その日、レベル6はやけに騒がしかった。
多くの囚人が鉄格子に額をぶつけるほど近寄り、外の通路を覗き込んでいる。
キリもまたその内の一人だった。滅多にないことだと聞かされ、確かにそのようだと、目の前の通路を通った人物を見た時に確認したのである。
「“海賊女帝”が来たって?」
「ありゃ本当に絶世の美女だったニャー。おれが今も王だったらなんとしても手に入れたのに」
「王様じゃ釣り合わないよ」
「何をォ⁉ お前最近生意気だぞ!」
「海賊だもの。しょうがないよね」
ピサロと話しながら、通路を覗き込んでいたキリはその人物を見ていた。
世界政府に存在を公認された七人の海賊“
はっきりとは見えないが辛うじて目撃できる。確かに完璧と言えるほど美しい。
「なんでわざわざインペルダウンに来たんだろ。エースの知り合いかな?」
「知り合いじゃなきゃわざわざ来ねぇだろ」
「実はエースのことが好きとか。それかジンベエ? どうかしちゃって急に暴れてくれないかな。マゼランも鼻の下伸ばして油断してるみたいだし」
「おれを差し置いてあいつが好きだとォ⁉ 許せんニャー!」
「今のはただの例え話だよ」
向こうは向こうで盛り上がっているらしい、と囚人たちの怒号と大声、マゼランが囚人たちに攻撃する様で察することができる。
何せ位置と角度が悪い。視界を十分に確保できず、遠くはないのにしっかりと見られない。
「なんか楽しそうってことだけは伝わってくるね。勢い余って誰か脱獄できないかな? パニックさえ起これば僕らにもチャンスあるかもしれないのに」
「お前の考えてることは大体作戦とも言えねぇもんばっかりだニャ」
「真面目に考えてるんですよ?」
「嘘つけ。それが本当ならシンプルに使えん奴だニャー」
結局、見るのは諦めてキリはいつものように壁に背中を預け、だらしない姿勢になった。
常日頃から怠けたがっている彼だ。捕まっている現状を良しとはしていないものの、何もせずにただぐうたらしていられる状況は気に入ってすらいる。
エースの牢屋付近でごちゃごちゃとうるさくした後、ハンコックと、彼女を連れてきたマゼランを含む看守たちはやがて上層へ帰っていったようだ。
しばらくしてから囚人たちの興奮冷めやらぬ中、ようやく答え合わせの時間が来る。
黙り込んで何か考えていたらしいエースは、唐突に大声を発してキリを呼んだ。
「おいっ! キリ! 聞こえるか!」
「はいはーい、キリちゃんですよ~。どうかしたお兄さん?」
「今……聞かされたばかりだ。弟が、ルフィがここに来てると……」
だらしない姿勢でその言葉を聞いたキリは、目を丸くするとほぼ同時に体を起こし、鉄格子へ顔を寄せる。
信じ難い話を聞いた。しかし、冗談を言うような声色ではない。
「ルフィが? それ、ジョークか何か? 確かにルフィは妙に頭が回る時もあるけども、基本的にはバカなんだよ。知っての通り」
「さっきの女だ。確かにそう言っていた……」
「なんで海賊女帝が……僕ら会うどころか顔を見たことさえ――」
言いかけながら思考していたキリはふと察する。
「くまの能力か。僕らがバラバラになった後で出会ったんだ」
「どういう理屈か知らねぇが、お前の言うことが当たってるならあいつはルフィの味方か?」
「ルフィ一人でここに来るのはまず無理でしょ。航海術だって持ってないし。でも七武海の力を借りたんなら一応できる、とは思う」
「ってことは信じた方がおれのためか……あの、バカッ」
ガシャンと鎖が激しく動く音が聞こえる。
エースは思い詰めたような声になり、キリからは見えないが心情は穏やかではない様子だった。
「どうせまた無茶しやがったんだ、あのバカ……! これはおれの責任だってのに、助けたいとか思って来やがったに違いねぇ……!」
おそらくエースは自分を責めているのだろう。
何も言わない方がいいのかもしれない。彼の気持ちを想像はできても理解することはできない。
そうと知りながらもキリは黙っておかずに、歯を食いしばっているだろう彼に言った。
「ルフィはルフィの自由で動いてる。エースが気に病むことじゃないよ。あれでしぶといから中々死なないしね」
「だが……こんなとこに来ちまいやがって。七武海の手を借りて入れても、どうやって外に出るつもりなんだよ」
「そこはほら、僕らが手を貸すしかないんじゃない? そうなるとじっとしてはいられないね」
