五月のバッドエンド世界救済大計画   作:真樹

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2_隣に誰もいないということの意味

 六年前

 家庭教師を始めて最初の試験で風太郎は、雇用主である”四つ子達”の父親から全員の赤点を回避するようノルマを課されていた。

 精一杯の努力も虚しく、結局は全員赤点の魔の手から逃れることはできず、風太郎もクビを覚悟していた。

 しかし、二乃の機転によってクビは免れ、言い得て妙だが首の皮一枚がギリギリ繋がり一安心したのもつかの間、学生にとっての試験というものは息つく間もなく襲ってくるものであった。

 中間試験の次の期末試験。

 四つ子達の学力の伸びしろを鑑みるに、このまま何事も怒らなければ赤点を回避できるはずだった。

 そう、”はず”ではあったのだ。

 その日、中野家のリビングで二乃の怒声が響き渡った。

 

「こんな退屈なこと真面目にやってられないわ! 部屋でやってるからほっておいて!」

「お、おい! ……くっ、ワンセット無駄になっちまった」

 

 期末試験目前のテスト勉強期間の最中、案の定というべきか姉妹の中で一番の跳ねっかえり娘である彼女が勉強を放棄してしまったのである。

 週に一度、土曜の家庭教師の日。この日のために徹夜で手書きの問題集までこさえてきたというのに、紙束と形容できるほどのプリントの山の四分の一が、日の目を見ることさえなく役目を終えることが確定してしまった。

 こんなことになった原因に正直なところ風太郎は自分の非はないと思っている。ただ、二乃にテスト範囲が間違っていることを指摘しただけだというのに、それで癇癪を起こされたのだからこちらの方が堪ったものではない。

 が、元々二乃とは折り合いも悪い関係である以上、自分が追ったところで結果は変わらないだろうということを考えると、自然と足は動かなかった。

 

「弱気にならないでください、上杉さん」

 

 そんなこちらの気持ちを汲み取ってくれたのか、リビングで集まって勉強をしてくれていた姉妹の中から四葉が声をかけてくれた。

 

「お手本になってくださるんですよね? 頼りにしていますから」

「…………」

 

 期待する眼差しでこちらを凝視してくる四葉。

 普段の風太郎だったら頼られたところで、無理なものは無理と断っていたかもしれない。

 けれども風太郎自身、二乃にも赤点回避をしてもらいたいという願いがある故に無下にもできなかった。

 仕方なく二乃の後を追うと、まだ階段を上っている途中の二乃へと声をかける。

 

「待てよ二乃。まだ始まったばかりだ。もう少し残れよ」

「…………」

「あいつらと喧嘩するのは本意じゃないだろ。ただでさえお前は出遅れてるんだ。三人にしっかり追い付こうぜ」

 

 話しかけている間、二乃は階段の次の弾に足をかけたまま立ち止まってくれていた。

 しかし、風太郎が最後まで言い切るとほぼ同時、ピクリと肩を震わせた。

 

「うるさいわね、何も知らないくせに」二乃はステップから足を外して振り返る。「とやかく言われる筋合いはないわ。あんたなんかただの雇われ家庭教師。部外者よ!」

 

 二乃の言うことを風太郎はただ黙って聞くだけだった。

 確かに自分はまだ彼女達と知り合って日も浅ければ、二乃が何をもって『何も知らないくせに』などとのたまっているのか、その真意も計れていない。

 暴論のようで、けれど言い返せる言葉もないと思案していると、風太郎の隣をいきなり三玖が通り過ぎていった。

 手にはテーブルに置いて来た二乃の問題集が握られている。

 それを二乃に突き付けると、三玖。

 

「これ、フータローが私達のために作ってくれた。受け取って」

 

 二乃は問題集を一瞥するだけで受け取りはしなかった。

 

「問題集作ったくらいでなんだっていうのよ。そんなの……」

 

 二乃の手がプリントへと伸びる。

 ただし下から。手の甲を向けて。

 振り上げた手は三玖が握るプリントを下から弾き上げた。

 

