生まれは、王都の裏路地。
五歳で、父さんが蒸発した。
八歳で、酒に溺れた母さんが兄さんを殺した。
九歳で、襲ってきた母さんを殺した。
十歳で、姉さんが行方知れずになった。
十三歳で、浪人の女に拾われて剣を学んだ。
それからは、女と共に何でも屋をした。
冒険者の仕事に加え、殺しまで。本当に何でもした。
そして、十六歳になった年のある日。
その日は雨が降っていた。どんよりとした空は暗く、昼だろうと暗い仕事をするには絶好の空模様だった。
仕事の内容は、王都貴族の暗殺。
依頼人は貴族政の席を狙う下流貴族。
舞踏会に参加するため外出したところを狙う、という作戦で、浪人の女と共に下流貴族の雇った暗殺者らと共にその道中へ奇襲を仕掛けた………が。
どうやら、この仕事は罠だったらしい。
暗殺者らの正体は王国騎士や冒険者であり、王国内で何でも屋として厄介視されていた俺たちを捕えるのが目的だったらしい。
『それじゃ、あとはよろしく♡』
クソ女は俺を囮に姿を眩ませた。
俺は取り囲まれ、冒険者の数人を斬り殺したものの、流石は王国の守護を目的とした騎士団と言うべきか。騎士どもに手間取っている間に増援として現れた騎士団長に敗北、手酷い傷を負わされた挙げ句に投獄。
クソ女に思うところなどないので情報は全て吐いて、死刑のところを無期限の牢入りに減刑となった。
牢の中はというと、割と悪くはない。
寝床も食事も、質こそ悪いが用意される。それだけで昔の生活よりはずっと楽だ。思い残すことがあるなら弟と妹が心配だが、あいつらは俺よりずっと賢い。
金の入りがなくとも、どうにかやっていけるだろう。
それに、いざとなれば脱走すればいい。
牢の管理は粗雑だ。衛兵もやる気がないのか、たまに俺や他の囚人とも談笑を交わしたりしている。そして俺にされているのは両腕の枷のみだ。
やろうと思えばどうとでもなる。
そうして、二年。
いつものように天井を眺めていると、珍しく、牢へと来客がやって来た。来客、といっても囚人ではなく、時折囚人を連れてくる騎士団でもないようだ。
やって来たのは、一人の女。
かなり若い。同い年か、それか少し年上くらいか?
長い金髪、それに青い瞳。
見目も良い。奴隷商に見せればさぞ高値が付くだろう整った容姿だ。具体的に言うと金貨20枚くらい。
少女の現れに、衛兵や囚人たちは驚きの声を漏らす。そして、その後ろに続いていた者たちに、俺を含めたその場の全員が言葉を失った。
「空気の悪い場所です。
あまり長居はされませぬよう」
その悪い空気が、一気に静寂に包まれる声音。
しゃがれたそれは、だが力強く、威圧感すらあった。纏うのは騎士団の服、だが、かなり古いものであり、通常の青を基調としたものと違い、男は黒い騎士服に上から白いマントを羽織っている。明らかに、騎士の連中とは雰囲気が違う。
それに加えて一人、若い騎士も同伴している。
「……はい」
その雰囲気に気圧されてか、現れた彼女は少しばかり引きつった愛想笑いを浮かべて返事をする。
衛兵たちは彼女らが牢の廊下へ入ると同時に、一斉に足を揃えて腕を胸に添え、敬礼する。それに男は目を向け、静かに頷く。
「ご苦労。
今回は国王陛下の許可を得た特例である。
この者に、囚人たちの選別をさせてもらう」
「よ、よろしくお願いします」
男の目配せに、少女は肩を上げて言う。
自信無さげだ。それにこちらは囚人である。わざわざ『よろしくお願いします』なんて言うとは……
余程の世間知らずなのだろうか。どこかの高貴な身……いや、それはない。彼女の纏う服装は貴族というより旅服に近い。自身を飾るより、動きやすさを重視した服装だ。だが新品らしく、使い古された感じはない。
新人の冒険者……だろうか。
いや、そんな身分で国王の許可まで貰って牢に来る、そんな必要性はないハズだ。少なくとも騎士の一人に許可さえ貰えばそれで良いだろう、そしてそれに加え〝選別〟と来た。一体何の選別だ……?
