規制線が張られた『魔封じの洞窟』の前で、ソフィアは目の前に立ちはだかるシェイドを見据え、深く息を吸い込んだ。
「シェイド先生は魔法で空を飛ぶのをあまり好みません。白兵戦や中近距離からの戦闘に持ち込み、剣と魔法の合わせ技で相手を圧倒するスタイル。なら、私にできることは――」
思考を巡らせる間もなく、ソフィアは行動を起こす。彼女の掌から流れ出た大量の水が、シェイドの足元を覆い尽くした。
シェイドはその光景に目を細めながらも、すぐに電撃魔法の可能性を察知し、空中へと跳躍した。しかし、ソフィアはその隙を見逃さない。水流を操作して自らの盾とし、一気にシェイドへ突進する。
「攻防一体か。的を絞らせないやり方は評価してやるよ。だがな、その場しのぎの戦術じゃ俺には通用しねぇんだよ!」
シェイドの声とともに、その剣が水面を切り裂いた。鋭い水の刃がソフィアの盾を両断する。しかし彼女はひるむことなく、足場の水を再び操り盾を再構成する。
「足場から水を供給され続ける限り、防御を突破するのは難しいか。だが、そう長くは持たねぇ!」
シェイドは地面に剣を突き刺し、大地を切り裂く火の斬撃を放った。火炎はソフィアの水流によって消されたものの、裂けた地面は水を吸い込み、彼女の盾を弱体化させていく。
「これでテメェを守るものはなくなったな」
シェイドは容赦なく次の攻撃に移った。炎が檻のようにソフィアを包み込み、逃げ場を失わせる。彼女は必死に水を操って消火を試みたが、二重三重に仕組まれた火炎の罠に体力を削られていく。
「この程度なのか、ソフィア?」
シェイドの冷たい声が響く。燃え盛る炎の中、ソフィアは必死に策を練る。
灼熱の炎がソフィアを包み込み、息をするたびに熱が喉を焼きつける。全身を襲う苦しさに、彼女の口からかすれた声が漏れた。
「あ……あつい……苦しい……でも……」
それでも彼女は腕の中の小さな存在――ビッティを守るため、服の中へと押し込む。その仕草は本能的でありながら、どこか優しさを帯びていた。
「どうしてこんな状況で、昔のことを思い出してしまうのでしょうか?」
ソフィアは呟くように語りかけた。その声はビッティへ向けたものなのか、それとも自分自身への問いかけだったのか。
「奴隷だった時に受けた体罰のせいで、火が怖くなってしまったワタシに……コール様がこう言ってくれたんです。『俺が火を扱えれば、お互い足りないものを補える。俺とソフィアが支え合えば怖いものなしだ』って」
ソフィアの目に一瞬だけ光が宿る。記憶の中で、コールの笑顔が浮かび上がる。その言葉を思い出すたびに、胸に暖かいものが広がったのだ。
「コール様はそれを魔法を学ぶ動機にしたみたいでしたけど……ワタシは、ただその言葉がワタシを必要としてくれているようで嬉しかったんです……」
周囲の火の勢いはさらに増し、燃え盛る炎の音がソフィアの耳を覆った。彼女の意識は徐々に薄れていく。
「一緒に魔法を練習した日々……それが、ワタシにとってかけがえのない宝物なんです。でも……もしコール様がいなくなってしまったら……ワタシは……何を支えにしていけばいいのでしょうか?」
虚ろになっていく目で、ソフィアは首から下げたヒールライトに手を伸ばし、力強く握りしめた。
「ワタシはまだ……コール様と思い出を作りたい……たくさん……楽しい思い出も……辛い思い出も……冒険だって……ずっと……ずっと……」
言葉がかすれていく中で、ソフィアは炎の檻の中で小さくうずくまった。もはや動く力も残されていないように見えた。
それを見たシェイドは、静かに炎を解いた。
「火が苦手ってのは本当みてぇだな」
シェイドが冷たく言い放つ。だが、炎が消え去った今も、ソフィアは蹲ったまま微動だにしない。その様子に、彼は呆れたように嘆息を漏らした。
「これでわかったろ?魔法を扱えたって使い方を知らなきゃ、ただの飾りだ。剣だって振り回してれば強くなれるわけじゃねぇ。努力や根性も大切かもしれねぇが、自分の力量も測れないんじゃ命がいくつあっても足りねぇよ」
静寂が場を支配する中、ソフィアの声が微かに響いた。
「ワタシは……」
「フン、意識はあるのか」
ソフィアは顔を上げずに、か細いながらも確かな意思を込めた言葉を続けた。