「いらないわ!」プリントが宙に舞った。「あっ」

 

 短く声をあげる二乃。

 驚くように宙を舞ってしまうプリントを見る目に、わざとプリントを叩くつもりはなかったようにうかがえる。

 プリントの傍にいる風太郎と二乃、三玖は全員咄嗟のことに反応ができず、二乃によって弾かれたプリントはそのままバラバラになって階段のステップへと散らばった。

 一階の少し離れたリビングテーブルの位置から、恐る恐るといった具合に一花が言う。

 

「ね、ねぇ、二人とも落ち着こ?」

 

 すかさず便乗するように風太郎。

 

「そうだ、お前ら……」

「二乃、拾って」

 

 そんな風太郎の静止さえ聞く耳持たずに威圧するように睨む三玖に、二乃は気圧されるように頬を引きつらせた。

 だが、それでも負けじと動くと、二乃は足元に落ちているプリントの一枚を拾い上げる。

 

「こんな紙切れに騙されてんじゃないわよ。今日だって遅刻したじゃない。こんなもの渡して……いい加減なのよ!」

 

 拾い上げたプリントを見せつけるようにして風太郎と二乃の前に突き出した次の瞬間────

 

「それで教えてるつもりなら大間違いだわ!」

 

 二乃はそれを勢いよく引き裂いた。

 直後、三玖から普段聞かないほどの怒声が響く。

 

「二乃!」

 

(まずい!)

 

 プリントが破れた直後の三玖の顔は、風太郎ですら危機感地のシグナルが脳内で発令されるほど冷え切った静かな、しかし怒髪天を突く怒りを感じさせるものだった。

 

「三玖! 俺はいいから────」

 

 だから風太郎は三玖を止めるべく彼女の前に出た。

 出ようとした。

 けれど、一歩遅く。

 パチン、と乾いた音がした。

 

「二乃、謝って」

 

 三玖の振り下ろしたビンタは、二乃へと届いてしまった。

 

 

 

 

 

 そして現在。

 

「ここが俺の家だ」

「…………」

 

 恐らく元いた世界とそっくりの異世界に来たのであろうと、自身の置かれた状況へ想像を働かせている五月は、風太郎の誘いに乗って東京都某所まで来ていた。

 玄関の前から案内された彼の家の内装は、身元不明の無一文の自分ではとても言えるわけがないので何とか声に出すことだけは押しとどめたが、おおよそ予想通りではあった。

 本人に言わずともあえて言葉にするならば、日本国民の基本的人権が最低限保証されているかのような部屋。

 不潔とか生活感がないというわけではないのだが、とにかく狭くてボロい。

 四畳一間の年季の入ったアパート。室内はミニマリストでも目指しているのではないかと疑いたくなるほど飾り気がなく、家具らしい家具はちゃぶ台と本棚ぐらいだった。

 

「来てもらったのに今更言うのもなんだが……嫌ならいつでも断ってくれて大丈夫だからな……?」

 

 風太郎も自分で紹介していながら、度を越えた質素さであることに自覚はあるのか、ごにょごにょと言い訳がましいことを口にしている。

 とりあえず五月はそれら一切を無視して中へと入った。

 玄関の敷居を跨げば掃除はしているらしいが、建物自体が発していると思われる少しばかりのカビとほこりの匂いが鼻をツンと突いた。

 畳が敷かれている居間へと入れば多少違う匂いがして、生活感のようなものを感じた。

 

「気にしません。行く宛のない身ですし、それにこういう部屋も、これはこれで懐かしいですから」

「懐かしいって、お前記憶が戻ったのか?」

「……あー」

 

 風太郎のツッコミにそういえば、そんな嘘をついていたっけと思い出す。

 異世界に放り出された五月であったが、自分の見立てではこの世界にファンタジーのような存在はなく、元いた世界とほとんど同じであるような感じはしていた。

 だから風太郎に素直に異世界転移をしてきたなどと言ったところで今度は心の病気で病院へ逆戻りさせられるのは火を見るよりも明らかで、やむなく記憶喪失だと自身の状況を偽ったのであった。いや、それはそれで病院案件のだろうけども。

