篠澤広:体が弱い
少女たちが夢を掴むために、日々切磋琢磨し合う初星学園。その一角にはプロデューサー候補生のための事務所が設けられている。
そのとある事務所は中が見えないように、ドアの磨りガラスにはカーテンを掛け、窓はマジックミラーに張り替え、まるで怪談の空き部屋の様相を呈する。
そんな事務所で日課の青年誌を読み漁りながら、r-18部分を品評していると、今日も元気を燃やし尽くした篠澤広がスマホに救難信号を送ってきた。
『屋上』
メッセージアプリにはその二文字が映し出されている。
最近の若者は敬語もまともに使えないのか、と一蹴して青年誌を読み進めるが、バカヤローされる宇宙の帝王並にズタボロの担当アイドルを放っておくと今後の沽券に関わるため、青年誌を引き出しにしまって、屋上に迎えに行くことにした。
途中、自販機に寄って飲み物を買ってから来た屋上では、多種多様なアイドルたちが屯し、キャッキャと会話を弾ませている。
その中で、異質な人だかりを作る問題児を見つけた。
「広ちゃん、死んじゃやだよぉ!」
「篠澤さん、死ぬんですの!?それはいけませんわ!すぐに保健室に行きましょう!」
「……たぶん、そろそろプロデューサーが、来る。だから、平気」
人だかりはあるが殆どが干渉はせず、中心は花海佑芽と倉本千奈嬢のようだ。
普段ならば一段落して人が去るのを待っていたのだが、倉本嬢に面倒をおかけするのは肝が冷えるため、飲み物片手に人だかりに割り込む。
「そこの濡れぞ……篠澤広のプロデューサーです。通してください」
「あ、篠澤さん!プロデューサー様がお見えになりましたわ!」
倉本嬢の鶴の一声によりアイドルたちが一斉に道を開けた。流石は倉本家のご令嬢である。
倉本嬢に道を開けていただいたので、そそくさと通り、濡れ雑巾を回収して来た道をそそくさと帰る。
ところが、庶民は庶民らしく去ろうとすると、倉本嬢より待ったがかかった。
「篠澤さんのプロデューサー様、お待ちになって」
倉本嬢の声に、何か粗相をしたのか、それともこの鶏ガラがしでかしやがったのか、と恐る恐る振り返ると、倉本嬢は質素な小包と怪しく光る筒を持っていた。
「こちら、篠澤さんのお弁当です」
差し出された小包と筒を受け取り、この小包の無地の生地は庶民の感性が足りないだけの高級品なのか、怪しい光も高級感の演出なのか、と無駄な考察をして、感謝を述べる。
こんなものを頂けるくらいなのだから、いくら才能がなくとも倉本嬢のお気に入りではあるらしい。
「では、失礼します」
倉本嬢に断ってから、運動をしても肉がつかない細い体を背負い、両手に弁当と飲み物を携えて屋上を去った。
運動終わりの熱を背中に感じながら階段を降りていると、息も絶え絶えで、自らの身体を支えられないほど疲弊していた篠澤広がもぞもぞと動き出し、耳元で囁いた。
「プロデューサー……」
篠澤広の手に自販機で買った開封済みリカバリドリンクを握らせると、腕を持ち上げ満足そうに呟く。
「ふふ……私をよく、理解している……」
背中の重心が後ろに傾いたため、内容物を飲み始めたようだ。
だが、それがただのリカバリドリンクと思うことなかれ。事務所という安寧の城で青年誌を読む時間を削り、態々少女たちの花園へ迎えを寄越させた恨みと心労による特製品である。
「ん〜〜〜っ!」
既製品のものとは違う味わいに、篠澤広は額を背中に擦り付け、背中をたしたしと叩く。お気に召したようだ。
「辛い……なにこれ」
「疲労回復効果で知られる黄金の根菜類、生姜さんだ」
「ショーガオール……幼稚ないたずら……」
幼稚と言いながら罠に嵌ってるじゃねーか、とツッコミそうになったが、冷徹さを極めたこの頭脳をフル回転させ、更なる嫌がらせを思いついた。
「ちゃんと全部飲めよ。飲めなきゃ飲ませる」
「プロデューサーの、鬼、悪魔……でも、そういうところは、好き」
何やら意味不明なことを呟いて、篠澤広はドリンクを飲み干した。Mなのだろうか?
