でも本当は違っていて、
惨めで、情けなくて、ズルくって、
威張ってるくせにそんな資格はなかったんだ。
だから僕は、大人が嫌いなんだ
私の目の前に、大嫌いな大人が座っている。
椅子に深くも浅くもなく腰掛けて、前にも後にも倒さず垂直に背筋を伸ばして、いかにも真っ直ぐ相対していますよという見てくれが、私を苛立たせたのです。
「先生、お久しぶりですね」
社交辞令の挨拶をする。もうこの大人は私の味方ではないのに、私はお淑やかにちょこんと腰掛けて、足を揃えて手を添えて、行儀よくしているのが、自分でも腹が立ちました。
「うん、久し振り、カヤ。もう何しに来たんだとか、言ってくれないんだね」
連邦矯正局という檻の中に閉じ込めておきながら、個別指導じみた面会をセットしたこの大人は、相変わらず柔和な笑みを浮かべて私を見つめていました。何の話をしに来たのか、聞き飽きた説教をしに来たのか、もっとも、私の取る態度は変わらなかったのですから、そんなことに興味を割くべきではありませんでした。
「今日はさ、カヤのことを、もっと知りたいなって思ってるんだ」
「そうですか」
それがどうしたのでしょうか?説き伏せるアイデアでも見つけようと言うのでしょうか?そう言われて、気安く雑談なんかしてやるつもりはありませんでした。
「カヤはさ、
「さあ、特にないですね」
「楽しみにしてることとか、行ってみたい所とか、ない?」
「ないですね」
「会っておきたい人とかいない?コイツには文句つけてやるぞ、って人とか」
「いないですね」
意識的に話題を打ち切ってやる。強いて言えば、目の前のお前に文句を言いたいところでしたが、話の取っかかりにされるのも癪に障ったので、隠しておきました。
どうせこの大人は私という子供に、聞き分けの良い素直な生徒になってほしいと思っているに違いありませんでした。きっとしおらしく項垂れて、「私が間違ってました、もうあんなことは二度としません」と言わせればしてやったりなのでしょう。後はリン達の前に何食わぬ顔で出ていって、私が復帰できるように肩を持ってやろうという腹づもりなのです。見え透いていました。だからなのでしょうか?私は神経を尖らせて、髪のてっぺんに至るまで揺らすことのないようにしていました。
「そうかぁ……」
大人が溜め息をついたのを見て、私は心の中でほくそ笑みました。意地が悪いですね。私はこの大人に、見捨てられたいのでしょう。そうすれば、私はただ面倒をみてもらえるだけの子供という存在から解放されるのですから。
「じゃあ、代わりにさ、私の行きたい所に行ってもいい?」
「は?そんなの、勝手にすればいいじゃないですか」
意図しなかった問いに一瞬面食らって、半端な返事を返してしまいました。不覚、その一言で主導権を持っていかれるかもしれなかったのに、なんと迂闊なんでしょう。事実、そうなってしまったのですから。
「さあ、準備して?お出かけする手筈は整ってるんだから」
「え?は?何を言ってるんですか?」
目配せを受けた看守の生徒は、私の腕を掴んで面会室から連れ出して行きました。そしていつ用意したのかも分からない衣装を着るよう私に言いつけて、更衣室のカーテンを閉めました。
(一体何が起きているのですか?)
カーテンの隙間から覗くのは、当然の如く此処を見張っている看守の姿でした。
「なんでこんなことをするんですか?面会が終わったのなら、さっさと牢屋に戻せばいいじゃないですか」
「つべこべ言わずに着替えてください、これは先生からの申し出です」
「これからやることは刑務なのですか?」
「違います、ただ先生からそうしてくれと言われています」
如何とも言えないやり取りに業を煮やしそうになりました。ですがすぐに落ち着いて、ひとまず従うだけ従っておこうという考えに至りました。どのみちこの後あの大人から受けるのは懐柔なのですから、やるべきことは変わりません。ただ不遜な態度で、私を丸め込もうとする言葉を引っ叩いてしまえばいいのですから。
■
「どうぞ、準備しましたよ」
用意された衣装は薄汚い監獄のわりに小綺麗なシャツとパンツとスニーカーでした。傍から見ればごく普通の通行人のように見えたことでしょう。もっとも、右手首にはめられた手錠の存在感を隠せるほどではありませんでしたが。
「待ってたよ、似合ってるね」
無視する。お世辞に応答するほどの愛想は尽きていたので。
「じゃあ、よろしく」
なんということでしょうか!その合図と同時に、看守は私にはめた手錠のもう片方を、その大人の左手首にはめたのです!