 風太郎には言えない話として、思わず五月が漏らした懐かしさの正体は元の世界での記憶で会った。母親の零奈がまだ存命だった頃、女手一つで五つ子を育ててもらっていた時期に住んでいた住居を思い出したのだ。

 この世界にまだ対応しきれていないのは仕方ないにしても、いきなりやらかしたと五月は慌てふためいて言葉を探す。

 

「い、今のは何となくそんな気がしただけで記憶を思い出したわけでは……もしかしたら私の元の生活も貧乏だったのかもしれませんね!?」

「……そうか」

 

 咄嗟についた言葉に、風太郎は少し残念そうに肩を下げた。一応納得はしてくれたらしい。

 五月の後に続いて自分の家に入ってきた風太郎は、玄関で靴を脱ぐとリュックサックを居間に置き、それからキッチンにある冷蔵庫の上に手を付いて中を覗く。

 風太郎の家は1DKの四畳一間なので、リュックサックを置いてから冷蔵庫を覗くまでの流れはほとんど一つの動作だった。

 

「くそっ、やっぱり二人分の食料はないよな……五月さん、だったか。俺は夕飯の買い出しに行ってくるからここで待っててもらえるか?」

「別に構いませんが……あの、むずむずするので私のことは呼び捨てにしていただけませんか?」

 

 風太郎は元々距離が近い話し方をするから、最初こそ話し方も敬語だったが、それは五月と風太郎が同い年であることを改めて説明すると自然に外れていた。

 

「いいのか?」

「私がお願いしているのですから、もちろん」

 

 五月が頷くと、風太郎は一瞬恥ずかしそうに悩む素振りを見せたが、すぐにこちらへ向き直る。

 

「わかった、五月。これからの生活の仕方とか色々と決めたいことはあるだろうが後にさせてくれ。今を残すとタイムセールが全部なくなっちまうんだ」

「私もご一緒してはいけませんか?」

「……? 別に二人分の食材ぐらい一人で持って帰れるが?」

「いえ、そういうわけではないのですが欲しいものがあり……」

「来て初日から夕飯のリクエストとか食い意地張りやがって。太るぞ?」

「ふとっ!?」

 

 ああ、この世界の彼はもしかして元の世界よりもデリカシーがないせいで四葉にフラれてしまったのではないだろうか。

 

「違います! そもそも食べ物ではありません!」

「なら何だ? 連れてくる途中に聞いたがお前金持ってないんだろ? 買うのはこっちなんだからちゃんと言え」

「……!! そ、それは……」

 

 風太郎の言うことはもっともで、確かに用途も言わずにお金だけ受け取って散財することなど彼でなくたってイエスとは言わないだろう。

 なんだか前にもこんな会話をしたことがあるような気がするが、それはともかく仕方がないかと腹を決めて買いたいものを口にする。

 

「下着! 替えがないので買いに行きたいのです!」

「……!!」

 

 まあ、身元不明人を保護するなんて経験など真っ当に生きていれば一度だって経験することはないだろうし、考えが回らないことを責めようという気はなかった。

 五月とて地元から東京くんだりまで手ぶらで移動することになったから落ち着かなく、今後の生活に対する不安の中で真っ先に思いついたというだけなので、他にも見落としているだけで早急に買うべきものはあるかもしれない。

 風太郎も乙女のピンチであることに理解はしてくれたようだが、即答で頷くことはなく、口元に手を空けると数秒の逡巡をする。

 再び顔を上げた時、恥ずかしさと一緒に純粋に申し訳なさそうにしながら、

 

「悪いが一日だけ我慢できないか? マジで今はまっすぐスーパーに行かないとセールに間に合わないし、帰りにお前の用に付き合ってたら食材が痛んじまう」

 

