急ぎスケボーの後を追って現場へ急行すれば、件の小学生は高校生になっていた。
現場は廃ビル。1階の広い受付に空気の抜けたサッカーボールが落ちている。
そんなに時間もたっていないはずだが、事態はアニメBパート15分ぶんぐらいは進行していた。
倒れ伏す高校生。しかも拳銃で脇腹を撃たれたらしく、大出血の血塗れ状態。
これは死にかけというか、ほぼ死んでいると言っても過言ではない。
その数メートル先には犯人らしき拳銃を持った男が気絶している。どうやら顔面に思いっきりボールを受けたようだ。
投げ出された何らかのスイッチっぽいもの。
展開的に爆弾の遠隔起爆ボタンかな。蘭って叫んでたし古式ゆかしいアニメスペシャルとかの最後のシーンだろうか。
私は背後に宇宙を背負った。
この短い間に何があったんだ本当に。
これは完全な想像になるが。
コナン君は先ほどあった時熱が出ていた。風邪をひいて居たはずだ。
その状態で白乾児に似た成分の何かを摂取してしまい、意図せずこの局面で工藤新一の姿に戻ってしまったのだろう。
一応事件の犯人はノックアウトしたものの、トラブルによって重症状態。
死の縁を彷徨っている、というわけだ。
相討ち状態で気絶している男を近場の布類を裂いて縛り上げる。
そのあと、私は高校生……おそらくは「江戸川コナン」あるいは「工藤新一」の名を持つ彼を抱き上げた。
「まったく無茶しいだな! 袖振り合うも多生の縁と言うけど、こんな血生臭い縁はなかなか無いよ!」
しゃくり、とリンゴをもうひとかじり。
そうすれば神秘の許容量を超えた身体が下へ下へ、理想郷たる星の内海へと落下し始める。
このリンゴはアヴァロンから持ってきた非常食にして罠食料。
食べれば腹は膨れるが、その代わり許容量を超えて食べ過ぎれば元来たアヴァロンへと落下してしまう。
実は私は当初、東京地下(?)にあるアヴァロンで目が覚めたのだ。
それを必死こいて230km以上崖登りして地上に上がってきている。
アヴァロンへ落下するということは、またその地獄の崖登りRTAをこなさねばならないということ。
ああ、嫌だ嫌だ。
それでも、それも今は好都合。
アヴァロンという死と生の狭間に彼を呼び込み、治療する時間を稼ぐのだ。
え、宝具『
私が宝具発動に慣れてないせいだよ!
まごついてるうちに死んだら目も当てられないだろ!
「荒療治だけど許してくれ。向こうなら多少の無茶も利くからね。それまでなんとか気張って、死なないようにね!」
ぐったりと返事のない彼を連れて、私は真っ逆さまに理想郷へと落ちていった。
江戸川コナンはいつも通りの、あるいは今生一番の窮地へと立ち向かっていた。
風邪と薬の影響で身体が戻り、羽織ったシャツで誤魔化しながら対峙した犯人は爆弾を仕掛けた連続殺人事件の真犯人。
名探偵毛利小五郎の名前に逆恨みした男で、狙いは娘の毛利蘭だ。
爆弾でもって帝丹高校を爆破して娘の命を奪えば復讐がなるだろう、という悪意に満ちた動機が男を突き動かしていた。
その悪意を受けてやる道理はコナンにはない。
最悪な体調に鞭を打ち、変声機での陽動を交えた起爆阻止はなんとかなった。
しかし幼馴染の無事に安心してしまったのが運の尽き。
銃を隠し持っていた犯人は逆上してコナンへと発砲し、そのうち3発が直撃する致命傷となってしまったのだ。
おそらく肺に2発。肝臓に1発。
気道を逆流した大量の血液に呼吸もままならないまま倒れこむ。
死────多くの死を看取ってきた探偵であるがゆえに、己の状態をその一瞬で悟ってしまう。
あらかじめ通報はしておいた。目暮警部たちが到着するのは時間の問題。
そこから119番通報してもらって自分が生きていられるかは……まぁ考えないこととする。
急激に薄れる意識に抗わず、コナンは安堵に目を閉じた。
はずだった。
「……っ!?」
跳ね起きたコナンは、まず忘我するほど美しい黄昏の空を目に映した。
次に己の体に何の痛みもないこと。息も四肢の動きも支障がないこと。
そして最後に、今いる場所が埃の積もったコンクリートの床ではなく匂い立つような草花の園であることを理解した。
遥か地平まで花の咲き誇る、異界じみた幻想の風景。
「ああ、やっと目が覚めたんだね。まったく無茶をする」
「っあなたは…さっきの……!?」
背後からかかる声に思わず振り向けば、それはつい先ほどぶつかりかけたヨーロッパ系と思しき若い男性だった。
体調不良もあってターボエンジン付きスケートボードの操作を誤り、危うく陸橋下に叩きつけられるところを助けられたのだ。
その意味で彼はコナンの命の恩人で、同時に不可解な人物である。
陸橋から落ちた自分を助けたあの身のこなし……とても常人ではあり得ない。
俳優もかくやという整った顔立ちと、過度に草臥れた服装がアンバランスだ。
そのうえ優雅な所作とくれば、浮浪者のフリにしてはお粗末と言わざるを得ない。
