「ここが時代の変わり目だな……」
眼前に連れてこられた人物を見て、海軍元帥センゴクはううむと唸った。
いつになく慌ただしく騒がしい海軍本部において、彼はその人物を見ていた。
少しくすんだ色の金髪。一目では女性と見紛う中性的な容姿。
頑丈な海楼石の錠をかけられているこの状況を、なんでもないと言うかのようににこりと笑うその顔は、かつて見たものにそっくりだった。
「“火拳”のゴタゴタが終わらん内にお前が捕まるとは。この状況では幸か不幸かわからんな」
「いやぁ、どうぞお構いなく。僕なんか所詮小物ですよ」
にこやかな顔で平然と言ってくるのもまた、妙に覚えがある。
センゴクは厳しい顔でわずかに嘆息する。
「何が小物だ。海賊“麦わらの一味”の副船長、“紙使い”キリ。お前を捕らえることにどれほどの価値があるのか、お前自身は知らんようだな」
「あぁ~、“リンブル”でしょ? 最近よく言われますよ。知らないは知らないけど」
「せっかくの対面だが今お前に構っている暇はない。“インペルダウン”へ連れていけ。マゼランにレベル6へ収監するよう伝えろ」
返事をした海兵が青年、キリの背を押して歩かせようとする。
マリンフォードは今、異様な様相であった。普段ならばまずあり得ないほどに軍艦が並んで人が集まり、緊張感が高まった状態で、何かの準備を忙しない。
宴や祭りは間違いなくない。となれば必然的に戦闘に備えているのだとわかる。
キリは辺りを見回し、軽い調子でセンゴクへ語り掛けた。
「すごい物々しい雰囲気ですね。何があるんですか」
「お前には関係ないことだ」
「あっ、エースが捕まったって言ってたからひょっとして」
「早く連れていけ」
「はっ! おい、さっさと来い」
「腕のいい海賊はいかが?」
報告を受けたセンゴクはわざわざ彼を一目見るために港まで来ていた。
踵を返して海軍本部である建物へ入ろうとしたのだが、そう言われて足を止め、ゆっくり背後へ振り返る。
その動きを見てキリはにこりと笑い、手錠をかけられた手を胸の前まで上げた。
「2億ベリー程度でよければすぐ使える駒がありますよ」
「ダメだ。お前はすでにインペルダウンへの収監が決まっている。私の決定によってな」
「そんな裁判もなしにおざなりになんて」
「今はお前に使っている時間はない。恨むなら間の悪い己を恨め」
「いや~遊撃隊強かったですねー。丸三日くらい逃げ回ったんだけどなんせ船がなくて。特に赤毛モヒカンの彼がしつこくって。あの子は将来伸びますよ」
「誰か早く連れていけっ!」
「は、はっ!」
しぶとく粘ろうとしたがキリは首根っこを掴まれて連行された。
来た時と同じく軍艦へ乗せられ、再び海へ出るのである。
キリは海賊である。
海軍に捕縛される寸前まで若き海賊として暴れ回っていたのだが、突然現れた海軍遊撃隊との戦闘で疲弊し、動けなくなったところを捕らえられた。
命を奪われなかっただけマシかと、彼は世界一の大監獄“インペルダウン”へ到着した時ですら呑気に考えていたのだ。
軍艦に乗せられ、海軍だけが利用できる航路を進んで、辿り着いたのは大海原にぽつんと孤立して存在する海底監獄。
海兵に連れられて海上に存在する入口から内部へ入った。
出迎えたのは看守として働く職員たちだ。
先頭に立っていたのはひときわ目立つ人物。身長が高くて、なぜか上半身裸で、腹がでっぷりと出ていて、被り物をして、槍を持っている強面の男だ。
やはり彼が重要人物なのか、誰よりも早く口を開いた。
「ようこそ。我がインペルダウンへ」
「ハンニャバル副署長、嘘はいけません」
「あっ、申し訳ない。つい野心出ちゃいました。将来的にこの監獄の署長になる男、ハンニャバルでありマッシュ」
キリは見るからに怪しげな男、どうやら副署長らしいハンニャバルを見上げて、呟いた。
「面白い人だ……」
「今のところ署長であるマゼラン殿は、現在腹下し中であるため、私が対応致しマッシュ。そしていずれマゼラン署長を引きずりおろして私が署長に……あっ、本心出ちゃいました。申し訳ない」
「副署長、あまり海賊に滅多なことを聞かせないでください」
「部下にはしたくないタイプの人間だ。こんな人が実在するなんて」
おそらく今までは海兵及び海軍将校に挨拶していたのであろう。
呟きに気付いてキリを見下ろしたハンニャバルは、フンと鼻を鳴らして冷たい目をした。
