あっちへふらふら、こっちへふらふら。
私は不思議なきのみを食べてから、根無し草になった。
場所も時間も関係なく、あちこちに飛ばされる。
こんなのはもう嫌だと、ずっと思っていた。
己のいる場所がどこかさえわからない。
そんなことはどうでもよかった。
あんまり悲しくて、涙さえ枯れてしまった。
あるいは、私の体から流れゆく、この血液がそれの代わりなのかもしれない。
「グルル……」
飢えた獣が、私の前にやってきた。
私は、はっ、と小さく笑った。これで死んでも、もういいや。
どこぞの獣の血肉になって死ねば、私の生が、まったくの無駄ではなかったと信じられるかもしれない。
獣が牙を見せつけるように口を開いた。
「こらぁーっ! やめろぉーっ!」
途端、木の棒を持った少年が、私の前に飛び出してきた。
ぶんぶんと木の棒を振り回すが、その程度で獣は一切ひるまない。
このままでは、私より先に少年が獣の血肉になってしまいそうであった。
「ガウッ!?」
死にかけていても尚、私がにらみつければ、獣はひるんだ。
きっと覇気はにじまなかっただろうに、それでも、だ。
あまりの根性のなさに、やっぱりコイツに食われなくて良かったと思った。
「どっかいけ、オラァー!」
再び少年が棒を振り回すと、獣はおずおず、まだこちらを未練がましく見ながらも、ゆっくりと去って行った。
「おまえ、だいじょうぶか!? すんげェ血出てるぞ!」
私は血反吐を吐きすぎて、かすれた声で言った。
「……だいじょうぶじゃない」
「そりゃそうだ! まってろ、医者呼んできてやる!」
私は少年の腕をつかんだ。
掴んだ私が一番驚いて、自分の手を見た。
こんなに死にかけているのに、よく腕が上がったものだ。
「なんだよ?」
死にかけの私の腕を振り払うことなど、この少年にだって簡単だろう。
しかし少年は、私の言葉を待った。
まともに動かない舌をなんとか動かして、私は懇願した。
「い、行かなくていい……」
「でもお前そのままだと死ぬぞ!?」
「……もう、それでもいいかなって」
「はあ!? バカヤロー! お前になんのけんりがあって死のうとしてんだ!」
私は口を開けて、少年を見た。
まさか、自分に死ぬ権利がないとは、今の今まで、思ってもみなかったからである。
少年は本気の本気で怒りながら、私に向かって怒鳴った。
「目の前で死なれたら、ねざめがわりーだろうがッ!」
ぽかん、とした。
ただ、その時の私は、少年のその言葉がすとんと胸に落ちてきたのである。
「……たしかに」
その通りだと思った。
だから私は一旦、死ぬことを止めた。
……
医者を連れてきてもらうのはやはり拒否した。
私が未だ死のうとしていると思った少年は再び怒鳴ろうとしたが、それを制した。
「救急箱と食事だけくれ。それで治る」
「そっか、飯食えば治るもんな! ちょっと待ってろ!」
すんなり納得した少年は、ばたばたと走り出した。
教育的なことを考えるのなら、これだけの重症患者は、救急箱と食事で治るわけがないことを伝えるべきなのだろう。しかし先生役をやれるほど、私は高尚な存在ではなかった。
このまま帰って来なければ、勝手に死んでしまえるのだけど、と脳裏をよぎったが、戻ってきた少年が私の死体を見つけたときのことを想像すると、それもできなかった。
死なないことを考えた。心臓の音を聞いて、息をする。
一番大きな腹の傷を手で押さえて、少しでも血が流れないように努めた。
走って戻ってきた少年は私を見て、息をしているか確認した。
「まだ死んでねェな!?」
「うん」
「ダダンのとこからくすねてきた!」
ダダンが誰かは知らないが、災難なことだ。
少年が置いた肉の塊と、救急箱のうち、先に救急箱に手を付ける。
とてもじゃないが、腕は背中に回らないなと思った私は、少年に尋ねた。
「包帯巻ける?」
「巻けねえ!」
潔い返事に笑った。
「じゃあ教えるから手伝ってくれ。覚えておいたら将来役に立つよ」
「海賊になるのにか?」
意外な言葉だったので、少年の顔をまじまじと見る。
「てっきり海兵になりたいのかと思った。命がけで人を助けたのなら」
「海賊がそれやっちゃいけねえこたねえだろ! 海賊王ってのはな、この海でいちばん自由なんだ!」
「……そうか。そうだね」
傷口に消毒液をぶっかけて、酷い裂傷をいくつかだけ糸で縫い付ける。
普通、救急箱に糸と針はないが、入っていて助かった。私と同じような考えの人が使う救急箱らしい。
少年はおえー、という顔をしていたが、私の処置をまじまじと見ていた。
このくらいの血に慣れておかなければ、海賊王にはなれまい。
少年に包帯を持つのを手伝ってもらい、傷口に巻いて、おおよその手当は終了だ。
医者が見たらキレられそうな大雑把なものだ。だが医者の顔を今は見たくなかった。医者の仕事は尊いものだと思っているが、今の私が彼らの仕事を肯定できるとは思えない。生かして欲しくないとどこかで思っているようなやつは医者にかかってはいけない。
「なあオメー、どっから来たんだ?」
「どこからでも」
「なんだそりゃ」
「どこからでも来て、どこにでも行く」
「それって自由だなー」
「いや」
私は自分自身を鼻で笑った。こんな人生が自由とは呼べないだろう。
そも、私の性質自体が、自由というものに向かない。
「本当はどこにも行きたくない」
「行かなきゃいいだろ?」
「それができない。心臓を止めたら死ぬのと同じで、どこかに行かないと私は死ぬ」
「なんだそりゃ」
「そうだな。引っ越しをしたことは?」
「おれはじーちゃんに勝手にここに連れてこられた!」
「それと同じことが、私には毎日何度も起きる」
「最悪だな!」
「うん」
――たぶんポーネグリフの読み書きくらいの秘密を、ぽろっと喋ってしまった。
真相には程遠いが、それでも、ほんの少しのヒントになりそうなことでさえ、今までずっと胸に秘めてきたというのに。
死んでしまってもいいかと、一度思ったくらいで、これほど口が緩くなるとは。
自嘲する気持ちはあれど、一度話し出してしまっては、もう自分を止められなかった。
「友達もできない。できてもすぐに別れることになる。だからもう生きているのが嫌になった」
「友達がいねェのはおれも一緒だ! じゃあおれと友達になろう!」
「……ありがとう。でもきみと友達になって、すぐに別れることになってしまうのが耐えがたい」
「じゃあ、おれ、ずっとお前のこと待っててやるよ!」
――かつて、私に同じことを言った男がいた。
「待たせていいの?」
「ああ、いいぞ! おれも友達いねェから! お前のことずっと待っててやれる!」
「……きみに別の友達が出来たら、私はもういらなくなるんじゃないのか?」
「別の友達と一緒にお前のこと待ってる! 友達いっぱいと待ってたら、お前が来るのなんて一瞬だ! それに友達がいっぱい待ってたらお前もうれしいだろ!」
私にそう言ってくれた男がいなくなってしまったから、私はもう死んでもいいやと思ったのだ。
それが、どうだろう。
おんなじことを、同じように言われたら、私、それだけで――生きてていいのかと思ってしまった。
「……うん。なあ、名前を教えてくれ、友よ」
「おれはルフィ! 海賊王になる男だ!」
それが、モンキー・D・ルフィとの出会いである。