五月のバッドエンド世界救済大計画   作:真樹

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4_蜘蛛の糸

 これは四葉から聞いた話なんだけどね、フータローと四葉が分かれたのは二年前ぐらい前の時だったらしいの。

 

「えへへ、上杉さんお久しぶりです。メリークリスマスです!」

「悪いな、いつもお前にばっかりこっちへ来てもらって。交通費だって馬鹿にならないだろ」

「いえいえ、上杉さんに会うためならお安い御用です。それでは早速行きましょうか」

 

「見てください上杉さん! パンダですよパンダ! 白黒で可愛いです!」

「つってもほとんど動かねえじゃねえか。しかも向こう向いてるし」

「いーえ、私には見えます。あの背中の向こうにある、おっきなまん丸の黒い目が……!」

「……四葉、一応言っておくがパンダの目は小さいからな? 目の周りの黒い部分はほとんどただの模様だ」

「なんと! ガングロファッションだったんですね!?」

「死語だぞそれ。しかもガングロの”ガン”は”眼”じゃなくて”顔”って意味だ」

 

「あ、私この漫画好きなんですよ。流石東京ですね、うちの近くじゃこの作品とコラボしてるお店なんて見たことないのに」

「有名なのか?」

「ほどほどって感じです。だから地元でのコラボが少ないのでしょうが、私は大好きです。この前のお休みの日だって勉強してたらいつの間にか一巻から読み直しを────」

「おい、聞き捨てならないことが聞こえたぞ」

「さーて私のつまらない話はそこそこに次行きましょう次!」

 

「すっごい出店の列ですね……! お寺ってもっと静かな場所のイメージなんですけど、今日はお祭りか何かなのでしょうか?」

「浅草寺はこれが平常運転だな」

「本堂が見えてきましたよ! お坊さんが凄い勢いでお経の本を捲りながら読経をしてますよ! やっぱり大きなお寺の方だとお経を読むのも早いのでしょうか!?」

「いやあれはただのパフォーマンスだろ。お経の本なんて真面目に読み上げたら一ページで数分とかかかるのが普通だし」

「…………え」

「本気で傷ついた顔するな!? お前だって母親の法事で目にしたことぐらいあるだろ!?」

 

 その日も二人は楽しくデートをしてたらしいんだ。

 だけど二人にはデートの途中……ううん、もっとずっと前から共通の悩みがあったんだって。

 他人事みたいに言ってるけど、本当は私も関係してるんだけどね。その悩みっていうのが────

 

「一花から聞いたんだが、今日って他の姉妹達はお前とは別でクリスマス旅行に行ってるんだろ……お前は行かなくて良かったのか?」

「……それを聞いてしまいますか」

「そりゃ、気になるだろ。お前ら四つ子はいつだって一緒だったからな。やっぱり今もあいつらは……」

「はい。今も姉妹の皆は私と上杉さんがお付き合いすることを認めてくれていません」

 

 私自身も含めた姉妹の誰も、二人のことを祝福なんてしていなかったんだ。

 四葉はそれを何とかしようと、私達にフータローと付き合うことを何度も話し合いに来てくれた。

 だけど、私は最後まで自分の気持ちに折り合いなんてつけられなかったし、二乃に至っては話を聞こうとすらしなかった。

 唯一、一花だけは表向きは四葉のことを味方しようしてたみたいだけど、本音のところでは認められていないのをガラにもなく隠しきれてなかった。

 だから四葉はいつも、苦しそうにしながらフータローとデートをしに行ってた。

 それがとうとう、二年前のその日に限界が来たんだって。

 

「あれ……?」

「四葉、お前……泣いてるのか……?」

「すみなせん、何で急に……ごめんなさい上杉さんちょっと待ってくださいね。すぐ止めますから……あれ、あれれ、あはは、何ででしょう。ちっとも止まってくれません……!」

