私はセミナーの会計担当――早瀬ユウカ。
今日は当番の日なので、シャーレに来ている。先生の業務のお手伝いをしていると、先生は普段より1時間早く仕事を切り上げ――。
「ユウカ、今日の仕事はここまでにして『ホストにハマらないための講習』をしよう」
「ああ、最近講習を行っているんでしたよね。ミレニアムの生徒たちも話してました」
「そうそう、ユウカもやろうか」
ホストに関する注意と説明を受けてから、別階へ移動する。そこには、イスが数脚置いてある休憩スペースがあった。
「じゃあ、ユウカは時間になったらそこの扉から入ってきて」
「了解しました」
そして先生は去っていく。すると、それと入れ替わりで意外な人物が現れた。――ノアだ。
「え、ノア? もしかしてノアも一緒に講習を受けるの?」
「いえ、私は既に講習を受けました。今日はキャストとして、講習のお手伝いに来たんです」
ノアが私の隣に座る。
「キャストとして手伝うって、どういうことなの?」
「私はホス狂いとして、ユウカちゃんにホストクラブ通いを勧める友達役です。ユウカちゃんは、それを断ってください」
「な、なるほど……?」
「よくあるじゃないですか。友達の勧めで覚せい剤を始めてしまう、みたいな話が。その実例を示して、断れるようにしよう、という趣旨みたいです」
「そういうことね。それにしても『ホストにハマらないための講習』をやらなきゃいけないなんて、そんなに深刻な問題なのね」
「最近ニュースでよく見ますね。ホストにハマって身を滅ぼす、という話」
「ノアは大丈夫そうよね、そういうの」
「ユウカちゃんも芯がしっかりしているので、ホストにハマることはなさそうですね」
雑談して過ごし、指定された時間になった。私は扉を開ける。
「――」
絶句する。
煌びやかな内装の店内。黒を基調とした壁、金色のシャンデリア、仄かな青紫色に灯る壁面照明。店内には華やかなBGMが流れている。
目映さ。妖しい雰囲気。雑然とした、絢爛豪華な空間。独特な空気に飲まれ、気圧される。
「えっ……え!? なにこのフロアは!? シャーレにこんな場所あったの!?」
「ようこそ、ホストクラブ『S.C.H.A.L.E』へ」
スーツを着た男性職員が、うやうやしく私を出迎える。
私とノアは席に案内され、革張りのソファーに座った。
「す、すごいわね……ちょっと緊張する……」
空間内が暗いせいか、本当に『夜の街』にいるかのような気分になってくる。緊張で、身体が強張る。
「ユウカちゃん、
「おとこぼん?」
「この冊子のことです」
ノアが冊子を手渡してくる。中を見ると、このホストクラブで働くホストと、そのプロフィールが載っていた。
「オススメはリョーマくんですね、王子様系の優しい男性です。タイガくんは俺様系なので、初心者にはちょっとハードルが高いかもしれません。人気ナンバーワンのイツキくんは、指名しても他の姫と被るとあまり同じ卓にいてくれないので注意です。シャルくんは――」
「き、キツいっ……! 親友がホス狂いな設定嫌すぎる……!」
まるで本当にホストにハマっているかのような熱量で話すノア。その真剣な演技のせいで、ますます本物のホストクラブにいるような気分になってくる。
その時――私はとんでもないものを見つけてしまった。
「えっ、これ、先生じゃない!?」
「はい、先生も働いていますよ。試しに指名してみましょうか」
ノアがスタッフさんを呼んで、先生を指名する。
すると、数秒後――。
「ご指名ありがとうございます、ユウカさん」
やってきたのは――黒いシャツとグレーのスーツに身を包み、髪もホストらしく整えた先生だった。
わ、わあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?
え、え、え、先生!?
カッコいい……!
イケメン、すぎる……。
胸に湧き上がる、強い衝動。心臓を射抜かれたような感覚。先生から、目が離せない。
「先生、すごい格好……」
「似合うかな?」
「はい、とてもお似合いです……!」
元から整った容姿ではあったけど、より華やかで、美的魅力が増している。
店内は光源が少ないため暗い。その暗い空間の中で、シャンデリアの光に照らされる先生の顔。――綺麗すぎる。
先生が私の隣に座る。
ダメだ、心臓がバクバクいってる。
先生のこと、ずっと見ちゃう。
「なにか頼む?」
「あ、えっと……」
メニュー表を見る。
「な、なにこれ、全部高い……」
全体的に、ドリンクとしては高めの値段設定だった。一本200万円のボトルまである。
きっと、ホストにハマった人がこういうものを注文してしまうのだろう。
でも、セミナーの会計である私が、ホストに散財して破滅なんてしてはいけない。
「えっと、これお願いします」
私が注文したのは比較的安めの『アメジストシャワー』。
深い紫色。豪華なボトルも相まって高級ワインに見える。中身はぶどうジュースだけど。
先生に注いでもらい、乾杯する。
「……」
……美味しい、のかな。先生の顔ばっかり見ちゃって、あんまり味が分からない……。
その時、ノアが先生に尋ねる。
「先生は、どれくらいこの卓にいられそうですか?」
「心配しなくても、ずっとここにいるよ」
……? どういう意味? 指名されたホストがテーブルにいるのって、普通のことなんじゃ……?
