ブルーアーカイブ 貪食の家族   作:koth3

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ある日のゲヘナ学園

 ゲヘナ学園は荒んだ生徒がキヴォトスでも類を見ないほどに集まっている。当然そんな生徒が一カ所に集まって騒動にならないはずもなく、毎日どこかしらで銃撃戦が繰り広げられている。それはグラウンドも例外ではなく。むしろ広さがあり遮蔽物も置けるので、丁度よい戦場だとばかりに率先して撃ち合いに使われる。それはトリニティお得意の皮肉にて、『ゲヘナのグラウンドは砂よりも火薬が多い』と言わしめるほどに。

 しかしここ最近、ある時間帯になると、それまで耳鳴りがするほどに響いていた発砲音がぴたりと止むようになった。もしそれを不審に思いグラウンドを覗くものがいれば、人っ子一人いない、本当にゲヘナなのかと疑われるような光景を見られただろう。

 誰もいないグラウンド。そんな物寂しい風景にドスン、ドスン。そんな重量感あふれる足音が響き静寂を破った。音のした方に目を向ければ、そこには巨大な生物が我が物顔で闊歩していた。イビルジョーだ。

 グラウンドの外周を歩くその様は、その偉容からまさしく王者と呼ぶべき風格に満ち満ちている。人間四人を一束にしても足りぬほどの肉厚な足が大地から離れれば、そこには数センチほどの深さになる足跡がくっきりと残されていた。

「フウカ、すごい、すごいよ」

 先生の興奮した声がする。その姿をグラウンドに求めても見つかりはしない。耳を澄ませていれば、その声がイビルジョーからしたのに気がついただろう。よくよくイビルジョーを観察すれば、その胴体には一本の帯が回されており、背中側には鞍がついていることに気づけるだろう。そしてその鞍には人が乗っている。複座式(タンデム)で、前の座席には手綱を手にしたジュリが、その後ろでは顔を赤らめフウカに両手を振っている先生が。

 先生の喜びようときたら、遊園地に家族連れで来た子供か、デパート屋上のヒーローショーを見ている子供もかくやだ。もし鞍につけられている安全ベルトをフウカがあらかじめ締めていなければ、先生はイビルジョーの背中で飛び跳ねていたかもしれない。

 そんな先生の様子にフウカは苦笑を浮かべずにはいられない。

「ここ数日、毎日来ているけど、シャーレの仕事は大丈夫なのかしら」

 シャーレの先生が激務なのは有名な話だ。あまりの激務に先生だけでは手が回らず、生徒から手伝いを求めているほどに。実際フウカも手伝いに行ったことがある。もっと事務作業が得意な生徒などいくらでもいるだろうに、それでも先生はフウカに大変感謝していた。

 そんな先生がそれほど長くはないといえ、毎日ゲヘナまでやってきてイビルジョーと触れあうなど、本当に大丈夫なのだろうか。こうしている間にも書類の山が一つや二つ増えているのではなかろうか。

 そんな疑惑を抱くフウカだが、その視界がガクガクと揺れる。

「お、おい、本当に大丈夫なんだろうな」

 うっとうしいと思いながら肩をつかんでいる人物へ顔を向ける。フウカの視界に泣き出しそうな顔のマコトが映った。よほど動揺しているのか、いつまでもすがりついて揺さぶってくる。

 こんな状態の相手に何を言っても無駄と判断し、フウカはマコトをあっけなく見捨て、再度イビルジョーへ目をやった。悠々と歩く様は端から見ても立派だ。なんだか胸がいっぱいになる。卵からかえってしばらくは、フウカの後ろをどこかつたない足取りでついてきた子が、ああも成長したのかと。

「あ、見てみて、フウカ先輩」

 感慨にふけっていると、これまで角度の関係上隠れてしまっていたイブキが見えてきた。その小さな身体はジュリに抱きかかえられるようにしてイビルジョーにまたがっている。ぶかぶかの制服で指先だけ出た手を可愛らしく振っている。

 そんなイブキの様子にマコトはたちまち相好を崩し、デロデロと締まりのない、畢竟だらしない顔になり、手を振り返している。

「イブキ、すごいぞ。そんな化け物を乗りこなすなんて。おい、写真だ、写真。イブキの勇姿を一秒たりとも見逃すな」

 マコトの言葉に、カメラのシャッターを下ろしながら、チアキがサムズアップで応じる。フウカから向けられる白い目が一切眼中にないあたり、やはりマコトは厚かましい女である。

