あっちへふらふら、こっちへふらふら。
私は不思議なきのみを食べてから、根無し草になった。
場所も時間も関係なく、あちこちに飛ばされる。
それでも平気なのは、帰る場所があるからだ。
雪が降っていた。
空を見上げれば、雪以外のものが降ってくる。
あれは糸だ。鳥カゴのように島全体を覆っていた糸が解けていく。
視線を戻す。目の前でコラソンが死にかけていた。
どうしてこうなったのかは知らない。
私がここに来た時には既に、コラソンはこの状態だ。
複数の銃弾の痕。弾が貫通しているのかも定かではない。
このままでは死ぬだろう。
しかし、彼はまだ生きている。間に合ったのかそうでないのか、私にはわからない。
私は、今できることを考えるしかない。
「死にかけているのなら、死ぬよりひどい目にあうかもしれない賭けに乗ってくれるか?」
コラソンに問えば、彼はかすかに頷いた。
もう口を開くだけの力もないのだろう。
「頼むよ。今だけはふらふらしていたくない。お願いだから……」
私はコラソンの手を掴んで、祈った。
強く強く願った。望む場所に行きたい。
――雪が降っていた。
「ヒーッヒッヒ、ハッピーかい?」
私は、自分の望みが叶ったことを悟った。
降る雪の種類が違う。瞬間、私はコラソンと共に別の場所にいた。
きっとうまく移動できた。彼女は世界一の医者だ。もう大丈夫。
「助けてくれ」
言葉にしてそう願うと、くれはは私に怒鳴った。
「何ぼさっとしてんだい。とっとと運びな!」
私はコラソンに肩を貸す形で彼を運んだが、意識のない大男を運ぶには私の身長は足りなかったので、彼の足を引きずることになった。
オペ室に運び込んだところで、申し訳ないが手を離せない、とコラソンの手を握りながら言う。
くれはは「だったら手伝いな!」と私にメスを放ってきた。
思わずコラソンの手を握っていない方の手でキャッチしてしまったが、私はメスを人差し指と親指でつまんだまま困惑するしかない。
「おい、素人に渡しちゃダメだろ、こういうのは!?」
「切るのは得意じゃなかったのかい?」
「得意だけど、え!? いいの!? どっからどこまでどう斬る!?」
色々あったがなんとかなった。
コラソンは一命をとりとめ、五体満足でベッドに寝ている。
本当にいろいろあった。ちょっとトラウマになるかと思った。
人の手術は目と鼻の先で見るものではない。自分の手術ならまだしも。
「ラブラブな恋人かいまったく。ずっと離れないなんてねェ」
「手を握っていないとどこかに行っちゃいそうなんだ。私がね」
私は触れているものと共に飛べる。
地面は判定外で、生物は判定内。
ただ偏に彼を生かしたいと願ったから、私はくれはのところにやってこれた。
今コラソンと離れては、彼をここに置いていくことになる。今の時代がいつか詳細は知らないが――たぶん結構な時を越えてきてしまったのではないかな。
私は彼を連れてきてしまった責任をとって、彼を元の時代に戻さなければならない。
「ま、わたしゃ構わないよ。珍しくまともな治療費をもらったんだ」
くれははそう言うが、まともといっても大した額ではない。
両ポケットいっぱいのコイン、その半分。
