お父様、私に走ることを教えてくださったのは、確かお父様だったことを記憶しております。
おかげさまで健康優良児でしたし、それなりに体力も付きました。ついでに逃げ足も速くなりました。今度家に戻った際は、また散歩がてらハーフマラソンでも走りに行きましょう。
約束ですよ。
体力低下の懸念があったものの、久々にいい汗をかきました。
走破タイムは三十八分。まあ四十分を超えなかっただけ自分を褒めてあげるとしましょう。信号とか踏切とかもありましたしね。
大会に出たことがないので自分がキヴォトス内でどのぐらいの速さなのかはわかりませんが、鍛え直せば高校生の中ではいい勝負ができるのではないでしょうか。
道行く人に何事かと見られてしまいましたが、そんなものは故郷でも日常茶飯事でしたので気に留めることでもありません。ブラックマーケットに近づいてからは向かっていることがあからさまにならないよう、一応途中のビルに上って屋上走行をしておりましたので、スナイパーの方がいない限りは見られていることはないはずです。
「……ふぅ」
そんな訳で到着いたしました、ブラックマーケットでございます。
改めて見るとそこまで普通の街とは変わりませんね。マーケットガードという治安維持部隊もいますし、犯罪の温床となっていること以外はそれなりに良いところなのではないでしょうか。その唯一の懸念点が一番の問題点ではあるのですが。
体から湯気を出す私のことを皆さまが避けてくださいますので、誰かにぶつかることもなく悠々と歩くことができています。汗だくの人とぶつかるなんてベタベタするし気分のいいものではありませんからね。
ですので、目下一番の問題点は着替えがないことでございます。何の考えもなしに走ってきてしまったので何も持ってきていないんですよね。かといって取りに戻っていたらそのまま寮から出ないでしょうし、他の選択肢はなかったも同然なのです。
まあ持ってきていても盗撮・覗きが日常茶飯事で起きているであろうこの場所のどこで着替えるのかという話もありますので、私が発する熱気で下着が乾いてくれるのを祈りましょう。
汗だくのままお店に入るのは気が引けますが、今回は諦めてもらうことにしましょう。残り香ぐらいは嗅いでいただいて構いませんので。何を言っているんでしょうね、私は。そんな変態みたいな真似、誰もするわけないですよね。
「……視線」
どこからか見られているような感じがします。
というよりもこれは、同族の気配。引き篭もりとは少し違うこの感覚、コミュ障あるいは人見知りといったところでしょうか。
まかり間違ってもトリニティに入学してはいけなさそうなこの気配、一体どこから。
……遠くないですか?
これは肉眼での確認は厳しそうですね。向こうも目が良いでしょうし、私が気付いたと分かれば離脱されるでしょう。
つまり、同族チェックのお時間は一度きりということ。猶予時間は私がスコープを覗いてから相手がそれに気が付くまで。つまり一瞬でそのご尊顔を目に焼き付けなければなりません。加えて私はスコープ越しでないと確認できないため、照準のズレがそのまま失敗に繋がります。
足を止め、集中します。
目標は5時の方向、視点は恐らくビルの上から見下ろすような形でしょう。
それでは遥か遠くからこちらを見つめている恥ずかしがり屋さんのお姿、見させていただくとしましょう。いざ。
「バーン」
あ、逃げられた。
いわゆる手ピストルでふざけるときのように銃口を少し上げてみたら、照準を戻した時にはもう既に彼女は離脱しておりました。
ですがやはり運がいい。その姿を確認することが叶いました。
どこの生徒さんかは知りませんが、かなり最新型に近い装備をされていましたし、戦闘に力を入れている学校なのではないでしょうか。
黒髪でタレ目、あの自信なさげな表情、それなのにあの可愛らしい白い
頭に葉っぱがついていたのは理由はわかりませんが、森や自然の中での戦闘であればともかく、市街地での戦闘にはその偽装は不要なのでは。あるいは単純にそういう場所に身を置きすぎてそれがいつも通りなのかもしれませんが。
逃げてしまった兎さんを捕まえるのは大変ですし、ブラックマーケット観光は先に用事を済ませてからにするとしましょう。
