転生したらヒルチャールだった件 作:良いスライム
寒い。一番最初に感じた感覚がそれだった。俺は勢いよく起き上がると慌てて周囲を見回す。
そこは一面の銀世界だった。いや、太陽は出ていないからどちらかと言えば灰世界と言った方が良いかもしれない。鬱そうと並ぶ黒褐色の針葉樹には雪が降り積もり、月の光をチラチラと反射して幻想的な雰囲気を漂わせていた。どうして俺はこんなところにいるのだろう。
確か俺は誰かと話していて…そうだ、俺はそいつに突き落とされたんだ。
肝心の相手が誰だったのか、そして自分自身が誰だったのかということは頭に靄がかかったように思い出せなかった。ちくしょう、奇跡的に生きていたから良いものをなんて酷いことしやがる。
怒りに歯を軋ませながら、俺はふらふらと立ち上がる。しかし妙だ。崖から突き落とされたというのに、体のどこからも痛みが感じられない。自分の身体を観察したり、触ってみたりした。
ボロボロの服の下からのぞいた肌は、墨を塗ったかのように真っ黒に染まり、顔や頭からは、ごわごわとした毛が生えていた。しかも、後頭部には二本の角らしきものまで生えている。ここに鏡でもあれば、羊のような頭をした黒い男が映るだろう。
衣服の損傷度合いとは裏腹に、この奇妙な体には傷一つ付いていなかった。
そして傷一つ付いていないものがもう一つ。ズボンの腰あたりに付いていた黄土色の宝石だった。銀縁の装飾があしらわれたその宝石は、月の光を反射して不気味な輝きを放っていた。…ま、せっかくだし取っておこう。
自分の身体の無事を確認すると、急に腹が減ってきた。恐らく長いこと物を口にしていなかったのだろう。腹の虫が鳴いて、口からは白い息が漏れ出す。
「グ、ガァ…」
眠っている間に喉もやられてしまったのか、声にならない声が漏れ出る。喉もカラカラだ。凍死しなかったのは不幸中の幸いだったが、こんな場所にいつまでもいては、せっかく拾った命が台無しだ。
俺は立ち並ぶ木々の間を通り抜けて歩き始めた。
ここらを歩いた中で気づいたことは、どうもここは山の中腹らしい。それもかなりの標高の。眼下には雪を被った針葉樹林が鬱そうと生い茂り、時折キツネなどの野生動物が走っているのが見えた。しかし、今の自分に獲れそうな木の実などは1つも見当たらなかった。
どれくらい歩いただろうか。1時間か2時間か。喉の渇きと空腹で意識が朦朧として、もはや深いことは考えられなかった。獣道を通り抜けると開けたところに出た。そこには月の光を反射してキラキラと光り輝く湖があった。
俺はそれを見つけると、一目散に駆けだした。坂を滑り落ちるように下り、湖のほとりに辿り着くと、そのままの勢いで顔を湖の中に突っ込んだ。
「ング、ング……」
水は氷のように冷たく、針のように口腔を刺激した。それでも俺は必死に喉の渇きを潤した。
やがて俺は顔を上げると、水面に小魚が泳いでいるのを見つけた。俺は腹を空かした獣のように、勢いよく魚を手で掴み取り、そのまま口へと運んだ。
バリボリと小魚の骨を噛み砕く音が周囲に響き渡る。しかし、その音は俺以外に誰もいない山の中では、すぐに静寂へと溶け込んでしまった。魚を平らげた俺は、ようやく落ち着きを取り戻した。
ふと、辺りを見回すと、湖の水面が周りの景色を反射していることに気が付いた。
ちょうど良い。俺は水面に映った自分の姿を見た。
「……ア?」
思わず、疑問の声が飛び出した。水面に映っていたのは、俺の知っている自分の姿ではなかった。その姿はまさに「怪物」だった。
黒くくすんだ肌に、獅子のようなたてがみ、そして頭から生える悪魔のような二本角。そしてなにより…
「ア、アァァ……」
顔だ。俺の顔は醜く歪んでおり、一目と見られない形相をしていた。皮膚のあちこちが溶けたように崩れ落ち、口には鋭利な牙が生え揃い、魚の肉や血がこびり付いていた。
「グァ……ァァ……」
恐怖と絶望が思考を塗り潰していく。こんな、獣のような姿……まるで魔物だ。俺は一体どうなってしまったんだ?俺は生きているんじゃないのか?これが俺の姿だとでも言うのか?
水面をめちゃくちゃに殴りつけ、俺は必死に水面に映る自分の姿を否定した。
嫌だ、嫌だ。こんなの俺じゃない。こんな姿になり果てるくらいならいっそ……。
その時だった。腰に付けていた黄土色の宝石が怪しく光り輝くと、俺の身体を包み込み、やがて視界を真っ白に染め上げた。
光が収まり瞼を開くと、奇妙な違和感が顔に貼り付いていることに気付いた。触って確認してみると、仮面のようなものが俺の顔に付いていることが分かった。
水面はいつの間にか静けさを取り戻しており、俺は湖面に映る自分の姿をもう1度確認した。
黒い皮膚に、獅子のようなたてがみ、頭から生える角。そして極めつけはその顔を隠す奇妙な仮面。
俺はその魔物の名前を知っていた。
「ガァアァァァァァ!!」
『丘丘人』。テイワット大陸にてヒルチャールと呼ばれる魔物は、その日、月に向かって産声をあげるのだった。