目を覚ましたコールは、見慣れない天井を見上げていた。体を起こし周囲を見渡すと、固いベッドの傍らに椅子があり、そこにマーシャが腰掛けて本を読んでいる。
「マーシャ……?体はもう大丈夫なのか?それとも……これは夢か?」
コールの声に気づいたマーシャは、本を閉じて立ち上がると、頬をつねった。
「い、痛っ!……夢じゃないのか。それじゃあ、ここはアビゲイル先生の家?」
「ああ、夢じゃない。私はこの通り元気だ。お前が三日間寝込んでいる間に、アビゲイルが解毒剤を作ってくれたおかげだ」
「俺は結局何もできなかったのか……」
コールが俯いて呟くと、マーシャは静かに首を振りながら微笑んだ。
「そんなことはない。お前がいてくれなければ、私は今こうしてお前と話してはいなかっただろう。ありがとう、コール」
マーシャの言葉に、コールは照れくさそうに笑みを浮かべた。しかしその直後、マーシャの表情が急に変わり、猜疑心を漂わせながら一通の手紙を差し出してきた。
「ところで、これなんだが……コールのポーチに入っていた。まさか、ラブレターじゃないだろうな?」
「ち、ちがう!それは……シェイドのおっさんがマーシャに渡してくれって頼まれた手紙だ。渡そうと思ってたんだけどさ、マーシャの機嫌が悪かったから……」
マーシャは手紙をじっと見つめながら、眉を寄せた。
「だが、これは魔法陣で封印されている。ヒールライトがなければ開けられない」
コールが手紙に手を伸ばす。すると、魔法陣は手のひらの黒い光に反応し、音もなく消滅した。
「コール、その力は……!?」
封印が解かれた瞬間、手紙から無数の資料が溢れ出し部屋中に舞い散った。マーシャは驚きつつも、床に落ちた一枚を拾い上げた。
「これは――『グレイ・ベンヒュッテルの死に関する報告書』?」
その名を口にした瞬間、マーシャの顔が険しく変わる。手にした紙には、マーシャの父親であるグレイに関する衝撃的な記録が書かれていた。
「どうした、マーシャ?何かあったのか?」
心配そうに尋ねるが、マーシャはコールを制するように手を挙げ、報告書を読み進めた。
『グレイ・ベンヒュッテルは、愛する人を見捨てたわけではない。死の床に伏す愛する者を蘇らせるため、蘇生魔法について三賢人に教えを乞うべくテリオスに近づいた。だが、蘇生魔法を授ける代わりに、テリオスは不可能とも言える条件を突きつけた。目的を果たせなかったグレイは、テリオスの剣であるスティルアケイオの爪により命を奪われた』
マーシャの手は震え、その瞳には涙が浮かんでいた。
「父はテリオスに殺された?蘇生魔法を聞き出そうとしていた?こんな馬鹿げた話を、どうやって受け入れろというんだ……?」
マーシャの声は震え、資料を握る手には力がこもっていた。その姿を見たコールは、何かを言おうとしたが、その気持ちを飲み込む。
コールは散らばった資料の中から一枚を拾い上げ、じっと眺めた。眉間にシワを寄せながら、口を開く。
「きっと親父さんは、マーシャに心配をかけたくなかったんじゃないか?お袋さんを見捨てたフリをして、本当の目的を悟られないようにしたんだ」
しかしマーシャは視線を逸らし、拳を握りしめた。
「それでも、母を見捨てたことに変わりない。私は蘇生魔法について知りたい。そのためにここまで来たんだ」
その時、控えめなノック音が部屋に響く。
「ソフィアです、入りますよ」
白衣をまとったソフィアが静かに部屋へ入ってきた。彼女の登場に、コールは驚きの声を上げる。
「その服……エドガーが着ていた白衣じゃないよな?」
ソフィアはぷっと頬を膨らませ、憤った口調で返した。
「違いますよ!私はアビゲイル先生の助手として、マーシャ様の解毒剤作りとコール様の手当てを手伝っていたんです。本当に心配したんですから!」
そう言いながら、ソフィアは二人の手をそっと握った。その温もりに、コールは少し照れくさそうに視線をそらした。
「あ、ああ……そうだったのか。俺、ソフィアを守るために電撃を食らった後のこと、全然覚えてなくてさ。シェイドのおっさんが俺たちをここまで運んでくれたんだろ?」
しかし、ソフィアの顔には複雑な表情が浮かんでいる。
「それはそうなんですが、コール様、実は――」
彼女の声は途切れ、少し言いづらそうに口を噤む。マーシャがすかさず問い詰めた。
「実は何だ?はっきり言え」
ソフィアは深呼吸をし、一気に言葉を紡いだ。
「コール様は……ボルカの電撃を受けた際、一時的にですが死んでいたんです」