「ちょっと、何するんですか!?」
「そのままだと逃げられちゃうからね、私に繋いでおくのさ」
「別に腰縄でも繋いでおけばいいじゃないですか!?」
「いや?私はなにもリード付きの自由を味わってもらおうって思ってるわけじゃないからね」
自分も手錠をはめたから平等だとでも言いたいのでしょうか?私はもうこの大人の隣にいるというだけで寒気がしていました。最悪です。早いところこいつの要求を解決して鉄格子の中に戻りたい気分で胸がいっぱいでした。
「じゃあ行こっか、今日はカヤに見せたいものがたくさんあるんだ」
「ええい!引っ張らないでください!自分で歩きたいんです!」
しばらくの間、疲れ切るまで繋がれた右手を振り回す。まるで恋人みたいに近くにいるのが嫌で、かたく拳を握って拒絶しておきました。もっと言えば、虫酸を吹きかけてやりたいぐらいの胸やけで内臓がいっぱいでした。
■
「ここの花壇、私もみんなと一緒に植えたんだ、ちゃんと綺麗に咲いてるよね」
「そうですね」
「うーんいい風、海に開けてて、すごく気持ちいいよね」
「そうですね」
「この店のロイヤルミルクティー、とっても美味しいんだよ、カヤもどう?」
「結構です」
「見て、イルミネーションの準備してるよ!もうそんな季節なんだねえ。今度一緒に来ようね」
「嫌です」
「ここでギター弾いてる人、最近は毎日演ってて、聞くたびにどんどん上手くなってるんだよね」
「そうですか」
ブラボー!だなんて拍手を送ると、この大人は前にあった缶におひねりを投げ込みました。なんどあしらっても諦めないのには、ある意味で感動します。
「ねえ、クレープの移動販売がやってるよ。せっかくだからご馳走してあげるよ」
「いりません、やめてください」
「まあまあそう言わずにさ、歩き回ってお腹すいたでしょ?」
「空いてません!」
抗議の声も何処吹く風で、この大人はイチゴとバナナのクレープを注文しました。安っぽいパフォーマンスに安っぽい喝采をあげて商品を受け取ると、私に差し出しました。
「はい、どうぞ」
「いりません、一人で食べてください」
「まあまあ、それじゃああっちのほうのベンチに行こうか」
「ああもう!引っ張らないでくださいって言ってるじゃないですか!」
海のほうに面した広場のベンチにこの大人は私を引き連れて、座るよう促しました。
「はいはい、分かりましたよ。それとクレープ、頂きます」
「おっ、やっと受け取ってくれる気になったの?」
「別に、単純に言い疲れたんです。鬱陶しくてたまらないことぐらい理解してくださいよ」
半ばひったくるようにクレープを手にすると、大口でわしわしかじりついて見せました。期待を裏切って見せたかったのですが、その大人は私が受け取ったことに満足したのか、海の方を眺めていやがったのです。私はすっかり興醒めして、貪るのをやめて食べることにしました。そうすると意外と視線を持て余すもので、私も自然と海の方へ顔を向けていました。
手錠でつながれた二人、片手にクレープを持ち、もう片方は顎に手をついて同じ方を眺めるという奇妙な光景、海風に頭を冷やされて、少しだけムキになることをやめられる時間。純白のクリームは舌を焼くほどに甘く、正直胸やけが収まった気はしませんでしたが、まあ黙って食べてもいい気がしました。
「ねえカヤ、気にいらない?思い通りにいかなくて」
そいつが言い放った言葉は私の神経をビリビリ引っ掻きました。でも目を見開いてその大人の方を向いてみても、変わらず海の方を眺めていて、素知らぬ表情をしているのです!そのまま吐き出してしまいたかったところでしたが、ひとまず腹の底から登ってくる酸味を抑えるために、生クリームの一際多いところに思いっきり齧りつきました。
