インペルダウン、レベル4“焦熱地獄”。
監獄署長マゼランはたった一人でそこに立っていた。
掌の上に乗せた子電伝虫が通信中であり、別の階層に居る部下たちへ指示を出している。
「私はレベル4で囚人どもを待ち受け、全力の戦闘を行う。誰も立ち入るな。囚人は必ず脱獄するために上層へ向かう。お前たちは出入口を守れ」
《了解でありマッシュ!》
「奴らの気勢を削ぎ、主力を仕留める。その後は全戦力で掃討する。海軍の手は借りずに我々だけで終わらせるぞ。準備を整えておけ」
《はっ!》
一人で居ながらマゼランは戦意を高めていた。
そこへ、重々しい足音を立てて男が現れる。
囚人服を着ているのは当然。耳の一部が千切れて欠け、大きく盛り上がった筋肉が目立ち、敵意に満ちた笑みを浮かべた姿が目に入った。
その時マゼランは静かに緊張した。
恐れていたわけではない。だが彼とぶつかればただでは済まないと察したのである。
「ダグラス・バレット……」
「お前は言っていたな。この監獄のボスは誰かと」
正面から歩いてくる姿に戦慄した。しかしマゼランは恐れず、悪魔の実の能力を使用する。
全身の汗腺から毒を分泌し、ゼリー状の毒で体を覆った。触れれば即座に毒に侵され、正気ではいられない激痛を覚える。
閉鎖的で逃げ場のないインペルダウンにおいて、マゼランはまさに最強。
彼自らもそう口にしていた。
「何か、文句でも?」
「カハハハ。話は単純だ。お前をぶちのめせば、この監獄の最強はおれになる」
「ああ。そう言っていいだろう。お前が勝てれば、だが」
マゼランは体から放った大量の毒で、巨大な竜の頭を模して、首を長く伸ばして攻撃を行う。
「
竜が大口を開けて迫ってくる。
バレットは口元に浮かべた笑みを変化させずに、突然地面に手を触れた。高熱を持った床が剥がれるように動いて、彼の右腕に纏われる。
気付けばバレットの体を包み込めそうな
触れた物質を集めて、合わせて、自らの肉体に鎧のように装備する。
バレットはその巨大な右腕でパンチを繰り出した。
正面から
「マゼラン……お前は毒だが、毒がなくても最強なのか?」
唐突な問いかけ。マゼランは険しい顔でその言葉を聞いていた。
直後、素早く駆けたバレットが眼前に立っていた。
油断はしていない。だが反応できないスピードですでに接近が終わっている。それが事実。
「ぬるいんだよ‼」
バレットが右腕を振り抜き、凄まじい衝撃波と共に黒い稲妻が発生した。
思わずモニタールームを出たハンニャバルは、部下たちに指示を出して右往左往していた。
「私はレベル3へ行ってマゼラン署長のサポートに回る! サディちゃんはレベル2で待機! サルデスはレベル1の監視と地上部分の防衛に当たらせろ! 武器を持っている者はレベル3へ! マゼラン署長が万が一敵を討ち漏らしたのならば我々が捕らえるのだ!」
「はっ! 了解しました!」
本気の時にしか使わないと決めている武器を手に取り、ハンニャバルは急いでいた。
マゼランは名実ともにインペルダウン最強の男。彼を止められる人間などレベルう6の囚人であろうとそう居ないはずだが、たった一人で敵を止めに行くというのがやはり気になった。
毒の能力は強い反面、自分自身の肉体を苛み、活動限界がある。本来サポートや援護は不可欠。
ハンニャバルは武器を持った看守たちを大勢引き連れ、レベル3へ急いでいた。
それでいて部下たちに指示を出し、他のフロアで問題が起こらないようにと気を配ってもいる。
ドタバタと騒がしいものの、部下たちも彼を信じて素早く行動していた。
「署長になりたい! いや間違えた、署長は無事なんだろうか!」
「なんてひどい間違いっ⁉」
「野心を隠せていません、副署長!」
「う~む、インペルダウン始まって以来の大事件だ、これは! 金獅子の大脱走も大騒ぎになったものだが規模が違い過ぎる! 何がどうしてこうなった!」