実は彼女は見習いの処刑人で、そこ処刑の練習にでもされるのだろうか。ざわめき立つ囚人らの中で、その少女をじっと見つめる。
「…………」
「……?」
そうして観察していると、彼女の目が合う。
彼女は『へ?』という顔で、こてん、と首を傾げる。どことなく小動物らしさを感じる仕草とアホ面。何を考えているのか分から……何も考えてなさそうだな。
「なんか……馬鹿にされた気がする」
「罪人ならば野蛮な者も多いでしょう」
「むう……」
割と鋭いようだ。
本当に処刑でもされたら面倒なので、ここらで詮索は止めておくことした。目を閉じ、再度天井へと視線を移す。面倒事は避けるに越したことはない。
……ないのだ、が。
足音は真っ直ぐに、こちらに向かってくる。
「ねえ」
「………なんだ」
声をかけられる。
返事には躊躇するが、騎士二人の同伴もある。彼女に対して余りにも不躾ならば何をされるか分からない。ということで、適当な返事と共に視線を向ける。
少女は鉄格子の前で屈み、俺と視線を合わせてくる。
「………」
「………」
「なんとか言え」
「あっ、ごめん」
無言の睨めっこに耐えきれずに苦言を呈すと、彼女は慌てたように頬を引き吊らせる。なんなんだこいつ。そして目を泳がせる彼女に、溜め息。
この気まずそうな顔はあれか、切り出そうとした話を忘れてしまった、みたいな。
「え、えーっとぉ……」
「何の用だ。まずはそこだろ」
「あ、あぁ……そ、そっか、うん。
そのぉ……私と一緒に旅をして欲しいなー……って」
「は?」
何を言っているんだ、この小娘は?
明らかに世俗を知らなさそうな癖に、人殺しの囚人、それも男に対して『一緒に旅をしてほしい』とは。
馬鹿を通り越して憐れにすら感じる。余りに危機感が無さすぎる。いや、何かの罠か……?
「旅っていうか……巡礼?なんだけど……」
「………」
巡礼、というと大陸中にある七つの神殿を巡ること。だとすれば、この女は教会の関係者だろうか。しかし教会の貴人なら教会騎士が付き人として巡るはずだ。見た感じ、修道女や聖女というような雰囲気もない。もしそうならば十字架やらの装飾があるだろう。
やはり腑に落ちないのは、この女の素性だ。
どうせこうして向かい合う羽目になったのだし、多少詮索しても咎められることはないだろう。興味がない訳じゃなし、こんな牢にいては刺激も欲しくなる。
「そうか。何のために?」
「な、何のため……?
えー……強いて言うなら……世界のため……?」
「…………」
「あっいや、待って!?
今のナシ!だからその目やめて!?」
頭がおかしいのか。可哀想に。
俺と同い年くらいでこうも狂ってしまっているか…
きっと辛い環境で、頭がイカれてしまったのだろう。
「辛いことがあるなら聞くくらいは出来るぞ。
口に出せば少しは楽になることもあるだろ」
「憐れまれてる!