 そんな地上と打って変わり、イビルジョーの背中は穏やかな時間が流れていた。先生はあちらこちらに目を向けて、「こんなに高いなんてすごい」と喜んでいる。イブキも先生と同じように楽しんでいた。ジュリはイブキの前に手綱を持ってきた。

「イビちゃんの手綱、持ってみます」

「良いのっ」

 ジュリの問いかけにイブキは目を輝かせ、大きくうなずいた。差し出された手綱を恐る恐る握った。イブキの小さな掌に特殊な合成革の、馴染みのない、しかし強靱な手触りが感じられる。イブキの優れた頭脳は、この手綱一本でエンジンを全開にした戦車二、三台をたやすく縫い止められる強度を持っていることを理解した。

 ジュリの指示に従ってイブキが手綱をさばく。おっかなびっくりなそれはジュリと比べるとずいぶんつたないものだった。イビルジョーの目が一瞬だけ、背中へ向けられたが、すぐ前に戻る。そしてイブキの出す指示に機敏に反応してみせた。それが楽しいのか、イブキはジュリに許可をもらってイビルジョーに右へ行かせたり、左へ行かせたりして遊んでいる。

「すごいね、イビルちゃん。とっても賢いんだ」

「ええ。とっても賢いですよ。フウカ先輩が手綱を手にすれば誰にも止められませんから」

 笑い合うジュリとイブキ。二人の後ろで先生が指をくわえてうらやましそうに見つめている。

 地上ではフウカがそんな先生の様子に、良い大人が何をしているのかと若干あきれるも、それでも実力行使をしないあたり、ゲヘナの大半とは育ちが違うと、なんだか悲しいことを考えてしまう。いや、ゲヘナと比べたらほとんどの人が育ちがよいかとフウカは内心でつばを吐く。

「やっぱりここにいたのね」

 凜とした声がフウカの耳を打った。振り返ればいつの間にかヒナがいた。切れ長の瞳は、グラウンドを散歩するイビルジョーたちへ向けられている。おそらく先生の様子を見に来たのだろう。

 フウカがマコトの様子をうかがう。ヒナとマコトが犬猿の仲ということは、ゲヘナどころかキヴォトス中に知れ渡っている。ヒナの姿を一目見ようものなら、絡みに行くことは火を見るより明らかだ。そんな面倒ごとはまっぴらごめんと、様子をうかがったのだが、どうやらマコトはイブキに夢中でヒナには気づいていないようだ。

「今日は万魔殿もいるの」

 はしゃいでいるマコトを横目にヒナはフウカの隣に並んだ。お互いあまりおしゃべりに興じる質ではないため、沈黙が続くも、どこか心地のよい空気だった。

 二人とも静かに様子を見守っていると、ちょうどイビルジョーが一周を終え、立ち止まる。弾痕だらけの大時計がよい時間だと告げていた。今日の乗車会ならぬ乗竜会はここまでとジュリが判断したのだろう。フウカとしてもそろそろ解散すべきと考えていたので渡りに船だ。

 そのままではイビルジョーの体高が高すぎて誰も降りられない。そのため彼は一度膝を折り、腹ばいになることで、背に乗っている人が降りやすいようにした。ジュリが縄ばしごを投げ下ろし、それを伝って皆降りてくる。

「フウカ、今日も最高だったよ」

 降りてきた先生はフウカの元まで駆け寄ると、彼女の手を取り鼻息荒くぶんぶん振る。ここ数日ですっかり見慣れた光景だ。

「こんにちは、先生」

「あっ、ヒナ。お邪魔しているよ」

「ヒナ先輩もイビルちゃんに乗せてもらいに来たの」

 いつの間にか足下にいたイブキの頭を撫でヒナは微笑んだ。

「いいえ。……楽しかったかしら」

「うん。イビルちゃん、ジュリ先輩、フウカ先輩もありがとう」

 フウカは頬を緩め小さく手を振って見せた。こんな幼い子でもお礼を言えるのに、どうしてうちの学生はできないのだろうと悲しい疑惑を抱きながら。

「ええい、貴様らイブキに近寄りすぎだ」

 談笑していたところにマコトが割って入り、ギャアギャア騒ぎ出した。貴様らとは言うものの、マコトが目の敵にしているのはヒナだ。ただの給食部の一員でしかないフウカのことなど、すぐに忘れられるだろう。そう考え、ヒナには面倒を押しつけることへの若干の申し訳なさを覚えつつ、その場を後にする。