「ワタシは、どんな相手も倒せる魔法使いになりたいと思ったことは一度もありません」
「なに……?」
シェイドの眉が僅かに動く。ソフィアは顔を上げ、炎の中でも消えなかった瞳の輝きを見せた。
「ワタシがなりたいのは、優しくて温かくて……大好きな人たちの支えになる魔法使いです!」
その瞬間、ソフィアの首から下げられたヒールライトが紅く発光した。その光は大地を淡く染め、まるで彼女の揺らぐことのない強固な意志を示すかのようだった。
「くっ……!」
シェイドが慌ててソフィアの頭を掴もうと手を伸ばす。だが、その刹那、ソフィアの胸元から小さな影が飛び出した。
「なんだコイツ!?離せ!」
飛び出したのはビッティだった。小さな体でシェイドの顔にしがみつき、ちいさな爪で引っ掻きながら猛然と抵抗を見せる。
その隙に、ソフィアは立ち上がった。右手に炎の魔力を集め、練り上げた火球が彼女の手の中で螺旋を描き始める。
「これで終わりです!」
彼女は火球を渾身の力でシェイドに向けて放った。回転する炎の塊はシェイドの腹部を直撃し、その体を岩壁に叩きつけた。洞窟の入り口が崩れ、瓦礫が完全に道を塞ぐ。
「はぁ……はぁ……」
ソフィアは肩で息をしながら、無事に戻ってきたビッティを胸に抱きしめた。
「ソフィア、火の魔法が使えるようになったのね!」
アビゲイルの声に、ソフィアはハッとして右手を見つめた。
「そういえば……ワタシ、無意識に火の魔法を……」
「これで四種類の魔法が扱えるようになったわね。上級魔法使いへの道が拓けた。あとはあなた次第よ」
そう言ったアビゲイルの視線が瓦礫の山に向けられる。その山が音を立てて動き出し、傷ついたシェイドが現れた。服が焼け、露わになった腹部には火球の痕が残っている。
「まさかビッティを連れ歩いていたとはな。課題はクリアだが、納得いかねぇ」
シェイドは肩に乗るビッティを一瞥し、不満げな表情を浮かべる。その態度にアビゲイルは腰に手を当て、鋭い声で言い放った。
「あんたが条件を付けなかったのが悪いんでしょ?課題はクリアしたんだから、ソフィアの力になりなさいよ!」
「シェイド先生はスティルアケイオを家族のように大切にしていらっしゃいますよね?」
ソフィアの言葉に、シェイドは片眉を上げた。
「バンは家族でもあり、頼れる相棒でもある。師匠が初めてオレを一人前と認めてくれた証として、バンをそばに置かせてくれたんだ」
懐かしむように語るシェイドの表情には、わずかな誇りが宿っていた。しかし、ソフィアは目を伏せたまま、そっと別の話題を切り出す。
「実はコール様が『魔封じの洞窟』に向かう途中で、衰弱していたビーちゃんを保護してくれたんです。でも、それは善意だけによるものではありませんでした」
「どういうことだ?」
シェイドの声には疑問と警戒が混じっている。ソフィアは深く息をついてから、ゆっくりと顔を上げた。
「コール様はワタシがビッティを好きだということを知っていました。もし苦しむビッティを放置したら、ワタシが悲しむかもしれない――そう思ったから助けてくれたんです」
シェイドは苦笑を浮かべ、冷淡な口調で応じる。
「それはアイツのエゴだろう。魔法生物の命より、人としての感情を優先した。所詮、コールは本能のままにしか動けない動物みたいなもんだ」
「違います!」
ソフィアの声が鋭く響いた。その勢いに押されるように、シェイドは無意識に顎を引いた。
「コール様は、ラフィーアフーシェでビッティが魔障壁を通れないことを知っても、決して見捨てませんでした。海に捨てようだなんて、一言も言いませんでした。コール様は自分の命よりも、小さな命を優先したんです!」
ソフィアの瞳は真っ直ぐシェイドを見据え、どこまでも純粋な熱意を宿している。
「だから、ビーちゃんはワタシとコール様を繋ぐ絆の証なんです」
「絆の……証」
思わず漏れたシェイドの言葉には、わずかな戸惑いが感じられる。それを逃さず、ソフィアはさらに言葉を重ねた。
「シェイド先生のスティルアケイオも、アビゲイル先生のセインフェノメナーも、テリオス先生との絆の証です。強い絆で結ばれていれば、どんな強大な敵であっても断ち切ることはできないはずです!」
