もうすぐ海軍本部があるマリンフォードが見えてくる頃。
金獅子のシキが空を浮かせて航行する軍艦では、数多の囚人たちが騒ぎ出していた。
自由になったと思ったら今度はマリンフォードで海軍との全面戦争。準備を整えて現れたシキとは異なり、彼らには何の準備もない。
「おいおいおいっ⁉ 本気でマリンフォードに行くのかァ⁉」
「なんだってそんなことするのだガネ⁉ 船を下ろしてくれェ! 我々はもう逃げたい!」
「そうだお前ら! キャプテン・バギーは自分が指揮を執って海軍を滅ぼす所存だ!」
「でけぇツラしてんじゃねぇぞ金獅子ィ! キャプテン・バギーの威光を知れ!」
「えええぇ⁉ なんでそんな話になってますかァ⁉」
「妄信もここまで来ると迷惑だガネ!」
囚人たちが騒ぎ出してもシキはじっと前を向いていた。
マリンフォードへ攻め込み、海軍を滅ぼす。全世界を支配するのはその後でいい。
世界政府を歯牙にもかけずに海軍に狙いをつけたのは私怨があるからだ。かつてシキは、単身でマリンフォードへ乗り込んで戦いを挑んだ。結果は数の利も手伝ってシキの敗北となったのだが、それ自体は大して恨んでいない。腹立たしいのはそれ以外の事件だ。
海賊王を
最弱の海と呼ばれる東の海で海賊王の伝説が終わった。
海軍から彼へ与えられた何よりの侮辱。その上に君臨する世界政府もいずれは滅ぼす。だがそれよりも前に仇敵が居る海軍だ。
周囲の声が聞こえなくなるほどシキは燃えていた。
緊張などではない。楽しみなのである。今日、海軍は自らの力によって滅びる。
そう思って水平線を眺めるシキの背後へ、聞き覚えのある声がやってきた。
「シキ」
「あぁ? パトか。おれになんか用か」
シキを全く恐れる様子を見せず、パトリック・レッドフィールドが笑みを浮かべている。
わずかに振り向いたシキは興味を持たずにフンと鼻を鳴らした。
「自首したそうだな。負け犬が今更外に出て何するつもりだ。くだらねぇ獄中生活でも送ってりゃいいものを」
「興味が湧いたのでな。この世界の行く末を見てやろうと思ったまでだ」
「だったら黙って眺めてろ。今すぐにでもこのおれが世界の縮図を変えてやる。リンリンにカイドウのガキに赤髪の小僧だと? 海賊の皇帝が笑わせるぜ」
「邪魔をする気はない。我には我の計画があるのでな」
彼らは古い知り合いであった。
かつての海賊たちを“伝説”と呼ぶ風潮があるが、その二人もまた当てはまる。世に知られた格で言えば間違いなくシキが上となるだろう。だからといってシキはレッドを舐めてなどいない。
それはそれとして相手にするつもりもなく、今は一切の興味を示さなかった。
「てめぇが何を考えてようが知ったことか。この世界は今度こそおれがいただく」
「楽しんで見させてもらおう。それより、面白い話があるのだ」
「あ? ジョークでも言うつもりか? 牢屋に居たてめぇが一体何を知ってるってんだ」
「これは我が感じた、なんの確証もない情報なのだが」
シキは興味を持っていなかった。聞いているのかすら怪しい。
そんな態度をまるで気にせず、レッドは力強く言う。
「ポートガス・D・エースはロジャーの息子だ」
シキは微動だにしなかった。しかし一瞬の驚愕の後、徐々に呑み込んでいき、しかと理解したのをほとんど反応もないというのにレッドだけが察知している。
彼はにやりと笑い、シキの動揺を手に取るようにわかっていた。
「あぁ? 何を言ってやがる」
「我の見聞色ならば貴様もよく知っているだろう。生まれつき人より優れているのだ。そして集中的に鍛えた結果、見聞色のみならば貴様をも上回る」
「だけならな。海賊の戦闘は見聞色じゃあ決まらねぇ」
「だが貴様が気付けないことも気付けるということだ。奴から感じる声はどこか懐かしく、そして力強く野心に溢れ、あの男に似ている」
