの助言に対し、マーシャは冷静に剣を握り直すと有無も言わず前へと出た。そのまま巨体のシュピンデルの懐に滑り込み、細い脚を狙って剣を振り抜く。

 

「ギギギ……!」

 

シュピンデルは軋むような声をあげ、怒りと苦痛を糸として吐き散らす。細く鋭い糸が洞窟内に蜘蛛の巣のように広がり、二人を包み込もうとする。しかし、後ろにいたコールがその糸を剣で払いのけ、ソフィアを守るように立ちはだかった。

 

「アイツに弱点はないのか?」

 

「弱点はありませんが、吐き出す糸は水に溶けるんです。ただ、魔法が使えないとどうしようも――」

 

ソフィアが困ったように答えを詰まらせる。その間にもシュピンデルは容赦なく糸を吐き続け、洞窟内は逃げ場を失うかのような状況に追い込まれていく。

 

「ならば――」

 

マーシャが不敵な笑みを浮かべ、鎧の隙間に忍ばせていた石を取り出した。その石、ミラージュライトが怪しい光を放ち始める。

 

「その力を使う時だ!」

 

マーシャの体が光に包まれ、その姿が変わっていく。

そして光が消えたとき、そこに立っていたのは――。

 

「あれって確かミルタンじゃないか!? なんでこんな所に!?」

 

目の前に現れたのは小さな猫のような魔法生物ミルタンだった。驚くコールに、ソフィアが即座に叫ぶ。

 

「ち、違いますよ! マーシャがミラージュライトでミルタンに化けたんです!」

 

ミルタンとなったマーシャは鋭い爪を掻き鳴らし、不協和音を響かせた。甲高い音が洞窟全体に反響し、シュピンデルは苦痛に悲鳴をあげながら足をばたつかせる。その動きに乱れが生じた瞬間、マーシャが叫ぶ。

 

「コール、今だ! 背中に飛び乗れ!」

 

「あ、ああ!」

 

コールは全力で走り出し、混乱するシュピンデルの背に飛び乗った。そして、剣を抜き放つとその刃を力強く頭部に叩き込む。

 

「ギギャァァァ!」

 

腹部から攻撃の隙を狙っていたマーシャも元の姿に戻り、追い打ちをかけるように斬撃を放つ。

 

「ギギギ……ギギ……」

 

シュピンデルは最後の抵抗を見せるも、ついにはその巨体が地面に崩れ落ち、動かなくなった。

戦いを終えた三人は肩で息をしながら立ち尽くした。

 

「まさかマーシャがミラージュライトを使うなんて思いもしなかった。でも、あれって魔力が必要なんじゃなかったか?」

 

コールが疑問を投げかけると、マーシャは剣を収めながら淡々と答える。

 

「魔法が使えなくとも、私にもコールぐらいの魔力はある。ミラージュライトを扱う分には問題ないようだ」

 

「でも、よくミルタンに化けようなんて考えましたね。ミルタンは魔力を音に変換して攻撃するため、魔封じの影響を受けない。こんな方法、マーシャじゃなきゃ思いつきませんよ。ワタシたちを欺こうとしたミラージュライトに救われるなんて複雑な心境ですが、心強い仲間が増えたと思って先に進みましょう」

 

三人はシュピンデルを倒し、魔封じの洞窟の奥へと進んでいた。その道中、ふと視界が開けた場所に辿り着く。そこには、真っ黒な石が高く積み上げられていた。

 

「真っ黒な石が高く積まれているみたいだな。なんの石なんだ、これ?」

 

コールが目を細めて積み上げられた石を見上げる。その表情には疑念が浮かんでいた。

 

「それは使い捨てられたヒールライトですよ。本来ヒールライトって魔力が枯渇したり、使用期限が過ぎると国に返さなければなりません。それぐらいならコール様も理解できますよね?」

 

少し呆れた口調で説明するソフィアに、コールは肩をすくめてみせた。

 

「まぁ、なんとなくな。つまり、これは誰かが返さずに隠したってことか?」

 

「そういうことか。非合法な手段で手に入れたヒールライトを国に返すことはできない。ヒールライト所持者の名前は国の名簿に登録されるからだ。裏の世界で取引されたヒールライトを廃棄するため、普段人の立ち入らない魔封じの洞窟に持ち込んだというわけか」

 

マーシャが積み上げられた黒い石を見上げながら呟く。その表情には、魔法の光が失われた石たちに対する哀れみすら浮かんでいた。

 

「さて、先に進むか」

 

マーシャが声を上げるが、コールは石の山をじっと見つめたまま動こうとしない。

 

「コール、どうした?」

 

訝しげに振り返るマーシャに、コールは答えた。

 

「いや、この石って本当に使い物にならないのかなって思ってさ」

 

「本気で言ってるのか?」

 

マーシャは眉をひそめる。

 

「黒く染まったヒールライトはゴミ同然なんだ。売り物にもならない、そこら辺の石ころと同じだ。無価値の物に価値を見いだせるのは物好きなコレクターぐらいだろう」

 

コールは黙ったまま、ひび割れた黒い石の表面をそっと撫でた。その仕草にソフィアがため息をつきながら口を開く。

 

「コール様、気持ちはわかりますが、ヒールライトは魔法を扱えるものに与えられた特権です。そのルールを蔑ろにすれば、使い捨てられたヒールライトのようにワタシたちの心も黒く淀んでしまいます。あるべき場所へと返すのもヒールライトを持つものとしての使命なのだと思うんです」

 

その言葉にコールはしばし目を閉じ、深く息をついた。

 

「そうだよな。ルールがあるからこそ治癒魔法が制限されてるんだもんな」

 

コールの口調には納得したような響きがあった。それを聞いてマーシャとソフィアはほっとした様子で再び歩き出す。

だが、彼女たちが目を離したその瞬間コールの手が素早く動いた。黒く染まったヒールライトをひとつ手に取ると、それを鎧の隙間にしまい込んだ。

 

「ククク……」

 

そんなコールの動きを見透かすように、洞窟の奥から不気味な笑い声が響き渡る。

 

「誰だ!」

 

三人が振り返ると、薄暗い通路の先に白衣をまとった男が立ちはだかっていた。顔には冷笑が浮かび、その眼差しには底知れない邪悪さが宿っている。

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