「あら、ジョー。どうしたの」

 その場を離れイビルジョーの様子を見ようと近づいたフウカに、イビルジョーが顔を寄せる。フウカを傷つけぬよう注意しながら顔をこすり合わせ甘えてきた。おそらく一仕事を終えたので褒めてもらいたいのだろう。よしよしと褒めてやれば満足とばかりに目をつむっている。そんな仕草に、フウカは思う。体ばかり大きくなっても、小型犬のように可愛らしいものだ、と。キヴォトス全域で全く理解されない感想だが。

 そのとき、口の端から覗いた真新しい肉片に気づいた。

「あら。先生からもらったのね。後でお礼を言わないと」

 ここ最近毎日やってきてはイビルジョーの背中に乗っけてもらっている先生だが、ある日からお礼と称してイビルジョーへお肉を差し入れするようになった。これが他の生徒であれば、イビルジョーを餌付けしていいように使おうと企んでいるのかとフウカも警戒するだろう。しかし先生がそんな浅ましく愚かな行為をするはずもなく、単純に乗せてもらったことへのお礼でしかないのだろうと、フウカは信頼していた。近しいのは、ドッグランで「お宅のワンちゃん可愛いですね。おやつをあげてもよいですか」と訊ねてくる人だろうか。

 歯に挟まっていた肉片をとり口の中に入れてあげると、イビルジョーはうれしそうに咀嚼する。そんな姿が愛らしくて、頬のあたりを撫でる。鱗のすべすべとしながらもイビルジョーの持つ力強さを証明するかのような堅さを掌に感じていると、先生がやってきた。

「先生。お肉、ありがとうございます」

 多少時間をおいたからか、先生の顔色は平時のものに戻っており、穏やかな笑みを浮かべている。

「ううん。こっちこそ、いつもありがとう。こんなすごい子に乗せてもらっているんだもの。それくらいしないと、罰が当たるよ」

 先生の言葉にフウカは顔を紅潮させるも、迷いなく首肯した。

「ジョーはすごい子ですから」

「そうだね。力強さもさることながら、こんなに賢いんだもの。エデン条約の時も助けてもらったしね。そういえば、あの鞍と手綱はエンジニア部に作ってもらったんだっけ。私も頼めば特注で作ってくれないかなぁ」

 先生のミレニアムという言葉に、フウカはそのときのことを思い出し、どっと疲れがぶり返して肩が重くなる。

「あ、あれ。フウカ、どうしたの。なんかすごい顔だよ」

「気にしないでください。それよりも先生は仕事の方、大丈夫なんですか」

 フウカが訊ねると、先生は「うっ」と小さくうめき声を漏らし、顔色を悪くする。

「終わらないんだよね。一つ片付けると二つ追加されて」

「仕事ってそういうものですよ」

 断じて違う。作業量を上回る仕事をしているのは、このキヴォトスでも一部だけだ。特にこのゲヘナでは真面目な生徒(ヒナやフウカ)くらいなものだ。その証拠にまだ騒いでいるマコトは、ほとんどの作業を風紀委員に押しつけて、イブキと遊んでばかりの日々を送っている。まるでとある童話(アリとキリギリス)みたいだが、アリに報われる気配がないというのが現実のやるせなさだ。

「じゃあ、そろそろ仕事に戻るね」

「ええ。私もここで」

 さっきまでの元気はどこへやら。先生は肩を落とし足取り重くシャーレへの帰路につく。それを見送ったフウカは三角巾を締め直す。

「ジュリ、明日の仕込みをしましょう」

 万魔殿とヒナの言い争い、というよりも一方的な言いがかりを前にあたふたしているジュリを呼ぶ。彼女は戸惑うように喧噪を見やるが、下手に冷や水をぶっかけようなものならますます燃えさかるばかりとわかったのか、フウカの元へ小走りで走っていく。

 校舎に入る頃でも後ろは騒がしかったが、ヒナならば問題なくあしらえるだろう。フウカはそう考え、自らの仕事をこなすためにも振り返ることなくその場を後にした。

 

 突っかかってくるマコトからようやく解放されたヒナは、グラウンドの片隅にある、座面の板が数枚しか残っていないほどボロボロにされたベンチに腰掛けた。もうすでに慣れきっている嫌がらせの一環とはいえ、無駄な時間の浪費にどうしても気疲れしてしまう。