「お前たち海賊に言われたくはないわ。外ではずいぶん暴れていたようだが、私の大監獄インペルダウンに来たからには二度と外には出られんぞ」
「副署長、また私のと言っています」
「おっと失礼。つい野心が」
「なんて面白い人なんだ。震える」
ハンニャバルの隣にはサングラスをかけた女性、ドミノが立っている。繰り返し注意しているところを見るとこちらはしっかり者で、野心を隠せないハンニャバルを制止するために傍に控えているのだろうと簡単に予想できた。
捕まっている立場ながら、何やら楽しそうなキリはハンニャバルへ声をかけた。
「署長。あ、間違えた副署長」
「むむっ⁉ なんという素敵な間違えだ! いっそ私の部下にしたい」
「副署長、判断が早過ぎます。この男は海賊です」
「間違えてごめんなさい。こんなに威厳がある姿を見るとつい署長なんだと思ってしまって」
「なんていい奴なんだ! 罪を償って海賊から足を洗え! 私の部下として我がインペルダウンで働くのだ! 海軍と政府には私が話をつける!」
「落ち着いてください副署長。この男はあなたに取り入って罪を軽くしたいだけです。大半の海賊がそうであるように本心ではありません」
なんとなく言ってみただけの軽口だが、ドミノには全く通用しないものの、ハンニャバルは面白いように反応してうきうきしている。
成功だとか失敗なんてことは一切気にせず、キリはその様子を楽しんでいた。
「この手錠を外して僕を逃がせば署長責任になりますよ」
「ハアッ⁉ なんというグッドアイデア! 実行したい!」
「いけません。それに副署長が手錠を外したのなら、責任の所在はそのまま副署長にあります」
「なにぃ⁉ おのれ海賊、たばかりおったな!」
そこまで騙すつもりもなく、成功するとも思っていないのだが、ハンニャバルのリアクションはやけに大きく楽しい。
キリはけらけら笑って緊張感もなく、今度は彼に甘えるように下から顔を覗き込んだ。
「でもどうですか? いくら忙しい時期とはいえ特別待遇で囚人が来たっていうのに、部下に任せて署長は現場にも現れず……人の上に立つ人間としてこの傲慢さは気になるところでしょう?」
「うむ。確かにそこは私もずっと気にかかっていた」
「副署長、囚人に余計な情報を与えないでください」
「どうせ囚人は全員知っている。それもこれも署長の責任だ」
腹に据えかねるものでもあるのか、聞いてもいないのにハンニャバルはすらすらと喋り始める。
「マゼラン署長は実に一日の半分をトイレに籠ってクソを垂れ流しておいでだ。ドクドクの実を食べた“毒人間”だからと毒料理を食べたりするからいけないんでありマッシュ」
「ありゃ~、それはよくないですね。自分から痛みに行ってるもの」
「副署長、表現がお下品です」
「しかし事実だ! しかも睡眠・食事・休憩はきちんと取るものだから実働時間は非常に短い! おかげでほとんどの業務は私が中心となって実行している!」
引き渡すために現れた海軍将校や海兵がまだ外へ出ておらず、公衆の面前での暴露。
味方側の人間であってもどう反応すればいいのか、ついつい困ってしまう内容であった。
「それなら尚更ハンニャバル署長の方が相応しいと思いますね」
「やはりそう思うか。我が同志よ」
「簡単に海賊に絆されないでください。その男は副署長に取り入ろうとしているだけです」
もはや深く考えもせずノリで話しているのは明らかだった。
困惑して口を挟めない海軍の人間とは異なり、呆れながらも逐一反応するドミノは叱責を行い、ハンニャバルを止めようとする。しかしそれでも彼がノッてきたせいで簡単ではなかった。
「でもそちらのお姉さんが言うように、今の僕はただの海賊……反省しない限りお役に立つこともできません。生き方を変える勇気が出ました。大人しくレベル1に入ります……」
「違います。センゴク元帥の厳命により、この男はレベル6に収監するようにと」
「あいわかった。ではいずれ署長になる私の権限でこの男をレベル1へ収監しろ!」
「副署長……」
勝手知ったるドミノですら呆れ返る中、彼の部下である看守も海軍も口を挟むのを躊躇い、誰もがハンニャバルの勢いに気圧されていたようだ。
そんな時、遅れてやったきた監獄署長がその場に到着する。
「ハンニャバル! 私の監獄で何をやっているのだ!」
「ハッ⁉ し、しっ……!」
ハンニャバルが振り返り、自身が見上げるほどの巨体を確認する。