「ええ、気に入りませんよ!何もかも!まるで嘲笑うために連れてこられたことも含めて!大変不愉快ですよ!あなたは良いですよね!何もかも上手くいって!関わる生徒みんなに慕われて!力を振り回せて!羨ましいですよ!大人というものは便利なもので!良いご身分ですこと!」
怒りの外面を取り繕って、水平線の向こうに向けて、最低限醜くないようにしてから吐き捨てました。でもその大人は怒るでも憐れむでも蔑むでもない声色でぼやき始めました。
「そんなことないよ、大人も全然上手くいかない。リンちゃんには書類の形式が合ってないって怒られたし、絶対上手くいくって思った契約を突っぱねられたりしたし、準備万端だった作戦が見込み違いでなし崩しにやらなきゃいけなくなったりもしたし、それに……生徒みんなに好かれてる訳でもないしね」
「はっ……慰めですか?」
「うん、慰め」
「にしては随分と情けないですね、大人なのに」
「うん、情けないよ、大人はね」
「そういえば私が心を開くとでも思ってるんですか?」
「いや、ただね──」
その大人は長く長く息を吐いてから、何か期待するように腹立たしい講釈を垂れました。
「──君が犯してしまったような間違いは、私も同じように犯してしまっているものなんだ。それで私がこれまで犯してきたような間違いは、カヤ、君もいずれ犯してしまう間違いだと思うんだ」
嫌だ。
「カヤ、私は君をね、人生の後輩だと思ってるんだ。私は自分の意思と信念で走ってくる君を、道の先から応援するつもりで待っているんだ」
「私はあなたと同じ道は進みません!」
「うん、いくらでも反面教師にはしてもらって構わないよ、けどね──」
茶番だ。
「──君には頭を冷やして、自分の感情に向き合う時間が必要だと思うんだ」
「それで、私が矯正局に入るのを黙って見ていたんですか?」
「そうだね」
「それでこうして説教をして、心を入れ替えてもらおうと?」
「うん……そうだね」
「あなたに!!私の何が分かるとでも言うんですか!!」
私は思いっきり立ち上がって、その大人の頭を見下ろして叫びました。そんな熱血学園ドラマのお約束のような展開を認めたくはなかったのですから。
「うん、分からない、だから……」
「もういいです!クレープ、ご馳走様でした!」
「ゴミ、私が捨てるよ」
「結構!自分で捨てます!」
その後私たちは、何の言葉も口にせず帰路に就きました。
■
「先生、お疲れ様でした!」
「うん、ごめんね、無理言って」
「いえ!先生の頼みとあらば!」
本当に、良いご身分だ、権力一つでヴァルキューレの犬ッコロも思いのままか……。そうやって眺めていると、あっという間に手錠が外され、監獄の中に戻る準備が粛々と進められました。
「カヤ、最後に一つ、いい?」
「なんですか?」
その大人は私の方に向き直りました。手錠に繋がれて、正面を並んで向くことしかできなかった時間のせいで、相対するのも随分と久しぶりに感じられました。
「私はね、カヤ、君の力になりたいと思ってるんだ。君自身がやりたいこと、目指したい道を私は応援したいんだ」
その大人の
「止まれ!動くな!」
官憲の犬はすぐに両腕を掴んで羽交い締めにしてきました。私は今まで何度も出したことのない力で振り回しながら、自由なままの喉で叫びました。