「あ、ユウカちゃんは初めてですから、知らないですよね。あれを見てください」
ノアが指し示したテーブルを見ると、数人のホストが忙しなくテーブルを行き来している。
「人気のホストは姫の指名がかぶることもあるので、ああやってテーブルを回るんです。お金を多く使うと、その分だけ長くいてくれますよ」
「そうなのね、知らなかったわ」
すると先生は、私に笑いかけながら――。
「今日一日、私はユウカのものだよ」
「……っ!!!!!!!」
……!
……いい!
今の、正直よかった! ドキッとした! もう一回言ってほしい!
「先生が、私のもの、なんですか?」
「うん、私はユウカだけのものだよ」
「……っ!」
あ、ヤバい。
ニヤニヤしそう。
変な笑い出そう。
でも、ダメだ。セミナーの会計たる私が、こんな見え見えの甘言に心を動かされるなんて、あってはいけない。
心を強く持ち直し、表情筋を固く引き締め、普段の表情をキープする。
「ずっとこの卓にいてくれるという話でしたが、先生は他の女の人から指名されてないんですか?」
「その、恥ずかしい限りなんだけど、今私のことを本指名してくれてるお客さんひとりもいないんだ。だから、ヘルプと初回のお客さんの対応しかできなくて……。やっぱり、私にお金を払ってまで一緒にいたいと思ってくれる女性なんて、いないのかな……」
そう語る先生は、見たことがないくらい、もの悲しい顔をしていた。暗く、
演技だと分かっているのに、胸が痛む。
先生が苦しんでいるのが、嫌だ。先生が不人気という扱いを受けているのが、悔しい。
「私が、先生のことを指名します」
気付けば、私は強い語気でそう言ってしまった。
先生は驚き、信じられないものを見る目で私を見ている。
「わ、私でいいの……?」
「先生がいいんです」
な、なに言ってるんだろう、私。
先生のこれは、演技なのに。真に受けて変なこと言っちゃってる……。
ヤバい、結構恥ずかしいこと言ったかも。
ちょっと冷静になろう。一旦落ち着いて――。
「ありがとう、ユウカ」
――先生が、抱き着いてきた。
「!?!?!?!?!?!?」
あっ、あっ、あっ。
やばっ、いい匂い。体おっきい。これ、すごい……って、ダメ!
「あっ、ちょっ、ち、近いです先生!」
「あっ、ごめんねユウカ。嬉しくてつい」
先生はすぐに離れてしまう。
……も、もうちょっと抱きしめてくれててもいいのに。
「でも、そっか、ユウカ、また会いに来てくれるんだ」
「……っ!」
そ、そんな嬉しそうな顔しないで……!
先生が、私にまた会えることを喜んでいる。
演技なのに。ウソなのに。
そんなこと言われたら、ニヤニヤしちゃう……!
その時、ノアが先生に尋ねる。
「先生は、なにか飲みたいものありますか?」
「これ、飲みたいな」
「……! これは、ちょっと……」
先生が指差したのは、一本1万円のボトル。一見カクテルに見える色合いだけど、中身はジュースだ。
「おねがい、ユウカ」
哀願する、先生の眼差し。
……指名したのにお金を使わないというのは、どうなんだろう。先生、ガッカリするかな……先生の悲しむ姿、見たくないなあ……。
「わ、分かりました! 一本だけ特別に頼んであげます!」
「嬉しいよ、ありがとう、ユウカ」
「一本だけですからね!」
スタッフが持ってきてくれたボトルを、先生が開けてくれる。
そして、中身をグラスに注ぎ、ふたりで乾杯する。一口飲み、グラスを置くと――。
「ユウカ」
「ひゃっ!?」
私の手に、先生が手を重ねてきた。一回り大きな手が、私の手を軽く包み込むように覆う。
ドキン、と心臓が鳴る。
心音がうるさくて、耳元で爆音が鳴っているような感覚。
うそっ、私……ちょっと触られるだけで、心臓バクバクしてるっ……!