けぽっと胃の空気を吐き、空になったペットボトルをこれ見よがしに目線の先へと持ってくる。
「私は今、嚥下すら難しい……褒めて」
「誰が褒めるかよ」
「分かった。もっと頑張る」
「待て待て、偉い!君は良く頑張った!優秀!努力家!」
「乗り越えた。もっと頑張る」
何なんだこいつは。
などと意味のない会話を繰り広げている道すがら、ゴミ箱が置かれていたため、ペットボトルを捨てた。
「そういえば、そろそろ降りろよ」
「無理、吐きそう」
「さっさと降りろ!」
振り落とそうとするが背中にしがみついて中々離れない。そもそも、降ろして吐かせたとしても、周りの目があるため後処理はプロデューサーがする羽目になる。
それは非常に面倒だ。
幸いここから女子トイレは近いため、急いで駆け込む。
「……走るとお腹にくる」
「絶対吐くなよ!背中には絶対吐くなよ!」
吐かれるのは御免被りたいため、足は急がず、されど気持ちは焦って、トイレ目掛けて駆け抜ける。それはまるで、忙しない恋に恋い焦がれるうら若き男女のように。
今に置き換えれば、女はトイレである。他意はない。
思うように進めない状況に焦らされながら、背中に爆弾を抱えて早歩きし、あとは曲がり角を曲がるだけとなったとき、爆弾はうっと冷や汗ものの音を上げる。
ああ、なんでプロデューサーがこんなことまでしなきゃいかんのだ。
そもそも、屋上ではなく保健室ならば、床に吐瀉物をぶちまけようと構わなかったのだ。倉本嬢と関わることもなかったし、おんぶすることもなかった。
そんな恨み言を吐かれている篠澤広は落ち着きを取り戻し、無事にトイレ前に着く。
「おい、着いたぞ」
「……引っ込んだ」
「は?」
「……吐き気のピークは過ぎた」
なんだぁ?このプロデューサー様を舐めてるのか?と真の男女平等を盾に怒ろうとするも、少女を背負って走る男性不審者を見る周りの目が痛いため、素知らぬふりをしてトイレを去ることにする。
真のプロデューサーはなりふり構わずキレ散らかすほど幼稚ではないのだ。
人の目から逃れるため、早足で廊下を抜けると、事務所が見えてきた。行きより何倍も遠かったように感じる安寧の城までの道は、あともう少しである。
城に入ったらまず何をしようか。青年誌を読み進めてもいいが、まずは屋上に呼びつけた恨みつらみを骨の髄にまで染み込ませてやろう。
憤慨の決心を固め、顔に邪悪な笑みを浮かべると、篠澤広は嬉しそう、と言って笑った。
これから起こる惨劇も知らずに……間抜けな奴め。
「プロデューサー……」
「アん?」
「ふふ、これは、わからないんだ」
篠澤広はたまに、いや概ね考えていることが分からない。だが、今回に関しては誂っていることは分かった。
更なる残虐性を追加することにした。
「プロデューサー、明日の千奈のパーティに招待された。二人分招待状がある」
倉本家からの招待だと?
行きたくはない。行きたくはないが、招待を断るのも失礼極まりない。
さらに、倉本嬢は篠澤広を気に入っているようなので、溝を作ってしまうのも良くない。
行かざるを得ないか……。
「それを先に言え。礼服は持ってんのか?」
「ない」
「チッ、買いに行くぞ」
お仕置きはお預けである。