あっちへふらふら、こっちへふらふら。
私は不思議なきのみを食べてから、根無し草になった。
場所も時間も関係なく、あちこちに飛ばされる。
それでも平気なのは、帰る場所があるからだ。
「いいぞねーちゃん、もっとやれー!」
その声を聞いて、私は机に飛び乗った。
空の皿を蹴散らして場所を作り、机の上でかかとを鳴らした。
手は別のリズムで打ち鳴らす。揺れる机の上でガチャガチャと鳴る、食器とグラスもドラムの一部だ。
酒場のステージで、テナーサックス、トランペット、ピアノ、ギターをそれぞれ担当するミュージシャンが、楽器を構え直して演奏を始めた。
元はといえば、ボーカルが諸事情により不在というところから始まった。
歌がねえなんて、とブーイングを飛ばす客を見て、私が飛び出したのだ。
歌なぞなくとも楽しめる。音楽と酒は我々の友人だ。
これはジャズだ。ミュージシャンとの打ち合わせなどない。
ボーカルとはこのステージでやることが決まっていたのかもしれないが、私はそんなの知らない。
この歌に意味もなければ歌詞もない。スキャット。歌う。
酒場の客の笑い声、飛んでくる野次、彼らも曲の一部だ。
息切れしかけ、私はテーブルから飛び降りた。
近くの酔っ払いに肩を叩かれ「最高だ!」と褒められる。当然悪い気などしない。
飲め飲めと渡される、誰の飲みかけかもわからないジョッキを一気飲みした。
その飲みっぷりに対し、再びの歓声。
「チップだー!」
声と共に飛んできたコインを難なくキャッチする。また歓声。
私を褒める口笛が飛んできて、にやりと笑うと、皆が笑いながらポケットに手を突っ込んだ。
ケラケラ笑いながら、私はたった今受け取ったコインを、指に挟んだ。
途端、飛んでくるチップの嵐。皆が一斉に、私へコインを投げたのだ。
腕を伸ばせば届く距離のコインを、高速ですべて掴み取る。
しかし酔っ払いの狙いは不正確だ。見当違いなところに飛んだコインは8枚。
私は最初に持っていたコインを指で弾いた。
正確な軌道を描いて、コインは空中でコインとぶつかる。
弾かれたコインたちは壁にぶつかって曲がり、弾いたコイン共々私のところにやってきた。
手でつかむ。残り7枚。
私はコインを弾くのとほとんど同時に近くの椅子を蹴り飛ばし、隣の机を倒した。
机の上に乗っていた皿が宙を飛び、私より大きく右へ飛んでいった3枚のコインにぶつかる。
コインの軌道は変わって、私の手の届く距離にやってきた。それを掴み取る――残り4枚。
足元に飛んできたコインは、サッカーボールのように靴でドリブルした。
つま先をあげてコインを私の眼前に浮かせ、薬指と小指の間でキャッチする。
残りの3枚は皆同じ方向だ。私は叫んだ。
「オーダー!」
「はーい! ……あら!?」
ウェイトレスの女性は私の声を聞き、手に持っていた空のジョッキを軽く上げて返事をした。
ジョッキがあがった拍子に、飛んで行ったコインがちょうどよく、チリンとジョッキの中に入る。
私は両手を見せびらかした。
指の隙間にはびっしりと、私に向かって投げられたチップのコインで埋まっている。
「チップ入りジョッキひとつ!」
「あはは! はいどうぞ!」
ウェイトレスは景気よく、机の上にコインの入ったジョッキを置いた。
ジョッキの中にあったコインはその拍子にジョッキから飛び上がって、私の目の前を飛ぶ。
私は3枚のコインをぱくっ、と口でくわえて見せた。
こうして、私に投げられたチップはもれなく全部受け取ってみせた。大歓声。
続いてコインではなくベリー紙幣が飛んできたが、私は大笑いして、くわえていたコインを落としかけた。
そのコインもキャッチして、ポケットにしまいながら、飛び交う紙幣を見て言った。