「…………」

「おかしいです。今日は大切な上杉さんとのお出かけの日なのに……本当に、本当にすっごく楽しいのに、なんでこんなに苦しいの……! やだ、止まって……やだぁ……!」

「……すまなかった」

「上杉さん……?」

「お前があいつらとずっと上手くやれていないことを俺は分かっていながら、お前の強さに甘えちまっていた……四葉、俺はお前に辛い思いをさせるために一緒にいるわけじゃない。だから、耐えられないならいっそ俺のことは────」

「上杉さん」

 

 ずっと二人で我慢していたけど、だけど本当はその時にはもうどうすればいいか、二人とも答えなんて出ていたんだって。

 だから四葉はフータローの言葉を先回りできたみたい。

 

「上杉さんは何も悪くありません。悪いのは全部、姉妹達を説得できなかった私なんです。だから私の勝手でそんなことなんてできません……ですからどうか……上杉さんが私を、振ってください」

「…………わかった」

「…………」

「四葉」

「はい」

「俺の隣にいてくれて感謝してる。俺は今でもお前のことが好きだ。だけど、このままじゃお前がもたない……だから、だから……!」

「…………」

「別れてくれ、四葉」

「はい……わかりました…………上杉さん、さよならです。私、上杉さんのこと大好きでした……本当に、大好きなんです……!」

「俺もだよ。俺もなんだ……くそ……!」

 

 

 

 

 

「待ってください!」

 

 そこで五月は三玖の話を大声で遮った。

 前振りもなく咄嗟に出した声は破裂するようにして店内のコンクリートの壁を短く反射したが、風太郎と三玖の二人は驚く様子もなければ返事もなかった。

 ただただ、五月の声の反響が鳴りやんだ後は店内にかけられたムーディーなBGMが雑音のように耳障りに響き、耐え切れないほど痛々しい空気の中で五月は、今さっきコーヒーで喉を潤したばかりだというのに張り付くような声の出しづらさを感じながら、何とか言葉を発した。

 

「いったい何の話をしてるんですか……それじゃあまるで、あなたたちが四葉を別れさせたみたいじゃないですか……!」

「私達は四葉に分かれろって直接言ったわけじゃない。けど、結果的にはそうかもしれないね」

「なんでですか!!」

 

 もう一度、喉が裂けるのではないかと思うほど力強く、感情のままに五月は怒鳴った。

 手のひらは爪が食い込んで今にも血が流れ出そうなほど力強く拳を握りしめていた。

 怒りによってではない。何が何やらわからず、それでもどうしようもないほど巨大な憤りが胸の内を渦巻いているからだった。

 およそ到底、この世界における姉妹達の昔話を聞いているとは思えなかった。どこか別の、例えば二乃が好きそうな少女漫画の世界の話を聞かされている気分だった。

 そんなことがこの世界の四つ子と風太郎の間では起こっているだなんて想像もしていなかった。

 

 風太郎と四葉の破局の原因についてはもっと全く違う別の出来事があるのではないかと勝手に想像していた。

 例えば金銭的な理由で風太郎が四葉と一緒にいることが難しくなったとか。

 例えばこの世界のマルオが、何か二人の妨害をしたとか。

 そんな、外的要因によって四つ子と彼の仲が引き裂かれてしまい、今のような状況に追い込まれたのだと思っていた。

 けれども三玖の話が真実ならば、こんな馬鹿げた話があるだろうか。四葉と風太郎の仲が姉妹の手によって引き裂かれてしまっただなんて。

 

「私には、どうして三玖や他の姉妹達がそこまで四葉を追い詰めてしまったのか理解ができません。四つ子の姉妹じゃないですか……!」

「四つ子だからって何があっても仲良しでいられるわけじゃないよ。あなたには分からないかもしれないけど」

「分かります!」

「……なんで」

「分かるものは分かるんです! だけど分かるからこそ、理解ができないのです!!」

「私には五月の言ってることの方が分からない」

 