キリから見ればさらに大きい。なるほど、監獄を牛耳るのも納得の威圧感があった。
「署長になりたい! あっ、間違えた。マゼラン署長!」
「なんというひどい間違いだ。野心が隠せていないぞ」
「申し訳ありません。つい今しがた我々の見解としては、私の方が署長に相応しいという結論に達したものですから」
監獄署長マゼランは、ハンニャバルの発言に何かを感じ、ちらりとキリを見た。
真っ黒い制服に、頭部には角のような装飾がある。おまけに顔が怖い。しかしキリは恐怖せずに彼へ対して笑顔を見せていた。
「海賊の甘言に毒されるなど……お前はそんなに軟弱な男だったか? ハンニャバルよ」
「お言葉ですが、マゼラン署長がクソをひり出している間に囚人の受け取りをしたのは他でもない私でありマッシュ」
「なんという下品な表現だ。ひり出してなどいない。正当に用を足していただけだ」
「また毒の食事ですか……そんな物を食べるから下痢するのに。いつまで経っても学びませんね」
「ええい、食生活のことまで言われるのか。いいではないか! 食の好き嫌いくらい誰でもある! 好きな物を食べることさえ憚られるのか!」
マゼランが大声で吠えた直後、キリがすすすとハンニャバルへすり寄る。
「でもそれで業務が疎かになるんじゃねぇ?」
「そうだそうだ! 実際私の方が多く働いてるしほとんどの業務に従事してマッシュ!」
「私だって個室の中で仕事をしている! トイレでもしている! 仕事を放り出してさぼっているわけではない!」
「でも署長が引きこもって海軍に挨拶もしに来ないなんて」
「来ているだろうが! 今! 実際に!」
「大体署長は各層に自分専用のトイレを作り、暇さえあれば引きこもっておりマッシュ! 署長権限の乱用はいかがなものでしょうか!」
「普通のトイレではサイズが合わんのだ! 体が大きいから! それに万が一間に合わなくて漏らしでもしたらお前たちは文句を言うだろう! お前たちのためでもあるんだぞ!」
キリとハンニャバルが顔を見合わせ、同時にやれやれと首を振った。
「職員はほっといて自分だけ過ごしやすい環境を整えるなんて……」
「しかもわざわざ業者を入れて金を使って」
「ほっといてなどいない! 現に私が署長になってからは職員の給料はアップし、休みもきちんと取れる環境を整えている! 拷問の種類を増やしたいという意見にも耳を傾け、職場環境を改善している自負がある!」
「でも現場には来ずにトイレに引きこもり」
「職員を引き連れて各フロアを巡っているのは私でありマッシュ」
「うむぅぅぅ……! ああ言えばこう言う奴らだっ。なぜそこまで息が合う」
「ああ言えばこう言うのは署長の方でありマッシュ! 早く署長の座から転がり落ちたらどうなんですか!」
もはやじゃれ合っているのか本気なのかわからない。
気付けば誰も口を挟めないやり合いになっていて、唆したキリですら一歩後ろへ下がった。
「いいじゃないか少しくらい! 私はお前たちが休暇を取っている間だってほとんど休まずに働いてるんだぞ! ちょっとくらい生活の楽しみを見つけたっていいじゃないか!」
「だ~から一日の勤務時間は少ないでしょうが! なんでトイレばっかり作るんですか! どんだけうんこしたいんですかっ!」
「生まれつき胃腸が弱いんですぅ~! 他人の体のことをとやかく言うのはよくないぞ!」
「毒ばっか食べてるからでしょうが! おじや食べなさいおじや! いい加減にしないと毒禁止にしますよ!」
「好きな物を食べることすら許されないのか! お前たちにとって毒でも私にとっては好物だ!」
子供の言い合いのようになってきたせいか、ついにドミノが怒声を発した。
「いい加減にしてください! 海軍の皆様や囚人の前でする会話ですか!」
「むぅ……しかしハンニャバルが」
「ほーら、署長がちゃんと働かないから怒られた」
「もういいですっ。早く囚人を移送してください」
いつの間にか怒られないよう静かにしているキリを見てマゼランがむっとするものの、今度は彼に真面目な顔を見せる。
大きく咳払いをした後、きりっとした顔で空気を変えようとした。
「“紙使い”キリ。お前をレベル6へ移送する。だがその前にまずは洗礼を受けてもらおうか」
「はぁ~い。お手柔らかにどうぞ」
ようやく話がまとまり、キリは監獄の最下層へ収監されるべく、連行された。
世界で最も恐ろしい監獄、インペルダウン。