そう思って座標の地点に向かって歩いているのですが、全然体から熱が冷めません。息はもうほとんど整っているのですが、久々すぎて体がびっくりしているのかもしれませんね。
ですが適度な疲労感が心地いいですね。表情が緩んでいるのを感じます。
凝り固まっていた表情筋も熱に溶かされて今だけは仕事をしてくれているかも。
「ここですね」
座標と住所、そしてスマホの地図を見比べて、店の入っているビルを見上げます。
四階にあると書いてあったので階段を二段飛ばしで上り、非常扉からビルの中へ入ります。
部屋に入って、気付きます。このビルはフロア全体が一つの事務所みたいな扱いだったのだろうということに。エレベーターから出たら扉がなく目の前に商品が並んでいるタイプのお店なのだと思います。
なぜそんなことを感じたのかと言いますと。
はい、完全に店の裏側から侵入してしまいました。
エレベーターを使うという発想がなかったことは反省しますが、パッと見て見当たらなかったという言い訳をさせてもらえますか。ダメですか、ごめんなさい。
ですがもう既に侵入を終えてしまっていますので引き返すのも面倒です。表側に出る扉を探して店に出て、さも普通に入ったふりをすることにしましょうか。
「……まだか?」
店の方に繋がる扉の方でしょうか。
扉の隙間から向こうを除きながらハンドガンを構えている方を発見しました。もしかするとあれですか。新人の店員を見守るベテランさんみたいなやつでしょうか。銃を構えているのは流石に物騒すぎる気もしますが、ブラックマーケットではそれぐらいしないと護れないのかも。
微笑ましいその姿を見守りながら部屋を物色していたのですが、転がっている段ボールの中は粗悪品ばかりで使い物にならなさそうです。裏口から繋がっていることを考えるとここは仕入れた商品を売り物になる商品と不良品に仕分けする作業用の部屋なのかもしれません。
結局、店の表へ通じるような扉はベテランさんが見張っているそこの扉しかないようです。
話しかけて通してほしいところは山々なのですが、先ほどの言葉からも分かる通り何かタイミングを伺っているご様子。既に店内にお客さんがいて、新人さんの初めての売り上げが入るのを待っているとかでしょうか。となれば持っている銃はパーティーグッズで、銃口からクラッカーみたいに紙テープとか紙吹雪とかが出るのかもしれません。
それはちょっと見てみたい気持ちもあるのですが、私も一応お客さんのわけで。もしかしたら私が初めての購入者になるかもしれないので、少しの間見れなくても許して貰えるかもしれません。
そう思ってベテランさんの背後に回り、その肩をツンツンとつつきます。
「何を見ていらっしゃるのですか?」
店の方に聞こえないように配慮して耳元でそう囁いたのですが、少し驚かせすぎてしまったのかもしれません。
ビクッと肩を跳ねさせたベテランさんは面白いぐらいに取り乱し、化け物でも見たような表情でこちらを振り向きました。そしてその勢いのまま私めがけて銃口を向けましたので、その手首をつかんで銃口を足元に向けさせます。クラッカーは人に向けると危ないですからね。
そんな私の楽観を裏切るように、鈍く銃声が響きました。
どうやらベテランさんが持っていた銃は本物だったようで、改造品なのか銃の威力もベテランさんの右足首から先のパーツが粉々に砕けてまうぐらいには高いみたいです。ベテランさんは機械人形タイプのロボットなので痛みがどれほどのものかわかりませんが、自分の足に当たっていたらと思うとぞっとしますね。
右足のパーツを失ってバランスを崩したベテランさんですが、倒れながらもこちらに銃を向けてきます。侵入者と判断されたのかもしれません。
ですがその銃で撃たれると痛いでは済まない気がしましたので、その手から銃を離してもらうためにその手を蹴り上げます。
直後、ダン、と鈍い音がして、ベテランさんが沈黙しました。
私が彼の手を蹴ったタイミングと彼が引き金を引くタイミングとが嚙み合ってしまった結果、その銃口がベテランさんの頭に向かってしまったみたいです。やっちまいました。
「わらしべしますか」
後ろからこの馬鹿威力の銃で撃たれたら
そうしてベテランさんが持っていたハンドガンを拾い上げ、店の方に通じているであろう扉をゆっくりと開きます。
