汚泥の中で 作:アカネイアの雑兵
人は容易く獣へと堕ちる。
だから、英雄として讃えられる。
そうでない者は?
「お、おじいちゃん。」
「出るでない。出てはならぬ。」
納戸の中で息を潜める影がふたつ。薄紫色の髪の少女と老人。
混乱の収まる気配すらまるで見えぬグルニア。
しかし、それでも人は生きてゆかねばならない。
グルニアの騎士による民殺し。
それはまたたく間にグルニアの朝野を駆け抜ける。
無論、殺気だった民⋯いや、暴徒に詰め寄られた騎士としても命の危険を感じたのだろう。
が、その騎士の咄嗟の行動は天秤を動かすには充分に過ぎた。
何せ、民を騎士が殺した事によりグルニア騎士は民衆に取っての明確な敵へと認識される。
が、動きは民だけではなかった。
必死に剣を抜きたい衝動を堪えていた他の騎士。彼等や彼等騎士に従う兵士にもそれは及ぶ。
自衛の為、剣を抜く事が許された。
騎士の中にそういった認識、という名の自己弁護が為されるに及び、騎士の中に剣を抜いて威圧する事を選ぶ者も現れる。
それにより、事態は沈静化に向けて動き出した。
⋯などと言う事はない。
騎士の得物は剣や槍。弓を扱うのは基本兵士なのがグルニア軍。
となれば、民は真正面から抵抗するだろうか?
⋯否。彼等は同じ土俵で騎士と戦う事を良しとせず、あらゆる手段を使い始める。
騒動の最初に騎士へと挑みかかった者が一蹴された事も影響しているだろうが。
幸いと言うより不幸だったのが、騎士に対して有効な手段が民にあった事。
⋯そう、
更に兵士の中からも騎士に対して反旗を翻す者が出てしまい、いよいよ小競り合いで済まなくなってしまう。
そうなると、騎士に対抗する為として民の中で徴収が始まった。
その徴収は有無を言わさぬものであり、組織だったものでも指揮の出来る者が居る訳でもない。
故に
血に酔ってしまう者も現れたのは自然だったのだろうか?
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人殺しとは禁忌であり、それをして尚己を律さねばならないのが騎士や兵士、傭兵であろう。
対して賊は己を見失い、人の形をした獣に堕ちる。
暴力とは万能薬に非ず。人を容易く変質させる劇薬なのだ。
まして今回の場合、暴虐の象徴となった騎士を倒す為。
という名目がある。
人は理が自身にあれば、どこまでも非情になれるもの。
何せそれに抗うは騎士の味方、つまりは敵なのだから。
無論、そんな簡単な二元論で片付く話ではない。ないのだが、感情に支配された人間に対して理屈でそれを押し留めるのは不可能に近い。
長年の経験で碌な事にならないと察した老人は大切な孫娘を守るべく納屋に隠れる事を選ぶ。
弱きものを守る誇り高いグルニア騎士団は最早なく、力無き者にとっては地獄となりつつあった。
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「⋯こんなにも高いのか?」
「ええ、なにぶん我々もグルニアまで運んてくるとなるとどうしても、ねぇ?」
グルニアのとある村では村長と思しき人物が商隊を率いている人物と話をしていた。
話と言っても、商隊を率いる男は平然と
村長は憔悴していると言っても良かったが。
「⋯⋯⋯ではこれだけ頂けますかの。」
「お買い上げありがとうございます。
では、あの娘は此方で引き取らせて頂きますよ。」
商人風の男の言葉に村長は必死に感情を圧し殺す。
混乱の中にあるグルニアでは他国からの商人が生命線となっている所も多数存在した。
其れ等の地域において、商人達はアカネイアやオレルアンは勿論の事、アリティアですらも法外と批判される額での取り引きを行なっている。グルニアの慢性的な物資不足に付け込んだ阿漕な商売。
当然だが、そこまで裕福な村はない。商人達はそこで村の娘を代金として用立てる話を持って行く。
村側に選択肢など残されていなかった。悲嘆に暮れる娘やその家族を沈痛そうに見つつも村の者達はそれを選ぶしかないのだから。
仮にゲレタ達のいる村の様に山深いところならば、狩猟する事である程度まではどうにか出来ようが。
獣達とて、何も考えてない訳では決して無い。
本能で生きるからこそ、それに疑問を挟む事はあり得ない。
それに、だ。
この大陸における狩猟とは難しいもの。素人が手を出して容易く出来るものではないのだ。
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修道女がいた。
彼女はグルニアの悲惨な状況を聞き、せめて人々の心を癒すべきと志願してグルニアの王都へと向かっている。
「部屋をお借りしたいのですが。」
「ああ、分かった。」
彼女は寂れた村で宿を取る事を選ぶ。
この村には教会がないからだ。⋯正確にはあったらしいが、いつの間にか人が離れ寂れていってしまったらしい。
そんな世情を嘆きながら、彼女は部屋で眠りについた。
⋯それが彼女の人生を決定的に狂わせるとも知らないで。
その翌日、宿から彼女が出てくる事はなかったと言う。
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ノルダの奴隷商人は窮乏の中にあった。
奴隷は集めて飾るものではない。彼等商人はそれを売って利益とせねばならないのだから。
幸い大陸中に波及した戦乱により奴隷の供給には問題がない。が、問題は供給された奴隷達の販売。奴隷商人は
を仕入れ、そして何処かに売らねばならなかった。
売るまでの間も奴隷達を死なせてはならないし、女性なればある程度気を遣わねばならない。商品価値が落ちるから。
が、アカネイアの崩壊により奴隷を購入する有力者は激減。居たとしても、今まで通りとはいかぬ。
ニーナ王女の帰還より、アカネイアは再興。しかし、栄華を誇ったアカネイアの姿はそこに無く、有力者達は己の権勢拡大の為にこそお金を使う様になる。
結果奴隷商はその過剰な仕入れに対して余りにも少ない販売量。それは奴隷商人の懐を軽くした。
しかもニーナ王女を奉じていたアリティアのマルス王子。
かの人物の姉、エリス王女が奴隷として売られていた事実。それは本来奴隷などと言う者と縁の浅い筈の王族。国に奴隷制度の問題を意識させるには充分に過ぎた。
しかも、エリス王女は決して扱いが良かった訳では無かったらしい。少なくとも、ノルダならばその様な愚を犯すはずは無かったというのに。
これにより、ニーナへの心証を良くしたいと考える者は奴隷制度に対して批判的とはならずとも、好意的な言動を慎まねばならない状況におかれる事となる。
この様な事情から、奴隷商人は少しずつ。だが、確実に追い詰められてゆく。
大陸は未だ闇の中にあった。
人の世に悪は尽きる事なく、悪果はいつか己を焼く漆黒の焔とならん。
力に善悪はなく、振るうものによってそれは定まる。
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