第一話 愛清フウカは給食部が嫌いだ。
愛清フウカは給食部が嫌いだ。
正確に言えばゲヘナ学園の生徒のために給食を作るのが嫌いである。
キヴォトスでも最大級の規模を誇るゲヘナ学園は生徒の数もそれに相応しいものだ。昼食一食分だけだとしても、途方もない量の食事をこしらえなければならず、その労力は計り知れないものがある。
なのにフウカともう一人の給食部のジュリが骨を折って作った料理を食べた者が返すのは「まずい」という罵倒だけだ。「おいしい」はともかく「ありがとう」すら言ってもらった試しはない。
罵倒で終わるならまだましだ。ほとんどのゲヘナ生はそこから文句を言いながら暴れる。それが原因でなぜか給食部の予算が減らされる。減った予算を補うために食材の品質は低下する。低品質の食材を使うから味はさらに悪くなる。悪循環だ。なのにそれを理解せず、理解しようともせず、彼女達はさらに文句を言い暴れ回る。
それでもフウカは文句一つ言わず、苦労を惜しまず、飲食店どころか一般家庭ですら捨てられるような食材で、人が食べられるだけの料理に仕立て上げている。
それだけの労力の対価が罵倒なのだから、いくらフウカでもゲヘナ生への料理を嫌うのは当然の帰結だ。別に彼女は何をされても怒らない聖人君子というわけではないのだから。
それでもフウカが給食部を辞めないのには理由がある。
「こんなものかしら。行くわよ、ジュリ」
「はい」
今日も罵倒に耐えながら料理を提供し終えた二人は、廃棄物や残飯をかき集めた袋を、給食部のスクーター――本来備品の軽トラックがあったが、美食研究会がフウカを拉致した際についでとばかりに盗み出し壊してしまった――とそれにロープでつないだ自転車の籠に詰め込んでいく。
袋が落ちないようしっかり固定するとフウカがスクーターに、ジュリが自転車にまたがった。
「じゃあ出発するわ。忘れ物は」
「大丈夫です。ガスの元栓も閉めましたし、調理室にはしっかり鍵をかけました」
「そう。なら大丈夫ね」
エンジンを始動し、フウカは手慣れた様子でジュリの乗った自転車を牽引しつつ安全運転でゲヘナ学園を出発した。
スクーターを走らせること二十分。周囲は古い家屋が並ぶ閑静な住宅街に差し掛かった。時々すれ違う住人からは笑顔で挨拶される。ジュリがバランスを崩さぬよう気をつけ手を振り返す。
スクーターを止めたのは、フウカの自宅の前だった。家はそこまで大きくないが、かなり広い庭をしている。なんでも、フウカの一族は昔から料理関連のことを生業としており、トリニティとの戦いが激化していた頃、ここいらの住人の食事の面倒をみていたそうだ。この庭でも炊き出しをしていたらしく、その名残でかなりの広さを誇っている。フウカが子供の頃はこの庭で走り回ったものだ。
運んできた荷物を抱え門をくぐる。すると、二人に大きな影が被さってきた。見上げれば、そこにはゴーヤに手足を付けたような怪物が立ちつくしていた。
その怪物の体は筋肉ではち切れんばかりに膨れており、小さいといえ立派な一軒家であるフウカの家よりも大きかった。驚くことにそれほどの体躯だというのに、二本の後ろ足で立っている。全身は暗緑色の鱗が覆っていていた。
体だけでなく顔に目を移せば、顎の辺りからエナメル質の物体が飛び出ている。僅かに開いている口からは、包丁よりも大きく鋭い牙がのぞいており、生臭い匂いを漂わせていた。小さな目は前面についており、これまでの特徴も含めて明らかに肉食獣特有の顔つきをしている。また、頭上には神秘の象徴である
常人ならば一目見ただけで腰を抜かし粗相を晒すか、我を失い一目散に逃げ出すほどの恐ろしげな怪物だ。しかしフウカは、
「ただいま、ジョー」
親愛の声をかけ、その怪物の顔に諸手を挙げて飛びついた。怪物は口を開けるとフウカを一口に呑みこむ……ということもなく、犬猫のようにゴロゴロとその凶悪な見た目からは考えられない甘え声を上げた。
皮膚や鱗を守るヌメリ気のある体液や、顎から飛びだした牙の固さの他に、抱きついた箇所から感じられる、いっそ熱いともいえる体温に、フウカの疲れ切りささくれ立った心は癒やされる。
「こんにちは、イビちゃん」
ジュリもまた、慌てふためくことなく挨拶を交わし、その頬を嫋やかな手で優しく撫でる。
その感触が心地好いのか、怪物は目をつぶり撫でられっぱなしだ。
二人は怪物とのふれあいをひとしきり楽しむと、名残惜しそうに離れる。
「ちょっと待っててちょうだいね。すぐにご飯を用意するから」
フウカの言葉に怪物は身を起こすと、大気を震わす雄叫びを上げた。
「もう、そんなにはしゃいで。ご近所迷惑だからやめなさい」