 自分だって五つ子なのだ。姉妹の絆がどれほど強く、硬いものなのか分かっている。

 分かっているからこそ、このそれがバラバラになることなどあり得ないと思ってしまう。

 確かに元の世界でだって風太郎が四葉へ告白した直後は揉めた。けれども乗り越えられたのだ。

 二乃は四葉をライバルとして見定め、少しでも隙を見せれば彼を奪うと口では言いながらも四葉のことを祝福した。

 三玖だって自分の気持ちをまっすぐぶつけ、不器用でも言葉にして、四葉の背中を押してあげた。

 この世界ではどうして、それができないのだ。

 どうしてこの世界の姉妹達は四葉の交際を認めるどころか、追い詰めることになってしまったのか、もっと経緯が知りたかった。

 

「もっと前の段階から話を聞かせてください」

「前の段階って?」

「あなた方姉妹に何かあったのではないのですか? 何か、姉妹の仲を裂いてしまうような出来事が……!」

「ないよ」

「そんなわけ────」

「本当だ、五月」

 

 三度、怒鳴ろうとした出鼻を風太郎の横やりによって挫かれた。

 いつの間にか席から立ちあがっていた五月とは対照的に席に座ったまま、沈鬱な表情で俯いている風太郎を見た。

 

「お前がどんなストーリーを想像してるか知らねえが、こいつらは俺が学園祭のあの日、答えを出すまで確かに固い絆で結ばれた四つ子だった。だが、俺のせいで全部変わっちまったんだ」

「あなたのせいって……あなたはただ四人の中から四葉を選んだだけじゃ────」

「それが間違いだったっつってんだよ!」

「────!」

「俺が答えなんか出さなければ、俺が誰か一人なんて選ばなければこんなことにはならなかったんだ……!」

 

 その目は誰を憎んでいるのか、眼前のティーカップを凝視しながら、歯ぎしりさえ見せつつ吐き出す風太郎。

 五月には彼から出たその言葉に、声にならないほどの衝撃と驚愕のそれぞれ二文字が全身に張り付いて身動きができなかった。

 内心ではただただぐるぐると、異世界のことを隠さなければいけないことから風太郎に対して言えないけど、本当は言いたい言葉が渦巻いている。

 あなたからそんな言葉を聞きたくなかった。

 間違いだなんて言わないでください。

 あの学園祭の夜の出来事が間違いだなんて、そんなことあるわけないじゃないですか。

 それらの言葉を飲み込み、三玖を見る。

 

「……四葉は……?」

「なに?」

「四葉は結局、上杉君と別れた後はどうなったのですか……一度だけあなた方の地元で会いました。あの子は一人分のご飯を買っていました……四葉はあなた方に許してもらうために彼と別れたのに、どうしてあの子は今も一人なんですか……」

「逆だよ。私達は四葉が別れたことでもっとあの子のことを許せなくなった」

「…………!」

「当たり前でしょ? 私達からフータローを取っていったんだから、私達から責められるのは当然」

 

 やめてください。

 

「それでも選ばれたのは四葉だから……勝ったのは向こうなんだから、私達のことなんて無視して勝手に幸せになっていればよかった」

 

 お願いだから、それ以上言わないでください。

 

「なのに中途半端にフータローを弄んで、自分が辛くなったから別れるなんて都合が良すぎる。私だったら絶対に別れたりなんて────」

「もう結構です!!」

 

 叫ぶ言葉は、最早言葉の体をなしていなかった。

 ただの金切り声のようにして出た言葉は、三玖はおろか風太郎さえ一瞬、震えさせた。

 ただ一人視線を集めながら、自らの絶叫のせいで息を切らして肩で息をする五月はゆっくりと三玖を見た。思った感想はただ一つ。

 この人は、誰だ。

 自分の知る三玖はそんなこと言わない。

 自分の知る姉妹達は四葉を責めるなんてこと、絶対にしない。

 風太郎と四葉が結ばれたことを祝福するはずだ。

 心の奥で本当は寂しくたって、彼が遠くなる気がしたって。

 それでも────

 

「お話を聞かせていただきありがとうございました。私から聞いたのに、途中で話を切ってしまってすみません」

「別にいいけど」

「上杉君。先に帰っていますね。”この人”を紹介してくださってありがとうございました」

「……待て五月、帰るなら俺も行く」

「いえ……少し頭を整理したいので、一人にさせてください。失礼します」

 