違っ、そ、そうじゃなくて………!」
「ん゛んっ!!」
と、そこで。
いつの間にか少女の後ろに並び立っていた二人の男、その内の騎士の咳払いに、俺たちは会話を中断する。そして、あの威圧感のある男が一歩、前に出た。
それに、少女はびくりと肩を震わせて硬直する。
「少し、失礼。話を簡潔に纏めさせて貰っても?」
「は、はひ……ごめんなさい……」
「………」
男は俺を見下ろす。
冷たい視線。道端の物乞いを見るかのような、冷徹なそれは、だが確かな、敵意にも似たものがあった。
俺がその正体に気付くよりも早く、男は口を開く。
「この者の素性は諸事情あり、
今この場で明かすことは出来ない。
だが〝選別〟は終わった……ということでしょう」
「は、はい」
少女は男の目配せに、こくり、と頷く。
それに素性を明かせない、ときたか。どうやら本当に何らかの貴人である可能性が出てきた。それも、ただ貴族や王族ですらないようなものらしい。明かせない理由は恐らくそこにある。
そうして頭を働かせる俺に対して、その男は唐突に、とんでもないことを口にした。
「この者によって〝選別〟された者は、
今この時を以て、
「!?」
俺が目を見開くと同時に、牢が一気にざわめき立つ。当然だ。もしもそんなことがあったとすれば、囚人が世に解き放たれるも同然。下手をすれば、この王国を揺るがしかねない事態だ。
それに、そんなことを可能にするこの少女の素性だ。紛れもなくそれは、王族以上の存在である証左。
王ですら法の対象となる現政で、それすら押し退ける決定権を持つ存在。そして、それを王に認可させた。
王は、国は、この少女に何を望んでいる……?
「待て!! 今からでも遅くはねぇだろ!!
オレを選べ!! なんでもしてやるからよ!!」
「!」
「オレも、オレなら盗みでも殺しでも
なんだってしてやる!! ここから出せ!!」
「ふざけんじゃねぇ、不公平だろそりゃあ!!」
………こうも、なろう。
ざわめきは急激に大きくなる。牢に響き渡る喚き声は瞬く間に広がる。件の少女はそれに怯えるように顔を引き吊らせ、若い騎士は静かに目を伏せる。
男はその視線を、俺の右隣の牢へ。
そして、次の瞬間。
「ぎっ」
一陣の風が吹き荒れると共に、短い音が響いた。
「……!」
耳鳴りにも似た、高い音。
そして広がるのは、静寂と、強い鉄錆の臭い。
牢の廊下、その壁に。
どろりとした赤が、飛び散っていた。
「身を、弁えることだ」
ただ一言。
それだけで誰がそれを成したのかを、物語っていた。
男はただ動かず、視線を向けただけ。
それだけで牢の中にいる囚人の喚き声を、とても短い断末魔と血潮へと変えたのだ。その腰にある剣は一切触れられていない、恐らくは魔術だが、とんでもない精度と出力だ。先の高音、見えはしないが恐らく牢の鉄格子ごと中の囚人を両断している。
静まり返る牢の中で、男は静かに目を閉じた。
「重ねて、失礼。話を続けても」
「っ…………っは、はい…っ…」
少女は完全に萎縮していた。
放たれた言葉が、自分に向いているという事実にすら気付くのに遅れるほどに。その顔は青ざめ、隣の牢へ向けていた視線の感情は、悲壮そのものだ。
「選別された者はこの者へ従僕の誓約を。
誓約の内容は、主への悪意を持った行動の禁止。
そして主の命令は絶対に遵守すること、
最後に、王国への反逆行為の禁止である」
「…………」
気を、取り直す。
誓約の内容は、想定通りと言うべきか。特に、最後の誓約内容から察せられるが、恐らく王家はこの少女を利用するつもりだろう。権力か戦力かはまだ定かではないが、それだけは確実だ。
そうなれば、誓約方法は噂のアレだろう。