フウカが怪物の足をパシパシ叩く。端から見れば怪物を挑発する行為だが、何ら問題ない。何せこの怪物、信じがたいことであるが、フウカのペットだからだ。
そしてこの怪物、改めイビルジョーこそ、フウカが嫌いな給食部を辞めない理由だ。
なにせ家屋に匹敵する巨体。維持するだけで膨大な食事量が必要になる。イビルジョーよりもはるかに小さな体の象ですら、一日二百キロ近くの草が必要になるのだ。当然彼の食事量がその程度で収まるわけもなく。フウカは日々大量の食糧を集める必要性に駆られていた。そして目をつけたのが給食部だ。ゲヘナ学園はキヴォトスでも最大級のマンモス学校だ。給食だけでも凄まじい量の食材が必要になる。当然その分膨大な廃棄品が生まれる。残飯だってでてくる。それらをかき集めれば、イビルジョーの食事の大部分を賄える。そう考えたのだ。
給食部は廃棄品の回収を依頼せずに済み予算が浮く。世間としても最近流行りの環境保全の観点で見ても食材の無駄がなくなる。フウカにとっては頭を悩ませているイビルジョーの食費が減る。誰からしてもWin-Winの関係、いわゆる三方良しだ。誰にも文句は言わせない。もし文句を言う奴がいれば、イビルジョーの口に投げ込むとフウカは決めている。実際に取材だとやってきて文句を言ってきた頭の軽いクロノス報道部の面々を投げこんだことがある。イビルジョーに口を閉じて逃がさないよう命令しておくべきだった。唾液で服も機材も溶けて裸で逃げていく取材クルーの後ろ姿をフウカは時折思いだしては悔しさのあまりに歯ぎしりを禁じ得ない。
そうして今日もまた、フウカとジュリがゲヘナ学園から運んできた食材の余り物や残飯を、庭の片隅に置かれた野外調理器具で料理していく。
トントンと小気味よく鳴る包丁の音。跳ねた油の胃をくすぐる香り。鍋から立ち上る湯気。愛清家の庭は瞬く間にキッチンへ様変わりを果たした。イビルジョーは二人が目まぐるしく動き回るのをそばで見つめて大人しく待っている。
「おーい、フウカちゃん」
ジュリが料理すると何故か生み出されてしまう生命体のパンちゃんが逃げ出さないよう長いピックをど真ん中につきさし黙らせてからフウカが顔をあげる。
隣家のおじさんが玄関前にいた。犬の獣人で気分が良いのか、尻尾をパタパタさせ、大きな袋を両手で重そうに持っている。
ジュリに断りを入れ、おじさんの元へ向かう。
「おじさん。どうしたの」
「いやあ、もらい物をもらったはよいんだけどよ、年のせいかどうもムツッこいモンはてんで駄目でさ。頂き物で悪いけど、もらってはくれねえか」
肉球のついた手で器用に袋の口を開くと、ずいぶん立派な肉の塊が鎮座していた。ステーキにすれば何人分になろうか。
フウカは慌てて袋を押し返す。
「こんな立派なお肉、受け取れないわ」
「良いって良いって。元々もらい物だし、俺ん所にあってもただ腐らせちまうのが関の山だ。だったら美味しくしてやれる奴に渡した方がよっぽど良いだろう。それにフウカちゃんにはいつもうめぇ惣菜をお裾分けしてもらっているからな。そのお礼よ」
そうまで言われて断れるほどフウカも余裕があるわけではない。花のような笑顔でお礼を述べ、袋を受けとった。
ズシンズシンと地響きを立て、話しこんでいた二人に近づいたイビルジョーは、盛んに袋の匂いを嗅いでいる。
「お、今日も腹ぺこのようだな、ジョー。大きな肉を持ってきてやったからな、すぐにフウカちゃんがお前の分も拵えてくれるから、期待して待っていろよ」
袋の中が肉と分かったからか、イビルジョーはよだれを垂らし――こぼれ落ちたよだれが白い煙を上げて地面を溶かすも、今更その程度で慌てる付き合いの者はこの場にいない――喜びを露わにする。
「もうちょっとだから我慢してね」
フウカと叔父さんに顔を一撫でされたイビルジョーはドスドス元いた場所まで帰っていく。虫養ひのためか、ジュリがパンちゃんを差しだし食べさせている。一息に平らげたイビルジョーは、感謝を伝えているのか、それとも美味しかったとでも伝えているのか、ジュリを傷つけないよう注意を払いながら頬ずりをした。
「それにしても大きくなったな。フウカちゃんがどっかから拾ってきた卵がかえったときは小さかったのに」
「私が小学校に入る前の話でしょう。それにその頃から大型犬より大きかったですよ」
「あれ、そうだっけ。あははは。すっかり感覚が麻痺しちまっていたぜ」
「せっかく私が可愛い名前をつけようとしたのに、おじさんが『こんな極悪な面構え見たことない。まさしく
「わははは、すまねえなフウカちゃん。だけどガーゴイルみたいでぴったりじゃないか」
