花海咲季:今日はふわふわしてる人
花海佑芽:ふわふわしてる人の妹
10月も半ばというのに夏日を感じたり厚着を出したりの秋の一日。学校からは経費削減の観点からエアコンの使用を禁じられ、電源をつけても涼しい風は流れなくなっている。
「すぅ……すぅ……」
同様にして寮のエアコンも止められたらしく、花海咲季は涼む場所を求めて事務所に来た。事務所には来たが完全休養日なので、ちょっとお高めなお客様用椅子(経費)に座って寝息を立てている。
事務所といえども学校の一室には違いないここも、エアコンは使えないため寮と気温は変わらないはずだが、曰く、扇風機の有無は休養の質に関わるらしい。
風に髪を梳かしながら斜陽で光合成に勤しむ花海咲季の寝息は一定で、声帯や鼻に疲労が溜まってないことがわかる。非常に健康的な肉体と言えよう。
しかし、そんな完璧健康体の花海咲季にも異常が見つかった。彼女の身体から放つ熱気が、体温のそれをはるかに凌駕しているのである。
彼女が来てからというもの、どうにも部屋の温度は上がる一方で、温湿度計は32℃を示している。
「あつい……」
まるで掃除していないパソコンのような熱気が部屋に充満している。
アイドルの健康状態は常に把握していたつもりだが、まさかとんでもない病気を患ったのだろうか。元々体温が高い方と自称していたが、限度があるだろう。
花海咲季が流行り病にでも罹っていたなら大変なことである。そうでなくとも、この発熱は異常だ。
担当アイドルが高熱を持ったとき、プロデューサーならどうすべきか。仕事をしている場合じゃないだろう。
思い立って体温計を手に取り椅子から立ち上がり、心地よい寝息を立てている花海咲季に近づこうとしたところで、ふと嫌な予感がした。
これは、熱を計ろうとしたらそこで目を覚まして勘違いされるパターンではなかろうか。
この体温計の場合、熱を測るために脇に挟むか口に咥える必要がある。脇も口も、勘違いし大騒ぎになる可能性が十分にある。
深慮遠謀で冷静沈着な因果予知をしたため、代案を考えることにする。
他に計る方法といえば、額に手を当てたり、今では赤外線で計る方法も一般的になった。この事務所にも流行り病の対策に一つ支給されている。
非接触型体温計を手に取り、花海咲季に近づき体温計のスイッチを入れると実測値は48.0℃と表示されている。このスカウター、壊れてやがる……!
きっと、太陽光の赤外線も測定してしまったのだろう。そうでなければ、うちの担当アイドルは死にかけだ。
別の方法で計る他ない。
しかし、問題となるギャルゲー的お約束展開を、どうすれば回避できるだろうか。
幸い、当の本人は気持ちよさそうに寝ているので、起きてからでも……と一瞬後回しが頭を過ったが、アイドルの危機が疑われる状況なのでそうともいかない。
まさに八方塞がり。
花海咲季の家族構成や肉体の部位ごとのパラメータ、生活習慣、ほくろの位置まで記録された膨大な資料をひっくり返して洗い直すが、打つ手一つ見つからない。
花海咲季よ、不甲斐ないプロデューサーで済まない……。
温湿度計はついに33℃を超え、悩みも煮詰まって来た頃、コンコンと誰かがドアをノックした。
「失礼します。あ、お姉ちゃんのプロデューサーさんですか?お姉ちゃんを連れ帰りに来ました」
ドアを開けたのは花海咲季の妹の花海佑芽だった。入学初日では正直、埋もれていくアイドルだったが、今では花海咲季を凌駕する元気なアイドルである。
「はい、どうぞ入って。咲季さんはそこで休んでいます」
花海佑芽は部屋に充満する熱を気にも留めずに、発熱源たる花海咲季に近づく。
もしかしたら、花海咲季の永遠のライバルであり、最愛の家族である花海佑芽ならば何か知っているかもしれない。
そんな聡明叡智な発想を得た。
「つかぬことをお聞きしますが、咲季さんの体温は普段からこの調子ですか?」
「え?あ〜、そうなんです。お姉ちゃんは寝ると暖かくなって……隣で寝ると気持ちいいんです。ただ、今日は日向で寝てるから、少し暖かいですね」
花海咲季の頭を優しく撫でる花海佑芽は、聖母のような眼差しを姉に向けている。その聖なる気は、花海姉妹のユニットがトップアイドルになる幻想を見せるほどに美しい。
幻術を喰らい呆けていると、花海佑芽は眠っている花海咲季を軽々と持ち上げ、失礼します、と会釈した。