 ふらつく頭を押さえてよろめきながら、五月は一人で歩きだすと店の外へ出た。

 梅雨の時期の湿気た空気のせいか、五月の気分は悪くなる一方だった。

 

 

 

 

 

 風太郎の家までの道は分かっていたが、それでも五月は帰り道の途中にある公園のベンチに腰を落としていた。

 先ほどから考えが洪水のようにとめどなく流れては消えていってばかりでうっすらと頭痛がしていた。

 流れていく思考の水は決して清らかなものではなく、泥のような黒い何かが沈殿していて、流れても流れても濁りは取れなかった。

 ショックで仕方なかった。喫茶店にいた三玖は間違いなく顔も、振る舞い方も、何もかも自分の知る三玖だというのに、その彼女から四葉を憎く思っているだなんて言葉が出たという現実を未だに受け止めきれない。

 そしてその想いは二乃や一花も持っているかもしれないと思うと、なお憂鬱になってくる。

 昨日の時点ではまだ二乃に対して共感も持てた。

 四葉が別れた経緯など知らなかったものだから、何か別の理由で二人が別れてしまっただけなら感情に歯止めが聞かない二乃のことだから風太郎を狙うかもしれない理解ができた。

 しかし今となってはもう、二乃のことが分からなくなってしまった。

 むしろ、風太郎の考えていることの方がまだ理解できる。

 どうして風太郎が地元に帰ってこず、東京で一人暮らしをしているのかというのも不思議だった。

 だけどあの別れの経緯を思えば帰れるわけがない。地元には元カノと、彼女と自分を別れさせた”敵”がいるのだから。

 だから風太郎も大学を出た後も東京に残ることに決めたのだろうが────問題は”敵”の方から追ってきたということだ。

 時期が悪かったのだろう。

 二年前と言えば丁度二乃と三玖が調理の専門学校を卒業する時期だ。

 そのタイミングに被るように四葉が別れ、風太郎がフリーとなったものだから二人は進路に東京を選んだ。大方そんなところだろう。

 今にして思えば留守番を頼まれた時、誰だろうと応対しなくていいと言ったのも二乃達と会わせたくなかったからだろう。そんな二乃と同じ顔の自分が鉢合わせれば揉めるのは必至だし、風太郎自身関わらないようにしてるのかもしれない。

 

「……いけません、少しネガティブに考えすぎでしょうか」

 

 五月は考えを一度止め、頭を振った。

 風太郎が二乃と三玖を”敵”と思っているなどというのは思い過ごしかもしれない。

 先ほど店に入った時の風太郎と三玖の様子はそれほど険悪ではなかった。二乃の時も同様だ。

 三玖は自分で『四葉を間接的だが別れさせた』と言ったが、そうなってしまった三玖から風太郎への心情的な部分だって風太郎なら理解できなくはないだろう。

 だから風太郎は三玖達を責めず、代わりに自分を責めた。

 ただ、今は少し気まずいだけなのかもしれない。

 

「どちらにしても、私の知るあの子達や上杉君と比べれば……いえ、比べ物にならないほど険悪であることに変わりは無いのですけどね」

 

 そう言う五月の口調は少し嘲笑の意を含んでいた。

 元の世界の五つ子達を思えば、今の状況がなんと滑稽かと思ってしまったからだ。

 つい昨日までは楽しく過ごしていた四葉と風太郎の新婚旅行。そして一緒に付いて来た自分達五つ子姉妹。

 それが今ではどうしてこんなことになっているのか。

 

「ああ……」

 

 閑静な公園のベンチで一人で佇んでいるせいもあったのだろう。

 前の世界のことを考えていると、段々懐かしさが湧いてきた。

 同時に、今日に至るまでわけのわからないことだらけで麻痺していた心が徐々に平静を取り戻してきて、本来真っ先に考えるべきことが脳裏に浮かんでくる。

 これから自分はどうなるのだろうか。この世界の四つ子のことなど気にしている場合ではないのではないだろうか。

 そもそも自分はずっとこのままなのだろうか。

 姉妹達から他人扱いされて。

 四葉と風太郎は不幸のどん底のような状況になり果てていて。

 姉妹達同士の仲さえバラバラで。

 こんな、五月にとっては輝かしい高校生活を送ったはずの末に辿り着いている最悪なバッドエンドの世界で自分は、ずっと……

 