ガーゴイルはゲヘナではよく見かける装飾だ。古くからある魔除けの石像で、恐ろしい怪物の姿を象っている。その恐ろしさで他の魔物を寄せ付けないらしく、古い建物ではどこかしらにひっそりとガーゴイルが潜み、睨みを利かせている。
そういう意味ではおじさんは正しかったのだろう。肩がぶつかっただけで、いやわざと肩をぶつけて難癖をつけて銃撃戦をおっぱじめ、金ほしさに
ここいらで暴れようとするのはよそ者しかいない。当然見知らぬ存在を警戒し、イビルジョーは顔を出す。
住宅街の一角から突然恐竜のような生物が出てきてこちらを凝視してくるという状況が生まれるわけだ。こんな古さびた場所でしか暴れられない小物がそんな状況に陥って耐えられるはずもない。イビルジョーの巨体と恐ろしい形相に度肝を抜かれ、尻尾を丸めて逃げ出す。そんなことが繰り返されるうちに、この周囲はゲヘナでは珍しい閑静な住宅街になった。まさしく恐ろしい存在で悪い存在を追い払うガーゴイルの働きそのものといえよう。
「我ながらネーミングセンスの光る名前だったな」
大口を開けて笑うおじさんにジト目を投げかけていたフウカだが、モモトークの着信に気がついた。
「はい。愛清です。ああ、イロハさんですか。今度ですか。はい、はい。エデン条約の。予算は。別途出す、と。分かりました。では万魔殿宛てに領収書を切っておきます。……じゃあ、おじさんお肉ありがとう。今度何か持って行くわ」
「おっ、そりゃあ楽しみだ。期待して待っているよ」
フウカはおじさんに別れを告げ、ジュリの元へ戻っていった。
「失礼するわ」
風紀委員長の空崎ヒナが部屋から出て行ったのを見届け、万魔殿の長、ひいてはゲヘナ学園のトップであるマコトが豪奢な椅子にふんぞり返った。
「やれやれ。やっと帰ったか」
ため息をしいしい机に肘を置き組んだ手に顎をのせる。
「だが、あの忌々しいチンチクリンを見るのも後少しの辛抱か」
周りに聞こえぬ声量で呟くマコトの相貌は、口角がつり上がり悪魔じみた嘲笑が浮かんでいた。しかしそれも誰かに見られることなく隠される。策略家の一端である以上、不用意に心の内側をみせるわけにいかない。それがどれほどうれしいことであろうと。
気分が盛り上がってきたところで、丁度書類の山を持ってきた万魔殿の事務員に、元々マコトの机にあった山毎、嫌がらせのために風紀委員会へ押しつけてくるよう命じ、椅子へ深々と座り直す。
「さて今日の仕事も終えてクタクタだ。英気を養うためにもイブキと遊ぶとしようか」
こんなことを言っているが、この女今日した仕事は風紀委員長との会談くらいである。しかも十分にも満たない程度の。本来やるべき仕事は、今ごろ事務員の手によって風紀委員会へ回されている頃だろう。
万魔殿の一員であるイロハがそんなマコトにため息一つ吐いて口を開く。
「イブキならサツキ先輩とお出かけ中ですよ」
「ナニィィッ」
切れ長の目をかっぴらき、マコトは立ち上がり叫ぶ。
「私は知らないぞ」
「風紀委員長との会談中、シャーレの“先生”から呼び出されたようですよ。マコト先輩がお話し中だから邪魔をしないようにするね、と」
「イブキは何て偉い子なんだ。それでいつ帰ってくるんだ」
マコトがだらしのない笑みでイブキのことを褒めつつ、そわそわと身体を揺らし問う。イロハは白白とした目でマコトを見つめた。
「いつも何も、今日一日はシャーレに詰めていますよ。そのまま直帰するでしょうね。サツキ先輩がついていったのは、行き帰りの同行者としてです」
「ナニィィッ。おのれ、ヒナァ」
全く関係ない怒りを胸にマコトが万魔殿の執務室に響く大声で叫ぶ。二度目の叫び声に、イロハは予想していたのか、耳を押さえていた。
「それでどうするんです」
「どうするって何のことだ」
ショックから回復したマコトが、イロハの言葉に小首を傾げる。何かやり残したことでもあったか記憶を浚ってみるも、何も出てこない。
イロハが口元を本で隠し、呆れはてた目をマコトに向ける。
「給食部ですよ。普段なら何かしらの行事毎に『我が万魔殿は風紀委員会と違ってケチ臭くないのだ』って見栄を張るために呼びつけているでしょうに」
「見栄ではない、事実だ」
「はいはい。それでどうするんです」
「どこか適当なところにでも配置させておけ。どうでも良いことで煩わせるな。それよりイブキだ。今からシャーレに向かえば」
ブツブツ呟くマコトをよそに、イロハは気怠げに万魔殿から支給されているスマートフォンを取り出すと、モモトークを起動した。
「はい、棗です。今度のエデン条約について……」
給食部に依頼を出すと、まだ考えこんでいるマコトを無視し、イロハはさっさと家路についた。