「誓約は、契約魔術を以て行う。
つまり誓約は絶対、破ることは死を意味する」
やはり、か。
契約魔術、北東の地に普及する呪術、そして東の地で魂術と呼ばれる特殊な魔術を用いたものだ。魂を縛るそれらの複合魔術は、特定の行程を踏むことで対象を即死させることが出来るという。王国の魔術師どもがそういう研究をしている、というのは知っていたが、既に実用化されていたとは驚きだ。
そして、従僕の誓約。
男は腰に差した剣の柄に手を置き、横に立つ騎士へと目を向ける。その騎士はそれに頷くと、懐から牢屋の鍵束を取り出して、そのうちの一つを俺の牢の鍵穴へ挿し、鍵を開けてしまう。
「………選別に拒否権はない。が、
妙な動きを見せればすぐにでも処断する」
「アレを見せられてそれを出来る奴がいるか?」
「理解しているなら良い。
腕枷も外して構わん、私が責を持つ」
「は」
俺は立ち上がり、牢に入ってきた騎士に腕枷を出す。
そこで、気が付く。
「………お前」
「(話は後で。今は不味い)」
「…………」
まさかとは思ったが、そういうことか。
鍵が外され、そいつは腕枷を取る。俺にだけ届く声、だが俺の反応に、後ろの男が反応する。目ざといな。
「どうした」
「いえ……いや、見知った顔でして。
少々、複雑な気分で」
「そうか。話す機会は後である。今は集中しろ」
「良いのですか?」
「構わん。罪が無効とされる以上、
元罪人とはいえ、民を縛る権限は私にはない」
「………ありがたく」
………巧いな。
話術を教えたことはあったが、こうも使いこなすとは流石というべきか。騎士はその男に軽く頭を下げて、牢の外へと出ていく。俺もそれに続き、牢から出た。
それを見届けて、男は衛兵に視線を向ける。
「死体の処理は私が依頼する。職務を続けるよう」
「は、はっ!」
「それと、喚く者がいるようなら私が出向く。
伝達は騎士団の庁舎に頼む」
「ありがとうございます!
近衛士長閣下もお気をつけて!」
「あぁ」
衛兵たちが敬礼し、男はそれに頷きを返す。
近衛士長……国王直属の護衛部隊、その隊長だ。
地位としては貴族や大臣よりも更に上。一応は騎士、という扱いでもあるが、やはりその立場は最上位だ。ただの騎士や兵士とも違うとは思ったが、そこまでの地位と強さを持っていたとは。それだけの男が、この少女の案内のためだけに動いている事態も異常だが。
近衛士長は俺たちへ視線を向ける。
正確には、あの少女へ、だ。
「契約魔術の使える魔術師を、
騎士団庁舎の二階に待機させています。
まずはそこへ」
「は、はい」
そして、近衛士長の視線がこちらへ。
これはアレか。無駄な抵抗はするなというやつか。
「………」
「そう睨まなくても分かってる。三対一、
それに実力の差が分からないワケじゃない」
「賢明だな」
「それほどでも」
正直、奇襲も逃亡も可能性は見えない。
人質を取ろうとも無駄なことだろう。まぁ、騎士にも考えがあるだろうし、なるようになる。それに、この少女にも興味が出てきたことだ。
「では、ついてくるように」
そうして男の後ろに続いて、牢を出る階段へ。
後ろからの視線が痛いが、気にしないことにした。
─────────
───────
騎士団の庁舎は、地下牢から直通になっている。
正確には、騎士団庁舎に地下牢がある、といった方がいいだろう。簡易的な捕縛から尋問、そこから直接で牢に入れられ、更に管理面でも騎士団の目がある。
そこから更に階段を上り、騎士団庁舎の二階へ。
道中ちらちらと少女の視線が向かってくるが、それを無視して階段を上がる。特に会話はなく、近衛士長の騎士の連中への指示があるくらいだろうか。
