ふらふら   作:九条空

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クロッカス

 あっちへふらふら、こっちへふらふら。

 私は不思議なきのみを食べてから、根無し草になった。

 

 場所も時間も関係なく、あちこちに飛ばされる。

 それでも平気なのは、帰る場所があるからだ。

 

 地に足をつけた瞬間、私は驚いた。()()()()だったからである。

 この不思議な海ではそういうことがないわけではないと言ったが、二連続で体の中に飛ぶことになるほどよくあるわけではないので、これには腰を抜かしそうだ。

 しかしこの体の持ち主は知っているし、私の友人にして仲間だ。

 そしてその面倒を見ている男も、私の古くからの友である。

 

「クロッカス! 久しいな!」

 

 ここはアイランドクジラのラブーン、その胃袋の中。

 そこは主治医クロッカスによって過ごしやすいように改造されている。

 岬に体当たりし続けるラブーンの治療のため、やむを得ず体内に手を入れたとのことだが、それにしては見た目がリゾートすぎる。

 クロッカスは読んでいた新聞から顔を上げ、一言述べた。

 

「昨日ぶりだ」

「あはは! ごめん! 忘れた!」

 

 私にとっては随分久しぶりの出会いだったが、彼にとっては違ったらしい。

 

()()()()()()の間違いだと思いたいがな」

「そういう意味で言ったつもりだったが」

 

 私が首を傾げると、クロッカスは重々しく言った。

 

「あちこちの時代で生きとるお前さんは、記憶が欠落してもなかなか気づくことができん」

「……そうだね?」

「今度はどこで誰を救ってきた」

 

 誰かを救ったというのなら、私は英雄になっているだろう。

 しかしクロッカスは私を褒め称えるような態度ではない。

 問診と同じ雰囲気で、彼は続けた。

 

「しょうもないやつと友達になるなよ」

「親みたいなこというね」

「医者だ」

「交友関係に口を出してくる医者か?」

「お前さん、友のためなら捨て身になりすぎる。命を救うためにはもはやその処方しか考えつかん。これ以上、己を削って人を救うな」

 

 クロッカスのこの態度には覚えがある。

 ロジャーに対して言い聞かせるような口調だ。

 どうせ何を言っても聞かないのだろうという諦めと、それでも彼の思う最善を伝えてくれるクロッカス自身の諦めの悪さ。

 不治の病を患った記憶はないが、私の体質はある意味不治である。

 

「お前がかつてワシに頼んだのだ。忘れていたら教えてくれと」

 

 私が何も言わないので、クロッカスはそのまま続けた。

 

「その能力は、無茶な使い方をするとお前から記憶を奪う。忘れたことも忘れてしまう。最後には自分が誰かもわからなくなる」

 

 初めて聞くことだったが、私は驚くことなく、クロッカスの言うことがストンと胸に落ちてきた。

 驚きがないのは、かつての私がそれを知っていたからだろう。

 この感情は、納得、と表すのがもっとも近いように思われる。

 彼の言うことはきっと事実だ。

 

「そうか。正直、心当たりもないってのが問題なんだろうな。無茶のやり方は覚えているくせに、無茶したときの()()()()()

 

 この能力でできる範囲のことは、今でも理解しているつもりだ。

 できるからといってやらないのは――やりたくないのは、どうしてなのか。

 改めて考えようとしても、明確な理由は思いつかない。ただ()()という感情だけが胸にある。

 私はそれをやってはいけない、という本能。かつてはそれを、理論や経験として知っていたのだろう。

 ⁠

「クロッカス。きみから見て、私はまだ私だろうか」

「ああ。出会った時と変わらんよ」

「私はきみとまだ初めて出会っていないのか、それを忘れてしまったのかもわからない」

「まったく。昨日のお前さんともおとといのお前さんとも一緒じゃ。3日前ともな」

「私ここに来すぎか?」

「ああ。ラブーンはよろこんどる」

 

 我々の立つ大地――つまりラブーンが揺れ、彼は高らかに鳴いた。

 肯定の意味だろう。私はふっと笑って、最後にクロッカスに聞いた。

 

「私、きみに思い出させてもらうのは、何度目だ?」

「……2度目だ」

「そうか」

 

 クロッカスの言う通りだ。

 あちこちの時代で生きている私では、記憶が欠落してもなかなか気づくことができない。

 

 今までに、まだ未来のことだろうから知らないのだ、と思ってきたいくつかの出来事は、既に私の記憶から失われたものなのかもしれない。

 私には、それを知る機会がない――私が死ぬ、その時までは。

 もう私には、これ以上の未来が訪れないと悟るその日までは、なくなった記憶を確かめる術がないのだ。

 

「ま、大丈夫だ! 忘れたらまた新しい思い出を作るさ!」

 

 ブルックの作った新曲を、ラブーンに聞かせてやろう。

 ラブーンの体の外に出ようと歩き出したが、ふと足を止める。

 

「ああでも、私に覚えていて欲しいことがあったのならごめんね。私は随分あなたに甘えたらしい。嫌な役回りをさせてすまない」

「そう思うのなら無茶をするな。しょうもないやつと友達になるな」

「……努力しよう。一応聞くけど、しょうもないやつってのはどんな感じの……」

「お前さんが守りたいと本気で思う仲間以外の全員」

「おおーっ、結構厳しいな……!」

 

 麦わら大船団とかは含めていい感じか……?

 しかし海軍にも私が勝手に友達認定している者は多いし、うーん。

 

「全部守ろうとすれば、本当に大事なものを取りこぼすぞ」

 

 頭を悩ませていると、クロッカスは私にそう言った。

 私のためを思っての忠告だ。当然無下にするつもりはない。

 それでも、私は言わずにはいられなかった。

 

「だが、全部守ろうとしない自分のことを、私は愛せないよ。大事なものには()()()も含まれるだろ?」

「それがわかっとるなら、これ以上言うことはない」

「うん。ありがとう、きみは変わらず名医だ」

 

 クロッカスはため息をこぼし、新聞を広げて目線を落とした。

 さて、じゃあ私はブルック作「ネコマムシの旦那」の歌詞を頑張って思い出そう。

 メロディは覚えているが細かいところがな……あとバイオリンもないんだよな。

 アカペラであの曲の魅力を伝えきれるだろうか。

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