今度は否定しなかった。背後へ振り返ったシキはエースの外見を見る。
「よく見れば顔立ちも似ている。若き日のあの男を感じるだろう。我々は若き日から老いた日まで嫌というほど見たはずだ」
答えることすら忘れてしまってその男を見る。
覇気ではない。直感だ。確かに若かりし日の宿敵を見ているかのような気分になった。
「そんなことがあり得るのか? ロジャーの関係者は政府が悉く処刑したはずだ」
「さて、我にはわかりかねるな。だが強かな人間はどこにでも居るものだ。そして政府の諜報機関など我らの相手になったことはなかった」
言った後で自分らしくない発言だと思った。他人に決定を委ねるなど、普段ならばあり得ない。
「あとは好きにすればいい。我は傍観者。ただ見守るだけだ」
音もなくレッドが離れていく。
敢えて見逃したのか、そもそも気付いていなかったのか。シキは何も言わなかった。
そしてエースの姿を認めた後、彼はにやりと笑う。
「ジハハハハハ」
部下が近くに居れば珍しい笑顔だと気付いただろう。
まるで若かりし日に戻ったかのように、上機嫌に、屈託なく、ただ純粋な喜びを表している。
「ジハハハハハハハッ!」
シキの笑い声には誰しもが気付いた。しかしその理由は誰も知らない。
本当か嘘か。本物か偽物か。あり得るのかあり得ないのか。
そんなことは今から確かめればいいのだ。
部下からの報告を受けたセンゴクはいつになく神妙な面持ちになった。
同室に居たガープも流石に笑っていられなくなったが、それでもおかきを食べるのはやめない。
「金獅子が来る……」
「ああ。こりゃこの島も無事では済まんわい」
「そんな程度で済むものか。今まで姿を隠していた金獅子が現れたということは、ついに完全復活の時ということだ。今日だけの話ではない。奴は、今度こそこの世界を獲りに来るぞ」
センゴクが険しい顔で頭を抱える一方、ガープは深く息を吐き出した。
「クザンたちはこっちに来れんか。まさかインペルダウンがぶち壊される日が来るなんてのう」
「言ってる場合かっ! これは海軍や政府のみならず世界にとっての損失だぞ。今まで捕らえた凶悪犯を全て解放されたばかりか、難攻不落の大監獄を失ったのだ」
「黒ひげなんぞを七武海にしたのは間違いじゃったんじゃないか? 天竜人のクズどもの采配が悪手だったんじゃろ」
普段は滅多に見ない、唾棄するように言ったガープをセンゴクは厳しい視線で捉えた。
「口を慎めガープ。お前が天竜人をどう思ってるかは知ってるが、原因を究明したところでもはや意味はない。予想外の展開ばかりだ。黒ひげの行動に金獅子の強襲、“紙使い”を送り込んだこと、さらに言えばお前の孫がインペルダウンに侵入したこともなんだぞ!」
「ぶわっはっは! そういやそうじゃった! やっべーわし!」
「お前が海軍の最高戦力でもなければ処分は免れんところだぞ……! 過去の自分に感謝しろ!」
「ありがとう過去のわし!」
「黙ってろ! 忙しいから出てけ!」
大笑いするガープはいつも通り危機感がない。
イライラもするがそんな彼を見ることで冷静になるのもまた確かであり、苛立ちながらもセンゴクはどすんと椅子に座り直し、状況を見つめ直す。
「こうなればもはや“火拳”の処刑だなんだと言っていられる状況ではない。金獅子は今すぐにもこのマリンフォードへ来る。迎撃するしかない」
「最高戦力の大将を一人欠いた状態でか。おまけにゼファーまで向こうに行っとるんじゃぞ」
「采配ミスは承知の上だ。それでもやるしかないのだ、我々は」
「どう転ぼうが今後の世界はタダじゃ済まんな。ここで金獅子を討たねば何もかも終わる可能性すらあるわい」
ドタドタと慌ただしい足音が廊下から聞こえてきた。
