冷たい朝の風が吹く中、コールたちは湖畔へ足を踏み入れた。そこには、まばゆい白い馬が静かに佇んでいる。馬の頭部には黄金に輝く三本の角があり、その光沢は神聖さを象徴しているかのようだった。風にそよぐ手入れの行き届いた毛並みは、見惚れるほど美しかった。
その馬は、アビゲイルの前で頭を垂れていた。彼女は馬の首筋を軽く叩きながら説明を始める。
「この子はセインフェノメナーのセイちゃんよ。マーシャの毒を消すことができたのは、この子の角を削って、薬草と混ぜて作った薬のおかげ。感謝しなさいよ」
コールたちは軽く頭を下げ、馬に敬意を示した。
「この子が聖なる白馬なんですね!生命の源泉と謳われる意味がわかります!」
ソフィアが感嘆の声を上げ、馬の毛並みにそっと触れる。その目は、まるで何か神聖な存在を見つめるように輝いていた。セインフェノメナーは膝を折り、まるで感謝を表しているように見えた。
しかし、アビゲイルの次の言葉が場の空気を変える。
「ただ、セイちゃんはコールに嫌悪感を示してる。もし近づこうとしたら、蹴り飛ばされて内臓が破裂しちゃうかもね」
コールは慌てて数歩後退し、セインフェノメナーから距離を取る。マーシャがアビゲイルを鋭く見つめた。
「コールの体に嫌悪感を示すということは、やはり肉体に入り込んだ欠片は廃棄された黒いヒールライトで間違いないということだな」
アビゲイルは無表情で頷いた。
「恐らくね。あんたたちは学校で習ったでしょ?ヒールライトはセインフェノメナーの魔力を抽出して作られる。でも、非合法に流通してるヒールライトは、意図しない残留魔力が混ざってたり、人為的に疑似魔力が注入されたりしてるのよ。セイちゃんが拒否反応を示すのも当然ってとこね」
「つまり、コール様の肉体は異物に侵されているということですね」
ソフィアが静かに補足する。
アビゲイルたちの説明が進む中、コールの顔はますます青ざめていった。
「さて、話はこれくらいにして本題に入るわ」
アビゲイルが口元に笑みを浮かべた。
「私はセイちゃんに乗ったままあんたたちの攻撃を全て防ぎ切る。もし一歩でもセイちゃんを退くことができたら、あんたたちをお師匠様に会わせてあげるわ」
その挑発的な言葉にマーシャが眉をひそめる。
「アビゲイル、お前は上級の魔法使いであり中級の魔装騎士でもある。騎馬戦が苦手というわけでもあるまい」
「でも、一歩も動かないつもりなら騎馬の意味がないんじゃないか?」
コールが口を挟むが、アビゲイルは冷静だった。
「意味がないかどうか、やってみればわかるでしょ?まぁ、できるならの話だけどね」
その余裕たっぷりの態度に苛立ちを覚えたコールとマーシャは、同時に攻撃を仕掛けた。しかし、二人の攻撃がセインフェノメナーに届くことはなかった。突如として現れたドーム状のバリアが、全ての攻撃を弾き返したのだ。
アビゲイルは馬上で微笑みながら言葉を放った。
「だから言ったでしょ?できるならやってみなさいって」
挑発的な笑みとともに、アビゲイルの試練が本格的に始まった。
アビゲイルは槍の穂先を地面に突き立てると、強大な魔力が渦巻く。その瞬間、透明な水の膜が辺りを覆い尽くし、コールたちの攻撃をことごとく無力化していく。周囲を囲む水のバリアは波打つたびに虹色の光を反射し、見る者に圧倒的な威圧感を与えていた。
「水のバリアか。そういえば、森で助けてくれたシェイドのおっさんも似たような魔法を使ってたよな?」
コールは過去の戦いを思い出しながら呟いた。
ソフィアが冷静に分析を始める。
「水のバリアは魔法使いの基本中の基本です。ですが、火や雷を使えば周囲に被害を及ぼす危険性がありますので、推奨されていないんです。風もまた同様の理由からだと思います」
一方で、マーシャはアビゲイルの動きに目を凝らしていた。
「だが、バリアを張り続けるには相当な魔力が必要なはずだ。いくらアビゲイルでも、己の力を過信しているとは思えんが……」
すると、アビゲイルが不敵な笑みを浮かべた。
「ふふふ、魔力の枯渇なんて心配は無用よ。私がセイちゃんに乗っている限り、魔力は無尽蔵に供給されるんだから」
その言葉を裏付けるように、セインフェノメナーの足元から水が湧き出し、地面を駆け巡っていく。その水は瞬く間に波のように広がり、コールたちの間を隔てるように高い壁となってそそり立った。
「こんな魔法、アリかよ……」
コールは目の前にそびえる水の壁を見上げ、ため息混じりに呟いた。
ソフィアは冷静にその状況を見極める。
「もし水の魔法がセインフェノメナーの足元から発生しているのなら、雷で伝わせば……!」
ソフィアはすぐさま水の壁に向かって手のひらを翳し、電撃の魔法を放った。青白い稲妻が壁全体を駆け巡り、その力が水を伝ってセインフェノメナーに襲い掛かる。だが、アビゲイルはすぐさま槍を振り上げ、火柱を呼び出した。雷の魔法はうねる炎に阻まれ、消えてしまった。
「さすがは三賢人と呼ばれるだけある。属性の相性を突いても、冷静に対応してくるとはな」
マーシャはその見事な戦術に舌を巻いた。
コールは焦燥感を隠せない様子で二人に声をかけた。