一通りの指示を出してから、ようやくほんの少しだけ落ち着けるかというタイミング。ハンニャバルは思わず不安を吐露し始める。
鉄壁を誇ったインペルダウンでここまでの騒動が起こったことはない。
海賊“麦わらのルフィ”たった一人の侵入を許しただけで、インペルダウンは建造以来かつてない大パニックに陥っていた。
「私は署長になりたいが! 私が署長になる頃にはボロボロになってたり機能しなくなってたり政府や海軍からの信頼が地の底に落ちてたりしないよな?」
「ネガティブな意見はダメです副署長⁉」
「そうならないように我々が死力を尽くして頑張るんです!」
「気をしっかり持って!」
部下に諭され、ハンニャバルは大きく深呼吸をする。
「よし。一旦おかき食べて落ち着こうか」
「そんな暇はありませんよ⁉ マゼラン署長のサポートに行くって言ってたでしょ⁉」
「取り乱さないでください、副署長! 部下に動揺が広まります!」
「おかきは全部終わった後! 今はインペルダウンを守るのです!」
部下に叱責され、ハンニャバルは自分を鼓舞して再びやる気を取り戻した。
「うう~む、よーしよし。やってやるぞ~お前たちィ! 囚人がなんだァ! 署長がなんだァ! ここは私のインペルダウンだァ‼」
「それはそれで野心出し過ぎです副署長⁉」
「ちょうどいいバランスはないのか……!」
彼らが騒いでいると、ハンニャバルが持っている子電伝虫が「ぷるぷるぷる」と鳴き始めた。
おそらく緊急性のある重要な通信。ハンニャバルはすかさず通話を開始した。
「はい、こちら未来のインペルダウン署長、ハンニャバルでっす!」
「野心隠せてないっ⁉」
「マゼラン署長が相手だったらどうするんですか!」
「ふざけてる場合じゃないんですよォ⁉」
部下たちに叱られる一方で、ハンニャバルは荒い息をする子電伝虫の声を聞いた。
《ハ、ハンニャバル……作戦変更だ。ぜ、全戦力を、いや、全職員を……地上部分へ集めろ》
「えっ⁉ 署長⁉ どうしてそんなに辛そうなんでありマッシュか! もしや私の野心が署長の精神を擦り減らせていたので⁉」
「その可能性を自覚しているならもうやめましょう⁉ しまってしまって!」
《ハァ、ウゥ……今すぐ、海軍本部に援軍を要請しろ……! そして、応援が到着するまで、決して下には降りてくるな……》
「ええ~っ⁉ どういうことでありマッシュか! 署長は⁉」
マゼランは明らかに呼吸を乱していた。
疲れただけなのか、いつものように腹痛に襲われているのか、それとも囚人に殺されかかって危険な状況に陥っているのか。
映像がないため詳細はわからない。だが少なくとも普段のマゼランとは全く違っていた。
ハンニャバルを含め、看守たちは激しく動揺する。
これはまずい。確実にまずい状況になっている。
多くを言うことはできなかったが、今は反射的にマゼランを心配してしまっていた。
「上まで戻ってこられますか! いや、せめてレベル3まで! そしたら私が署長を回収して地上に戻ることが――!」
《ならん! 今からは誰も、ハァ、下に来るな!》
「し、しかし!」
《ダグラス・バレット……! 海軍本部に、絶対にそれだけは伝えろ……!》
ドサッと何かが落ちる音が聞こえた。
子電伝虫による通信は切られていない。しかしマゼランは突然喋らなくなってしまった。
「あれ? しょ、署長⁉ マゼラン署長! そこで一体何があったんですか! 気絶するなら気絶するって言ってからしてください!」
「い、いや、それは流石に厳しいのでは……」
返事がないと知ったハンニャバルは危機感を募らせ、豪快に振り返って大声で指示を出した。
「マゼラン署長の言う通りにしろ! 全職員は持ち場を離れて今すぐ地上部分へ移動! 同時に海軍本部へ連絡! 緊急事態宣言だ!」
「は、はい!」
「おそらくダグラス・バレットがマゼラン署長を倒したのだ! このことは包み隠さず海軍本部へ報告しろ! 一歩間違えればインペルダウンが崩壊するぞ! 急げ!」
正確に聞き入れた看守たちが慌てて動き出す。