世界最高水準の医療を受けるにしては安すぎるだろう。
「ごめんねくれは、私は毎回きみを買い叩いているな。やっぱりあのとき紙幣も貰っとけば……いや、あのときのお宝をちょっと貰ってれば……」
「ヒーッヒッヒッヒ! あたしからぼったくれるのはアンタだけだよ!」
医療費を安くすませてしまうことはぼったくりとは言わないのでは……しかしそれに準ずる悪い行いかもしれない。
くれはが気にしていないのが逆に申し訳ない。
バグ技みたいなんだよ、この医者のかかり方は。
所持金の半分を持っていく名医を、所持金の少ない時に訪ねるのは、失礼ってなもんではないだろうか。
金の稼ぎ方はいくつか思いつくが、どの方法を取ったとしても、金自体が重いという問題は解決できない。
黄金って重いんだよな……。
……
手を引かれる感覚があって、私は目を覚ました。
がばりと起き上がる。私はなにをしていたんだっけ――起き上がった先、ベッドで困惑する男の顔を見て思い出す。
コラソンを助けた後、彼のベッドの脇で居眠りしていたんだった。
あれからどれだけ時間が経ったのかわからないが、コラソンは無事に目を覚ました。
喜ばしいことだ。私は笑顔で挨拶する。
「おはよう。元気?」
「……生きてるのか、おれは」
「え? 天使と見間違えるくらいの美人?」
「言ってねェ」
「若さの秘訣かい?」
「聞いてねェ! おれが言うのもなんだが、怪我人にあんま喋らすなよ!?」
私が軽くボケたら、くれはもそれに便乗したため、コラソンは律儀に我々へつっこみを入れた。
確かについさっきまで致命傷で死にかけていた男にやらせることではなかったな、と謝ろうとした矢先、コラソンが発言する。
「大体そんなに若くないだろ」
ロシナンテの顔、数センチ横に包丁が突き刺さった。
くれはは
「あたしゃピチピチの140歳だよッ!」
「だったらめちゃくちゃ若いッ! 舐めたこと言ってすんませんでした!」
即座に謝れたことは感心するが、そもそもの発言がよろしくない。
くれはは己の患者に手心を加え、串刺しにしない程度で収めてくれたが、私もコラソンに苦言を呈した。
「今のはさすがに失礼だろ」
「女性の扱いには慣れてねェんだ……男所帯だったもんで……」
「男兄弟なんだ?」
「それもそうだが、育った海軍の方だな」
「きみ海兵なの? 初耳だな」
私はコラソンに詳しくない。
ローと一緒にいたので彼と仲が良いのだなということくらいしか知らない。
なんならローについてもそれほど知らないしな。
海兵だったんだ、へー、と思っていると、コラソンはだらだら冷や汗をかき始めた。
「ハッ! うっかり喋っちまった!」
「さすがにうっかりすぎるだろ」
喋っちゃまずいと思っていたのだとしたら、あまりの失言だ。
海兵あがりの海賊はまあ、それなりにいる。
しかし、彼の口ぶりからするとそれは違いそうだ。海兵の方が本業か。そういう部署を知っている。
「なんだ。海兵なんだったら、近くの医者に診せればよかったな。てっきり犯罪者だと思ってた」
「いや、あながち間違ってねェ。おれはオペオペの実を手に入れるために、ドンキホーテ海賊団も海軍も裏切った」
話が複雑だな。結局犯罪者ということでいいのか?
