サブタイトルはアガサ・クリスティの短編集『ポワロ登場』から。
(なーにが奇遇よ。この先祖返りのアンチクショウが)
クレマンティーヌは心の中だけで毒づく。
本当は唇を『へ』の字に曲げて、ナメクジでも見るような眼差しを向けてやりたかったが、そんなことをすれば
“絶死絶命”
その名を知る者は法国の中でもほんのひと握りだ。存在自体が極秘であり、国家機密が服を着て歩いているといってもいい。
しかも、強さは法国最強。周辺諸国の英雄が束になっても敵わないだろう。
普段は聖殿の奥に引きこもっているが、己の力を過信して付け上がる輩が現れると、その鼻っ柱をへし折りに出てくる。クレマンティーヌも模擬戦で一方的にボコられた口だ。
「ねぇ、どうしたの?」
沈黙するクレマンティーヌにいぶかしんだのか、絶死がこちらの顔を覗き込んでくる。髪と同じ漆黒と白銀の瞳。何も知らなければ年相応の少女らしい振る舞いに見えただろうが、
「……ッ!」
ぞわり、と鳥肌が立つ。絶死との模擬戦。その記憶が脳裏に蘇ってきたからだ。
重ねがけした武技の数々。手には〈
渾身の一撃だった。
それを絶死は止めた。目を狙って突き出されたスティレットを素手でつかんで。
クレマンティーヌは咄嗟に距離をとった。しかし、絶死はもうその場にはいなかった。飛び退いたはずのクレマンティーヌのすぐ目の前で、今と同じように顔を覗き込みながら。
「聞いてる? どうしたの?」
絶死がそのセリフを繰り返す。
いつの間にかクレマンティーヌは二、三歩後退りしていた。これでは絶死にボコられて怯えきった第十一席次と同じではないか。
だが、強がってばかりもいられない。
フード付きのマントで隠しているが、腰の裏にはさっき奪ったばかりの叡者の額冠がある。そして絶死は神器の守護――厳密には六大神が遺したものだが――を任務としている。
絶対に気づかれるわけにはいかない。
そんじょそこらの衛兵や神官にバレるのとはわけが違う。法国から貸し出されマジックアイテムを装備していない、この状況では勝負にすらならないだろう。
だからこそ、クレマンティーヌは堂々としながらも自然体を演じる。
「別に。あんたこそ、どうしたのよ。朝の散歩にでも来たの」
「散歩、になるのかしら。ちょっとそこまで借りてたものを返しにいくところなんだけど」
絶死は手に持ったもので図書館のある方を指し示す。
見れば、その手にあるのも本だった。黒い表紙には白抜きの文字で『古畑任三郎』とある。知らない名前だ。恐らく六大神がもたらした神書だろう。
クレマンティーヌに読書趣味はないが、このアンチクショウは金にモノをいわせて新しいものや珍しいものを取り寄せたがる。いつぞやは珈琲店巡りにご執心だったそうだが、今度は文学少女にでもなる気か。
「あなたも一緒に来る?」
文学少女もどきが悪戯っ子のような顔をする。
冗談じゃないわ、と言えればよかったのだが、これもまた言えば半殺しに遭う。しかし、イエスとも言えない。こっちは今から国外逃亡する身なのだから。
やや慇懃無礼なくらいが普段の自分らしい、とクレマンティーヌが口を開きかけたその時だった。
「――うわぁぁぁぁぁ!!」
聞こえてきたのは気でも狂ったかのような男の悲鳴。
クレマンティーヌと絶死は同時に大神殿の扉に目をやった。閉じられた扉をドンドンと叩きながら「だ、誰かぁ! 誰かぁ!」と同じ声が叫んでいる。
巡回中だった衛兵か神官が闇の巫女姫の死体を発見したのだろう。これといって発見を遅らせるような工作はしていないので、見つかるのも時間の問題だったといえるが。
(こうなる前に逃げおおせたかったんだけど)
思わず「ちっ」と舌打ちしそうになるのをクレマンティーヌは堪える。なぜだかは知らないが、絶死は途轍もなく耳がいいからだ。
「何かあったみたいよ。クレマンティーヌ」
「はいはい、見てくりゃいいんでしょ」
この段階では大神殿で何が起こったのか、犯人以外は知らない。ましてや闇の巫女姫が殺されているなんて、犯人でない人間は夢にも思うまい。
だから、クレマンティーヌも敵わない相手に命じられて嫌々やっている雰囲気を醸し出しながら、歩いてきた道を戻る。叡者の額冠を隠したマントが翻らないよう細心の注意を払いながら。
すると、クレマンティーヌと絶死が到着するより先に大神殿の扉がゆっくりと開き始めた。その隙間から飛び出してきたのは神官の男。よっぼど慌てていたのだろう。クレマンティーヌたちを見るなり何かを口走りかけたが、足をもつれさせ盛大に転んだ。
さて、問題はここからだ。
今のクレマンティーヌは偶然ここを通りかかった漆黒聖典のひとり。大神殿内で殺人事件があったなんて微塵も知らない。
であれば、どう振る舞うのが自然体か。クレマンティーヌは素早く思考を巡らせる。
「あれー、どうしちゃったの神官さーん。そんなに怖がって、
冗談にしては不謹慎がすぎるが、いつものクレマンティーヌであればこれくらい平常運転。神官もそれを指摘する余裕はないらしい。震える手でクレマンティーヌのマントをつかみながら、
「み、みみ、巫女姫が……!」
「巫女姫がどうかしたの?」
ひょっこりと顔を覗かせた絶死が尋ねる。しかし、ショックのあまり舌が回らないのか、神官は「巫女姫が……、巫女姫が……」と繰り返すばかり。
(ふーん、これ以上しゃべらせるのは無理か)
いつまでも芝居を打っていては逆に不自然だ。クレマンティーヌはマントをつかむ手を払い除けると、大神殿へと足を向けた。
開いた扉をくぐれば、背の高い廊下が左右に伸びている。まだ騒ぎが広まっていないからか、神殿内は意外にも静かだった。
鼻歌でも歌いだしそうな足取りでクレマンティーヌは廊下を進む。
この廊下は大神殿の外周をぐるっと円形に囲んでおり、そこをクレマンティーヌは反時計回りに歩いている。廊下の左手――つまり円の内側――には細い袖廊下が等間隔に走っている。儀式室からでてきたときに見えたT字の部分であり、ちょうどその一本目が見えてきた。
(この奥が火の巫女姫の部屋で……、次が風だから……)
クレマンティーヌは頭の中に大神殿の見取図を思い描く。六つある儀式室はそれぞれ六人の巫女姫に振り分けられている。〈
(ここね)
迷いなく歩みを進めていたクレマンティーヌは三本目の袖廊下の前で足を止めた。廊下は代わり映えしないうえ、唯一の目印となるのは奥の扉に彫られた闇神の紋章のみ。
「ここの巫女姫、どうかしたの?」
すぐ後ろを歩いていた絶死が扉に目をやる。
迂闊なことを口走って墓穴を掘るほどクレマンティーヌは愚かではない。慎重に言葉を選ぶ。
「さぁ、風邪でもひいたんじゃないの? あの神官も『巫女姫が、巫女姫が』としか言わなかったから、わかんないけど」
「なら、お粥を作ってあげないとね」
あんた料理できんの、といぶかしむクレマンティーヌの横をすり抜けて、絶死はそのまま殺人現場へと足を踏み入れていった。
次回から現場検証と推理に入ります。乞うご期待。