それだけで二人は何を告げられるのかを察する。
「センゴク元帥! 現れました! 金獅子です!」
センゴクとガープは揃って立ち上がり、部屋を出た。
空飛ぶ軍艦の航行スピードが上がっていた。
シキが上機嫌に笑い出した後、彼の意思によるものか、それとも勝手にそうなってしまったのかは知らないが能力が強く作用しているのだ。
「見えたぞォ! マリンフォードだ!」
「ついに来ちまったァあああっ!」
「ヤバいガネ! 本気でやり合う気カネ⁉」
「おおっ! キャプテン・バギーが燃えてるぞ!」
「お前らひよってんなよ! キャプテン・バギーに続けば間違いねぇ!」
バギーとMr.3が悲鳴を上げると、妄信的な囚人たちが歓喜の声を上げた。
なぜそうなっているのか、もはや崇められているバギーにすら理解できない。しかし調子に乗りがちな彼はこれ幸いと表情を引き締め直し、背後へ振り返って拳を掲げる。
「ぬっ……⁉ おおともよ! おめぇら、今日を海軍の命日にしてやるんだ! しっかりおれ様についてこいよ野郎どもォ!」
「「「オオオオオッ!」」」
「ポジティブ過ぎるガネ⁉ お前も調子に乗るな!」
「トプトプトプ! 景気がええな~。海軍が滅んだらでかい宴ができるのんやろ?」
一部の集団が騒がしい反面、甲板には緊張感が生まれている。
マリンフォードで海軍の総力と戦う。それはもはや戦争の様相だ。
決戦が近付いていると知り、強者ほど怯えてこそいなかったものの、その時が来るのを今や遅しと待ち侘びて緊迫した空気を醸し出している。
「ボンちゃん、カニちゃん」
キリは近くに立っていたMr.2とイナズマを呼んだ。
振り返る二人を見上げて、彼は柔和な表情ではあるが笑みは浮かべていない。
「僕はルフィを守るために全力を尽くすよ。協力してもらえる?」
「もーちろんよう! あんたたちはもうあちしのダチ! みすみす死なせるわけないわよう!」
「我々が脱獄できたのはひとえに君たちのおかげだ。絶対に死なせはしない」
「ありがとう」
監獄での戦いを経たせいか、キリは肌で感じ取っていた。
本当の強者の前で自分たちはあまりに弱い。
マリンフォードでの決戦もきっと同等についていくのは無理だろう。海軍大将やそれに匹敵する実力を持つ者たちを見て、自分たちだけではどうにもできないと理解している。
それならば手を尽くさねばならない。
考えるのが苦手で勢いに任せるルフィにはできないことだ。自分がやらねば。
今ここにある物をなんでも利用して生き残ると、彼は強く決心している。
「最悪、必要があれば黒ひげと手を組むのもありかと思ったんだけどね。そうするとエースがキレるだろうし無理か」
「現実的ではないな。アレには関わらないのが身のためだぞ。必ず足元を掬われる」
「こっちが掬っちゃえばいいじゃないと思って」
「んが~っはっはっは! そういうとこ相変わらずねい! あんたが居るんだから心配してない! あちし回るわ! 紙ちゃんが考えてるからあちし回る!」
「ありがとうボンちゃん」
回り始めたMr.2はそのままに、キリは何気なく歩き出した。
「黒ひげはともかくここは考えどころだよ。エース、ジンベエ」
「ん?」
「なんじゃ?」
「ボス。バギー。イワちゃん」
「フン……」
「あぁん?」
「あら? 何?」
「ルフィ」
「おう!」
名前を呼んで、近付いてきてくれる人も居れば、その場に留まって動かない者も居る。
集った者だけで輪を作り、彼らは自然と向き合った。
「共同戦線と行こう。海軍、金獅子、黒ひげ……今からこれだけの相手と戦って生き残らなきゃいけないんだ。味方は多い方がいいでしょ?」
「あぁっ⁉ 何を勝手に……!」
「待てバギー! この話は乗るべきだガネ!」
キリの提案を聞き、バギーは反射的に渋い顔をするがすかさずMr.3が駆け寄った。
