治癒魔法が制限された世界で   作:公私混同侍

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森の三銃士

 

『亡者の深林』は、まるで生きた獣のようにその存在感を放っていた。森の入り口に立つだけで、肌を刺すような冷気と重々しい気配が押し寄せる。霧は常に森を覆い、侵入者の視界を奪うだけでなく、まるで彼らの進行を阻む意思を持つかのように動き回る。その霧には薄い青白い光が混じり、ただの自然現象ではないことを物語っていた。

森の中に足を踏み入れると、周囲の音が一気に消えたように感じる。鳥のさえずりも風のそよぎも、何一つ聞こえない。ただ、足元を踏みしめる音だけが不気味に響いた。霧が厚く漂う中、木々はまるで亡者の手のように細長くねじれ、無数の影を作り出している。それが風に揺れるたび、何かがこちらを伺っているような錯覚を引き起こす。

霧が深まり、視界はほとんど奪われていた。木々の間から漂う不気味な冷気が、コールの肌にまとわりつく。足を止めることなく早足で進もうとするが、そのたびに霧が濃くなり、まるで進むべき道を拒むようだった。

 

「シェイドのおっさん、この森を抜けるのにバンを使わない理由って何なんだ?」

 

霧に包まれた道の先を見つめながら、コールが苛立ち気味に尋ねた。

 

「テメェは騎士学校で何を学んでたんだ?」

 

シェイドが呆れたように言う。

 

「『亡者の深林』を覆う霧には夥しい魔力が込められてんだ。その魔力が外敵を寄せ付けねぇ環境を作ってる。逆に言えば、この霧の中じゃ外の魔法生物は生きられねぇ。バンをここに突っ込ませたら、あっという間に衰弱死するだろうな」

 

「そ、そういうことなら早く言ってくれよ……」

 

コールが困惑した様子で答える。

 

「テメェの頭も体も筋肉でできてるみてぇだな」

 

シェイドが冷ややかに笑う。

 

「この際だ、少し鍛えなおしてやる」

 

シェイドの言葉にコールは思わず身を竦めた。だが、その間にも霧の奥にちらつく影が彼らを見ている気配がする。コールは思わず剣の柄を握りしめた。

 

「森の中の魔法生物は外の連中とは一味違う」

 

シェイドが声を潜めて話し始めた。

 

「霧の影響か、外皮がコックル並みに硬ぇんだ。下手な剣じゃ歯が立たねぇ。だから『騎士殺し』なんて異名を取ってんだ」

 

「コックル……鋼の羽を持った鶏みたいな魔法生物と同じくらい厄介ってことか!」

 

シェイドが淡々と答える。

 

「外側は強固だが内側が脆いのも、この森の魔法生物の特徴だな。そいつらは魔法に弱点を持つことが多い」

 

その言葉にコールの視線が自然とソフィアに向いた。だが、コールが背負ったマーシャにヒールライトを当て続けている。ソフィアを戦わせる余裕などないのは明白だった。

 

「でもソフィアが戦ったら、マーシャの治療ができなくなる。俺が時間を稼ぐしか――」

 

シェイドが舌打ちをする。

 

「テメェらしくない発言ばかりだな。マーシャが大事なのはわかるが、肝心なことを見落としてんじゃねぇのか?」

 

コールは沈黙した。その目は焦りと迷いに揺れている。

シェイドが一歩前に出て、コールの胸ぐらを掴むような勢いで言葉を続けた。

 

「テメェはただの騎士じゃねぇ、魔装騎士だろうが。魔法を扱えるなら、それを武器にするんだ。その首に下げてる円形の証は飾りじゃねぇはずだろ?」

 

コールはシェイドの言葉に目を見開いた。だが、すぐに拳を握りしめ、力強い声で答える。

 

「俺はソフィアみたいな魔法は使えない。それでも俺がやらなきゃ、マーシャもソフィアも守れない。この森を、何が何でも抜けてやる!」

 

その言葉にシェイドは満足げに頷いた。

 

「フン、死んだ魚みてぇな目がやっと生き返ったみたいだな」

 

だが、次の瞬間、霧の奥から微かな音が聞こえた。霧を払うような羽音と共に、いくつもの影が姿を現す。

 

「どうやら森の狩人どもがお出迎えに来たみてぇだ」

 