ソフィアの思いを聞きシェイドとアビゲイルは互いに視線を交わすことなく、ただ目を瞑って考え込んでいるようだった。
「だからどうか……ワタシに力を貸してください」
ソフィアの真摯な思いに突き動かされたのか、シェイドは唐突に口笛を吹いた。すると、どこからともなくスティルアケイオが飛来する。大きく翼を広げながら着地し、シェイドに甘えるように頭をすり寄せるその姿は、猛々しさの中にどこか愛おしさを感じさせた。
「バンを貸す前に、助言してやる」
シェイドはスティルアケイオの首を撫でながら淡々と言葉を続ける。
「バン単独なら魔障壁で覆われた『ゼクシェリオンの祭殿』に入ることは可能だ。だがな、お前は上級の魔法使いじゃねぇ。祭殿の中には入れず、外から眺めてるだけだろうよ」
「う~ん、そうすると……どうしたらいいですか?」
ソフィアは困ったように眉をひそめたが、その様子を見たアビゲイルは深いため息をつきながら彼女の肩を軽く叩いた。
「本当に、あなたって考えもなしに突っ走って周りが見えなくなることがあるわ」
アビゲイルは呆れたように言う。
「『聖者の塔』が目と鼻の先にあるのに、『ラフィーアフーシェ』に行きたいなんて言い出したり、ビッティが魔障壁を通れないことを完全に忘れてたり。まあ、それについてこれる仲間も仲間なんだけどね」
「えへへ、ごめんなさい」
ソフィアはもじもじしながら頭を掻いた。
アビゲイルは腕を組み、少し間を置いてから話を続けた。
「話を戻すけどね、ソフィア。『ゼクシェリオンの祭殿』に入るには、まず『聖者の塔』に行く必要があるわ。塔の最上階――師匠の部屋にある『上級魔装騎士の証』を取りに行きなさい。その証を祭殿の魔障壁にかざせば解除できる」
「つまり、ワタシの目標は『聖者の塔』ってわけですね!よし、さっそく行って――」
ソフィアは勢いよくスティルアケイオに飛び乗ろうとしたが、その瞬間、シェイドが獣が威嚇するような声で制止した。
「待て!話はまだ終わってねぇ!」
急に止められたソフィアは、スティルアケイオの背中に手をかけたまま固まり振り返る。
「『聖者の塔』は魔法生物に反応する魔障壁が張られている。スティルアケイオは塔の入口までしか近づけねぇ」
「えっ!?」
ソフィアは驚きのあまり目を見開き、その場で硬直する。
「『ゼクシェリオンの祭殿』は人間に反応する魔障壁で張られていて、『聖者の塔』は魔法生物に反応する魔障壁が張られているんですか?なんだか、もう頭が混乱してきました……」
その様子に、シェイドは口角をわずかに上げた。
「オレたちが渡した紹介状を持ってるだろ?」
そう言われ、ソフィアは慌ててコールから預かったウエストポーチを開け、中を探る。やがて二通の封筒を取り出し、手に掲げた。
「はい、これですね!」
ソフィアはその封筒をじっと見つめた後、目を輝かせる。
「ああ!これがあれば『聖者の塔』の魔障壁を解除できるってわけですね!」
納得した様子のソフィアは封筒を大切そうにポーチにしまい込む。その動作を見ながら、シェイドは短く頷いた。
「そういうことだ。それと――」
「まだあるんですか?」
無邪気な声をあげるソフィアを前に、シェイドはわずかに苛立ちを抑えるように深く息を吐いた。
「テメェのために教えてやってるんだがな」
シェイドの声が一段と低くなる。
「『聖者の塔』内部には転移魔法がかけられている。どの階層から魔法生物が飛び出てくるかは、その場所にいた人間にしかわからねぇ。助けを呼んでも誰もこやしねぇ。いいか?一人前の魔法使いになりてぇなら、死ぬ気でてっぺんまで登り切れ!」
その言葉に、ソフィアの表情が引き締まる。彼女はシェイドの言葉を一つ一つ頭に叩き込むように頷き、スティルアケイオの背に飛び乗った。
「行ってきます!」
ソフィアの声とともに、スティルアケイオは翼を広げ、優雅に飛び立つ。彼女の姿が空高く小さくなるまで、シェイドとアビゲイルはじっと見送っていた。
「死んじゃダメよ、ソフィア」
その背中に、アビゲイルはそっと言葉を投げかけた。
「あなたはもう一人前の魔法使いなんだから」
その声はかすかな風に乗り、ソフィアの背中に届いたかどうかはわからない。それでも、彼女の勇敢な姿はアビゲイルの目に誇らしく映っていた。