トリニティ自治区内、そのフィリウス寮にほど近い喫茶店には、一部の限られた人間のみが入室を許された隠された一室が存在する。
店主に合言葉を言って案内されるその部屋は、完全防音、生体認証、窓無し、コンセント無し、電波妨害という過剰なまでのセキュリティ対策が取られており、加えて巡航ミサイルを三発撃ち込まれても壊れないという触れ込みの壁も相まって歴代のフィリウス分派の首長に重宝されている。
そんな部屋で一人紅茶を嗜み、もう一人の到着を待っているのは大きな翼をもつ今代のフィリウスの頭。代行とはいえトリニティのトップでもある彼女の表情は誰が見ても分かるぐらいには不機嫌であり、その寄せられた眉を見れば彼女のいつも能天気な幼馴染ですら背筋を伸ばして席に座り始めるだろう。
それもそのはず。なにせ予め取り決めてあった時刻からもう既に半刻が経過しているのである。
「いやぁ申し訳ありませんナギサさま。なかなか出てこれるタイミングが無かったもので」
「いい御身分ですね、リツカさん。いえ、今は『カタネ』さんと呼んだほうがよろしいですか?」
「うわぁこれはお
遅刻したくせに飄々とそんなことを言いながら席に着くのは、書類上では現プエラ分派の首長補佐を務める本来の花羽リツカ。
彼女という人物を象徴していた青いスナイパーライフルを手放した彼女はそれまでキャラクターとして保っていた厳かな雰囲気を捨て去り、軽薄そうな表情で笑うようになった。ナギサは自身が彼女に託したはずのそれが他者の手に渡ってしまったこともそうだが、何よりリツカがそれを
対するリツカはそんなことはお構いなしとばかりに机の上に並べてあったケーキスタンドの中から甘さが控えめのクッキーを選び取って口に運び、ナギサの咎めるような視線を相手にしないことを選択していた。長時間放置されて濃く出すぎているであろう紅茶を注ぎ、その渋みが堪らないとばかりに頬を緩ませるリツカを見て、ナギサが溜飲を下げてしまうことを知っているからである。
「先日相談されたスナイパーライフルの部品は家にある分を持ってきました。今後そこまで撃つ機会を与えるつもりはありませんが、暴発して壊されたら
「おーありがとうございますナギサさま。やっぱり型が古すぎて流石にどこにも売ってなくて」
ナギサが部屋の隅に置いていた紙袋を指し示すと、リツカは席を立ってそれを確認に向かい、中を覗いてうんうんと気分が良さそうに頷いている。いくつかパーツを取り出して目当てのパーツを見つけたのか、その状態を軽く確認して紙袋の中へ戻したリツカはその紙袋を持ち上げて自分の席の近くの壁へと移動させ、席に座り直す。
それからビターチョコレートを一つ摘まんでその口に放り込み、目を瞑りながらよく味わってから飲み込みナギサの方を向いた。
「そんな目で見ても、結論は変わらないですよナギサさま」
「あなたも彼女の能力を評価していたと思いますが、それでも脅威には成り得ないと?」
「確かに彼女は不気味ですよ。言動と能力が一致しないし、あの執務能力は怖いとすら思います。確かに先日の一件では頭に血が上るところはありましたけど、皆が考えているような精神性は持っていませんよ。あれは小心者です」
これは平行線だと感じたナギサは一度紅茶を口に含む。
自身の左腕として働いていた友人が語るその人物像が、先日自分の目で見た彼女と一致しない。少なくともナギサの目には権謀術数に長けた人物がトリニティ然としたふてぶてしい態度を取っていたようにしか映っておらず、彼女の言うような小心者という言葉が該当するとすれば口数が少ないことぐらいしか思いつかない。それも自分の騒々しい幼馴染と比較してそう思うだけであって、仕方がない状況だったとはいえあの場で一番発言の回数が多かったのは彼女なのだから。
「ナギサさま、あの子はあの銃を持っているんです。あなたの感じた印象はあの子の本質とはズレている。あなたが怪しいと感じたということは、それが間違いであるということだと気付いているでしょう」
「リツカさん、あの銃を使用していたあなたこそその身をもって知っているはずです。あの銃の伝承は間違っていない。それが彼女の目的を果たすことに繋がらないと言い切れますか」