さらに、先生が私の耳元に唇を寄せてきて――。
「好きだよ、ユウカ」
――魔性の囁きに、心臓を射抜かれた。
分かってる。演技で、ウソで、偽物だ。でも、偽物でも、初めて先生から貰えた「好き」という言葉。
嬉しくて、たまらない。
心が勝手に喜んでしまうのを、止められない。
「好き、好き、大好き」
「あっ、あっ、あっ」
むり。だめ。こんなの、だめ。
耳元で囁かれるのすごいっ……!
脳が、幸せっ……!
「ね、ユウカ。これも注文してほしいな」
そういって、別のボトルを指差す先生。
「で、でもっ、これ以上はっ……!」
「大好きだよ、ユウカ」
「ぐぅっ……!!!!!」
普段の先生だったら、絶対にこんなこと言ってくれない。
いや、普段どころか、一生言ってもらえないかもしれない。
もう二度と訪れないかもしれない機会を、逃したくない。
「おねがい、ユウカ」
「うぅうううううううっ! ほんっとにこれで終わりですからね!」
私は欲望に負けて二本目を注文した。
でも、もうこれで本当に最後だ。特別に一歩だけ譲歩してあげただけで、このラインは越えない。
大丈夫、しっかり線引きできているから。
散財はいけないけど、遊興に使える分の中でも少額ならいいはず……いいわよね?
そして、二本目のボトルを開けると、先生は――。
「大好きだよ、ユウカ」
男らしくてカッコよく、それでいて甘い声。
脳味噌が蕩けそうな程の、刺激的で甘露な囁き。
「愛してる、ユウカ」
「~~~~~~っ!!!!!!!」
幸せ。
幸せすぎる。
私、先生に、愛してもらえてる。
すごい。嬉しい。幸せ。この時間が、ずっと続けばいいのに。
苦手に感じていたはずの、雑然とした華やかな空間。それすら目映く、心を満たしてくれて、この幸せな時間に没入させてくれる。
お金を使えば使う程対応が変わる。お姫様扱いしてもらえる。
ホストって、すごい……!
ノアは何も言わず私を見ている。その眼差しに見咎められているような気がして、私は慌てて弁明する。
「い、いいでしょこれくらい! お金を払って、その対価としてサービスを受けてるだけ! 何もやましいことなんてない! お金も予算の範囲内だし!」
「そうですね。過度な散財が身を滅ぼすというだけで、少額の出費は問題ありません」
そう。大丈夫。私は過度な貢ぎ方なんてしてない。自分の意思で、自由に動かせる範囲のお金を払っているだけ。
だから、何も問題ない。
私は、ホストになんてハマってない。
その時――スタッフの声がホールに響いた。
「まもなく、本日の営業時間は終了となります。それに伴い、ラストソングのための売上額計上も5分後に行います。ご注文はあと5分以内に行うようお願いします」
「……ラストソング? 売上額計上?」
なんのことだろう?と思っていると、ノアが説明してくれる。
「ラストソングは、その日売上1位のホストが最後に1曲歌うサービスです。今のアナウンスは、売上額の計算まであと5分、という意味ですね」
「そんなサービスがあるのね、ホストクラブって」
さらに、ノアが先生に尋ねる。
「先生、ちなみに今日はあとどれくらいで、売上1位届きます?」
「あと10万円だね」
そういいながら先生はメニュー表を指差す。
「この『プラチナシャンパーニュ』の注文が入れば、1位になれるね」
「……」
いや、10万円は、高い。
仮に10万円より安かったとしても、これ以上の出費はちょっとまずいかもしれない。
それになにより――ノアの前なのだ。毅然と断らなくてはいけない。
「ごめんなさい先生、このボトルは流石に――」
「実は私、ホストになってから一回もラスソン歌えたことないんだ」
そういう先生の表情は、どこか寂しげで。
『先生を元気づけたい』という気持ちが芽生える。
ヤバい、どうしよう。
でも、それでも、これ以上お金を出すのは――。
「あと10万円かあ……今までで一番惜しかったなあ……」
「……は、払いませんからね!」
「いいよ、ユウカにそんな負担は掛けられないし。でも……私、このお店辞めるまでに、一回でいいからラスソン歌ってみたいなあ……」
「……。…………。……ああもう! 今回だけですからね! プラチナシャンパーニュ一本お願いします!」
「ユウカ……! ありがとうっ……!」
先生は感激した様子で、私にお礼をいう。
「大好きだよ、ユウカ。ありがとう」
先生は感動のせいか興奮し、ぴったりと私に密着してくる。
うぅ……嬉しいけど、やっちゃったあ……。
せっかくだから思いっきりくっついておこう……。
先生を強く抱きしめ返す。
好きな人とのハグ。幸せホルモンが多量分泌されて、心地いい気分になり、心が満たされる。
……あったかい。
どうしよ、私……しあわせ……。
そして、本日の売上額1位が発表される。――先生の名前が呼ばれた。
先生は立ち上がり、店内中央のステージに立ち、マイクを持つ。
先生が選んだ曲は、ラブソングだった。
みんな先生の歌を聞いている。店内のキャストもお客さんも、みんな先生を見ている。先生が今日の売上1位の主役として輝いている。
先生のこと、応援してあげてよかった。
そう思った、次の瞬間――先生が『愛してる』のフレーズの時だけ、私のことを見て歌ってくれた。
!?!?!?