シェイドが剣を抜き、薄く笑みを浮かべる。

霧の中、ぼんやりと浮かび上がる二つの影。その一つは蜂のような姿をしていた。体は青と黄色の縞模様に覆われ、鋭い毒針が尾から突き出している。もう一つは蝶の姿。緑色の羽は透き通るような美しさを持ちながらも、触角は天を貫くように長く伸びている。ソフィアが一瞥するだけで二匹の正体を見抜いた。

 

「蜂の方はオルビです。お尻の毒針を水の圧力で飛ばしてきます。そして蝶の方はアノーマ。羽は小さいですが、羽ばたきで嵐のような風を起こすので注意してください。それと――」

 

コールはソフィアが言い終える前に頷くと、マーシャをそっと地面に寝かせ、ソフィアに託した。剣を引き抜き、二匹に目を据える。

 

「ソフィア、マーシャを守りながらで悪いが、周囲の警戒も怠るな。この二匹が現れたとなると、(ボルカ)もいるはずだ」

 

シェイドがそう告げると、自らも臨戦態勢に入った。その眼が鋭く光り、隙を見せない。

 

「コール、テメェは空を飛ぶ相手にどう戦うつもりだ?」

 

突然の問いにコールは眉をひそめる。

 

「そんなの、こっちも飛ぶしかないだろ!」

 

「だからどうやって飛ぶかって聞いてんだ!」

 

「そ、それは……火の魔法で勢いをつけて懐に飛び込む!」

 

シェイドは額に手を当て、深い溜め息をついた。

 

「ったく、洞窟に入る前の話をもう忘れたのか?火より水を優先しろって言っただろうが」

 

「あっ、そ、そうだった!」

 

「火を使えば自身も傷つく恐れがある。それに周りにいる仲間にも火の粉が飛ぶ。水ならその心配はいらねぇ。それに応用の幅が広い」

 

「水で空を飛ぶ?そんなことができるのか?」

 

「百聞は一見にしかず。説明するより見せた方が早いか」

 

シェイドはそう言うと剣を片手に持ち、霧の中を走り出した。その足元から水が勢いよく噴き出し、彼の体を宙に押し上げる。地面を小石が跳ねるような動きで、シェイドは一瞬のうちにアノーマに接近した。

アノーマがその小さな羽を広げ、激しい風を起こす。

 

「悪いな。その程度の風、バンで慣れてるんでな」

 

シェイドは嵐のような風をものともせず、剣を振り上げた。瞬時に水が剣を包み込み、蛇のように形を変える。水の刃となった剣がアノーマの羽を一閃で断ち切った。緑の羽が霧の中に舞い落ち、アノーマは金切り声を上げながら地面に崩れ落ちた。

 

「す、すげぇ!」

 

コールは目を輝かせ、息を飲む。

 

「おい、次はテメェの番だ。オルビの毒針だけは、絶対に触れるんじゃねぇぞ」

 

コールはオルビを見据え神経を集中させる。一歩踏み出そうと膝を上げた瞬間、オルビの毒針が目の前に迫ってきた。

 

「あっ、危ねぇ……」

 

尻もちをついたコールは咄嗟に剣を掴む。目の前ではオルビはその巨体を揺らし、コールに狙いを定めさせまいと動きを繰り返している。

 

「イメージしろ。小石が水を跳ねていくように――」

 

自分に言い聞かせるように呟きながらコールは地面を蹴った。足から噴き出す水が体を浮かせ、空へと駆け上がる。しかし、オルビの不規則な動きに惑わされたのか、剣の一撃は空を切った。

 

「コールッ!モタモタするなッ!」

 

シェイドの怒声が飛ぶ。振り向いたコールの目に映ったのは、すぐ目の前に向けられたオルビの毒針だった。

 

「うっ……!?」

 

コールは反射的に口の中に水を生み出し、それを勢いよくオルビに向かって噴き出した。視界を遮られたオルビは毒針を発射するがコールは間一髪それをかわす。

ソフィアとシェイドが安堵の表情を浮かべたのも束の間、オルビは針を空に向かって放とうとしていた。

 

「まずいな。肉弾戦から長距離攻撃に切り替えたか――コール、すぐこっちに戻れ。空から無数の毒針が降ってくるぞ」

 

コールは慌ててシェイドたちの元へ駆け戻ってきた。シェイドは水の魔法でドーム状のバリアを張り巡らせる。直後、毒針の雨が容赦なく降り注ぎ、バリアに当たる度に爆発音が響き渡った。