オペオペの実は、ローが食べた悪魔の実だということは聞き及んでいる。
その入手経路にコラソン、延いてはドンキホーテ海賊団、なんなら海軍さえも、関わっているということなのだな。
私が相当なリスクを背負って彼をここに運んできたのは、無駄ではなかったということで良さそうだ。
「で、おれはなんで手をつながれてんだ?」
コラソンは自分の右手をあげた……その手は私につながれている。
私はその手を放すことなく言った。
「離れ離れになると困るから」
「今どっかに行けるほど元気じゃねェが……」
「いや、手は放さない。私がどっかに行くからだ」
「お、おう……?」
コラソンが困惑するのも当然だ。この説明に道理はない。
私はため息をついた。こうなったのは私の責任だ。
一方的に彼を振り回してもいいが、そこに誠意はないだろう。
「いいかいコラソン。こうなったからにはリスク承知で、ほんの少し説明してやる」
もう私は取り返しのつかないことをやってしまったのだ。
最後までやり遂げる責任がある。
「私はちょっとした能力できみを世界で一番の医者、くれはのところに一瞬で運んだ」
「感謝してる」
「私の能力は瞬間移動なんて
「わかった……お前、そんな大変なことをしてまでおれを助けてくれたのか。どうしてだ?」
「友達だから」
私が言うと、コラソンが困惑した。
「おれとお前は一回会っただけだろ」
「それが? 私が友達になりたいと思ったのなら、その人はもう友達なんだよ。出会った回数が関係あるのか?」
出会った回数も順序も、私には意味をなさない。
ぜんぶめちゃくちゃだ。だからその1回を大事にする。
それがその人と会う最初なのかもしれないし、最後なのかもしれない。
答えを自分だけが知っていても、やはり意味がない。
「全力で子供の命救おうとしてるきみはかっこよかった。だから私もきみの命を全力で救った。納得がいかないか?」
「……いや。ありがとな」
ほっと胸をなでおろす。これ以上の説明は私には不可能だったからだ。
なぜなら、それ以上の理由が存在しないから。
「おれの名前はドンキホーテ・ロシナンテだ」
「その姓は……」
「ああ。おれはドフラミンゴの弟だ。兄を止めるために潜入していた」
男兄弟って……なるほど。
彼がドフラミンゴに似ているかどうかはわからないな。
私はサングラスをかけられると、途端に顔の認識が曖昧になるのだ。
そのせいでフランキーのことがわからなかった。
「ロシナンテと呼んだほうが良いか?」
「そうだな。コラソンはコードネームだし……ドフラミンゴ海賊団からは足を洗った」
足を洗ったのではなく、粛清されたのでは?
そんな野暮なことは言わないが……海軍での扱いはどうなっているかな。
任務を失敗したスパイということなら、切り捨てられて当然か。
あるいは生きていることが発覚すれば、海軍側の追っ手がかかる可能性もある。
まったく、面倒な人を拾ってしまった。後悔はない。
「くれは、フレバンスが滅んだのは何年前?」
「15年前だね」
「は? 何言ってるんだ、2年前だろ」
どちらも真実を述べている。私は頷いた。
13年のズレは許容できない。手を放さずにいてよかった。
このままロシナンテをここに置いていけば、私は彼から13年を丸々奪ってしまうことになる。
相対的に彼の寿命は伸びるかもしれないが、ロシナンテはローの成長する姿を見たいだろう。
「私たちは長居ができない。くれは、申し訳ないけれど……」
「あたしの前から患者が消えるときは、治るか死ぬかだ……」
くれははそう言うと、再び包丁を構えた。
「だから死になァ!」
「えーッ!?」
驚愕するロシナンテをベッドから引きずり下ろして、間一髪包丁から守ってやる。
ベッドは飛んできた複数の包丁で串刺しになった。
そのまま部屋から転げ出て、廊下を走る。
大怪我をしているが、ロシナンテの回復力は大したものだ。既に私が肩を貸す程度の補助で走れる。
正確には、私は彼の腰を掴んで運んでいる。肩の位置は高すぎるのだ。
みんな発育がいいなと思っていたが、むしろ私の身長が低すぎるのか?
逃げる私の右頬を飛んできた包丁が掠めていき、私は笑った。
「あはは。あーおもしろい」
「殺されかけてるのにか!?」
もう少し、くれはと包丁投擲鬼ごっこを楽しみたい気持ちもあったが、万が一ロシナンテに包丁が刺さったら可哀想だ。私はここにはいられない。
「こ……ロシナンテ。きみは頭が良さそうだから、色々気づくだろうけれど、気づかないフリしてなんにも言うなよ」
くれはを恋しく思う気持ちを、彼女が投げる包丁の危険性を思って、無理やりかき消した。
私はくれはが大好きだ。100年以上の時を友として過ごした彼女の配慮は完璧だ。
意気地無しの私を送り出す手段として、これ以上ない。
次は受診以外の理由で彼女を訪ねよう。
心に決めて、私は次の場所に飛んだ。