もはやインペルダウン内部のみで解決できる問題ではなくなってしまった。今や、彼らの体感で言えばだが、海軍本部の力を借りたとて解決できるかわからない。
ダグラス・バレット。
その名を知らない看守は居ない。
かつて“海賊王”の船に乗り、海賊王に幾度となく殺し合いを挑んで、ついに一度たりとも勝つことができなかった戦闘狂。それでいてその強さはあまりに伝説的であって、“鬼の跡目”という異名をつけられ、強さだけならやがて“海賊王”の後継者になるだろうと目されていた。
ハンニャバルのいつになく真剣な様子を見て看守たちはかつてない危機感を覚える。
彼が野心を見せなくなった今、前代未聞の危険がインペルダウンを襲っているのは確定した。
「レベル6の囚人なんぞ、たった一人でも外に出してしまえば世界は大混乱する! 署長が出すなと言ったのだ! いいか! 囚人であれば猫の子一匹外に出さんぞ!」
部下たちが声を揃えて返事をする。ハンニャバルの本気は一瞬にして伝わった。
「か弱い市民の皆様の毎日をお守りする、我々は地獄の門番! この暗くじめじめした監獄から、世界の平和は我々が作るのだ! たった一人でも出したら監獄の名折れじゃい! 署員一同、命を賭して出口を守る!」
ハンニャバルがテキパキと指示を出し始め、看守たちは大慌てで行動する。
誰も予想したことがなかった緊急事態。マゼランが上層に戻れない今、もはやプライドなどにこだわっている場合ではない。
敢えて指摘せずとも、誰もが死に物狂いで動く必要があると判断していた。
「サディちゃん! 私がモニタールームから指示を出す。ダグラス・バレットを回避してマゼラン署長を救出するのだ」
「ん~♡ 署長がまだ生きてると思うのね。了解」
「私は署長になりたい、いや、いずれなるのだが。マゼラン署長に死んでほしいと思ったことなど一度もない! ここで署長をお助けできずになぜ署長になれようか!」
ハンニャバルはかつてなく燃えていた。
珍しい姿だが、それ故に、その姿に影響される看守は非常に多かった。
「出口とレベル1は私とサルデスで死守する! その間に獄卒獣と共に行くのだサディちゃん! 万が一ダグラス・バレットと出会っても戦うな! 逃げに徹するのだ!」
「そんなのいや! ん~♡ マゼラン署長もやられたのに、守ってばかりじゃ守れないわ!」
「署長がやられたからこそだ! 奴はこの上層にて迎え撃つ! 攻めるのはその時でいい!」
激しい混乱が広まっている中、ハンニャバルが全員を叱責し、鼓舞した。
「今は一刻を争うのだ! 急げェ!」
「監視電伝虫はなし。皆、気絶しているようです」
インペルダウン、レベル6“無限地獄”。
動くものがほとんど居なくなったそのフロアに新たな人影が現れていた。
「どう? イナズマ」
「まだ息がありますね……」
「ンフフフ。ヴァナタ、助けたいんでしょう?」
「この状況で見放すのは流石に心が痛みます」
「仕方ないわねぇ~。それじゃ、この件はヴァナタに任せるわ」
一人は大柄、一人は細身。遠めに見てもシルエットは全く違っている。
突然現れた二人の傍で、エースは頭から血を流しながら立っており、訝しげな顔をしていた。
「お前ら、何者なんだ……? 囚人にゃ見えねぇが、看守でもねぇ。どこから来た?」
「この監獄内よ。助ける義理はないけれど、ここで出会ったのも何かの縁。せっかくだからヴァナタたちを招待するわ」
エース以外にも立っている人物が居る。バレットの襲撃を受けてなお生き延びて、傷を負ってはいても少なからず余裕を見せていた。
顔面も口調も外見も、何もかもが濃いその人物に誘われる。
「監獄内の楽園、ニューカマーランドへ! ヒーハー!」
あくまでも前哨戦。バレットが戦闘を中断して上層へ向かったため、生きている囚人は居るが、次に本気でぶつかり合えばどうなるかわからない。
エースたちは断らず、見るからに怪しげな人物に同行したのだ。