部屋の空気が凍りついた。マーシャが信じられないとばかりに身を乗り出した。
「死んでいた、だと?そんな話、アビゲイルからは聞かされていないが?」
「それは、コール様をアビゲイル先生の元に運んだ時には息を吹き返していたからです。アビゲイル先生にコール様の心臓が止まったと教えても聞き入れてもらえませんでした。でも、本当のことなんです。コール様の心臓は一度完全に停止していました」
「俺ってもしかして、もう死んでる?」
「そんなわけないだろ。私が頬をつねったこと、もう忘れたのか?痛みがあるのなら生きている証拠だ」
ソフィアの歯切れ悪さに気にもとめず、コールとマーシャは手を握りあっている。
「コール様の体内には無数の黒いヒールライトのような欠片が残留しています。アビゲイル先生がそれを魔法で消滅させようとしたのですが、欠片は強力な黒い魔力を放ち、魔法を跳ね除けてしまうんです」
ソフィアの説明に、コールは呆然とした表情を浮かべた。マーシャは突然思い出したかのようにコールの胸ぐらを掴む。
「お前、まさか『魔封じの洞窟』に廃棄されていたヒールライトを拾ったのか?」
「えっ……ど、どうだったかなぁ……アハハ」
「誤魔化すな!お前の体内に残る黒い欠片、ソフィアの話、そして先ほどの手紙の魔法陣をヒールライトなしで解除したこと――これらすべてが、お前が黒いヒールライトを盗み出したことを指し示している!」
マーシャの怒りにコールはたじろぎながらも、ぼそっと口を開く。
「『盗んだ』は誤解だ……」
その言葉に、マーシャは呆れたようにため息をついた。
ソフィアの言葉が、コールの耳に刺さるように響いた。
「コール様、本当に覚えていないんですか?ボルカを――黒い稲妻で、羽も残らず消し去ってしまったんですよ。コール様は雷の魔法は扱えないはずですよね?」
コールは驚きに目を見開いた。
「俺が雷の魔法を使ったって?」
「シェイド先生も同じことを仰っていました」
ソフィアの説明に、コールの思考は混乱を極めていた。
「確かにボルカの一撃を受けた時、全身が燃えるような痛みに包まれたのは覚えている。でも、それから先は――」
ソフィアは慎重に言葉を選びながら続けた。
「コール様は、ボルカの攻撃を受けた直後、一度心肺が停止しました。全身に火傷の痕が残り、とても助かるようには見えなかったんです。でも……息を吹き返したコール様の体には、火傷の跡が一切なくなっていました。それどころか、まるでボルカの力を奪ったかのように、同じ黒い稲妻を放ったんです」
「俺にそんな力が……!」
コールは自分の手のひらを見つめ、震えながらつぶやいた。その手に宿るものが、力なのか、それとも――。
マーシャが冷静な声で口を挟む。
「お前の力というより、黒いヒールライトの力の方がしっくりくるな。だが、ヒールライトにそんな力があるとは学校でも聞いたことがない」
ソフィアは首を横に振った。
「私たちが知っているヒールライトとは、確かに異なる性質のものです。アビゲイル先生も文献を調べていますが、原因の究明には時間がかかりそうです。それよりも……」
少しためらいながら言葉を続けた。
「シェイド先生が、帰り際に気になることを言っていましたよ」
コールが眉をひそめる。
「俺のことか?」
「はい。『コールの肉体については他言するな。特に師匠に知られたら、オレまで割を食う羽目になる。オマエら三人で墓場まで持っていけ』と」
その言葉を聞いた瞬間、マーシャが薄く笑みを浮かべた。
「箝口令、か。シェイドがそこまで神経を尖らせているとはな。よほどコールの体に危険な秘密が隠されているようだ」
コールは拳を握り締め、うつむいた。
「俺の体に……一体何が起きてるっていうんだ?」
アビゲイルは勢いよく扉を開け放ち、部屋に入ってきた。ノックなどする気配すらない。
「お取り込み中のところ悪いけど、確認したいことがあるの。ちょっと時間をもらうわよ」
彼女の声に目を向けた三人は思わず言葉を失った。アビゲイルは白衣を脱ぎ捨て、重厚な騎士の鎧をまとっている。
「戦場にでも駆り出すのか?」
マーシャの冗談に、アビゲイルは顔を真っ赤にしながら地団駄を踏む。
「んなわけあるか!あんたたちの治療にどれだけ時間を割いたと思ってるのよ!まず感謝が先でしょ!」
「ありがとな、アビちゃん先生」
「誰がアビちゃんだッ!あんた、私といくつ離れてると思ってるのよ!」
アビゲイルが怒鳴り声を上げると、コール、マーシャ、ソフィアは目尻を下げて笑い出した。そのやりとりが重たい空気を少しだけ和らげる。