そして、二階の一室に案内される。
部屋の中は応接室、というような場所で、机を挟んで横になれそうなほど大きなふかふかの椅子がある。
そして、そこには。
「……!」
「待たせたか」
「いえ、私も準備を終えたところです。閣下」
またもや、そこにいたのは見知った顔。
何から何まで計算されていたらしい。横にいる騎士に視線を向けると、そいつも静かに頷く。まさかこんなところに忍び込んでいたとは、驚きだった。
……そこにいたのは、大きな帽子を被った黒髪の女だ。俺よりも若く、そいつもまた少女と呼ぶべき年齢。
纏う紺色のローブは、王国所属の魔術師の証だ。
「……え、私より年下……?」
「えぇ、恐らく。
アレンシアです。よろしくお願いしますね」
「あ、よ、よろしく」
「王国魔術師の、その最年少。
その歳で腕前も相当なものと聞く」
「いえいえ、それほどでも」
アレンシアはニコニコと笑顔を浮かべながら、騎士と俺に目を合わせ、僅かに頷く。そして立て掛けていた杖を手に取り、向かいの椅子へ手を向ける。
「早速、始めましょうか。
お二人はお座り下さい。あ、貴方はこちら側へ」
「分かった」
アレンシアの言葉通り、彼女の方の椅子に座る。
その向かい側に、おどおどした少女が座った。表情が硬い。頬が引き吊り、緊張が丸分かりだ。その後ろで近衛士長と騎士がこちらを監視する。
「それでは、お二人は手を。
契約魔術での従僕の誓約は血を使います。
にい……貴方、少し指先を切らせて頂いても?」
「……あ、あぁ」
ボロが出かかってるが大丈夫なのだろうかこいつは。短刀を取り出したアレンシアに手を差し出せば、刃が指先に触れ、そして痛みもなく指の皮を裂く。赤血の塊が風船のように膨れて、そしてそれは、短刀の腹に掬われていった。
「では、手を」
「あ、はい……」
アレンシアの呼び掛けに、少女は手を差し出す。その頬は更に引き吊っている。そろそろ引き吊った表情が戻らなくなりそうだ。というか、そんな顔にもなって当然だろう。殺し合いをしているならともかく、血を差し出されて嫌悪感を覚えない者はいないだろう。
それを知ってか知らずか、アレンシアは遠慮なく血を少女の手のひらに垂らした。じわりと広がるそれに、表情は更に固くなる。
「う……」
「手を重ねて下さい、術を始めます」
「は、はい……」
「………」
不憫なものだ。俺は黙って差し出された手に、自分の手を重ねる。血と肌の生暖かさが生々しく、こちらもあまり長くこうしていたくはない。アレンシアに目を向けると、彼女は杖を重ねた手に乗せ、目を閉じる。
すると。
「……わ」
驚きの声を漏らしたのは、少女だ。
重ねた手から、赤い光を放つ輪が広がる。
魔術を見るのは一度や二度ではないが、もっぱら炎や氷を出す魔術であり、こういったものは初めて見た。それは少しずつ小さくなっていき、そして俺の腕へと向かってくる。
そしてそれは俺の腕に嵌まるように止まり、ジリ、と皮膚を焼かれるのに似た痛みが走る。瞬間、赤い光の粒子を放ち、光の輪は消え去った。そして、それらを見届けて再び腕へ視線を戻すと。
「………これは」
焼印を入れられたかのように、その腕に赤黒い紋様が刻まれていた。それは今も、ジリジリと焼ける痛みを発して、そして若干の、窮屈さに似たものを感じる。
成程、従僕の誓約。
犬を縛る鎖の役目を果たすのが、これというワケだ。
「……契約魔術はこれで完了です。
さて、誓約内容の確認ですが……改めて。
一つ、主への悪意ある行為の禁止。
二つ、主の命令は絶対に守ること。
三つ、王国への反逆行為の禁止………ですね?」
「その通りだ」
アレンシアの言葉と視線に、近衛士長が頷く。