 どうやらこの風太郎は女性の服選びにかかる時間を適切な長さでスケジュールできるらしい。四葉に鍛えられているのだろうか。

 五月とてそれぐらい分かっているし、買うのは下着だけなのだから時間をかけるつもりはないのだが。

 

「明日もご一緒できるのですか?」

「……? まあ日曜だからな。仕事も休みだし問題ない」

 

 そこで五月はようやく自分が今日が何月何日の何曜日かすら知らないことに気が付いた。

 気が付いたというか、五月の意識はあの新婚旅行の日の延長線上にあるのだから、体内時計がそのまま引き継がれていたのである。

 スマホも何もかもなくしている今、一度も日付を確認する機会がなかったのであった。

 試しに風太郎に日付を確認してみれば、幸いなことに西暦も含めて新婚旅行の日から誤差はあるものの大きなズレはなかった。

 

「……わかりました。一日ぐらいでしたら何とかなりそうですし、我慢します。頼ってしまっている私の方がこのようなことを言ってしまって申し訳ないのですが、その代わり明日は服も少し用立てて構わないでしょうか。せめて洗濯の間に変わりに着るものが欲しいので」

「そう言われると色々と出費がかさみそうだな……」

「……ご迷惑ばかりおかけしてすみません」

「気にすんな。俺が来いって言ったんだ」

 

 そういう風太郎の顔は若干引きつったままだった。

 やはりこの世界でも相変わらず彼は実家の借金返済に収入の使い道を当てているのだろうと察しがついた。

 ボロアパートなどに住んでる時点で想像できたことだが、改めて本人の態度からも実感として湧いた。

 後、気になることとしてはどうして大学卒業後に地元へ帰らず、今も東京で暮らしているのかということなのだが────

 

「そろそろ行くな。いい加減走らないと間に合わなくなる」

「あ、はい。すみません呼び止めてしまって。行ってらっしゃい、上杉君」

「お、おう……後なんだが、俺が出かけてる間に誰か来ても出なくていいからな」

 

 わざわざそう言ってくるということは何か来る可能性があるのだろうか。

 

「記憶喪失でも宅配の受け取りぐらいならできると思いますが?」

「そういうわけじゃない。来客の予定はないが……その、万が一誰かが来た時のことを考えてだ。男の一人暮らしの家から知らない女が出てきたら変な噂が立つかもしれないからな」

「……はぁ」

 

 それではまるで自分は厄介者のようではないかと率直な感想を持ったものの、言葉にしてから文字通りそうではないかと自分で納得できてしまった。

 高校時代の風太郎の交友関係を思えばご近所づきあいをしているとは考えづらい。むしろ付き合いがなさすぎるという理由でちょっと気まずい可能性だってある。

 そこに火種を持ち込むのは得策ではないだろう。

 

「わかりました。あなたの言う通りにします」

「悪いな。じゃあ今度こそ行ってくる」

「はい」

 

 五月が見送る中、風太郎は再び靴を履くと外へと出て行った。

 扉の向こうからガチャリと鍵を閉める音がしたのを最後に、室内には静寂が風太郎と入れ替わるようにして訪れた。

 

「……さて、何からしましょうか」

 

 ぐるりと室内を見渡す。

 狭い部屋の中には既に触れたようにほとんど何もない。本棚に少しばかりの小説と、大量の参考書が収められているばかりで情報雑誌のような類は一切なかった。

 壁に打ち付けられているフックにはハンガーに吊るされた風太郎のものと思わしきスーツのセットがかけられており、後は部屋の真ん中にちゃぶ台が一台。本当にそれぐらいしか室内にはないのであった。

 ようやく落ち着くことができた今、改めて自分置かれた状況を再確認しようにも情報らしい情報は何もないので、考えるようなこともない。

 どうやら自分こと、中野五月という人間がいないこの世界はどんな歴史を刻んで来て、どんなことがあれば風太郎と四葉が分かれてしまうようなことになるのか知りたいとも思うが、手がかりになりそうなものが一切無いので歯がゆかった。

 

「むしろ考えるべきは、これからでしょうか」

 