ようやくやる気になったらしい。体を起こしたキリは改めて周囲の牢屋を見る。
「というわけで外に出たいので、なんとかしてください」
「他力本願っ⁉ お前がなんとかしろニャー!」
「だって色々やっても出られなかったんだもん。手錠外れないし」
「だから脱獄不可能な監獄だと……!」
「看守長、何か方法ありません?」
見えない位置に居るであろう、牢屋に入れられている人物へ声をかける。
囚人から聞いた、シリュウは少し前までインペルダウンで看守長を務めていた職員だったそう。
声をかけると少し間を置いてから、低い声で返事が来る。
「出られるんならとっくに出てる……おれだって好きでここに居るわけじゃねぇ」
「役立たずぅ~」
「ここを出たら最初にお前を斬ってやる」
やっぱりダメだと判断したキリは困った顔をして肩をすくめた。
「どうしよ?」
「役立たずニャー!」
いまだ打開策は見つからず、彼らはまだ牢屋の中に居た。
「なぁにィ⁉ レベル5まで行ってエースを助けるだとォ⁉」
インペルダウン、レベル1“紅蓮地獄”。
立ち並ぶ牢屋の前に立っている赤い鼻の男、“道化のバギー”が驚愕して大声を発した。かと思えば自ら口に指を当てて目の前に立つルフィを黙らせようとしている。
「しーっ! 声がでかい!」
「叫んでんのお前だろ! なぁに一人で騒いでんだ!」
「ふざけやがって派手バカ野郎がッ! 外から入ってくんのもバカだがさらに下に行きたいィ⁉ そんな奴今まで聞いたことねぇぞ!」
ルフィはいつになく冷静な面持ちだった。
今は頼れる仲間が居ない。戦うにしろ逃げるにしろ、義兄エースを助けるにしろ、全て自分の力でやり遂げねばならないのだ。
騒ぐバギーを相手にしていられる心境でもなかったため、彼の扱いはぞんざいなものだった。
「別にいいだろ。おれはエースを助けたいだけだ」
「それがどうやったらインペルダウンに侵入する羽目になるっつってんだボケナスがァ! せっかくおれが脱獄のためにコツコツと色んなものを準備して時期を見計らってたってのに、お前はこんなタイミングで鉢合わせしやがってェェ……!」
「逃げたいなら逃げりゃいいじゃねぇか。あ、そうだ。下に降りるにはどこ行ったらいいんだ?」
囚人として収監されていたバギーは脱獄を狙っていた。収監された時からいずれ外へ出ると決心していて、入念に様々な準備を経て今日、ついに実行したのである。
一つ間違えれば次の瞬間どうなるかわからない命がけの脱獄劇。誰にも邪魔されてなるものか。などと思っていた矢先のルフィとの再会であった。
バギーは表情に明確に出るほど憤り、彼の発言など全く聞こうとさえしていない。
「へッ、そんなことおれが知るかってんだ! おれはこのまま上に行ってインペルダウンから脱獄を果たうおおおおっ⁉ お前それどうしたァ⁉ すげーいい腕輪つけてるじゃねぇか!」
「なんなんだよお前ェ⁉ さっきからうるせーなぁ!」
先程から「本当に脱獄する気があるのか」と言いたくなるくらい声が大きいバギーだが、唐突にその声色が変わって態度を一変させる。
きっかけになったのはルフィが左腕に着けていた小さなバンドだ。
一部に装飾のような透明のガラス玉が付いており、バギーはそれがひどく気に入ったらしい。
「いいなぁ~それ……! おれにくれよぉ~」
「いやだ! なんでお前にやんなきゃいけねぇんだ」
「レベル2への行き方を教えてやるよォ! 下には行きたかねぇがそれくらいわかる!」
「ほんとかっ⁉ ありがとう!」
バギーの急な手のひら返しを快く受け入れ、ルフィはパッと笑顔になる。
大抵の人間はそのわかりやすい態度に「裏がある」と気付きそうなものだが、気付いていないのか気付いていてどうでもいいのか、どちらにせよルフィに疑問はなさそうだった。
「じゃあさっさとレベル2に行こう。ん? レベル2? おれはレベル5に行きてぇんだぞ!」
「だからそう言ってんだろうが派手アホがァ! レベル5に行くにはレベル2から一階層ずつ降りていくしか方法はねぇんだよ!」
「あ~そうか。そりゃそうだ」
「案内してやる! その前に腕輪くれ!」
「え? なんでだよ。案内してからじゃねぇのか?」
冷めた態度のルフィの言葉にバギーは「ギクゥ⁉」と全力でリアクションした。
しかしバレるわけにはいかない。彼は必死に取り繕おうとする。
「い、いや~そりゃまあ、そうだろ。おれァ報酬は前払いで受け取るっていうポリシーが――」
