始めは、信じられなかった。
聖痕の勇者など、実在すら疑われる伝承やお伽噺だ。だがそれが、目の前にいる少女がそれなのだと言う。馬鹿馬鹿しい、というよりも、信じられなかった。
だが、だがもし、本当にそうなのだとすれば。
国がこのアリアという少女に、巡礼を命じたのなら、これまでの話にも辻褄が合ってしまう。王国も王も、聖痕の勇者の存在を認めきれていない。そして巡礼を成し遂げ、本当に〝救済〟が起こるとするのなら……
分かってきた、気がする。
「あっ、もしかして信じてない?」
「いや、あー……あぁ」
「なにその微妙な反応」
「信じろって方が無理だろう」
「確かに……」
…………本当にこれが聖痕の勇者とやらなのか?
しかしあの手の甲にあるのは焼き印ではなく、確かに刻まれているものだ。紋章が淡光を放っている辺りもとても偽物には見えない。
………頭を掻き、思考を切り替える。
予想だが、取り敢えず聞いてみなければ。
「……あんたのことを信じきれない国が
罪人を一人、巡礼に連れ出していいと言った。
それで選ばれたのが……」
「お、話が早い。大体そんな感じかな。
そりゃそうだよね。私、この前までは
本当にただの田舎者だったもん」
「…………困ったもんだな」
「だよねー」
へらへらと笑う彼女も、実感などないのだろう。
それに、この前までは、ということは後天的なもの。それもまた王や国が彼女を信じきれない理由の一つ。もしも生まれたときからあるのなら、まず間違いなく教会が保護するだろう。
「……それで、巡礼だけど手伝ってくれる?」
「俺に拒否権はない。主はお前だ」
「あ、そっか。
その口調のせいで忘れちゃってた」
「こっちが素でな」
「ならそのままでもいいよ」
………まぁ、奴隷は貴族が道楽で買うものだ。
その扱いを知らないのもおかしくはないだろう。とはいえ、流石に主に対して敬語もないようでは主の品性を疑われる。そこを甘える訳にはいかない。奴隷として……
………………いや、奴隷という立場として動くためにだ。
彼女の言葉には、首を横に振っておく。
「いや、敬語の方がいいだろう」
「え、や、やっぱりそう?」
「俺は奴隷だから……
んん゛っ、私めは奴隷という立場ですから」
「お、おぉ……じゃあ、それで」
押しに弱すぎないか?
にこにこ笑ってるが奴隷の主がこれでいいのか。それ以前にこいつは世界を救う勇者なのだが………
この世界、本当に大丈夫だろうか。
………溜め息。
名前は知っているようだが、一応は名乗らなければ。
「………改めて、シグと申します。
我が主が仰るのなら、肉盾でも囮でも。
どうぞ好きなようにお使いください」
「いやいや、そんなことしないって」
「奴隷はそういうものです」
「……そうかもしれないけどさぁ~……」
息をつく。
随分とお人好し、それに加えてそれを貫こうとして、だがしかし、意思は弱い。これでよくもまぁ、聖痕が発現したものだ。それとも勇者はこんな惰弱ばかりが選ばれるものなのか?
もし教会の言う通り神がいて、それが聖痕の宿す主を決めたとするのなら、神とやらはあまりに酷だろう。正直、巡礼の途中にでもの垂れ死にそうだ。
………しかし、放っておけないとはこういうことか。
お先真っ暗にも程がある。確かに見ていられない。
「………」
どうせ、牢から出てもやることはないのだ。
ならば折角だ。この勇者の一番近くで、巡礼と世界の救済とやらを見てみるのも悪くない。過程でこいつが死ねば、どうせ、そこまでだったというだけ……
……………。
考えを纏めて顔を上げると、彼女はムッとした表情でこちらを睨んでいるのに気が付く。
「どうされましたか」
「悪いこと考えてる顔だな、って」
「鋭いですね」
「否定して欲しかったなー」
「見え透いた、くだらない嘘の方がお好みで?」
「そっちの方が嫌だからやめて欲しいな」
苦笑いでそう言う彼女に、鼻を鳴らして返す。
そして、俺は近くの女神像を見上げる。彼女はこれに祈っていたのだろうが……
「神を、信じているのですか」
「え? いやー……信じてないかな。
信じてたところで、って感じだし」
「なら何を祈っていたのかお聞きしても?」
「んー………旅の無事と、あとは、ちょっと、ね」
彼女は目を逸らしてそう言い、俺と同じように、その女神像を見上げる。口元は笑っているが、その表情はどこか影が差している。詮索は無粋だろう。それには反応を返さず、暫しの沈黙。
「………うん。じゃ、行こうか」
「どちらへ?」
「王国の神殿は、地下遺跡にあるんだって。
だからまずは王様のところ。
準備が終わったら来るよう言われてるんだ」
「………俺もですか?」