面倒ではあるが、今は我慢するしかあるまい。
「そして従僕の誓約ですが……
失礼ですが、身分を教えて頂いても?」
「え、身分? えぇっと……へ、平民?」
「……………王国民にあたる身分ですね。
従僕の誓約の使用にあたっての王国魔術法、
また身分法における改正がありまして………
そう、なると………」
「……妥当ではあるが、そうなるか」
「……………」
「えっ? ど、どうなるの?」
アレンシアの視線が、苦い表情と共に向けられる。
それに続いて近衛士長が頷き、また騎士は押し黙り、少女はそれらに気づき、困惑の顔をこちらに向ける。
流れる個人個人の沈黙が妙に恐ろしい。
「ん?」
当然、俺は王国法なぞ知らんので嫌な予感と疑問符を浮かべ、同じく分かっていないであろう少女もまた、俺と共に、アレンシアへ顔を向ける。
「………その、従僕の誓約による
従僕側の身分は元の身分に関係なく、
主である者の一つ下の身分となります………」
「「えっ」」
声が重なった。
王国民、それより下の身分となれ、ば………
「その……非王国民……
従僕という言葉から表現するなら……」
まさか。
「〝奴隷〟という、身分に、なります………」
──────
─────────
後に、アレンシアから聞いたが。
この王国での身分は、王国側で管理されている。
生まれた時点で申請がされているのならば、その親と同じ身分となる。だが、申請がされず、王国の路地に捨て置かれたような子供は、身分無しという扱いだ。
この身分無しは王国にいない者という扱いだとか。
とはいえ、その扱いは王国所属の仕事、王城勤めや、王国騎士、王国魔術師といった仕事に就けないくらいであり、他の身分を確認しない多くの職には就ける。
それよりも低い身分であるのが、重罪人と奴隷だ。
人殺しなどの罪に問われた者が重罪人として扱われ、またそれと同じ、場合によって、それ以上にも以下の扱いとなることもあるのが〝奴隷〟という身分。
まだ重罪人には最低限の人権があり、現に囚人らにも食事が提供されている。それに対して奴隷は、全てが主に依存する。人の扱いをされることもあれば、また道具同然、怪物の活き餌にされることもあるという。
だが、奴隷は王国の身分法によって定められており、例外を除き王族や貴族以外は所有を認められず、また奴隷を売買するための奴隷商も王国に認められたもののみが経営されている。無論、非認可の奴隷商も多く俺が知るのはそちらの方が多い。
簡単に云えば、人権のない存在だ。
「主があの女の子だったのは
それなりに幸運だったんじゃない?」
風が吹く、王国城下の公園。
背後から聞こえた声に振り返ると、あの近衛士長らと共にいた騎士がいた。その手には鞘に収められた剣が握られており、そいつはそれをこちらへ投げ渡す。
それを片手で受け取ると、俺は息をついた。
「なんだこれは」
「牢から出れたお祝いかな。
それと、これから苦労することへの先払い」
その言葉に、頬が緩む。嬉しいこともあるものだ。
昔はこちらが与えてばかりだったのに、贈り物とは。
「お前が俺にお祝いとはな」
「いつまでも小さい子供のままじゃないってこと。
それに、僕だけじゃなくてシアからもね。
王国にある土竜族の鍛冶屋に特注したんだ」
「へえ……」
そう言われ、受け取った剣に目をやる。
装飾のない金の柄に、獣革が巻かれている。鞘もまた小綺麗な黒革のものだ。それは刀身が長めの剣であり昔使っていたものと似通ったところもある。
また鞘には唾を固定する二本のベルトがあり、それが鞘から抜刀出来ないようにしていた。
そしてまず感じたのは、その重さ。