 

「シェイドのおっさんがいてくれて良かった」

 

「腑抜けたこと言ってんじゃねぇ。アノーマを先に片付けたのはオルビの方が厄介だったからだ。毒針を雨のように降らされたら身動きがとれないからな。後はテメェ次第だ。オルビの毒を受けたら、マーシャの二の舞だぞ」

 

毒針の雨が止むのと同時にコールは再び外へ飛び出した。水の力で空を駆け上がり、逃げるオルビに肉薄する。

 

「逃がすかぁぁぁッ!」

 

勢いをつけたコールは剣を渾身の力でオルビに投げつけた。その刃は突然現れた風に乗り、加速しながらオルビの体を貫いた。

 

「やった……へっ?」

 

だが、その瞬間、集中が切れたコールの体は無防備に落下を始める。

 

「あのバカ――」

 

シェイドは嘆息を漏らしながら走り出し、ギリギリのところでコールを受け止めた。

 

「た、助かった……のか?」

 

「最後に集中を切らす奴がどこにいんだ?」

 

コールが苦笑いすると、シェイドは軽く頭を叩いた。

 

「さっきテメェの剣が風に乗ってオルビに当たっただろ?あの風はな、ソフィアが起こしたんだ。治療しながら魔法を使うとは、中級の魔法使いにしては上出来だ」

 

褒められたソフィアは照れたように微笑んだ。その柔らかな空気を引き裂くように、突然、雷鳴が轟く。

シェイドは雷鳴に身振いした。その轟音は空気を震わし身体の奥深くまで響き渡る。

シェイドはマーシャを抱え、咄嗟にその場を離れた。しかし、振り返った先に目にしたのは恐怖で身動きが取れなくなったソフィアだった。ソフィアは雷鳴に怯え目を固く閉じたまましゃがみ込む。その頭上では烏のような姿をした魔法生物がバチバチと放電を繰り返していた。

 

「ソフィア!その場を離れろ!ボルカが近くにいるんだぞ!」

 

シェイドがソフィアに向かって叫ぶが、ボルカと呼ばれる魔法生物が生み出す雷の轟音が声をかき消してしまう。

目の前の光景に焦燥感が募る中、シェイドの声が届かないソフィアに向けて、ボルカは一際強烈な光を放とうした直後、コールが叫んだ。

 

「ソフィアァァァッ!!!」

 

水の魔法を極限まで高めたコールの体が光を纏うように輝き、一瞬の迷いもなくソフィアへと飛び込んだ。全身を雷撃が貫く。

 

「グッ!?」

 

耳を裂くような雷鳴が森全体を揺るがせ木々を薙ぎ倒しながら二人を吹き飛ばす。衝撃により霧が晴れ、周囲に静寂が訪れた。

しばらくして、ソフィアがゆっくりと目を開けた。視界に入ってきたのは、地面に倒れたまま動かないコールの姿だった。

ソフィアは震える声で名前を呼ぶ。

 

「コール様……?コール様……返事をしてください……コール様!」

 

焦げて無残に裂かれたコールの服。背中に焼け焦げた跡がくっきりと残り、その痛々しい傷跡が雷撃の凄まじさを物語っていた。

ソフィアの頬を涙が伝う。声が震え、必死に呼びかけるが、コールは微動だにしない。

呼吸が止まったまま、冷たい空気が張り詰めている。ソフィアは震える手で握りしめたヒールライトを見つめ、涙を止められずにいた。シェイドがマーシャを安全な場所に移動させ、周囲を警戒しながらコールのもとへ駆け寄る。

 

「うう……コール様……ワタシのせいで……」

 

ソフィアの嗚咽が霧の中に溶ける。

 

「ヒールライト握ってるだろ?それをコールにかざしてやれ」

 

シェイドの低い声が響く。

ソフィアが当てやすいよう、コールの破れた服を無造作に取り去った。しかし、その下に現れたものは、誰もが予想しなかった光景だった。コールの体には無数の黒い石が埋め込まれている。それを見たシェイドは、一粒を慎重に取り外し、指でつまんで見つめた。

 

「なんだこれは?黒い石……まさか……?」

 

彼の表情が険しくなると同時に、泣きじゃくるソフィアの肩を力強く揺さぶった。

 