「このチップでみんなが飲んでいいよ!」
――やはり大歓声。
元は皆の金だというのに、まるでおごられたかのような喜びようである。
酔っ払いというのは、雰囲気でも酔えるものだ。
私は多くの荷物を持てない。
ポケット一杯のコインですら、ちょっと重たいくらいだ。
最高に機嫌のよい酔っ払いから肩を叩かれ、口笛ではやし立てられ、「愛してるぞー!」なんて声をかけられながら、私は勝手口から外に出た。
夜風に当たる。飲み過ぎた。
わき腹の傷がふさがりきっていないから、一杯だけにしようと思ったのに。
酔っ払いの一杯だけ、ほど信用ならない言葉もない。
酒場の壁にもたれかかり、月夜を見上げる。
壁越しに聞こえる喧騒が心地よい。楽しかったな。そんなことしてる場合じゃないのに。
情報を集めるには酒場、と思って安易に入るんじゃなかった。
酒場に入ったら酒を飲んでしまう。飲んだら楽しくて歌って踊ってしまう。
そして私はちょっとした小銭を稼いでしまうのだ。
このお金は旅に役立つのだけど、だから、今はそんなことをしている場合ではないのだ。
ビンクスの酒を口ずさむ。
この曲は好きだ。明るく歌ったら明るくなれるし、悲しく歌ったら悲しくなれる。
どんな気持ちにも寄り添ってくれる歌だった。
しばらくそうしていると、私が出てきた勝手口から、男が3人出てきた。
彼らを目の端に収めながら、私は鼻歌を続けた。
「なあ――」
男の手が伸びて来て、私はのんきに考えた。さっきチップを投げてきたうちの1人だろうか。
別に彼のコインくらい返してやってもいいけど。
手が私に触れる前に、男は前のめりに倒れた。後ろから殴られたのである。
殴ったのは黒帽子を被った長身の男だ。
「なんだ!?」
帽子の男が鈍器にしたのは、骨付き肉を食べ終わった後に残る骨だ。
というか今食べたばかりなのだろう。口がもごもごしている。
「てめェ、俺たちが先だぞ!」
「先だ? 世の中は早いもん勝ちじゃねェ」
1人やられていきり立った男が、骨を持った男に殴りかかる。
しかしあっさり躱されたのち背後に回られ、強烈な蹴りを背中にくらうことになった。
蹴り飛ばされた男は、酒場の裏手に置かれていたバケツに頭から突っ込んで沈黙した。
「――強いもん勝ちだ」
最後のひとりは、口に骨を突っ込まれてくわえさせられたあと、顎を蹴り抜かれた。
男は自分の歯で骨を噛み砕いてから昏倒した。見事。
なんかよくわかんなかったけど、私は危なかったらしい。殺気も何もなかったので油断していた。
殺気を消せるほどの凄腕暗殺者には到底見えないので、金目当てのカツアゲかな。
「小銭しか持ってないのがわかってるのに私を狙うなんて、酔狂だなあ」
「狙いは金じゃねェだろ」
私は首を傾げた。それ以外に持っているものがあるだろうか。
「ったく……そんなんで酒場で目立つことするな」
苦言を呈された。
察しの悪さは、酔いによるものだと思って許してほしい。
「そこまで目立つつもりじゃなかったんだけど。今日はちょっとむしゃくしゃしていて」
思う通りにことが運ばない苛立ちから、少しばかり、なにもかもどうでもいいやという気持ちが覗いてしまった。特に酒場は無礼講だし。
私だって時には、なんにも考えたくないときがある。
「気にかけてくれてどうもね、お兄さん」
「お兄さんってのはやめろ」
「お名前は?」
「シュライヤ・バスクード」
「バスクードくん?」
口の中で名前を転がすと、なんだか馴染まなかった。
「そっちは姓だ。ま、どっちでもいいが」
「珍しいね、覚えやすい。ありがとね、親切なシュライヤくん」
「親切じゃねェって」
酒場ではしゃいで悪漢に目をつけられた女を助けておいて、親切ではないとはどういう了見だろう。