びっ……くりしたぁ……!!!!!!!
なにそれ、ノアの見てる前なのに……露骨すぎますよ、先生……!
ああもう、ずるいなあ……先生。
先生。
先生。先生。先生。
私も、あなたのことが、大好きです。
そして、ラストソングが終わり、店内に拍手が響いた。歌い終わった先生が私の隣に座り直す。そして、ノアに聞こえないように耳打ちで――。
「ユウカ」
「な、なんですか?」
「ラスソンまで取らせてくれたし、ユウカにお礼したいな」
「お礼、ですか?」
「うん、この後、アフター行かない?」
「あ、アフターって……?」
「ふたりで、ホテル行こう」
今日一番の衝撃が、私を襲う。
――ホテルに誘われた。
そう、そうなのね。
ここに来るまで、長かった。でもついに、私は大好きな人と結ばれる。
私は、万感の思いを胸に、先生に応える。
「はい……よろしくお願いします、先生」
*
我に返った私は、休憩スペースのイスに座って項垂れる。
先生とノアが、可哀想なものを見る目で私を見ている。
「ユウカちゃん……チョロすぎて心配です……」
「ユウカ、将来ダメ男に引っ掛かりそう」
「うぅっ……違うの、こんなはずじゃなかったの……」
講習だと分かってはいた。
演技だと分かってはいた。
それなのに、雰囲気に飲まれ、先生に心を揺さぶられ、最後には多額の支払いをしてしまった。
「で、でも、『これが最後』と決めての支払いですから、ハマっているわけじゃありません」
「ユウカ、『これが最後』っていいながら何回でも注文しちゃうでしょ」
「あの感じだと絶対リピーターになると思います」
「ぐっ……そ、そんなこと、ないわよ……」
否定するが、説得力がないことは自分でも分かっていた。
「ユウカ、そもそもホストのいう『好き』って言葉は偽物で――」
この後、先生とノアから長時間の注意を受けることになった。
**1
ユウカに『ホストにハマらないための講習』をしてから数日後、私はノアと話しながら廊下を歩いていた。
「この間の講習では驚きました。まさかユウカちゃんがホストにハマるタイプだなんて……」
「ね、ユウカってそういうのは毅然と断るタイプかと思ってた。私もびっくりしたよ」
すると――遠くにユウカとモモイがいるのを発見した。なんだかユウカがモモイに迫り、壁際に追い詰めているように見えた。
モモイも私たちに気付いたのか、こちらに走ってくる。
「先生ぇ~~~! たすけて~~~!」
「モモイ、どうしたの?」
「先生! ユウカから、先生を声優にしたホスト攻略恋愛ゲームを作ってくれないかって迫られてて!」
「きゃああああああああああっ! 言わないでモモイっ!」
慌てて追ってきて、モモイの口を塞ぐユウカ。
ノアは悲しそうな目でユウカを見ている。私もユウカに対する憐憫を抱いてしまう。
「ユウカ……もうそこまで……」
「違うんです! これは……これは、そう! ホストにハマらないための講習の一環です!」
焦った様子のユウカは、必死に弁明を始める。
「ヘビースモーカーにニコチン量の低いタバコを吸ってもらう禁煙法があるじゃないですか。ホストを攻略する恋愛ゲームをプレイすることで、ホス狂いの治療に役立つ可能性があります!」
「いや、ホストとの疑似恋愛を楽しむゲームなんて、ホス狂いを助長しちゃうよ……」
「うぐっ……」
ユウカは苦しげな顔になり、言葉に詰まる。その隙にモモイがユウカの拘束から抜け出す。
「うわ~ん! ユウカがミレニアムオオホスグルイに進化しちゃったよお……!」
「誰がミレニアムオオホスグルイよ!!!」
「とりあえず、ユウカは『ホストにハマらないための講習』要補講者リスト入りね」
「そんな!?!?!?」
「大丈夫ですよユウカちゃん。適切な治療を受ければ正常に戻れます。ホス狂いをやめられるよう、一緒に頑張りましょうね!」
「病気扱いしないでノア!!!!! 私はホストになんてハマってない!」