「ところで、ミラージュライトのことなんですが……!」
リンダの表情が少し柔らかくなり、重々しくうなずいた。
「アビゲイルから聞いているよ。研究所のチンプが職員の目を盗んで持ち出してしまってね。わたしは管理者ではないけれど、ミラージュライトの製造に関わっていたから、行政の人間や警備兵に色々聞かれてね。疲れ果ててしまったよ」
「ごめんなさい、こんな大変な時に押しかけてしまって」
「いいんだよ。アビゲイルとシェイドに魔法を教えたのはわたしだからね。子供たちの頼みなら、叶えてあげたくなるのが親心ってもの。血が繋がっていなくても、わたしからしたら三賢人も家族みたいなんもんさ」
「ミラージュライトはヒールライトと見た目がソックリなんですが、何か関係があるんですか?」
「ミラージュライトはテリオス様の要望で発案されてね。使い捨てられたヒールライトを再利用とするという建前で、計画されたものなんだよ。実際はテリオス様が過去に出会ってきた人々に、もう一度会いたいという願いを叶えるために始まったプロジェクトなのさ」
その話に、ソフィアは少し感慨深い表情を浮かべた。
「テリオス先生は五百年も生きてるんですもんね。お世話になった人に会いたくなる気持ちは、わかる気がします」
「計画は順調に進んでいてね。テリオス様が進捗状況が記された書類を受け取りに来る度に、励ましの言葉をかけてくれるんだよ。それだけでどれだけ心が洗われたものか」
「でも盗まれちゃったんですよね?」
リンダは少し思案するように目を閉じ、答えた。
「そうだね。高い知性を持つ魔法生物はチンプだけじゃなかったから、盗まれる可能性はある程度考慮していたつもりだったんだよ。島を覆う魔障壁は魔法生物に反応して、塵一つ残さず消し炭にしてしまうからね。まさか人間に変身すれば魔障壁を掻い潜れるなんて、テリオス様に報告した時は大層喜ばれていたよ」
「喜んでいたんですか?盗まれたのに?」
「怪我の功名とでもいうのかね。完成したミラージュライトをチンプが持ち出したお陰で、研究自体は頓挫してしまったけど、テリオス様は『魔法生物が盗み出したのなら、気を病むことはない。チンプの居場所なら既にわかっている』と仰っていたよ」
「魔法生物ってテリオス先生が産み出したと魔法学校で習いました。チンプの居場所ぐらいなら、簡単に知ることができるのは当たり前です」
「魔法生物の存在が確認されたのは三百年前ぐらいのことだからね。テリオス様の寂しさを紛らわすために、動物を魔法で強化し寿命を引き延ばす。残酷なようなことに見えるけど、テリオス様の長年の苦悩を考えたら、口出しできる人はこの世に誰もいないんだよ」
話がひと段落したところで、病室の扉が静かに開いた。その場の空気が変わるのを感じ、ソフィアは振り返る。
「テリオス先生……?」
そこには、堂々とした佇まいでテリオスが立っていた。リンダは顔を上げ、訝しげな表情を浮かべる。
リンダは顔を上げると、一瞬だけ表情を険しくしたが、テリオスが彼女の枯れた手にそっと手を添えると、すぐにその表情は和らいだ。
「リンダ、見舞いに来た。体に障りはないか?」
その穏やかな声に、リンダはゆっくりと頷いた。
「テリオス様、わざわざありがとうございます。これだけで寿命が少し延びたように思えますよ」
そのやり取りを、ソフィアは一歩離れた場所から見つめていた。二人の間に漂う、長い年月を共に過ごした者同士だけが共有できる特別な空気。その光景を壊すべきではないと思ったのか、体が自然と動く。
「ワタシ……ちょっとトイレに行ってきますね」
そう告げると、ソフィアはそそくさと病室を後にした。
病院の外にある木製のベンチに腰掛け、ソフィアは静かな風に吹かれながら目を閉じた。昼の陽射しが心地よく、知らぬ間に浅い眠りに落ちていった。
ふと気配を感じて目を覚ますと、テリオスが病室から出てきたところだった。彼の厳格な表情が一瞬揺らぐと、その姿はみるみる変わり、やがてマーシャのものへと戻った。
「……やっぱりおかしいと思いました!」
ソフィアは思わず声を上げたが、マーシャは素早く近づき、彼女の口を手で塞いだ。
「大声を出すな。病院内で騒ぎを起こすつもりか?」
「でも……どうしてテリオス先生に化けていたんですか?」
「リンダという老婆を励ましてやりたかっただけだ。テリオス本人では無理だろうと思ったからな。まあ、それなりに満足した様子だったから、悪いことではなかっただろう」
そう言って手を離すと、マーシャは肩をすくめた。
「それで、エンジェルライトについて何か情報を得られたんですか?」
ソフィアは真剣な眼差しで問いかけるが、マーシャは眉を寄せて首を振った。
「いいや、『エンジェルライトなら
マーシャは小さく舌打ちをしながら続けた。
「母性溢れる顔つきとは裏腹に、腹の底が知れない老婆だな。簡単に情報を引き出せる相手ではない」
ソフィアは苦笑しながら言った。
「それも当然ですよ。どれだけリンダさんがテリオス先生に仕えてきたとしても、テリオス先生しか知らない情報を教えることはできませんからね」
「忠誠心が過ぎるというのも厄介なものだな」
マーシャは溜息をつくと、再び風に溶け込むように歩き出した。
ソフィアは少し首をかしげながらマーシャに尋ねた。
「コール様はまだ病室で休まれているんですよね?ビーちゃんの様子も気になるので、コール様のところに行ってきます」
しかし、マーシャは冷ややかな表情で首を振った。
「今行っても無駄足になるだけだ。病室にコールはいない」
「へっ?コール様はまだ動けないはずですよね?どこかへ出かけてしまったんですか?」
「テリオスの伝言を伝えたら、『お礼を言ってくる』と息巻いてベッドから飛び出していった。まったく、私たちに心配と世話をかけさせておいて、どこまで自分本位な男なんだか」
その言葉にソフィアは思わず笑みをこぼした。
「ふふっ、でもコール様が元気を取り戻して良かったですね」
マーシャは少し戸惑いを見せたが、やがて肩をすくめるようにして頷いた。
「ああ、そうだな……」
一方その頃、コールは小さな魔法生物ビッティを懐に忍ばせながら、テリオスがいるであろう船着き場に向かっていた。夕日が水平線に沈みかけ、黄金色の光がさざ波を煌めかせている。
コールは足を引きずりながらも、顔には決意の色を浮かべていた。
「ビッティ、少しの間だけ大人しくしていてくれよ。島の人たちに見つかったら、殺処分されちまうぞ?」
懐から顔を出したビッティは、か細い声で返事をするように鳴く。
「心配するな、テリオス先生にはちゃんと礼を言うだけだ。それが済んだら、ちゃんとお前を安全な場所に連れていくからな」
そう呟きながら、コールは船着き場にたたずむ影を見つけた。テリオスだろうか、それとも別の誰かだろうか。
夕日がその影を強く照らし出す。
「体が軋むように痛い……肉体が悲鳴を上げてる……でもテリオス先生に会いに行かないと、大切なモノを失ってしまうような気がするんだ」
コールの声は波音にかき消されることもなく、夕焼けに染まる空の下で静かに響いていた。