インペルダウンからの報告を受けて、海軍本部に激震が走った。
彼らは海賊“火拳のエース”を公開処刑するための準備を進めていて、おそらく取り返しに来るであろう“白ひげ海賊団”との戦争へ臨むため、世界各地から戦力をかき集めている。しかしここへきて公開処刑の実行すら危うくなってしまっていた。
「主犯格は“麦わらのルフィ”……! またお前の親族だぞガープ!」
「ぶわっはっは! とんでもないことになりおったわ! やるな我が孫!」
「笑ってる場合か⁉」
海軍本部のトップである元帥、センゴクは表情を崩して怒りを露わにしていた。
今回の公開処刑が決定して以降、彼はありとあらゆる状況を想定した上で手を打ってきた。だがインペルダウンを襲撃されることも考えていたとはいえ、白ひげ海賊団ではなく、気付かぬ内に単独で内部へ潜り込み、囚人を開放して大暴れされるとは想定さえしていない。
難攻不落の大監獄。そこに侵入するなどと、誰も思いつきもしないあり得ない行動だ。
頭を抱えたセンゴクは同室に居て大笑いしている海軍中将、ガープを見て苛立ちを隠せない。
彼とは長い付き合いになり、これまでも勝手な行動を見てきたが今回ばかりは話が違う。
問題を起こしたのはガープ自身ではなくその孫ルフィ。この状況が非常にややこしい。
「レベル6の囚人たちが解放されて、インペルダウン内部はまさに地獄の様相だ……! 白ひげがどう動くかも読めん今、迂闊に手を貸すことすらできん……完全に後手に回ってしまった!」
「あれだけ厄介な連中を生かして捕らえておったんじゃからそりゃそんなこと考える奴だっておるじゃろう。ただその実行犯がわしの孫だったというだけで」
「それが大問題だと言ってるんだろうが! お前もう黙っておかき食ってろ!」
呑気なガープを一喝して黙らせ、センゴクはどすんと椅子に座る。
早急に対応する必要がある。しかし海軍本部と戦争するつもりですでに動いているであろう白ひげ海賊団が今でどこで何をしているか。監視船を破壊されて行動が読めなくなったせいで、何をするにも彼らの存在がネックになってしまう。
「厄介なのはダグラス・バレットだ……! おそらくマゼランはすでに倒れた。ドクドクの能力を持つ奴が監獄内で最強だったのは事実。だがそのマゼランが負けた以上、残存勢力を集めても奴を止めることはできん」
「わしが行ってやろうか?」
「今更お前を行かせられるわけないだろ! あそこに居るのは孫たちなんだぞ!」
「見くびるな! 助けたいならもっと早くに動いとるわい!」
「いいから黙ってろ! もうお前を前線で動かせるような状況じゃなくなったんだよ!」
フンッとそっぽを向いたガープは黙っておかきを食べ始める。
センゴクは改めて他の部下に視線を戻した。
「援軍を送る必要がある。迂闊に動けば白ひげに隙を見せることになるだろう……だが囚人どもをインペルダウンから出した時点でこちらの負けだ。本部に戦力を集めている場合ではないか」
「おれが行きますよ。センゴクさん」
部屋の外から背の高い男がふらりと現れた。
海軍最高戦力の一人、海軍大将“青キジ”ことクザンである。
彼が来た途端にセンゴクとガープが反応して、両者の表情は正反対だった。
「おぉクザン、おかき食うか?」
「んなことしてる場合じゃねぇでしょう。前代未聞の大事件ですよ」
「お前は海軍の最高戦力。おいそれと本部から離すわけには……」
「でも今は本部に戦力を集めててもしょうがないでしょう。特にダグラス・バレットは中将を数人寄越した程度じゃ止められない。インペルダウンを主戦場にするつもりで動くべきだ」
「ううむ、なんとしても“火拳”をマリンフォードまで連行したかったが」
すでに考えはあったとはいえ、センゴクはクザンの進言を受けて決意した。
後手に回ってしまったせいでどれだけ急ごうともすでに行動が遅い。迷っていられるほどの余裕がないことも事実だった。
「こうなってしまっては仕方ない。部隊を編成している時間さえ惜しい。青キジ、今すぐにインペルダウンへ向かえ。お前には遊撃隊を同行させる」
「ゼファーさんの部隊を? そりゃまた豪華な」