「帰りたい……!」

 

 五月は俯き顔を覆った。

 これは夢か何かであってほしかった。

 けれど、既に一晩を風太郎の家で明かしている。目覚めたら元の世界に戻れるならとっくに戻っているはずだ。

 戻らないということは、これは現実なのだ。

 顔を覆っている視界だけでなく、自分の未来さえ暗くなっていく気がした。

 その時であった。傍から声がした。

 

「ちょっといい?」

「……はい?」

「お隣失礼するね」

「……勝手にどうぞ」

 

 顔を覆ったまま、隣からの声にぶっきらぼうに五月は返した。

 答えてから少しだけ横へとズレる。

 ベンチは二人座ったところで十分スペースが空く長さだったが、今は腰が触れ合う不快感を味わうことも嫌だった。

 けれどもズレてから気が付いた。

 相手のそれは知ってる声……いや、話し方だった。

 

「少し話をしたいんだけど、こっちを向いてもらってもいいかな?」

「……あ」

 

 顔を上げた先、自分の隣に座る人の顔は知っている人だった。

 

「先に伝えておかないといけないね。私はさっき、あなたがお店で話していた人とは違う人で────」

「……一花」

 

 隣に座ってきた人物。

 この世界におけるまだ会ったことのない四つ子の最後の一人、一花であった。

 

「なんだ、私のことも聞いてたんだ。じゃあ簡単にだけ、中野一花です。初めまして、五月さん」

「……むしろ、どうしてあなたが私の名前を知っているんですか?」

「三玖のお店で話をしてたのを途中から聞いてたからさ」

 

 そういえば自分は三玖じゃないと先ほど前置きもしようとしていた。

 それはつまり。

 

「後を尾けてきたのですか……?」

「仕事の都合で近くまで来てたから、たまたま三玖に顔を見せようとお店に行ったら中が凄い空気だったし、気になる話もしてたんだ。で、あなたの言葉を聞いてるうちに話をしてみたくなった」

 

 一花の申し入れに五月は少し身構えた。

 先ほど三玖からおよそ姉妹からは聞かされたくないような話を聞かされたばかりだから、また不愉快な展開になるのではないかと思ってしまったからだ。

 五月の警戒は一花にも伝わったらしく、彼女は少し苦笑いをするとずっと持っていたらしい缶を一つ手渡してくる。

 

「五月さんはコーヒー飲める?」

「……ええ、まあ」

「そんなに固くならないで。開けてない缶コーヒーだから、毒なんて入れられないし」

「入れられるのなら入れている、といったような言い方ですね」

「えぇ……本当に何も細工とかしてないんだけど……五月さんってばフータロー君と一緒に暮らし始めたらしいじゃん? いきなり彼に毒されてない?」

 

 引き気味に言った一花は、それから気を取り直すと自分の分も買っていたようで、もう一つ持っていた缶を開けて一口飲んだ。

 五月も合わせてコーヒーを煽ってから彼女へ向き直る。

 

「お話とは何でしょうか。正直今日はもう四つ子の話はこりごりなのですが」

 

 話しながら、初めは自分達五つ子姉妹と重ねていた四つ子姉妹のことを、我ながらずいぶんと他人事のように話せるようになったなと思った。

 訊かれた一花は缶を両手で握ると、先ほどまで話の場を設けるために浮かべていた愛想笑いを消して、代わりに薄い微笑をした。

 

「お礼を言いたくってさ」

「……あなたには何もした覚えがありませんが?」

「ううん、してくれたよ。五月さんってば三玖に怒ってくれたじゃん」

「……!」

 

 ずいぶん店での会話を鮮明に聞いていたらしい。

 一切の確認もなく淡々と話す一花に五月は少し驚いたが、それ以上に期待を良い意味で裏切られる物言いに意外を感じた。

 