「言ったはずです。あんなものは呪いでしかない。祝福じゃない。呪いなんです。あの銃を持った私がどうなったか、あなたもよく知っているはずだ。だからこそ断言できる。あの子は今あなたが思っているような方向に向かうことはありません」
リツカの主張は変わらない。
最初に報告しに来た時からずっと、彼女は辰カタネが無害であると主張している。恐らくはトリニティの上層部の中で彼女だけが唯一。
能力面はともかく、思想だけは絶対にないと断言する。先日のブラックマーケットの組織を彼女が壊滅させた一件を終えてさえ変わらないと宣う彼女の考えがナギサには理解ができない。
最初に訪れた店は適当に決めた店だと言うが、本当にそうだろうかとナギサは思う。辰カタネが選んで向かったという時点で、当日彼女が助けた後にプエラ分派入りをした生徒が向かった店を指定した可能性を否定できないのではないか。
目を付けていた生徒が巻き込まれたことに気付いた彼女がどこからか報告を受けてそこに自分たちが向かえるように動いた可能性は考えられないか。花羽リツカと
「どうですかね。ミタカさんが襲われることを期待してブラックマーケットの拠点を襲ったのでは? 聞くところによれば彼女、罠だったはずのお店に裏手から侵入したみたいじゃないですか」
「そこまで行くとこじつけですよナギサ様。それだったらあんな死にかけるような状態になるまで無理して敵討ちに行かないでしょう」
ナギサにはわからない。彼女の能力面をどこまでも手放しで評価しているリツカが、どうして彼女がそんなことをしないと言い切れるのか。
彼女は言った。ナギサの目の前で。エデン条約があろうとなかろうと、そのやり方を変えるつもりはないと。それはつまりどんな手を使ってでも自分たちに危害を加えた人間を容赦しない姿勢を貫き続けるということ。その思想の過激さを考えれば、わざと自分たちを傷つけさせて報復の理由を作るなんてことも平気でやるに違いない、とナギサにはそう思えてならない。
今回のブラックマーケットの一件も、ツルギの警戒心を上手く利用してあの店主に恐怖を与えるためだけに引き起こした事件なのではないかとナギサは考えている。どこからかSRTの小隊の動きを聞きつけ、すべてを誘導し、店主に向けてボロボロの
そして恐らく彼女にとって今回の一番の収穫は、その自分の命すらも最大限に活かした無茶をしたことでリツカを完全に自分の味方にすることに成功したことだとナギサは思っている。『そこまではやらないだろう』『本当に死んでたらどうするの』そう思われるような手段を取れてしまうことこそが、彼女の恐ろしさだというのに。
「残念です。リツカさん。あなたが彼女に取り込まれてしまうなんて」
「いや、何言ってるんですかナギサさま。私最初からカタネちゃんのこと大丈夫だって言ってたでしょう」
そう、最初から。今回の事件はただ、彼女にその確信を与えただけ。
たったそれだけの事だったはずなのに、突然ナギサの頭の中でパズルのピースがハマってしまった。思い浮かんでしまったその想像はあまりにも彼女にとって最悪で、その顔に絶望の表情を浮かべることしかできなくなった。
まさか、いや。
ありえないはずだと頭では理解している。だが、思いついてしまった仮説には、どこにもそれを否定できる箇所が見当たらず、どころか今まで不可解だった事象をも説明できてしまう代物だったことが、ナギサの混乱を加速させてしまう。
そうして
「そう、なのですか?」
「ナギサさま?」
自身の主たるナギサのそのひどく取り乱した様子に、リツカは何事かと手を伸ばそうとして、明確な拒絶の意思を付けつけられた。
リツカは払われた自身の手を呆然と見て、それから訳も分からず原因たるナギサの方を見た。
突然のことにリツカが目を瞬いて状況を理解できずいるうちに、ナギサはいつかの出来事のことをポツリポツリと語りだす。
「辰カタネの調査のためにプエラ分派に人を送ろうとしたとき、その担当を決めるのに難航したことを覚えていますか?」
「え、何、いきなり。覚えてるけど。ありましたね、そんなことも」
「そうですよね。記入済みの分派移動の申請用紙が突然紛失してしまったり、プエラ分派に送ったはずの分派移動の申請用紙が襲撃によって粉々になってしまったり、不可解なことがたくさん起きました。何回も、そう何回も」