記憶の思考の間を高速で駆け巡るコナンの目を、さらなる不可解が……幻想という形でゆっくりと思考を犯す。
コナンは男の姿に目を見開いた。
きっと、この世で最もおとぎ話に近い光景だったのだろう。
純銀の騎士甲冑に深い湖の如き外套が靡く。
常春の風に花びらが舞い、平原に点在する木々は優しくざわめく。
黄昏の空へと交じ入るような遠景に佇む、白亜の城。
理想郷。彼岸。楽園。
そういった空想上のナニカ。
「体に異常は無いかい? ここは表層とはいえ星の内海だ。君を助けるには仕方なかったとはいえ、どんな問題が出るかもわからない」
「星の、内……? それってどういう…いやそれよりも此処は一体、」
周囲に素早く視線を向ければ、そこは花園の一角、湖のほとりに誂えられた小さな休憩スペースのように見えた。
どうやらコナンの……否、今は工藤新一か。
男は湖の水で新一の体を清めてくれたようだ。血まみれの服は脱がされ、上から清らかな白い布がかけられている。
恐る恐る傷口だった個所を手で押さえれば、滑らかな皮膚だけが触覚を刺激した。
まるで銃弾を撃たれたことすら幻想だったかのような非現実感。
男は新一の問いに何も答えず、少しだけ困ったような顔をして言葉をつづけた。
「それと、その身体に刻まれていた毒には手出ししなかったよ。君自身が解決すべきものだろうから、余人の介入は迷惑なだけだしね」
「っ! ……毒、とは何のことですか」
「子供から大人へ、大人から子供へ、なんて神代の霊薬みたいな毒が実在するとは驚いたよ。そしてそんな巨悪へ単独で立ち向かう君にもね」
騎士甲冑を身に纏う金髪緑眼の美男子。僅かな微笑みすらもファンタジックなおとぎ話の王子様。
そんなものを体現する男がこの世のものであるはずもない。
あらゆる疑問が積みあがって二の句も告げぬ新一は、それでもなんとか問いを絞り出す。
結局シンプルな、しかし一番重要な疑問。
「あなたは一体、何者なんだ?」
男は優美に幻想的に笑った。
この理想郷にふさわしい一枚の絵画に似た、欠けなき理想の現身のように。
「僕はアーサー。姓はなく称号も返還して久しい。だからあえて言うなら……そうだね。旧きブリテンの王にして赤き竜の化身。けれど今は、この理想郷を渡る単なる旅人さ」
もうひと眠りすれば君は元居た場所に帰っている。無事に何事もなく。
だからここでの出来事は一夜の夢と忘れるがいい。
真エーテルの枯渇した理想郷の跡地とはいえ、覚えていても何のいいこともないからね。
そんな声を最後に、再び新一の意識は暗闇へと途切れた。
はずだったのだが。
「久しぶりだねお兄さん。前は助けてくれてありがとう」
「……」
「ところで僕、聞きたいことがたくさんあるんだ。あの場所はどこだったのか。僕をどうやって治療したのか。2日もの間僕をどこに監禁していたのか」
「…………」
公園のベンチにうなだれる男──アーサーと名乗った彼は、深く眉間にしわを寄せたまま地面を見つめている。
コナン自身ですら幻覚か夢かと疑っていたあの邂逅は、しかし服についた草の汁、植物の切れ端が事実だったのだと証明していた。
よく洗われていたものの服からはルミノール反応が検出されたし、服についた花弁はあの廃ビル周辺に生息する植物ではない。
つまり現実。何らかのトリックか、はたまた別のナニカ。
そうして悶々と日々を過ごした数日後。
コナンは現場になったのと同じ区域にある公園で、アーサーと名乗る男とふたたび邂逅した。
背後から逃げないように袖を掴み、コナンは真っ直ぐにベンチに座る男と目線を合わせた。
アーサー何某は黙ったまま何も答えない。
「アーサーさん。あなたは一体何者なのか、助けられたからこそ真実を知りたいんだ。どうか教えてほしい」
探偵としての質問ではなかった。
ただ感謝と、それを由来とした言葉にできない感情でもってコナンはアーサーを強い光のこもる蒼眼で射抜いた。
彼がいなければ自分は死んでいた。
謎はある。けれど、それ以上に感謝を込めて誠実に。
コナンは真っ直ぐに男を見た。
その時。
ぐぅ、とお腹の鳴る音。
アーサーはよろよろとほほ笑んだ。
「……うん。なるべく白状するから食物を恵んでくれないかな……もう、何日も何も食べてなくて」
「えっ」
よく見ると顔が真っ青だ。
心なしか頬がこけているような。
いやそんなまさか、というかそのボロッボロのTシャツとジーンズは本当に浮浪者だったのか?
「帰省すればリンゴは思う存分食べられるんだけど、なにぶん帰ってくるのが大変でね。230km崖上りRTA一発勝負みたいな感じで。いやまぁ星の内海から這い上がるんだからその程度楽な部類なんだろうけど。それでもいくら無限魔力放出で行けるって言っても限度があってね、うん。そんな感じでね」
「う、うん……?」
急な早口と雑な語り口とあと断続的に鳴るお腹の音。
男は身もふたもなく懇願した。
「食べ物を、ください……お願いします……!」
工藤邸に珍妙な居候が増えた日のことである。