剣としての重さは確かにありつつも、その重さは今に至るまで握ってきた剣よりもかなり軽量な方ではあるが、どうやら重さが剣の根元に集中しているらしい。
長刀は折れやすい。その対策だろうが、慣れるのには時間が要りそうだ。
「………」
ベルトの留め具を外し、刀を抜く。
そのただ一目で、良い剣だというのが分かる名刀だ。特に特筆すべきことはないが、美しく曇りない刀身はまるで鏡のようにこちらの瞳を映す。
そうして、その刀を両手に握る。
「ふっ……!」
刀を横に振るう。
腕が持っていかれる、なんてことはない。だが重さが刀身の根元に集中しているからといい、ただ遠心力で振り回すものでもない。的確に、確実に、真っ直ぐに振り抜き、そして腰を落としながら、その刀を下段に持っていく、斬り上げの構え。
「はっ!」
浅い踏み込みと同時に、滑らかに刀を振り上げる。
水が流れるような、自然さで。
そうしてその流れのままに、一息に鞘に納める。
音もなく刀身の全てを隠した刀は、静かにその流れを止め、同時に俺も、大きく息を吐いた。つかれる。
「……お見事」
「茶化すな」
「茶化してなんかないよ。
………本当に、剣を振ってたんだなって」
「はっ」
その複雑そうな表情を、俺は鼻で笑う。
そんな顔をして欲しくなんて、なかったから。
「そういえば、お前らに見せたことはなかったな。
本当なら剣なんて握らせたくはなかったんだが」
「それに関しては僕が選んだ道だからね。
あんなこともあったし、騎士は嫌い?」
「別に。やるべきことをやってただけだ」
あんなこと、というのは俺が捕まった事件だろう。
それに関しては仕事をしただけだ。騎士や冒険者も、勿論、俺も。だからこそ、死ぬことがある仕事だけはこいつらにはさせたくなかったんだが。
……だが、まぁ。
「応援している。
お前たちは、お前たち自身の道を進め。
俺のようになるなよ」
「なるよ。兄さんみたいな優しい人にね」
言葉を返したのは、騎士になったそいつではない。
その声の方を向けば、いつの間にか、アレンシアがそこに立っていた。
「シア、遅い」
「うるさーい、王国魔術師は忙しいの。
レス兄も兄さんも使えない魔術で
あそこまで成り上がれたのも奇跡だし、
もっと私を敬うべきだと思うんだけどなあ?」
「弟に妹に……勢揃いだな。
やっぱりお前たちの共謀だったか」
その言葉に、二人…弟と妹は、ムッとした顔をする。
弟、アルバレスは騎士に。
妹、アレンシアは魔術師に。
それぞれ、まさか王国勤めになっているとは。
「共謀ってのは人聞き悪いね……
間違っちゃいないんだけど」
「世間知らずの女の子に人殺しの罪人を
紹介しちゃうのはどう考えても悪いことでしょ」
「シア…!」
「なーによ、間違ったこと言ってないしー」
「事実だ。そう怒るな、レス。
久しぶりに揃ったんだ、喧嘩はやめろ」
「くっ……」「はーい」
昔から喧嘩ばかりなのは変わらないか。
二人とも背が伸びた。血の繋がりはないが、こうして揃うとこの騒がしさも懐かしくなる。ボロボロになりひどぬ痩せ細って震えていた頃の二人を思い出せば、二人とも肉付きも身なりも本当に良くなった。
この状況を思えば、仕事の金をこの二人に注ぎ込んだ甲斐もあったというものだ。
「まぁなんだ、レスが誘導したのか?」
「そういうこと。
あの子も中々の境遇でね、そこに付け入った。
同世代の優しい人が牢に囚われてる、ってね」
「くすくす、ひどーい」
「それで、シア。お前は……」
「私の役割は術の緩和。
流石に近衛士長サマの前で妙なことは出来ないし、
誓約を破ったとしても多少痛むのと、
身体が重くなるくらいにまでは緩和しといたよ」
「助かる。凄いな、お前たち」
「そうでしょー?