「そうだよ?」
…………まさかの謁見ときたか。
しかし王国の地下にそんなものがあったとは。神殿があるというのも初耳だ。
彼女は当然とばかりに頷くと、俺の横を抜けて教会の出口へ向かう。俺もそれに続き、教会から出る。
すると外には、レスが待っていた。
「お待ちしていました。よろしいでしょうか」
「うん。ありがとう」
アリアの礼の言葉に、レスが頷く。
レスは一度だけこちらに視線を向け、やっぱりね、と言わんばかりの笑みを向けてくる。それにはため息を返し、俺は歩き出した二人に続くのだった。
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───────
王城に入るなり、俺は周囲の視線を一斉に目を集める羽目になった。当然だ。囚人としてボロボロの服装、そしてそれに見合わない剣という身なりは、明らかに城内の雰囲気をぶち壊している。
流石に一国の王との謁見、俺は身なりを整えるため、謁見の前にレスと共に、王城の化粧室へ。
「はぁ……面倒だな」
「気持ちは分かるけど必要なことだからね。
それに丁度良かった、伝えたいこともあったんだ」
俺の今日何度目かも分からない溜め息に、レスは衣装棚を漁りながらそう返す。そうして差し出された黒を基調とした礼服を広げ、話を聞く。
「結局、あの子には手を貸すんでしょ?」
「…………そうだな。どうせ、やることもない」
その言葉に、レスはその表情を険しいものへ変える。礼服に袖を通せば、固く動きにくい窮屈さに、思わず眉を寄せる。こういうのは苦手だ。
「だったら気をつけた方がいい。
王家が何かを企んでる」
「どういうことだ」
レスの言葉に顔を上げる。
わざわざ勇者とやらの存在にあれだけの待遇があったのだ、陰謀の一つや二つ、あってもおかしくないだろうが……
それは、レスもわかっているはずだ。
怪訝な表情を浮かべてそう言ったレスは、言葉を続ける。
「さっき騎士団長から通達が来たんだ。
〝勇者〟とその従者に追随して神殿前まで護衛、
そして、戦闘の準備をしておけ、って」
「戦闘? 向かう先は王国の地下だろう。
まさか怪物が出るわけもあるまいに………」
俺の言葉に、レスは首を横に振る。
その表情はどこか不安そうで、眼を逸らされる。
「
わざわざ神殿まで護衛する必要はないはず、
それに加えて神殿は王城の真下……
警備はかなり厳重になってる。
侵入者は手引きしない限りはあり得ない。
何があるか分からない。無許可だけど、
シアを地下遺跡に先行させてる。何かあれば
僕の方からも伝えるから、気をつけて」
────
───────
『アリア、といったか。面を上げよ』
横目で、名を呼ばれた主をちらりと見る。
汗を滝のように流して、彼女は肩を震わせて、青ざめた顔を上げていた。
国王との謁見。
とはいえ国王は顔は出さず、近衛らの立つ先にある天井から垂らされた幕、その裏側から声だけが聞こえてきている。
しゃがれた声は、恐らく六十はとうに越えているだろう歳を感じさせるものだ。王家の者はとても長生だと聞く。
「は、はい……」
『此度は王都まで遥々、よくぞ来てくれた。
その心中、察するに余りある……が、
そなたがやるべきことは、分かっておるな』
「…………はい」
彼女は苦い顔で、暫しの沈黙の後にそれだけ返す。
その顔には影が差し込んでいる。それに国王の言葉、やはり何かあったのだろうが……さて。
『改めて言わせて貰うが……
今回の王都地下神殿での巡礼で、その聖痕に
力を得ることが出来るはず。それを以て
世界各地の神殿を巡礼するがよい』
「………」
『今や巡礼を越える者はおらず、
かつて全ての神殿を巡礼した〝聖者〟もまた
行方が知れず………だが、成し遂げてみせよ。
我が国は、それを全面的に支援する』
「…はい」
………おかしなところはない。
いや、だからこそ、だろうか。神殿の巡礼は、今となっては廃れたものと言われることもある。それに聖痕はあろうと、〝勇者〟や〝救済〟という眉唾物のため、一つの国が大きく動くなどあるはずがない。
それに、全面的に支援すると言いながら巡礼に王国の部隊が動くこともない。本当に何か信じているものがあるのなら、俺のような人間を従者としてつけるよりも、適任は幾らでもいる。少なくとも教会ならば一つの部隊が動くだろう。
そして、話が出来すぎている。
確かにこれは……王国の裏に、何かあるな。
『謁見は終わりだ。
王国騎士団がそなたを神殿まで送り届ける。
さぁ、行くがいい』
主に続いて、立ち上がる。
そして近衛たちに促されるがまま、俺たちは振り向くことも許されず、謁見の場を後にするのだった。