あっちへふらふら、こっちへふらふら。
私は不思議なきのみを食べてから、根無し草になった。
場所も時間も関係なく、あちこちに飛ばされる。
それでも平気なのは、帰る場所があるからだ。
「あ、あなた様は!」
上から可憐な声が降ってきたので、顔を上げた。
場所はすぐにわかった。魚人島の王宮、硬殻塔だ。
声の主はビッグキスの人魚にして魚人島の王女、しらほし姫だ。彼女とは子供の頃から仲良くしている。大きくなったねと私が口にする前に、しらほしは私をすくい上げるように両手で持つと、わんわん泣いた。
「会いとうございました〜!」
「オワーッ!」
しらほしから流れる涙が私に降り注ぐ。
しらほしは巨大だ。たぶんリンリンよりも大きい。
だから彼女から流れる涙は、私にとってほとんど滝のようだ。控えめに言ってシャワーだが、何度か涙に溺れて知ったことに、涙というのは塩分を含んでいて海水に近い。つまり私にとってなによりの弱点なのだ。あと普通に女の涙にも弱いよ。
「ご、ごめんなさい! 会えたのがあんまり嬉しくって……!」
「それだけ喜んでくれると冥利に尽きるが……せっかくなら笑顔が見たいよ、しらほし」
なんとか涙を止めたしらほしは、びしょぬれの私をハンカチでぬぐった。
バンダーデッケンから逃れるためとはいえ、ずっとひとりでこんなところにいるのだ。訪ねてくる者があれば誰でも泣くほど嬉しいのだろう。
しらほしは涙ではなく目をきらきら輝かせると、両手を組んで私に言った。
「またお話を聞かせてくださいますか?」
私の話を聞くとすぐに泣いてしまうのに、しらほしはどうしてか私の話が好きだ。刺激的な話をする者は、王宮にはいないのかもしれない。私も子供向けの話を選んでいるはずなのだがな。歳の感覚が狂っているからだろうか。
最近あったなにか面白い話、と思い出しながら口に出す。
「あ、じゃあドラゴンを斬った侍の話とか」
「そんな……!」
しらほしの両目にじわじわと涙が溜まっていく。
「ドラゴンさんが可哀想です〜!」
「これは予測できたな。私が悪い」
ここで斬られて当然の悪いドラゴンだったのだ、という説明をしても、しらほしはドラゴンにいじめられた者たちを思って泣くだけだ。
悪者が出てこず、大小問わず悲劇が一切起こらない話など、中々ない。私は毎回しらほしに聞かせる話の内容に頭を悩ませている。
しらほしに嘘つきノーランドの童話を聞かせた際は大変なことになった。確かにバッドエンドだし、本人を知っている身からすると単純に悲劇だ。あの話の中でノーランドはかなりの悪者、マヌケとして描かれている。
でもこれが北の国では一般的な子供向けの話だって聞いたから……!
私は挽回しようと、ノーランドは嘘をついていないことをジャヤの歴史を混じえて話したら、もっと大変なことになった。しらほしが自分の涙で溺死してしまうかと……人魚だからそれはないか。涙を流しすぎるあまりに、干からびてしまうかと思ったほどだ。
私はあんまりしらほしを泣かせたので、ネプチューンからしらほしとのトーク禁止令を出されたほどだ。それは、嫌がってもっと泣いたしらほしによって、すぐに解除された。
物語には起承転結があり、山も谷もあるが故、うそつきノーランドほどではなくとも、どこかには辛いシーンがある。となるともう雑談、日常の話か?
しらほしは厄介なストーカーに目を付けられて以降、とても長い間軟禁生活を送っているし、魚人島から出たことがないため陸の生活も知らない。なんでも新鮮に聞こえるかもしれないが、外への憧れをいたずらに強くして彼女を危険にさらすことにはならないだろうか。
しかし憧れは誰にも止めることのできない感情だからな。とりあえず、それほど刺激の強くなさそうな私の日常を話してみるか……直近は流血ばかりだな……平和平和……えーと。
「私が初めての農業体験でトマトを取ったときの話……?」
言っておいてなんだが、この話は要点がそれしかないため、これ以上話すことがない。
「まあ……!」
両手で顔を覆ったしらほしは、手の隙間からぽろぽろと涙を落とした。
「エーッ!? しらほし、これでも泣くのか!?」
「だって……!」
トマトが泣くほど嫌いだったのか!? と動揺していると、しらほしはしゃくりあげながら、なんとか言った。
「あなた様が幸せそうにしてらっしゃるのが、嬉しくって……!」
「ありがとうねしらほし、しかし私はいつでも結構幸せだよ」
「でもいつも傷だらけじゃありませんかぁ!」
「それはそう」
私の前でしらほしがしょっちゅう泣いているのは、彼女が泣き虫だからではある。しかし平和な場所で育った女児を泣かせる程度の傷まみれで現れてしまう私も悪い。しらほしはもう女児という年齢でもないかな。赤ん坊くらいすぐ泣くけど。
「今日はほら、ほとんど無傷!」
「その包帯はなんですか!?」
「ほとんどなんでもない!」
「ほとんどってなんですかーっ!」