ま、このためだけに出世したんだから当然ね」
そうとなればさっさと国を抜け出してからあの少女を殺してしまうか? いや、まずはそれよりも、だ。
「お前たち、あの女の素性と、
俺を牢から出せたことについてだが……」
「あぁ、兄さんは知らないんだっけ。
それに関しては……本人から聞いた方がいい」
「私もそう思う。きっと放っておけなくなるよ」
「……」
放っておけなくなる……か。
そんなにお人好しのつもりはないが。レスの言った、『中々の境遇』というのも気になる……
まぁ、話くらいはしてもいいか。………に、しても。
「お前たち、メシはちゃんと食べてるか」
「「心配されなくても食べてるよ!」」
「ならいいが」
「兄さん、いつもそれ言ってたよねー……
私たちにご飯持ってきて、自分だけなし。
なんてこともあったし」
「なんだかんだ兄さんも変わらなくて安心……
いや寧ろ心配だな……兄さんこそ食べなよ?
前より細くなってない?」
「牢の食事は全部摂っていたぞ」
「あれ、今日お昼は?」
「別に一度食えば三日くらい良いだろ」
「僕、兄さんに食事が三食行くよう
ちゃんと根回ししてたんだけどなあ………」
……………
公園から少し歩けば、小さな教会がある。
俺は騎士と魔術師の監視、という、こちらからすれば無意味な条件で、短期間の自由行動が許されていた。そしてそれが終わればそこの教会で待っている、とのことで、俺はそこへ向かうことに。
教会はあまり好きではない。
というか、神なんぞ信じる連中が嫌いだ。
教会の前で立ち止まる。
どうしようもない、忌避感があったから。
そして。
『きっと放っておけなくなるよ』
シアの言葉が、耳に残っている。
『………』
あの少女の顔が、目に焼きついている。
酷い顔で笑う、あの少女の顔が。
あの目を知っている。
何かに絶望して、何もかもを諦めた目。
それでも、表情だけでも笑うのは、辛いだけ。
そんなことは、あの少女も理解しているはずだ。
何かあったのだろう。
それも、ひどく悲惨な何かが。
「………うんざりだな」
そんな言葉を吐く。
言葉で何かが変わる筈もなくて、だからそれは、ただ諦めと、それを否定したいだけだった。
同情。あとは、憐憫。
俺が今あの少女に向けているのは、それだった。
それでも何故か、何か……別のものも、感じていて。
それが何かは、分からない。
それが何かを知りたい、なんて無意味な好奇心だけで動いている。どうせやることもないのだと、そうして自分を強がらせて。
知りたくもないだろうことを、知ろうとしている。
「………行くかあ」
まぁ、まぁ。
どうでもいいか。
なるようになるさ。
頭をカラにして、自分を納得させる。
そうして扉に手を伸ばして、教会の扉を開けた。
並ぶ長椅子の数々。その中央に、入口から真っ直ぐに伸びる絨毯の、一番奥。赤子を抱いた青銅の女神像の手前に、彼女はいた。
片膝をついて両手を組んだ、祈りの姿勢。
金色の髪が揺れて、空のような青の視線がこちらへと移る。そして立ち上がると同時に、それは眩しさにか細められ、その目尻がゆっくりと下がる。
優しい、無防備な微笑みだった。
……一見すれば何も考えていないようでも。
どこか、影が差すような笑顔だった。
「信心深いんだな」
そう、嫌味ったらしく、皮肉っぽく言う。
教会という場所であることへの、八つ当たりだった。我ながら醜いな、と思いつつ彼女の表情を伺う。
だが、彼女はきょとん、とした顔をして。
「……いやぁ、実はそうでもないっていうかぁ……」
気まずそうな顔で、空色の視線を泳がせた。
そして、こほん、とわざとらしい咳払い。
「って……まずは、自己紹介だよね。
貴方の名前は、アレンシアさんから聞いてるから」
そう言って、彼女は右手の手袋を外す。
そこには、静かに光を放つ模様……
伝承や伝説。お伽噺にすら聞く、それは………
「私はアリア。
何の変哲もない、聖痕の勇者です。
よろしくお願いします、シグさん」
巡礼により世界を救済する、英雄の証だった。