「ミノラちゃんのご両親がいきなり『ウチは代々フィリウスなんです! 潜入捜査だとしてもプエラなんかには行かせられません!』って怒鳴り込んできたこともありましたね。あれは面白かったなあ」
話の方向が見えず、ナギサに向かい合うリツカは首を傾げる。
春先にあった珍事であるプエラ分派への潜入人員の選定。どういうわけか誰がやってもその分派移動の手続きが進まず、当初の予定では年度の開始するタイミングで編入を行うつもりが結果的に一カ月ほど後ろにズレ込んでしまったのだ。
それは度重なる失敗と図ったかのような事故に皆が気味悪がったことに起因しており、最終的に本来このような任務には就かないはずのリツカがその役目を負うこととなった。
「でも、あなたがやると決まった途端にスムーズに何事もなく書類が通った。他の人はどれだけ手を尽くしても失敗が続いていたというのに」
その声音にどこか不穏な雰囲気を感じ取って、リツカはナギサの顔色を注視する。
下を向いていたナギサがリツカとその目を合わせたとき、リツカは思わず息を呑んでしまう。その瞳が昏い妄執に飲み込まれそうになっていることを察したが故。
友人のその様子に、彼女は次にナギサの口から何が紡がれるのか察してしまった。
「あなたが――手を回していたのですね」
「はは、冗談キツイって」
ナギサは冗談でも酔狂でもなく本気でそれを信じている。
最初から、去年この潜入の話が出る以前からカタネとリツカの交流があったというばかげた仮説を疑っていない。
それを自分に向けられる視線からヒシヒシと感じてしまったリツカは、自身の友人がこうなってしまったら手が付けられないということも嫌というほど知っている。同情しながら任務に就いていた自分が、まさかこちら側になるとは露ほども考えたことがなかった。
それ故に、自分が想定していた以上のダメージ負った彼女の心傷は深刻だった。
気を紛らわせるために確認せず手に取ったチョコレートはホワイトミルク。その甘さにリツカは思わず口を押さえて悶絶する。
「先日のブラックマーケットの一件も、あなたがカタネさんを信じる理由づくりと言ったところでしょうか」
口に入れたものを戻すわけにはいかないとその口を手で覆って格闘するリツカが物理的に会話をすることができないうちに、ナギサは自身の考えを吐露して噛み砕き、自身の中に消化していく。
リツカがなんとかチョコレートを飲み込み終わるころには、ナギサの中でそれは確定事項になってしまったようだった。
「ああ、リツカさんに知られてしまっている以上、ここももう使えませんね。セーフハウスもローテーションのサイクルを変えなくては」
「ナギサ……」
こうしてはいられないとばかりに計画を立て始めたナギサは、その場にいるリツカを置き去りにしてその部屋を出て行ってしまう。
取り残されたリツカは追いかけようとして席を立ったものの、途中でその勢いは萎んで視線を落としていき、脱力してその場にへたり込んだ。
脱線して走り出してしまった暴走列車は、何かにぶつかるまでその歩みを止めることはない。
では自分は。いつの間にか車庫に送られた回送電車に乗っていたことに気付いた自分は、あちらに戻ることが叶うのだろうか。
……どうしたらいいのだろう。
支えを失ったリツカの頭には、それだけが浮かんでいた。
ちなみに時系列はエデン条約編の初めて先生を呼ぶ前日想定。
この時期のナギちゃんならいくらでも誤解するやろと思って好き放題こじつけました。ナギちゃんは悪くない。作者が悪いです。
ナギちゃん視点はもうないけど出番自体はそこそこあります。
ここまで読んでくださった皆様に質問。この小説、曇らせタグ必要だと思いますか?
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当たり前
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いる
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いらない