私は首を傾げてシュライヤを見た。
「見返りがほしいのか? 私に渡せるものはさほどないが」
「……なにをくれるって?」
シュライヤは、ものが欲しいという顔には到底見えなかった。
眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに私の答えを待っている。
これは慎重に答えなければならない。なぜかわからないが、返答次第で怒られそうだ。
「……歌のリクエストなら受け付けるよ?」
「チッ……」
舌打ちされた。外れだったらしい。
彼とは顔見知りではないはずだ。酔っていてもそれくらいはわかる。
さっき会ったばかりの、酒場で歌う女に何を求めるかって、それくらいだと思ったのだがなあ。
一応確認しておくか。さっき会ったばかり、でなかったら申し訳がない。
「シュライヤくん、私と似た顔の女と知り合いだったりするか?」
「なんだその質問」
「ああ、別に私本人でもいいんだけど」
「尚更なんだよ。まあ、似てるといやあ……」
私は彼を知らずとも、彼が私を知っているパターンかと思ったのだが、それともまた違ったようだ。
「……いや。妹が生きてたらアンタくらいの歳かと思っただけだ」
私はシュライヤをまじまじと見た。彼は若い。
「ンなわけあるか! 私きみよりずっと年上だぞ!」
「はあ? それこそンなわけあるか、ガキのくせして」
「はァ~!? なんだきみ、優しいのは私をこどもだと思ったからか! 心外だな! 妹!? 百歩譲ってそれが双子の妹だってんなら許せるが!?」
「生きてたら11だ」
じゅっ……絶句した。
え? 私そのくらいに見えるのか?
見知らぬ人たちからはお姉さんなどと呼ばれるので、少女判定されると思っていなかったぞ。
まあ店先の人はどんな年齢でもお姉さんと呼ぶだろうが――しかし少女の場合、呼び名はお嬢ちゃんであることが多い。……お嬢ちゃんと呼ばれることもたまにあるなァ。
文化圏の違いか? 姓と名が逆転するような地域出身者から見ると、私は成人には見えないほどの童顔に見えるのか。
あるいは彼らの発育がめちゃくちゃいいのか? こう見えてシュライヤくん13歳とかだったりする?
「あーびっくりした。驚いて酔いが吹っ飛んだ、それはありがとね。しかしガキではねェよ。ババアと呼ぶなら許すよ」
「ババアは無茶だろ。赤ん坊をジジイと呼ぶようなもんだ」
「私を赤ちゃんだと思っている?」
不老の化け物と呼ばれるくらいならババアと呼ばれた方が随分マシという理由だが、そうかァ。
私ってそんなに若く見えるのか。
……でも今日は酔ってこどものように騒いだから、それもあるだろう。
私の見た目はもう変わらないのだから、立ち振る舞いによって年齢を上に見せるしかない。
ポジティブに考えるか。今度子供のフリしてどっかに潜入してみようか?
バレなかったときが悲しすぎるからダメだな。
シュライヤとの会話は思いのほか楽しく、だからこそ気分が落ち込んだ。
「こんなところで楽しくやっている時間は、本当ならないんだ。私はやらなければならないことから目を背けている」
酔っている場合ではない。あるいは次に向かうのが血塗られた戦場だというのなら、なにもわからないほど酔っぱらってしまいたいけれど、そうもいかない。
私は覚悟を決めなければならない。時間を無駄にするのはもうやめだ。
会話の途中だというのに思慮の海に沈んでしまった。
それを謝ろうと口を開こうとすると、シュライヤは神妙な顔で私を見ていた。
「悪かったよ。さすがに11よりは上だったな」
「わかってくれて嬉しいよ」
何を理由にわかってくれたのだかわからないが、シュライヤは謝罪した。
「でも、おれよりは下だろ」
「グギィ……」
「どんな悔しがり方だ」