「責任転嫁をするつもりはないが、奴らが捕まえてきた“紙使い”が監獄内で暴れたらしい。ここまで混迷したのでは動かさんわけにはいかんだろう」
「まあ、一線を退いたとはいえ元大将ですからねぇ。頼るのは当然と言えば当然ですか」
ううむと唸ってセンゴクは俯き、苦い顔をする。
ちっとも自分の思い通りに進んでいない。何もかもが予想外とさえ言ってもいい。
本当ならば一線を退いた人間に頼りたくはなかったのだが、一応の言い訳もあって、責任を取らせたいという気持ちもあった。そのため決定までは迷っていない。
「とにかく急げ。バレットの機嫌一つで事態はどうとでも動いてしまう状況だ」
「わかってますよ。ところで、血の気の多い奴が居るんで連れていきますが、いいですよね?」
「構わん。今は細かいことを言っていられる状況ではない。求められるのは結果だぞ」
「じゃ、急ぎますか」
独り言のように小さく呟いてクザンは部屋を出ようとする。
その際、ガープの顔を真っすぐに見て改めて伝えた。
「ガープさん。あんたには世話になったけど、おれは自分の仕事をやるよ」
「フン、いちいち言わんでもわかっとるわ。覚悟ならできておる。わしも元よりそのつもりじゃ」
「そう簡単に覚悟できるような人なら、おれだってわざわざこんなこと言いませんって」
言い終えるとクザンは振り返らずに部屋を出ていく。
ガープは何も言い返せずに厳しい表情をしていて、その様子を見れば、何が覚悟はできているだとセンゴクが嘆息する。
現状は想像よりもずっと悪い。ガープがどう思っているのかを気にしながらも、センゴクは嫌な予感がしていたが、今はまだ混乱を収めるべく動くのに必死であった。
唐突にクザンが現れたことで、葉巻を二本同時に銜える強面の男が咄嗟に席を立った。
「行くぞスモーカー」
「インペルダウンだな?」
「話早いじゃないの。幸か不幸か、“麦わらのルフィ”が居るんだそうだ」
スモーカーは自身の武器である槍のように長い十手を持ち、背後には自らの部下を引き連れて、クザンの後ろを歩いて部屋を出た。
恐怖心を一切見せないどころかずいぶんと乗り気。望むところだと顔に書いてある。
そう来るだろうと思っていたクザンは前を向いたまま背後に居るスモーカーへ声をかけた。
「どんな展開からどんな結果へ向かおうが、一連のこの戦いが世界を変えるのは間違いねぇ。少なくとも現状は海軍の不利と言える。特にインペルダウンの囚人が解放されるってのは恐ろしいな」
「麦わらはどうやってあそこに……理由は“火拳”なんだろうが」
「さあな。どうやったにしても前代未聞。ここまで世界を動かす奴になっちまったか」
「呑気に言ってる場合じゃねえだろう」
普段からだらだらしていて、緊張感に欠けるクザンであるが、今も一見すると真剣に事態に向き合っているように見えるがふとした瞬間に気の抜けた発言が出てくる。
直接の部下ではないものの、彼とは近しい関係にあるスモーカーは小さく嘆息し、慣れた様子で呆れた顔をしていた。
スモーカーの部下である女性剣士、たしぎは自身の刀を両手でぎゅっと握る。
かつてなく物々しい雰囲気に汗をかかずにはいられない。
まさに戦争直前の浮ついた冷たい空気。戦闘経験はあれども戦争を知らないたしぎは緊張する。
「敵はレベル6を含むインペルダウンの囚人たち……閉鎖的な大監獄内部で戦うんですね」
「怖気づくんじゃねぇよ。奴らを放っておいたらそれこそ世界は未曽有の大混乱だ。監獄を出る前に奴らを仕留められることを喜べ」
「はい。絶対に負けられません」
「とはいえ、閉鎖的なインペルダウンだからこそ最強を誇ったマゼランがやられた。由々しき事態だってのも嘘じゃねぇ。バスターコール級の戦力でも骨の折れる仕事だ」
やはりクザンの態度はいつもと違い、ため息の一つをつくこともなく言う。
「ダグラス・バレットは元ロジャー海賊団という経歴を持ち、ロジャーの死後は単独で暴れ回ってとんでもねぇ被害を及ぼした。それを止めようとした海軍のバスターコールと、数千から成る復讐者たちを同時に相手して、ようやく倒れた。奴は本物の怪物だよ」
「怪物と言われるような人間なら世に数人は居る」
「ま、ガープさんもその一人だな。だがあの人はあれでも秩序と平和を気に掛ける。バレットにはそれが一切ない」