店内は結構雑多な感じですが、裏口から入ってきたからこそ、見えるものがありました。
従業員口からは見えやすくエレベーター側からは見えにくいカウンターの裏、そこにロープで縛られて猿轡を掛けられた、トリニティ生徒の姿が見えたのです。
エレベーターの扉の上に設置された建物の外を映したモニター、エレベータの方を囲むように立っていたであろう三人のロボット兵士さんたち、縛られた生徒さん。
これは私、皆さんがお店に強盗に入っているタイミングでこの店を訪れてしまったのでは。ベテランさんの銃の火力の高さも強盗用と思えば説明が付きますし、縛られている子はバイトの子と考えるのが自然です。
モニターで私が来るのを警戒していたと考えると、先ほどのベテランさんの発言も辻褄があってしまいます。
「これは……役満ですね」
私がそんな言葉を吐いたのを皮切りに、店内での戦闘が始まりました。
私はひとまずカウンターに身を隠し、ベテランさんから奪い取った違法改造ハンドガンで応戦します。とはいえそこまで弾数がないことはわかっていますので、撃つときは慎重に。
顔を出させまいとひたすら交互に連射してくる彼らを横目に、カウンタードア*1の下に頭一つ分の高さの空間があることを認めた私はそこに這いつくばって無警戒の一人の頭部を下から打ち抜きます。
まず一人。
仲間が倒れたことでカウンタードアの方も警戒し始めた彼らですが、もう既に私はエレベータ側に回り込んでいます。
無防備な背中側からズドン。二人目。
機械である彼らを一撃で破壊するこの威力。相当ヤバめな代物な気がしてしまいます。
「クソがァ!」
お仲間が二人やられてもうなりふり構っていられなくなったのでしょう。
二人目がやられた時点で私が回り込んでいることが分かった最後のお
その予想外の方法に私もその全てを回避することは難しく、一応頭は守りましたがそれなりのダメージを貰ってしまいます。至る所で爆発していたので目も耳も大混乱中。
そんな中で頭を守っていた右手の甲を打ち抜かれ、違法改造ハンドガンを取り落としてしまいます。こうなると自前のハンドガンで応戦する必要がありますが、威力は落ちるのでどこまでやれるものか。
そんなことを思っていたら煙の中からの人影が突っ込んできて、私は体当たりを食らって押し倒されます。思えばまだ手榴弾の煙が晴れない状態で私の右手を正確に射抜いてきたのですから、相手が視界を確保できていることをもっと警戒すべきでした。
馬乗りになってこちらを押さえつける機械兵さん。
私も抵抗して押し返そうとするのですが、あれ、普通に行けますねこれ。
「何だそのパワーは!」
いや、私も何がなんだか。
可能性として考えられるのは、引きこもり中の筋トレでしょうか。やることがなくて筋トレとか受け身とか格好いい着地の練習とか、部屋の中で暴れまわってましたので。ヘルメット団の団長さんの時も抵抗が弱かったのではなく、私のフィジカルが向上していただけの可能性がありますね。
ひとまず思いっきり機械兵さんを突き飛ばし、自由の身になった体を起こして立ち上がります。
ふと脳内でリツカさんが脳筋だのゴリラだのと
さて、この手の相手に身内の盾戦法は通じないでしょうし、どうするか迷いどころです。
相手は先ほどからずっと私の動きに対応してきていて、発想も豊か。手榴弾や煙幕弾も持ってはいますが、どこまで通用するか。
フィジカルが強化されたと言っても、先のヘルメット団戦を考えれば
何か良い策があればいいのですが。
そう迷っているところで突然、奥の非常階段の扉が勢いよく開く音がしました。続いて、駆け込んでくる足音。
「動くな! SRTだ!」
飛び込んできた二名の兎耳に、機械兵さんの意識が奪われます。
私の勝機は、その一瞬。
迷わずに近づいて、そのメインウエポンを蹴り上げます。体勢を崩した相手の空いた隙間から頭部パーツへゼロ距離でハンドガンを連射して、蹴り上げた左足が着地してから右膝をその胴に叩き込みました。
私の一連の攻撃を食らった機械兵さんは壁に激突して、そのまま動かなくなりました。
対象沈黙。予想外の