「それで、話というのは?」
マーシャが促すと、アビゲイルはふっと真顔に戻った。
「あんたたち、『魔封じの洞窟』で元医者のエドガーに会ったわよね?」
その名前が出ると、部屋の空気がまた重たくなる。
「不思議に思っていたんだが、何故シェイドはあんな危険な思想を持つ男を野放しにしていたんだ?」
マーシャが首を傾げると、アビゲイルは小さく息を吐き出した。
「マーシャの疑問ももっとも。エドガーは私たちですら手出しできない、謂わば『聖域』みたいなもの」
「聖域?」
三人は顔を見合わせた。
「エドガーの研究にお墨付きを与えたのは……お師匠様よ」
「なにっ?テリオスがエドガーの研究を黙認していただと?」
マーシャが驚きの声を上げた。
「彼は魔法生物を実験台にして、生物の死について研究していた。お師匠様は不死身だから、病気や普通の怪我で死ぬことはない。だからこそ、人や動物の『生き様』に興味を抱いているのかもしれない」
「だが、エドガーの研究はブロッケンのような、魔法や物理に耐性を持たせた不死身の生物を作り出すことだろう?死の研究とはどう考えてもかけ離れている」
マーシャがさらに追及すると、アビゲイルは唸るように答えた。
「それが私にもわからない部分。お師匠様がどうしてあんな如何わしい研究に目をかけたのか、理解が追いつかないわ」
コールが腕を組み、口を開いた。
「エドガーは洞窟に入ってきた冒険者を襲ってたんだよな?それをシェイドのおっさんや吸血鬼みたいなテリオス先生は見逃してたってことだろ?」
「『吸血鬼みたいな』は余計よ」
アビゲイルはピシャリと言い放ったが、その後少しだけため息をついて続けた。
「それに、あんたは何もわかっちゃいないみたいね。エドガーの研究を妨害していたのは、洞窟を訪れた冒険者の方よ。エドガーの研究に面白半分で首を突っ込むから、堪忍袋の尾が切れたエドガーが反撃しただけのこと。謂わば正当防衛」
その言葉に、ソフィアがぽんと手を叩いた。
「つまり、エドガーさんの研究はテリオス先生の許可を得ていたから、正当防衛であればシェイド先生も干渉できなかったんですね?だから、私たちがブロッケンを爆破した時、シェイド先生が『エドガーが死んだとしてもオレは無関係』って仰っていたんですよ」
その場に沈黙が落ちた。エドガーの研究の全貌、そしてテリオスの真意。それらはまだ霧の中だった。
アビゲイルが鋭い目付きで三人を見据え、静かに問いかけた。
「お師匠様に会うために紹介状を一筆書いてほしいのよね?」
アビゲイルの手には長槍が握られている。まるでその鋭い穂先が三人に向けられているかのような、圧倒的な威圧感が場を支配する。
コールが気まずそうに肩をすくめながら口を開く。
「そういえばシェイドのおっさん帰っちまったんだよな?ってことは紹介状もらえないんだな……」
その言葉を遮るように、アビゲイルが槍を構え、冷たい視線をコールに投げた。
「シェイドの紹介状なら私が預かってる。欲しいのなら――力づくで奪ってみることね」
「どういう意味ですか?」
ソフィアが眉をひそめながら問いただした。
「アビゲイル先生、ワタシたちにはテリオス先生に会う資格がないって仰るんですか?」
「そうじゃない。私はあんたたちがミラージュライトを持っていることをお師匠様に報告したの。ミラージュライトが極秘扱いだったから、お師匠様の気分次第では、最悪の場合あんたたちは処分されてた可能性もあったの」
その言葉にコールが目を見開く。
「処分って俺たち、テリオス先生に殺される可能性があったってことか?」
アビゲイルはわずかに肩をすくめ、淡々と答えた。
「あくまで可能性の話。結果的にお師匠様はあんたたちを放任することに決めたの。けれど、その代わり私に罰を課したわ」
「罰……?」
ソフィアの声が微かに震えた。
「アビゲイル先生も処罰されるのですか?」
「ふふふ、そういうこと。お師匠様から命じられた罰、それは――あんたたちを足止めすること。お師匠様に会う資格があるか、私が試させてもらうから」
アビゲイルの笑みは冷たくもどこか哀愁が漂っていた。緊張した空気が辺りを漂う中、アビゲイルは槍を構え直し、鋭い声で命じた。
「さあ、今すぐ外に出なさい!」
マーシャはソフィアとコールを置いて先に部屋を出た。痛みが残るコールはソフィアに支えられながら、外に向かう。
「コール様、ワタシたちはこのまま進み続けて良いのでしょうか?」
ソフィアの心配をよそにコールは前に進み続けた。