汚泥の中で 作:アカネイアの雑兵
教会にとって勢力の興亡はそこまで気にする事ではなかった。
教会の影響力は各国に及んでいたし、この大陸の中心足るアカネイアにおいて典礼を司る地位を得るまでに体制へと食い込んでいたのだから。
仮にアカネイアが滅んだとしても、荒廃した民心を掴む為には教会の協力は必要不可欠。故にアカネイアの中心たるパレスがドルーアとその同盟国によって落とされたとなっても慌てる事はなかった。
寧ろこれを奇貨とし、更なる民への影響を強めようとしたくらいである。
しかしそれは上手くいかなかった。
アカネイアの中枢にあったボア司祭。彼は幸運にも虜囚となり、同じ牢にてアカネイア唯一の聖騎士となったミディア達との繋がりを強固なものとする。
そこまでは良かったのだが、解放されたボアはニーナの王配としてハーディンを据える事を主導。
結果としてアカネイアに唯一残された王族たるニーナを軽んじたとミディアとの間に溝が出来てしまう。
ミディア自身も聖騎士として騎士隊の隊長を務めていたが、ドルーアによる再度のパレス侵攻により発生した防衛戦。この際に騎士隊を統率しきれなかった。
加えてニーナにとっての恩人にして、アカネイアの代行者とも言えるマルス率いるアリティア軍。そのマケドニア遠征においても無駄な犠牲を出す。
本来ならば立て続けに失態を犯したミディアに立場など無かったのだが、ニーナの側近として辛うじてアカネイア内での居場所を確保している。
なお、ミディアの恋人であり歩兵隊の隊長であるアストリア。
彼はミディアを人質にされ、ドルーアに降った。そしてのうのうとアカネイアへ帰参し、パレス防衛戦にて功のあったアドリア伯ラングの後任として歩兵隊の隊長に命じられる。
ところが、その責よりもアストリアは自身の考えを優先しアリティアのマケドニア遠征に同行。犠牲を減らすでも混乱を収めるでもなく何の功なくアカネイアへと戻る事となった。
当然職責を果たさなかったアストリアに対する兵や貴族達の反発は強く、結果アストリアは極秘任務を与えられパレスを離れている。
この様にめんど、もとい複雑怪奇な状況にあるアカネイア。教会としてはこうなると何処に手を貸すべきか。思い悩む。
が、そんな教会にも打開策はある。
大陸全土で不足している物資、取り分け食糧の供出。
アカネイアにおいても例年通りの収穫が出来たところは殆どなく、それはアリティアやグラ。オレルアンでも同じと聞く。
グルニアは確かに戦場となっていないものの、現在のグルニアにそれを望むべくもない。マケドニアはそもそも食糧の自給率が高くないのは周知の事実。
しかし、教会は大陸全土に展開しており、その為情報収集能力は決して侮れないものがある。
「山賊程度では足りませんでしたが、かの人物ならば必ず上手くやってくれる事でしょう。」
見えざる手は何かを掴もうとしていた。
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アリティアの従騎士クリス。
彼は祖父マクリルの教えを受け、クリス自身の希望もあってか若年ながらアリティア騎士団の一員となっていた。
とは言え、まだまだ正騎士であるカインやアベル。聖騎士であるジェイガンや受勲したアランには遠く及ばない。
それは単に実力だけの話ではなく、騎士としての在り方など。
クリスもマルス達と共にアリティアへと戻り、鍛錬に励んでいる。ジェイガン達は国内の山賊退治に赴いているが、クリスは同行を許されなかった。
そのかわりに彼にも任務がある。
まだアリティアにおいてクリスがアリティア騎士団の一員である事は広く知られておらず、あくまでも元騎士マクリルの孫とアリティア軍の多くでは見なされていた。
だからこそ聞ける事もある。
そんな彼が妙な話を耳にする事となった。
曰く
「エリス王女を助け出したのはマリクである」とのもの。
この内容に違和感を覚えた彼は山賊討伐を終え帰還したジェイガンに訊ねる。
報告を受けたジェイガンは即座にそれを否定し、その話の出どころをモロドフと共に探り出す事となった。
無理もない。
全くもって事実とは異なる話。しかも、アリティアの者が真に感謝すべき人物を蔑ろにするなど言語道断。
話の出どころは掴めなかったがジェイガンとモロドフは事態を重く見てマルスに報告すべきか頭を悩ませる。
あり得てはならない話だろう。⋯が、一方でその様な話でも無ければエリスとマリクの話が纏まらないのもまた事実。
今のところエリスはマリクに好意を持っている、とは言い難い。
しかし、マリクの人柄を良く知っている。となれば、エリスの気持ち次第とはなるだろうが、有力者の子息や一門と結ばれるよりは幸せになるのではないか?