 風太郎達の過去も気になるところだが、自分の未来のことだって心配しないといけない。

 とにかく自分は今、何もないのだ。身分証さえないので仕事すら始められるか怪しい。

 元の世界に戻る手段がない今、このまま何も対策を講じなければ風太郎に養ってもらうことになるが、それはいくらなんでもである。多少の期間はやむを得ないとしても、現実から目を逸らすにも限度があるだろう。

 そういった話をするならば風太郎にも参加してほしいところなので、やはり今考えるべきことではないのかもしれない。

 

「おかしな状況だというのに、早速暇になるとは思いませんでした……」

 

 仕方なく五月は腰を上げるとキッチンへと向かった。

 こちらに来てからずっと忙しくしていて何も食べていないからお腹が鳴ったのである。

 先ほど風太郎は冷蔵庫の中を見てしかめっ面をしていたので、食べ物の期待はできないだろう。

 というか、今まさに夕飯の買い出しにでている風太郎を差し置いて何か摘まもうものなら、また彼の顰蹙を買ってしまう。それは非常に不愉快だ。

 なので五月は冷蔵庫ではなくシンクの前に立つと、水切りカゴに逆さに置かれていた洗った後らしきコップを手にして水道の蛇口を捻った。

 水っ腹にでもすれば少しは空腹が紛れるだろうと思ってのことだった。

 そうしてコップに注いだ水を一口飲み、少し気分も落ち着いたと思った時。

 シンクの少し上、すり硝子になっている部分に人の影が横切った。

 続けてすぐ、部屋中にインターホンの音が鳴り響く。

 

「……!?」

 

 五月は驚き、身を屈めた。

 来客の予定など無いのではなかったのかと風太郎へ内心で責めながらも、自分の立ち位置が悪かったかもしれないと危惧をする。

 こちらから影が見えたということは、向こうからもこちらの影が見えていたかもしれない。

 幸い、外は夕焼けが燃えるように空を赤く染めあげている時間帯なので、外からの方が幾分か中が見えづらいだろう。

 しかし絶対とは言い切れない以上、五月はさらさら応対するつもりはなかったが、こちらの影を見られてしまっている可能性は否定しきれない。

 在宅していることがバレているとすれば、インターホンに出ないのを居留守だと思われてしまう。

 

(来客の予定がないということは、宅配や郵便の類ではないはず……)

 

 そういったサービス業であれば罪悪感は多少湧くものの致命的ではない。けれど、もしも扉の先の人物が風太郎の大学に上がってからの友人や職場関係の人であれば、居留守を使ったということのせいで彼に迷惑をかける恐れがある。

 一縷の希望として、飛び込みの営業か何かであれと五月はしゃがんだままじっとしていると、二度目のインターホンが鳴った。

 

(この部屋は留守です! ええ留守ですとも! ですからどうかさっさとお引き取りに────)

 

 三度目はインターホンではなく、ノックだった。

 

「────」

 

 声が出そうになった。

 ここまで執拗にしてくるなら営業の可能性も低くなってくる。

 よほどしつこい類のやつか、本当に友達か。

 息を潜めて隠れているという状況も相まって、五月の中では来客に対して少しホラー味を帯びた印象さえ持ち始めていた。

 とにかく、早く去ってくれと、そう願った後、四度目の音が鳴った。

 冷蔵庫の真上から、スマートホンのデフォルトのものらしきメロディが鳴り始めたのである。

 

(……はあっ!?)

 

 弾かれたように顔を上を向けると、冷蔵庫の影からスマートホンの端がはみ出していた。

 どうしてそんなところに、そう思った直後、風太郎が出かける前に冷蔵庫の上に手を置いていたのを思い出す。

 

(もしかしてあの時に置き忘れていった……!?)