「フザケるな!何が責任だ!何が私の力だ!お前も所詮あいつらと同じ事を言うんだ!お前もただの浅ましい大人なんだ!私がそんな甘言でどれだけ屈辱を味わったか理解っているのか!?理解る訳が無い!私がそれに抗うためにどれだけ力を蓄えてきたのか理解っているのか!?理解る訳が無い!手前勝手に御題目を掲げて絡め取っていく卑劣さを自覚しろ!私の選択だぁ!?お前は何も理解していないんだ!聖人みたいな事を言って、そのくせそいつの道を奪ってるんだ!歪めてるんだ!捻じ曲げてるんだ!そいつがどうなるのか知ってるのか!?ひずみに耐えきれなくなってへし折れてしまうんだ!もう二度と元には戻らないんだ!お前はそれが善い行いだと思ってるのかもしれないが、実はとんでもない蛮行なんだ!私は嫌と言うほど味わったんだぞ!そのくせ身についたのは愛嬌を振り撒くことだけだ!お前にとってそれが成長なのか!?そうなのか!?言ってみろよ!どうせ必要な苦しみだとでも言うんだろ!?そしてお前は横から眺めてほくそ笑んでいるつもりなんだろ!?成長したね、大人になったね、とかなんとか言って傷口を穿るんだ!私はもうそんなものまっぴら御免だ!お前ごときのチンケな大人なんかにこの苦しみは理解できる訳が無い!理解されたくもない!理解した振りすらしてほしくない!どうだ!?なんとか言ってみろよ!言えないだろ!?お前みたいな大人なんか大っ嫌いだ!私の前から消えろ!」
胸の奥から吹き上がった淀みが、沸騰しながらとめどなく溢れ出てくる。憎しみが冷やされて黒い露になって喉の奥へ垂れていくのが堪らなく気持ち悪くて、激情が冷えてしまう前に全部吐いてしまいたかった。横たわった大人の上に、どす黒い粘液の塊がぼたぼたと零れていく。涼しい顔がどんどん黒く覆われていく。それでもその大人は私の目から視線を逸らさなくって、余計に吐瀉物が上ってくる。私が血の赤が混じったそれを吐き出そうとしたとき、その大人はやっと口を開きました。
「やっと、私のこと嫌いって言ってくれたね」
真っ黒に汚れた顔で、私のことを見つめて……
「ごめんね、理解ってあげられなくて」
哀しむように、慈しむように謝罪を口にして……
「確かに、君の苦しみを、私は理解することはできないと思う。私の願いを、君は理解することはできないと思う」
情けない言い訳を重ねたくせに……
「それでもね、私は、君の苦しみを直に感じたいんだ」
「何ですか……それ……」
「全部、吐いていってよ。もう、私は生徒の苦しみを、見逃したくないから」
いつかの勢いもすっかり冷めてしまって、雫が粘膜を伝わる不快感でいっぱいになってしまって、私はもう、吐くものも吐けなくなってしまいました。いつの間にか力も抜けて、肩でしていた息も収まってしまって、満ちていたエネルギーが、底を尽きてしまったことを自覚しました。
「それ……今日じゃなくてもいいですか?」
「いいよ。じゃあまた今度ね」
「はい……」
私は看守に肩を担がれて、冷たい棲家に連れて行かれました。
本当にいるんだろうか?
始めから終わりまで他人なのに、
命を賭ける真似をする意味はあるんだろうか?
だからまだ信じられないんだ。
お読みいただきありがとうございます。
カルバノグ2章でカヤから契約を持ちかけられた時の、「大人というのは責任を取るのが大嫌いというではありませんか?」というセリフがずっと残っています。なんとも大人に対する不信が読み取れる一言です。ひとえにミヤコやユキノの大嫌い発言に通じるものがあり、カヤも一人の生徒なんだなと思いました。
そのうえでカヤにどんな言葉をかけようか?どんな言葉を言わせようか?となったときに、やはりきちんと嫌いだと言ってもらおうとなりました。本編のカヤは先生に対しては処世術的な対応ばかりでしたから、やはり思春期の子供のようにむき出しの感情をぶつけてほしいのです。そしてその嫌悪感からこそ、カヤと先生が深く理解しあうことにつながると考えています。
全5話を予定していますので是非お付き合いください。
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