その最下層であるレベル6は公に知られていない場所であった。
過去、歴史的にとんでもない事件を起こした囚人がここに集められており、二度と日の目を浴びることなく、存在を歴史から抹消するために収監されている。
フロアに一歩足を踏み入れただけでひんやりした空気に包まれる。それでいて肌に突き刺さるような強いプレッシャーは、他のフロアとは明らかに違う。
キリは平気な顔をしていたが、彼を見た檻の中の大物たちはのそりと動き出した。
囚人たちは声を発さずに新しい囚人を観察していた。
場合や相手にもよるとはいえ、普段ならばもっと騒がしい。しかしその日、広大なフロアに所狭しと牢屋が並べられた空間の、その間を縫うように存在する通路を歩く彼の姿を見て、誰しもが敢えて口を閉ざしている。
異様な空気は同行するマゼランやハンニャバル、ドミノもまた感じ取っていた。
「ここがお前の牢屋だ」
「おっ、一人部屋ですか。やったね」
軽い口調で言いながら迷わずに牢屋の中へ足を踏み入れる。
すぐに扉が閉められて、鍵をかけられた。
キリは振り返ってマゼランたちを見るのだが、彼らはすぐにその場を離れようとしている。
「あれ? もう行っちゃうの署長? 寂しいなぁ」
「はっきり言っておくが、貴様は海賊、そして囚人なのである。死なないように最低限の食糧は与えてやるが、ここに来たからにはもはや死んだも同然。貴様となれ合うつもりはないぞ」
「なぜお前が答えるんだ……」
「ギャーッ毒の息がっ⁉ ぐへぇ!」
ハンニャバルが騒がしいがあまり気にせず、マゼランは鉄格子に顔を近付ける。
その時はやはり、先程のような賑やかな態度ではなく、威圧感を感じる低い声で話していた。
「ハンニャバルが言った通り、お前が外へ出ることは二度とない。永遠の退屈を楽しめ」
「えぇ~……やだなぁ」
マゼランが倒れているハンニャバルの足を掴み、ずるずる引きずって歩き始め、彼らを含む看守たちはレベル6を後にする。
居なくなった後もフロアは静まり返っていて誰も声を発さない。
その中で唯一、看守が居なくなるとすぐに誰かがキリに声をかけた。
「おいっ……おい、キリ!」
「ん? あ、エース。やー久しぶりだねー」
自身から見て真正面の檻から三つ隣の檻を見ると、どうやら知人が囚われているらしい。
以前出会ったポートガス・D・エースの声だ。
角度的に姿が見えないものの、間違えるはずがない。事情もなんとなく知っている。キリは慌てることもなく受け入れ、再会できたことを素直に喜んでいた。
「捕まったって記事読んだよ。まさかこんなとこで会えるなんてね」
「なんでお前がここに……ルフィたちはどうした?」
「バーソロミュー・くまに負けたんだ。みんな能力で飛ばされてバラバラになっちゃって、僕も見知らぬ島に飛ばされた」
エースの姿こそ見えないが気にかけられているのはわかる。
キリは落ち着いた口調で、笑みすら浮かべた状態で気楽に話した。
「しかもその島、近辺に渦潮があるせいで滅多に船が来ない島なのに、その海域に目をつけた海賊が島民を支配しようとしててさ。ひと悶着あったんだけど、多分島民が助けを呼んだんだろうね。海賊を倒したと思ったら島に来た海軍に鉢合わせして」
大声を出しているわけではなかったというのに、キリの声は静かなレベル6に響いている。
多くの囚人がその声を聞いていただろう。
今日ばかりは異質な空気が流れていることを、囚人たちは当然のように感じ取っている。
「で、ここに居るってわけ」
「ハッ……ざまあねぇな、お互いに」
「生きてるだけ儲けもんでしょ。僕は諦めてないよ。一緒にここから出る方法考えよう」
「相変わらずお前は前向きだが……無理とは言わねぇ。だが難しいのは確かだ」
「ううん、そりゃそうだ。エースがこんなとこでじっとしてる時点でね」
キリは鉄格子に背を預けて座り、だらけた姿勢で目を閉じた。
彼は普段からだらけることと仕事をさぼることを趣味にしている。牢屋の中であれば、誰に咎められることもなくだらけることができると、今は少なからず喜びを感じてすらいた。
心配そうなエースに悪びれることもなく彼はのんびり過ごし始める。
「まあ、時間はあるみたいだし、ゆっくり考えるよ」
そう言ってキリは脱力する。
焦ることなく、冷静に考えようとしていて、諦めようとはしていない。
難攻不落の大監獄。脱獄するのは難しそうだと、彼はあくまでも呑気に考えていた。