 肘をつきため息をこぼすと影が差した。頭を上げれば、ニュウ、とイビルジョーが覗きこんできた。

 ほとんどの人はその恐ろしい形相や鋭い牙に度肝を抜かれひっくり返るだろう。しかしヒナは目を細め優しげに微笑むと、頬あたりをさすった。

「心配してくれるのね。ありがとう。でも大丈夫」

 重々しい低音のうなり声がする。イビルジョーはヒナを真っ正面から見ていた。まるで嘘をつくなと叱っているようだ。ヒナはどこか居心地が悪くなり、身体を揺すった。

「本当よ。……ごめんなさい。嘘」

 イビルジョーを納得させるために重ねた言葉だが、まっすぐに見つめてくる目に、とうとうヒナが折れた。もし他の風紀委員や先生の前であれば、それでも決して口には出さなかったであろう彼女の本音を漏らす。隠していた気持ちを吐き出したことで感情の堰が切れたのか、彼女は顔を覆い隠す。

「馬鹿マコトも、頭の悪いゲヘナ生も皆嫌い。どうしてそんなに自分勝手なの。他の人の迷惑を考えられないの。私は日がな一日日向ぼっこをして過ごしたいのに」

 風紀委員長として日夜ゲヘナの問題児を相手にしているヒナだからこその言葉だ。

「あいつらにフウカの爪の垢でも煎じて飲ませたいわ」

 叫んでいるうちに感情が高ぶってきたのか、涙がこぼれ落ちる。

 ズシズシと地面が揺れる。手を外せば、いつの間にか、イビルジョーが丸くなってヒナの周囲を覆っていた。

「あなた……もしかして守ってくれているの」

 ヒナの問いに首肯するように短いうなり声が轟く。クスリと笑いがヒナの口からこぼれる。

「私これでもゲヘナで一番、いいえ、人によってはキヴォトスで一番強いって膾炙されているのよ。それでもあなたからすれば、私すらも文字通り雛でしかないのね」

 イビルジョーの体にしなだれかかる。堅固な鱗のすべすべとした触感が心地よい。

「でもね、あなた。もうすでに私は助けてもらっているのよ。知っているかしら。ゲヘナの問題児ども、あなたのことを怖がって、最近少し大人しいの。風紀委員の活動もおかげで少し減ってね。一時間くらい長く眠れるようになったの。全部あなたのおかげよ」

 どんなに賢いといえ、相手は動物。ヒナの言葉などわからないだろう。現にイビルジョーは不思議そうにヒナを見つめている。ヒナはただ微笑み返すと目をつむった。イビルジョーの高い体温が、ゲヘナ生(70度の風呂にも入れる)である彼女には丁度よく、いつしかすやすやと寝息を立てていた。

 普段のゲヘナならば激しい銃撃戦のせいでこうしてヒナが身を休めるなどできないだろう。しかし今はイビルジョーがいるおかげで、怖がったゲヘナ生がこの場から離れるか大人しくしているので彼女の安息が守られる。

 小鳥の鳴き声がどこからか響く。穏やかな風がそよぎ、野花のほのかな香りが届く。

 丸くなったイビルジョーも日差しをたっぷり受け、うとうと船をこぎ始める。ゲヘナとは到底思えない平穏な光景だ。

「ヒナ委員長、どこですかっ」

 だというのにギャンギャンと甲高い叫び声が響いた。

「ちょ、落ち着きなよ、アコちゃん」

「これが落ち着いていられますかっ。あの怪物がいるのですよ。委員長がやられるなんて考えられませんが、それでも万が一があったら」

「その怪物を刺激するから声を抑えて……」

 イビルジョーが顔を持ち上げる。恐ろしげな形相がどこか不機嫌そうなのは気のせいだろうか。

「アコね。行かないと」

 いつの間にか起きていたヒナが、イビルジョーの囲いからすり抜けて出ていく。

 アコの声がする方へ向かっていたが、途中でヒナは足を止め振り返った。怪訝そうに彼女を見つめているイビルジョーへ近づくと、再び優しい手つきで顔を撫でる。

「あなたには助けてもらってばっかりね。だからもしあなたが困ったことになったらそのときは私が助けるわ。今度こそまたね」

 グラウンドに一匹になったイビルジョーは、しばらくヒナが去っていった方を見つめていたが、ふと横になると、眠りについた。




この世界戦のヒナは、先生だけでなくイビルジョーにも吐き出せるので、精神的には原作より良好です。
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