スモーカーは「あれでか……」と考えたが何も言わなかった。
聞いた話でしか知らないとはいえ、クザンはガープの弟子同然なのだという。クザンがガープを慕っているのはもちろん、ガープもまたクザンを誘っておかきを食べるなど仲が良い。
あの師匠にしてこの弟子あり。ふと思い出したことでスモーカーはそう思った。
「レベル6の囚人を一人でも世に出せば大混乱になる。だが、そういう話じゃねぇんだ。一度捕まえた奴を外に出しちまうってのが問題なんだ」
「信頼の話か? それとも威厳か?」
「まー敢えて言うが両方だろうな。そもそもインペルダウンには“金獅子”って前例があるが、脱獄されたなんて話があっちゃ存在意義を問われる。海軍も政府もタダじゃ済まねぇ」
「今更だろうと、内部に居る人間からすりゃ思うが……情報操作の意味はあるって言いてぇのか」
「事実そうだろう? サー・クロコダイル討伐の英雄はお前だ。世間の認識じゃな」
スモーカーが強く葉巻を噛む。その後ろを歩くたしぎもまた唇を噛んでいた。
訓練兵の頃から上官に楯突くことがあり、問題児として多く話題に上がっていたスモーカーは、海軍将校となった今でも上層部との折り合いが悪い。少し前に上層部の情報操作を食らい、海軍の面子を保つために使われた経験がある。
納得など微塵もしていなかったが、その時のスモーカーではどうすることもできなかった。部下であるたしぎも当然の如く目の当たりにしている。
彼らにとっては心から悔しく、初心を思い出す軽度のトラウマにすらなっていた。
「とにかくおれたちのやることは簡単。ある意味じゃいつも通り、海賊を捕らえるってだけ。他の小難しいことはセンゴクさんにやってもらおうや」
「ったく、こんな時でもいつもと変わらねぇ……」
「クザンさん! ご報告したいことが!」
港に着いた時、軍艦の出港準備を進めていた部下の一人が駆け寄ってきた。
彼らは足を止めてその報告を聞こうとする。
「つい今しがた、出航許可のない軍艦が一隻、インペルダウンへ……!」
マリンフォードを離れて海へ出た軍艦は、たった五人だけを乗せて動いている。
操船に手間取ることもなく、思いのままに港を離れると世界政府と海軍の人間のみが利用できる航路を通って、大監獄インペルダウンを目指していた。
「想像以上にやべェ事態になってるな。こっちの計画もずいぶん狂いそうだ」
「どうすんだよ船長! 囚人どもを仲間にするんじゃなかったのかァ!」
「ホホホ、今からなら間に合います。今もなお生き残っているのは強者のみでしょうし、在庫で賄えばいい話ですよ。なんなら選ぶ権利すらあります」
「ゲホッ、ハァ……まだ、我々の運はいい……」
「これもまた巡り合わせ。全ては運命である」
彼らは政府公認の海賊“王下七武海”の一角、たった五人による“黒ひげ海賊団”。
船長“黒ひげ”ことマーシャル・D・ティーチを筆頭に、本来は世界政府と海軍に味方するためにマリンフォードへ招集されていた海賊だ。
しかし今、海軍の許可を得ず勝手に軍艦を盗み、海へ出ていて、インペルダウンへの援軍として駆り出されたわけでもない。
彼らには計画があった。
“火拳のエース”を倒して海軍へ突き出し、王下七武海になった頃からである。
インペルダウンへ向かうのも当初からの考え。その一方、当初の予定とは違った状況でもある。
「なあに、ここまで来りゃあ成功するも失敗するも運任せよ。思い通りにゃいってねぇがその方が心が躍るってもんだぜ」
「インペルダウンの中で戦闘か? 逃げ場がねぇ分デスマッチになるな! ウィ~ッハッハァ!」
レスラーのようなマスクを被った大男、ジーザス・バージェスが両腕を掲げて楽しげに笑った。
「さて、何人連れだせるか。いい粒が残っているといいのですが」
冷静な面持ちで細身の男、ラフィットが呟く。
「ハァ、ゼェ……囚人と殺し合いか。死人が出るな……」
病弱そうな馬、ストロンガーに跨った病弱そうな男、ドクQはそう言って笑う。
「これもまた天命」
淡々とした口調で銃を携えた男、ヴァン・オーガーが呟く。
彼らはそうして政府が設けた巨大な“正義の門”を悠々と通り抜け、“タライ海流”に乗り、最速でインペルダウンへ向かった。