「五月さんの言ってたことは正しいよ。四つ子の姉妹で仲良くできないことも、誰かがフータロー君を選んだからってそれを妬むのも、全部間違ってる」

「……三玖は、あなたも四葉を許していないと言っていましたが?」

「そりゃ、フータロー君のことは私だって好きだったもん。少しくらい『えーい、こんちくしょーめ』って思っちゃうところはあるよ」

「…………」

 

 でもさ、と一花は続ける。

 

「答えを出したのはフータロー君だし、きっと誰が選ばれたって揉めたと思う。だけど大切なのは、その先にあるそういった自分達の気持ちと折り合いをつけて四人で乗り越えることだと私は思ってるんだ」

「一花……!」

 

 五月は暗くなっていた視界が明るくなっていくような錯覚を覚えた。

 もうこの世界の姉妹には何も期待することはできないのではないか、そんな風に思い始めた矢先のことであったから、その落差から縋りたい気持ちすら湧いてくる。

 いつの間にか五月は一花へ顔を寄せるようにしていた。

 

「一花、あなたのような考えの子がいるのでしたら、どうしてこんなことになってしまっているのですか」

「もちろん私だって色々やったよ。二乃と三玖を宥めたり、四葉にフータロー君とよりを戻すように説得してみたりさ……でも」

 

 一花は両手で握っていた缶の縁を額に付ける。

 

「駄目だった。結果は変わらずじまい。ほんとお姉ちゃん失格だよ」

「そんな……一花でも……姉妹でも何とかできなかったなんて」

「昔からいっつもこうなんだ」

「……?」

「私達四人が一緒に頑張ると毎回完璧じゃないの。ツメが甘いというか、どこかで失敗するというか……一番分かりやすい例を出すとね? 昔、フータロー君って私達の家庭教師をやってたんだけど────」

 

 知っている。五つ子の世界でもそうであった。

 

「最初の頃にテストをやったんだ」

「……結果は、四人で百点とかでしょうか?」

「違うよ。言ったじゃん完璧じゃないって。四人で八十点だった。私達は四人じゃ百点も取れなければ一人前にもなれない。ずっとそうだった」

 

 なんとなく一花の言いたいことが見えた気がした。

 この世界の四つ子はとにかく『四人で乗り越える』という成功体験が少ないのかもしれない。

 

「だから私達が小さいころはお母さんがその欠けたところを埋めてくれて、大きくなってからフータロー君が埋めてくれてた。私達四つ子は誰かに助けてもらわないと、何も上手く行かないんだよ」

 

 一花は話を一度切ると、空を見た。

 今日も徐々に日が傾き始めていた。

 その少しだけ赤味を帯び始めた空を見上げながら、一花は昔を懐かしむように言う。

 

「これでも高校の頃は上手くやってたんだ。二年の期末の時に二乃と三玖が喧嘩しちゃったり、修学旅行で私がやらかしちゃったりして、姉妹の仲はちょっとずつおかしくなってたかもしれないけど、それでも私達は仲良し姉妹だと信じてた。でも本当は綻んでるところを見ないようにしていただけだったのかもしれない。だからフータロー君が学祭の日に答えを出したら綻んでたところが弾けて、後はもう五月さんも聞いての通りになったから」

「…………」

 

 先ほど店にいた頃に風太郎は何もなかったと言っていたが、実際はそうではなかったらしい。

 要するに四つ子の世界でも姉妹達は確かに大切な絆で結ばれていたが、治せない傷がどんどんできてしまっていたのだろう。

 表面上は仲良くできていても裏では確かに残っている確執。禍根と言ってもいいかもしれない。

 風太郎が何もなかったと言ったのはそういった徐々に積み上がってしまったものが見えていなかったからなのだろう。

 恋愛における機微に疎くて、かつ男性である風太郎にはそれを察知しろというのは少々酷かもしれない。

 