「もらってすぐ逃げそうだな」
「ギクゥッ⁉ ばばばバカ言うんじゃねぇ! おれがそんなことする奴に見えるかっ!」
「お前ずるがしこいもんなー。キリもそうだからちゃんと知ってんだ、おれは」
「ケッ! てめぇんとこの紙野郎と一緒にすんじゃねぇ!」
焦っていたバギーだがふと何かに気付き、またしても表情を変える。
「ん? そういやあの紙野郎、ここに居るらしいな」
「は? 何言ってんだお前」
「だーから捕まったっつってんだよ! 何があったなんか知るか。“リンブル”の血筋なんだろって囚人も看守も騒いでやがったからな。聞きたくなくたって聞こえてくるぜ」
そう聞かされてルフィは思わず言葉を失ってしまう。
感情表現が豊かな彼が、笑うことも泣くこともなく無表情で固まり、わずかな時間とはいえ黙り込むのは非常に珍しい。
動揺はわかりやすく見て取れ、ハッとしたルフィは我慢できずに大声を発した。
「キリが捕まった……? 嘘だっ!」
「嘘なわけあるかァ! そんなとこで嘘ついて何の意味がある!」
「なんでキリが捕まるんだよ……そんな話知らなかった。助けねぇと外に出られねぇじゃねぇか⁉ おい、キリはどこにいるんだよ!」
「そんなことおれが知るもんか。だがまぁレベル1より下に居るのは間違いないだろうな」
「くまみたいな奴に飛ばされた後だ。あいつなら何があっても平気だと思ってたのに」
少なからずショックを受けたものの、考え方を変えれば、これはチャンスでもある。
敵に敗北して無理やり散り散りにされてしまった仲間の一人がここに居る。
合流できればこれほど頼りになる人間は居ないと、ルフィは前向きに捉えてにかっと笑った。
「う~ん……よぉし! キリを助けてエースを助ける! そしたら全部解決だ!」
「バカ野郎ッ! でけぇ声出すんじゃねぇ! 看守に気付かれるだろうが⁉」
「お前さっきからうるさかっただろうが!」
耳を澄まさずともどこかから看守の話し声が聞こえてきた。どうやら異変にはすでに気付かれているようで、見つかるのも時間の問題だろう。
憎らしく思いながらバギーはルフィに顔を寄せ、小声で言う。
「とにかく! おれはレベル2への行き方を教え、お前はおれにその腕輪を渡す。そうすりゃお前なんかとはとっととおさらばだ。おれは何としてでもここを脱獄してやる」
「わかった。でもお前どうやって脱獄すんだよ」
「そりゃお前、海軍の軍艦にこっそり潜り込んで……」
「それよりキリとエースを助けて一緒に逃げた方がいいだろ。お前も一緒に来い」
「なにィ⁉ ふざけんな派手アホがァ! 何をどうしたらそうなる!」
またしてもバギーの声が大きくなる。
看守の声が近付いている気がするのだが、ルフィとバギーはまだその場を動かなかった。
「お前自分の船ないんだろ。インペルダウンは入るのも出るのも難しいって聞いたぞ」
「ぬぐぐ、それはそうだが……!」
「キリとエースを助けたらなんとかなる。一人でやるより逃げる確率は上がるだろ」
「だが確実じゃねぇだろ! あくまでおれは脱獄がしてぇんだ! 上に行くならともかくなんでわざわざ下に――!」
「おい! そこに居るのは誰だ!」
まごまごしていたせいか、ついに武装した看守たちがやってきた。
チッと舌打ちしたバギーは看守から強奪していた武器を手に取って構える。
こうなれば考えている暇はない。どちらにせよ今すぐに行動しなければならなかった。
「ちくしょう! やはりどこに居ようがじっとしちゃいられねぇか!」
「なぁ、レベル2にはどこから行きゃいいんだ? 早く行こう!」
「だぁ~くそっ! てめぇと組むなんざまっぴらごめんなんだおれァ! なのによォ、お前と組まなきゃいけねぇってこの状況はよォ……! 何もかも嫌気が差すぜ!」
「でも生き残るためだ! 仕方ねぇ!」
「ええ~いくそったれェ! こうなりゃ破れかぶれだ! やったらァ!」
「よし!」
ルフィとバギーは意思を同じくして豪快に飛び出した。
隠れることが難しいならば、一点突破するのみ。
「囚人⁉ やはり外に――!」
「ド派手大作戦に変更じゃ~!」
「乗ったァ!」
二人は隠れるのをやめると大声を発して暴れ出した。
苦肉の策であったがより短時間で目的を果たすならば利点もある。反面、どうあっても看守を呼び寄せるという危険も伴っていて、だからこそルフィとバギーは全力疾走し始めたのだ。