 

 メロディは今も鳴りやまない。その上バイブレーションもしているせいでスマートホンは徐々に見せる影を大きくしていく。

 冷蔵庫の外側へとズレてきているのだ。

 五月が見守る中で、スマートホンはどんどんと位置をずらしていき、そして半分が超えた辺りでバランスを崩した。

 

「────」

 

 声にならない、音を響かせない叫びをあげながら五月はめいっぱい腕を伸ばしてスマートホンをキャッチした。

 それから即座に、着信らしいそれを反射神経だけで拒否のボタンを押す。

 誰が連絡してきているのか知らないが、着信は切れて画面は真っ暗に消えた。

 けたたましい着信音が収まったことにほっと息つく五月。

 しかし、余裕ができたからこそ、思ったことがあった。もしも今の電話の主が扉の前に立つ人物だったとしたら、拒否しない方がよかったのではないかと。

 

(着信音は間違いなく外まで聞こえているはず。それに加えて着信拒否されたと相手の方の画面に出たとしたら、それは間違いなくこちらが居留守をしようとしている証拠ということになるので────)

 

 扉の向こうからついに声がする。

 

『フー君? 何で着拒なんてするのよ? 居るなら出てきてよ』

「…………二乃?」

 

 聞こえて来た声に、思わず五月も名前を口に出してしまった。

 緊張していた神経が一気に弛緩していく気がする。

 どうして二乃が東京にいるのか。風太郎に何の用があるのか。色々と疑問は残るが、隠れる必要などなかったではないかと安堵して五月は立ち上がると、玄関へと向かった。

 見知らぬ人ならばいざ知れず、二乃ならば応対できる。もちろん、初対面のフリをする必要があるということも忘れていない。

 扉を開けるだけなので、五月は靴も履かずに玄関の履き場に片足だけ付くと、鍵を開けて戸を押し開いた。

 顔だけを覗かせた向こう、やはりというべきか見えた二乃へと向かって五月は会釈をする。

 

「えっと、初めまして」

「────は?」

「……え?」

 

 腹の底から響くような、寒気がするほどの冷淡な声が二乃から発せられた。

 その反応は風太郎の家から予想外の女性が出て来たという点を差し引いても、あまりにも不愉快という感情が有り余る声色で。

 直後。

 

「誰よ、あんた……!」

 

 顔を覗かせる程度にしか開けていなかった扉は二乃によって力いっぱい開かれ、それと同時に押し入ってきた彼女によって五月は胸倉を掴まれ、真横の壁へと叩きつけられた。

 

「ちょっと、いきなりどうしたのですか……!?」

「何でフー君の家からうちの姉妹の誰でもないくせに、そっくりの女が出てくるのよ……!? 私があんなにアピールしてもちっとも反応してくれなかったのに、なんで……!!」

「────」

 

 悔しそうに、今にも崩れ落ちそうに吐き出す二乃の言葉の意味に少しだけ想像が働いた。

 これは仮定の話だが、もしもこの世界でも姉妹達と風太郎の関係性にほとんど変わりがなかった場合、更にその上で四葉と風太郎が分かれてしまったら他の姉妹はどう動くか。

 その答えに等しいものを五月は既に見ていた。

 上杉家の下の階に存在しなかった喫茶”なかの”の看板。

 あれは二乃と三玖があそこで喫茶店をやっていないということに他ならない。

 それはつまり二乃と三玖を地元に縛る理由がなくなるわけであって、風太郎に対しても四葉というパートナーがもういないという、再びアタックを仕掛ける大義名分を得てしまったのなら、二人、あるいは三人がすることは一つしかないだろう。

 

(上杉君が外に出るなと言った理由はこれですか……!)

 

 今、東京には風太郎の他にも四葉を除いた姉妹達がいるかもしれない。

 揃いも揃って、高校時代の姉妹の絆を蔑ろにするかのような、彼を取り合う日々が続いている恐れがある。

 元の世界だったら今更姉妹の絆を大切にしないことなどありえないだろうが、この世界では姉妹達の何が同じで、何が違うか分からない。

 ただ一つだけ明確に違う点を二乃に見出したとすれば。

 二乃の髪は、かつて幼い頃の自分達のようなとても長いロングヘアであったということだった。

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