「どうすればいいんだ?水の壁が邪魔で近づけないし、魔法で攻めてもバリアに防がれる。それに、セインフェノメナーを動かすにはアビちゃんの魔法をどうにかしないといけないよな?」
誰もが口を閉ざし、考え込む。だが、やがて沈黙を破るようにマーシャが口を開いた。
「一つ、試したいことがある」
その言葉とともに、マーシャは迷いなく水の壁に沿ってアビゲイルの元へ駆け出した。
マーシャは静かに懐からミラージュライトを取り出し、その光を纏うと、姿を変えた。その瞬間、マーシャの容貌はコールと見間違うほど瓜二つに変化する。
「うぉぉぉぉッ!」
変わった声色で吠えるマーシャの演技は完璧だった。その叫び声に反応したアビゲイルの槍が鋭く動きを見せる。
「いつの間にコールが近くに……!?」
驚愕するアビゲイルの隙を突くように、コールに化けたマーシャが剣を振り上げ、一直線に飛びかかった。
その瞬間、セインフェノメナーが異様な反応を示す。目の前に現れたコールの姿に敏感に拒絶反応を見せ、いななきながら前脚を浮き上がらせる。その激しい動きにアビゲイルは体勢を崩し、振り落とされそうになるも、槍を地面に突き立ててどうにかバランスを保った。
マーシャはその隙を逃さなかった。剣を横一閃に振り、槍を打ち払おうと試みる。しかし、アビゲイルは槍を自ら手放し、素早く空いた手の平をかざして竜巻を巻き起こした。
「甘い!」
突風の力は凄まじく、マーシャの体を宙へ吹き飛ばし、背後の巨木へと叩きつけた。鈍い音が森に響く。
アビゲイルは槍を拾い上げながら、冷ややかな笑みを浮かべる。
「やってくれるわね。まさかセイちゃんがコールに拒絶反応を示していることを利用して、興奮させようとするなんて。マーシャにミラージュライトを預けたのは私の失態だったわ」
地面に倒れ込んだマーシャは、痛みを堪えながらゆっくりと立ち上がる。その顔は苦痛に歪んでいるが、決して諦めた様子はない。
「くっ……もし私の体がコールのものでなかったら、全身の骨が砕けていただろうな」
マーシャは剣を杖代わりにして体を支えつつ、コールとソフィアへ目配せを送る。
「コール様、もしかしたらこの状況を打破する方法があるかもしれません」
「どうするんだ?ヒールライトをセインフェノメナーに直接ぶつけるとか?」
コールの短絡的な提案に、ソフィアは冷静に首を振る。
「そんなことしたらヒールライトが壊れてしまいます。セインフェノメナーはヒールライトの魔力の源泉なんです。ヒールライトだけでなく魔法生物にも許容限度を超える魔力を注ぎ込んで、内側から破壊することもできちゃうんですよ」
「それならやっぱりアビちゃんに狙いを定めて攻略するしかないってことか」
コールが眉間にしわを寄せる。その問いにソフィアは無言で頷いた。
「もう諦めたらどう?」
アビゲイルは冷ややかな声で言い放ち、セインフェノメナーの背中を優しく撫でた。その仕草には余裕が見え隠れし、コールたちに対する圧倒的な自信がにじみ出ている。
「三人がかりでも私たちを一歩も動かせないんだったら、いくら足掻いても結果は変わらないわ」
その挑発に反応したコールが、水の魔法で宙を駆け上がる。勢いをつけ、一気にアビゲイルへ斬りかかろうと剣を振り下ろした。
だが、アビゲイルは手のひらから竜巻を巻き起こし、コールを高々と空中へ弾き飛ばす。
「私に空中戦を仕掛けるなんて、いい度胸してるわね」
彼女は小さく笑みを浮かべながら、槍を肩に担ぐ。
「でも、そんなに懐をガラ空きにしたら、マーシャの二の舞よ」
しかし、次の瞬間、ソフィアが魔法で宙に浮き上がり、雷を上空からアビゲイルへ放った。その鋭い閃光が地を割らんばかりに落ちてくる。
「やる気あるの?」
アビゲイルは冷静に火柱を立ち上らせ、雷をかき消した。その炎の輝きが彼女の自信をさらに際立たせる。
「こんなこと、いつまで――」
「いきます!」
その声とともに、ソフィアの手のひらに巨大な水の玉が出現した。それは見る間に膨れ上がり、重力に従ってアビゲイルへ向かって落下する。その巨大さと速さは際立っており、空気を裂く音が辺りに響いた。
「そんな芸のない魔法なんて、簡単に打ち消せる」
アビゲイルは冷静に槍を風の魔法で引き戻し、その穂先を水の玉に突き刺した。水の玉はまるで風船のように破裂し、大量の水が周囲に飛散する。
だが、その水しぶきの影からコールが姿を現した。
「なんですって……!?」
アビゲイルの目が見開かれる。コールの体から黒い魔力が発光し、激しい竜巻が生まれる。その力に押し出されるようにして、コールはアビゲイルに猛然と突撃する。
アビゲイルは瞬時に槍を構え直し迎撃しようとするが、コールは懐へ飛び込み、彼女を地面に引きずり倒した。その衝撃でアビゲイルの手から槍が離れ、セインフェノメナーは主を失ったことで混乱し、どこかへ駆け去っていった。
「これで条件はクリアだよな、アビちゃん先生?」
コールは勝利を確信したように言い放つ。その声にはわずかな勝ち誇った調子が混じっていた。
「……だからアビちゃんって呼ぶなって言ってるでしょ」
アビゲイルは悔しそうに天を仰いだ。