幻術が解け正気に戻り、花海姉妹を見送ると、ドアの外の花海佑芽が何やら困った様子で騒ぎ出した。所謂お姫様抱っこをして両手が塞がってるため、ドアが閉められないらしい。
「あれ?どうしよう!」
「どうしましたか?」
「両手が塞がっちゃって、ドアが閉められません!」
足ででも閉めれるだろうが、アイドルらしからぬ行動なので自制しているのだろう。
ただ、そうなると、一つ困り事が予想される。
「それだと、寮の扉でも困りますね。咲季さんを起こしてはいかがですか?」
「いえ、それが、お姉ちゃんはこうなると何をしても中々起きなくて……」
花海佑芽が頭上でこれだけ騒いでも起きないため、中々起きないのは確からしい。
「では、起きるまで椅子で寝かせておきましょう」
「私も一緒にいてもいいですか?」
「ええ、構いませんよ」
またもや入室した花海佑芽は、遡るように花海咲季を高級椅子へ座らせ、自身はその向かいに座った。眼福といった表情で姉を眺めている。
さて、新しいお客様も来たので茶でも出そうか、とお客様用椅子に近づくと、花海咲季の熱気の壁に阻まれ一歩後退った。
花海佑芽がそんな調子なので忘れていたが、未だに室温は33℃、いや34℃になろうとしている。蓋し発生源である花海咲季の体温を計るという課題を早々に解決せねばなるまい。
事務所に置いてある麦茶(室温)をコップへ注ぎ、そのコップとペットボトル麦茶を客人の前に置いて、一つ重要な質問をする。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「それで、一つ質問ですが、咲季さんは当分起きそうにありませんか?」
「え?はい。いつもなら夕飯前くらいに起きます。……迷惑ですか?」
「いえ、そういうわけではありません。いくら待つと言っても、寮の門限は守らなければなりませんから」
非常に有意義な話が聞けた。無論、寮の門限ではない。
花海咲季の体温を計る上で問題だったのは、ギャルゲー的お約束展開の可能性がある、ということだった。特に客人の手前でもあるため、状況は悪化したともいえる。
しかし、花海佑芽によれば、夕飯前にはどうにも起きないようなので、その問題点が解消されたのである。
今は16時41分。陽は傾いてきたが、まだ夕飯には程遠い時間帯である。
早速、体温計を手に取り電源を押すと、乾いた部屋にピッと起動音が響いた。
花海咲季の左腕をそっと掴み、細心の注意を払いながら少しずつ脇を開けていく。いくら起きないといえども、念には念を入れよ、とあさり先生が言っていた気がする。
ブレザーを半分脱がせ、制服の白シャツのボタンに手をかけたところで、ブルドーザーを幻覚させるほどの大音量が耳を貫いた。
「は、は、破廉恥ですよ!!い"く"ら"お"姉"ち"ゃん"の"プ"ロ"デューサ"ーさ"ん"でも"、破"廉"恥"です"!!!」
まさか、ギャルゲートラップが姉ではなく妹にあったとは、李白の目を以ってしても見抜けなかった……。
などと現実逃避をしそうになるが、早くに誤解を解かなければ状況は悪化してしまうだろう。
「これは体温を計るために必要なことです」
「服の上から計ればいいじゃないですか!」
言うが早いか、花海佑芽は体温計を奪いすぐさま花海咲季の脇に差した。
少し経つとピピピッと計測を終了した合図が鳴ったので、取り出してみたところ、36.8℃と記録されている。
「ほら、普通じゃないですか!計れてます!」
「体温計は腋のくぼみで計るものです。そこは腋と言うより腕なので、正しく計れば異なる結果が出るはずです」
「ぅぬ"〜〜〜!それでも、服を脱がせるのは禁止です!き"ん"し"!!」
花海佑芽は腕を交差して姉の前に立ちはだかる。テコでも動かなそうだ。
花海佑芽の意思は堅そうなので、次善策として口で計ることにする。
その旨を伝えると脇よりは許容されたようで、姉の前を退いた。
漸く、花海咲季の前に何の問題もなく立ち、顎に手を添える。口を閉じているため、まずは口を開けなければならない。
「ん……?」
顎に少し力を加えると、何をしても起きないはずの花海咲季が眠気半分の状態で覚醒した。
体温計と、花海佑芽と、開けたブレザーを見て何かを察したのか、最後にこちらを見て口を開いた。
「別に疚しくないなら、脱がせて構わないわ」
「信用していただきありがとうございます」
起きた花海咲季の体温は36.8℃だった。睡眠時の謎が深まるばかりである。