「こんな話をしたのはね、五月さん。私は本当はまだ諦めてないんだ」

「……諦めてない?」

「フータロー君も含めて、私達は家族になりたい」

「…………!」

「私は、今のままでいいわけがないと思ってる」

「私も……私もそうだと思います……!」

 

 まったくもってその通りの物言いに五月は心底強く頷いた。

 少し力強く頭を振り過ぎたらしく、長い髪は宙を舞い、一花ははにかむように笑った。

 

「良かった、それならお願いもできるかもしれないね」

「お願い……?」

「手伝ってほしいの。二人のよりを戻せるように。私達姉妹が元の家族に戻れるように」

「……!」

 

 それは四つ子の世界に来て初めての五月にとっての福音だったかもしれない。

 

「具体的に何をすればいいかは私も分からない。だけどとにかく今は何かやりたいから」

 

 ここの姉妹達は間違いなく自分の知る五つ子と同じ人で、だけど生まれてきたこれまでが異なる別人、そう思っていた。

 

「私は四葉を説得してみせるから、五月さんはフータロー君を何とかしてほしい。最悪、これ以上事態が悪化しないようにしてくれるだけでもいいから。もちろん、そのためならお金とか私が協力できることもする」

 

 だから五つ子の世界の自分が何かしていいのか、ずっと考えがまとまらなかった。

 

「初対面で、しかも記憶喪失らしいあなたにこんなことをお願いするのは変だって私も分かってる。だけど五月さん、あなたからは顔だけじゃなくて私達四つ子と似たようなものを感じる気がするからお願いしたいの……いいですか?」

 

 だけど何を迷っていたのだろう。

 ついさっき自分はこの世界に絶望をしかけていた。

 けれど絶望なんてしたところで、この先もここで生きていかなければいけないかもしれない可能性は消えない。

 だったらこれはもう他人事ではないのだ。

 何より自分は元の世界でだって誰より、姉妹の秩序を守ろうとした。

 ならば答えは一つだ。

 

「……もちろんです、一花。私もできる限りのことをしてみようと思います」

「よかった……!」

 

 答えるなり一花はぱっと顔を明るくした。

 それから慌てた手つきで連絡先の交換……は五月がスマホを持っていないので一方的に電話番号を聞くだけに留まったりしたが、諸々の情報交換をした。

 その最中で。

 

「そういえば、一花は四葉の説得をすると言っていましたが向こうに帰るのですか?」

「うん、元々仕事の長期ロケでこっちに来てただけだから。今日三玖の店に行こうとしたのも、それが終わって帰るから挨拶しとこうと思っただけだし」

「……てっきり四葉は今は一人ぐらしになっているものだとばかり思っていました」

「あはは、お父さんが一応あの家には住んでるんだけどね」

 

 ひとしきりの情報交換が終わった後、最後に一花は去り際に訊いて来た。

 

「そういえば、私もあなたのことは呼び捨てで呼んだ方がいいのかな?」

「あー……」

 

 一花の場合、どうしようと五月は答えに困った。

 本当なら”ちゃん”付けで呼んでもらいたいところだが、この世界では初対面であるのだからそれは少し憚られる。

 しかし、だからといってさん付けで呼ばれるのも先ほど話している間も違和感が凄かった。

 なのでひとまず。

 

「ええ、それで構いません」

「わかった。それじゃあ向こうに付いたら色々連絡するね」

 

 結局連絡は風太郎のスマホを介して行うか、特急でない限りは郵便を利用することとなった。

 今の時代に手紙でやり取りとはと少々気怠い気持ちはあったが、話している間一花は”今だけだから”などと言っていたのが少し気になったぐらいである。

 だから一花からこの後連絡が来るにしても数日後とかになるだろうと五月は予想してから、頷いて返した。

 

「じゃあまたね。五月」

「はい。気を付けて帰ってくださいね。一花」

 

 言い合ってから、二人はそれぞれ別方向へと歩き出した。

 公園を出る時、重かった五月の足は今ではすっかり軽くなっていた。

 頭痛もとうになくなり、今の五月の頭の中はただただ、これからの自分のしなければならないことに対する計画でいっぱいであった。

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