「泣いてる場合じゃねぇ。泣いてる暇があるなら、この石をどこかで見たことがないか思い出せ!」

 

ソフィアは顔をくしゃくしゃにしながら袖で涙を拭う。そして震える手でコールの体を撫でるように黒い石を確かめると、その感触に覚えがあることに気づいた。

 

「この石……ヒールライトの感触に似ています。でも、黒いヒールライトなんて……」

 

「そうだ。これは『魔封じの洞窟』で廃棄されてる黒いヒールライトだ。非合法のヒールライトを国に返せない業者が、行く当てもなく捨てたものなんだが」

 

「でも……コール様がそれをどうして……?」

 

「さあな、本人に聞くしかねぇ。だが、どんな理由だとしても納得できる答えなんざ返ってこねぇだろうな」

 

そのとき、どこかから羽ばたきの音が聞こえてきた。シェイドが反射的に剣を構える。

 

「チッ……また来やがったか。ボルカは本来、オルビとアノーマと連携して群れで動く。だが、それを陽動に使うなんて、『森の三銃士』の名は伊達じゃねぇみたいだな」

 

シェイドは冷静に状況を分析するが、ソフィアは再びヒールライトを握り直し、震える声で祈り始めた。

 

「お願い……ワタシの魔力を全て捧げるから……どうかコール様を蘇らせて……」

 

「やめとけ。ヒールライトに全魔力を注げば石そのものが耐えきれねぇ。それに、ここで魔力を使い果たしたらボルカの思う壺だ」

 

だが、ソフィアの目は揺るがない。彼女はすべてをかける覚悟でヒールライトをコールの胸元に押し当てた。そして、その輝きは徐々に強まり、ついには黒い石に吸い込まれていく。

奇妙な光景だった。ヒールライトの光がまるで星と星をつなぐように、コールの体を覆う黒い石を縫い合わせる。そして、その光が完全に消えた瞬間、コールの体は漆黒に染まり、

 

「――っ!」

 

息を吹き返した。

コールの目は濁り一点を見つめたまま、ゆっくりと立ち上がった。

 

「俺は……マーシャを守る……ソフィアを守る……」

 

低い声で何度も繰り返し呟くコール。その姿にソフィアは歓喜の涙を浮かべながら駆け寄る。

 

「コール様……目を覚ましたんですね……!?」

 

しかし、その様子を見たシェイドの表情は険しさを増していた。

 

「待て、ソフィア。何かがおかしい。この禍々しい魔力の流れまるで周囲の魔力を吸い上げているような不吉な感覚がする」

 

ソフィアが驚いてコールを見つめると、体からは黒い気が立ち上り、まるで生き物のように蠢いていた。それでも、コールは何も答えず、無言のまま黒い気を纏った体で前へ進む。視線の先には、鋭い鳴き声とともに迫り来るボルカの姿があった。

ボルカは空気を切り裂くように羽ばたき、稲妻を纏わせた雷撃を解き放つ。それはまるで生きているかのように不規則に蠢き、光がコールの全身を包み込む。

 

「コール様ッ!」

 

ソフィアが悲鳴を上げるが、コールは動じることなく、雷撃をその身で受け止めていた。全身に傷を負いながらも、一切の痛みを感じていないかのような無表情のまま、ゆっくりと手を伸ばす。そして、自らの体に埋め込まれた黒いヒールライトの一つを握りしめると、それをボルカに向けて高く掲げた。

次の瞬間、黒い稲妻がコールの体から放たれる。それは空間そのものを焼き尽くすような力を伴い、ボルカは逃げることもできず、その一撃をまともに受ける。耳をつんざく轟音とともに、ボルカの体は羽一枚残らず消し飛び、まるで存在しなかったかのように消滅していた。

 

「俺は……マーシャを守る……ソフィアを守る……誰も……死なせない……」

 

そう呟きながら、コールはその場に膝を突き静かに崩れ落ちる。ソフィアは慌てて彼を抱き起こし、その顔を覗き込んだ。

 

「コール様……!お怪我は大丈夫ですか……?」

 

彼は答えなかったが、代わりにかすかな寝息が聞こえる。それを確認したソフィアの目から再び涙が溢れた。

 

「本当に良かった……コール様……本当に良かった……」

 

彼女は涙を流しながら、安堵の表情を浮かべる。周囲には戦いの痕跡が静まり返り、ただ風だけが静かに吹き抜けていた。

 

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