彼らが話し合っている間にイワンコフは腕組みをする。
そうおかしな提案ではない。むしろここまで曲がりなりにも協力関係だったのだが、敢えて言葉にして再度繋がりを作ろうということか。
「ふむ、ノーマルね。もちろんそっちの方がいいけれどそう上手くいくかしら。この中の誰かが突然裏切るとも限らない」
「海賊の生き方ならそれもありがちだよ。言わなくたって覚悟の上で組むかどうかだ」
「あら、言うじゃない。もちろんヴァターシは賛成。白ひげがどう動くかもわからない今、あんな化け物たちと内乱みたいに戦ってる場合じゃないわ」
イワンコフはちらりと離れた場所に居るクロコダイルを見る。が、今は心配していなかった。
「ヴァナタはどうなの? クロコボーイ。共同戦線なんてできるタマ?」
「おれの目的は白ひげの首だ。てめぇらなんぞに興味はねぇ」
「ウフフン、やっぱり。ヴァナタこの子に甘いみたいね。情でも移った?」
「黙れイワンコフ……! てめぇに教えることは何一つねぇよ」
「好きなら好きって言ってよ! あの夜のことは遊びだったの⁉」
クロコダイルの左腕が砂に変わり、フックが射出されたように宙を駆けた。
狙い違わずキリの額にフックが激突し、彼は無抵抗に倒れる。
「ぐへぇ」
「あぁ~キリッ⁉ ワニィ! お前やめろっつってんだろ!」
「ヴァナタたち、さては緊張感ないわね? だがそれもまたよし! ヒーハー!」
「んが~っはっは! ケッサク! おもしろよあんたたちィ! あちしも回っちゃう! こりゃもう回るしかないわねい!」
ちょっとしただけで途端に騒がしくなる一段の傍に居ながら、エースは今もなお複雑な胸中で表情が優れず、直立していた。
彼の心情を慮るジンベエがその場に居たことは彼にとって何よりも僥倖だっただろう。
「今は耐える時じゃ。奴との決着はいずれ、白ひげ本隊と共に」
「ああ……今は、ルフィたちを死なせねぇ。それに集中する」
「しかし戦況は荒れるじゃろうな。これほどの大物が揃っていれば何が起こるか、誰も読めん」
「親父たち、動いてんだろ? ずいぶん迷惑かけちまったがこうなった以上、いっそのこと乱入でもしてくれたら助かるんだけどな」
呟いた直後、エースは頭を振って意見を変えた。
「いや、親父たちに頼ってるようじゃダメだ。おれたちだけでなんとかするんだ」
「そうじゃな。幸い今は味方がおる」
「よーしおめぇら! 話はわかった! このおれ様が協力してやるぜ!」
「おおっ⁉ 流石はキャプテン・バギー! あの大物たちを相手にあの態度!」
「上から行くな⁉ あまり事を荒立てるんじゃないガネ!」
「ねぇ島王、島に着いたらちゃんと戦えるの?」
「誰が島王だ⁉ 勝手な呼び名つけるんじゃねぇニャー!」
やたら騒がしく一部緊張感が欠け、不安は少なからずあるが、世界中探してもこれほどどうかしている集団は存在しないだろう。
彼らが騒いでいる姿を見ると肩の力が抜ける。エースがフッと笑みを浮かべた。
「まるでいつぞやのロックスだな」
背後から声が聞こえ、表情が一変してエースは勢いよく振り返った。
やはりパトリック・レッドフィールド。にやりと笑う彼と視線を合わせる。
「弟を守ると言った件、我は冗談を言ったつもりはない。期限も特に設けてはいないぞ」
「結構だ。おれの弟だぞ。おれがなんとかする」
「さて、マリンフォードでの戦いがそれほど整ったものだといいが……あの男にはまだ早い」
「余計なお世話だ。お前に心配される筋合いはねぇよ」
フッと笑ってレッドフィールドが踵を返す。
その際、キリがこちらを見ていることに気付いた。
笑みを深めて歩み寄り、レッドフィールドはキリの目の前に立って彼を見下ろす。
「試してみるかね? あの時代の激動を」