ジェイガンはそう考える。
モロドフは純粋にアリティアに遺された王族はたったの二人であり、姉であるエリスの伴侶ともなればアリティアに与える影響は測り知れぬ。言ってしまえばアレではあるが、元山賊に助けられたとなればエリスにも謂れのない風評被害が及びかねない。
それよりも身元もしっかりしたマリクの方がアリティアの利益に繋がるだろう。と結論付けた。
結果、ジェイガンはこの件についてモロドフに一任。モロドフは有力者達に箝口令を敷いた。
が、彼等にとっての誤算が後年起きる事となる。
これはマリクに瑕疵がない場合成立するものであり、何らかの問題があった場合全て裏目に出てしまうもの。
とは言え、聖騎士とは言っても騎士としての教育と人生を送っていたジェイガンやあくまでも軍師として有能なモロドフ。
これに関しては政治的な部分が多く、役職的には宰相や文官の仕事の範疇。
言ってしまえば、二人は専門家とは言えなかったのである。
アリティアも一度滅んでおり、心ある騎士や文官は最期までその責を果たそうとし、そして黄泉路へと旅立った。
当時のアリティアの中心はモロドフやジェイガン。アランや元騎士と言った武に偏った者達が占めていたと言えよう。
しかしながら、この判断も間違いとは言い切れない。
確かにマルスやエリスにとっては受け入れ難い事ではあろう。(なお事の当事者でもあるゲレタからすれば面倒事に巻き込まれるリスクを避けたいので寧ろ願ったり叶ったりだった模様)
が、未だ安定しているとは言い難いアリティア。その体制を整えつつ、出来る限り本人の意思を優先するならばこうせざるを得ないのだから。
まぁそれを受け入れられるかどうかはまた別の話となろうが。
事実はひとつとしても、それに対して抱く思いは千差万別なのたから。
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統治者と言うのは決して簡単なものではない。
天災や戦などの必要に応じて民から徴収するのは彼等の権利。尤も、その権利を行使するならばそれに見合う義務を果たすべきなのだが。
徴税逃れとは重罪であり、下手をすれば命すら奪われかねないもの。
アストリアが受けた任務はひとつ
徴税していない村からの徴収だった。
「それにしても、随分と険しいものだ。
⋯本当にこの様な僻地に村があると言うのだろうか。」
歩兵隊隊長の任を解かれたアストリアだったが、彼に手を差し伸べる者がいた。
ミディアの賛意を示した貴族のひとり。
貴族はアストリアにこう話す。
「この様な状況にあっても税を払おうとしない不届き者がいるそうでしてな。」
その言葉にアストリアは疑問を持つ。
「⋯それは、確かに問題でしょうが。何故私に?」
徴税とは各地の領主が行うべき業務であり、それは領主の義務。領主の家臣が行なうのと、部外者であるアストリアに頼むのとではまるで事情が異なるのだ。
特にアストリアは失態を重ねている。これ以上の失態は己のみならず恋人であるミディアにも悪い影響を与えかねない。だからこそ慎重にならざるを得ない。
「実はその村なのですが山の奥地にありましてな。
近くには獰猛な獣や山賊も跋扈しており、私の兵ではどうにもなりませぬ。
⋯もしかしたら、山賊と手を結んでいる可能性もあるかと。」
神妙な顔つきで貴族の男は呟く。
それを受けてアストリアは今回の任務を受ける事になったのだ。
勿論、これは貴族そして彼に情報を提供した教会の差し金。
アストリアは知らない事だが、彼の向かっている山奥の村。つまりゲレタ達の暮らす村。と言うよりもその一帯は既に貴族達には不干渉の話が伝えられている。
ハーディンがニーナの王配としてアカネイアに入るのは既定路線。あとはどれだけハーディンの意向が
ミディアが幾ら
はっきり言えば、いつまでも個人の情を優先するが如き動きを見せるニーナ。彼女に付き合えるものでもない。
ハーディンに反発する貴族は多いが、ディール等はその者達に対して
「では貴殿がニーナ様をお側でお支え出来るのか?」
と冷水を個々に浴びせ、その気勢を削ぎ落としている。
非主流派とも言えるアカネイア貴族の殆どは『勝ち馬に乗りたい』だけの者であり、労少なく多大な益を得たい。という実に身勝手な者達。
そこに主義主張は存在せず、あくまでも集団の中の一個の存在として己の責任や義務からは逃れようとする。
それでも国が正常ならば許されるやも知れぬ。
が、今の状況でのそれは到底許されてはならないもの。
その危機意識があるからこそ、ラングやディール等は協力して事に当たっているに過ぎないのだ。
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しかし、得てして既得権益に拘泥する者というのはしぶとく、そして生存能力には長けているもの。
今回の事とて、示唆したのは貴族だが実行者はアストリアであり、処罰を受けるのはアストリアと貴族のみ。
それを裏で操った教会にまで責任は追及されぬだろう。
アストリアには明確な後ろ楯もなく、彼の支持基盤であった軍は裏切りや不誠実な行動により見放している。
が、
例えハーディンの不興を買ったとしても、アカネイア唯一の王族たるニーナの決定には従わねばならない。
つまり、アストリアを裁けねば現在ディール等が推し進めようとしているハーディンを中心としたアカネイア再建。それは水泡に帰す事となろう。
徴税が成功すれば、その物資を以てアカネイアにおける影響力を拡大できよう。
その為ならば僻地の村のひとつなど惜しくはないのだから。
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守るものを守る為に何かを傷つける。
そんな矛盾と向き合わねば生きてゆけぬ。
力が無ければ自我を通せず
精神が伴わねば容易く歪む。
答えなどあろう筈もなく、ヒトは信じる道をただ只管に進むのみ。
その果てに何が待つのか。
それは誰にも分からないのだろう。
故に人々は暗黒戦争と名付けたのだろうか。
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