でもまあ、今回ばかりは助けられました。私と同様に裏口側から飛び込んできたお二人の方を向き、素直にお礼を言うことにします。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
そう口に出してみても、お二人は私にも警戒しているのか銃を下げません。
私は特にお二人と事を構える気はありませんでしたので、気にせずにカウンター裏の縛られている子の方に向かいまして、その縄を解いてあげます。
そのままその子を連れて裏口から店を出ようとしたのですが、普通に行く手を阻まれてしまいました。
「おい、まだ話は終わっていないぞ」
ヘルメットを被った髪の短い兎さんにそう言われてしまいますが、私から説明できることなどありません。私が支えてあげているトリニティの子もまだまだ本調子ではないようですし、震えていて声が出せるような状態には思えませんね。
本当ならばヴァルキューレの到着まで待ちたいところではありますが、ここはブラックマーケット。治外法権の場所ですし、揉め事が起こった場合はマーケットガードが飛んでくるまでに撤収するのが大原則。
彼らが先ほど言っていたSRTという言葉が本当であったところで、この場所では何の意味も持ちません。
そもそも連邦生徒会長がいない今、彼らに指示を出す人員はいないはず。
つまり現在の彼女たちの作戦行動はすべて彼女たち自身による勝手な判断のもと行われているものであり、何の正当性も持っていないのです。
故に早いところ病院ないし救護騎士団に見せた方が良い彼女を連れていくことの方が私にとって優先される事柄でして、彼女たちの存在は私が足を止める理由には成り得ません。
「私があなたがたに話すことは、何もありません」
正直正しい状況もよくわかっていないので、推測だけの情報を渡すのもどうかと思いますしね。
彼女たちも自分たちの立場をよくわかっているのか、髪の長い方の兎さんがヘルメットの兎さんに声をかけて機械兵さんたちを縛る方に移行してくれました。後はお任せして大丈夫そうですね。
非常階段に出たところで、ヘリの音と凄く希薄な同類の気配。
上を見上げれば先ほどのお二人の足だったのでしょうか。ビルの上からプロペラ音が聞こえてきます。
そしてまた少々離れた位置、今度は針穴に糸を通すような射線の位置に、あの黒髪の兎さんがこちらにスナイパーライフルを向けていました。今度は逆にその精密さゆえに見つけるのは難しくありません。ルートさえ分かれば見えはしますからね。
私はこれから帰りますので、スコープをずらさないように脇で挟んで固定したまま軽く手を振りますと、すごく挙動不審な動きをしてくれました。こういうところはウイさん似でしたか。可愛らしいですね。
挨拶は済ませましたので、本格的に撤退に入ります。
ライフルは肩から下げることにして、トリニティの子を横抱きに抱えました。汗臭いのはどうかご勘弁を。
この状態で見られるのも良くないですし急いだ方が良いと判断して、非常階段を上り切って屋上パルクールへとご招待。ヘリコプターで仲間を待っていたであろう兎さんからの信じられないものを見る目を背中に受け止めながら、そのまま電車の最寄り駅まで走りました。
流石に人を一人抱えて10km戻るような非常識な人間ではありませんよ。
いいトレーニングになるとは思いますが、怪我をした要救護者にそれはやらせられません。
そういえば部屋に入ってきた子たち、装備を見ましたが『Rabbit』という文字が描かれておりました。お二人両方の装備にありましたし、もしかすると小隊名なのかもしれませんね。
それでもなお、
隣室が空室だったことをいいことに部屋で大暴れしていた動く引き篭もり、カタネ。
たぶん下の階に住んでいる子はブチギレてる。
ちなみに作者の傍点(
そろそろ先生が出てくるんですが、先生(プレイヤー)の掲示板形式って見たいですか?
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本編の息抜き的な感じで欲しい
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本編完結後にまとめて投稿の方が良い
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いらない