お母様、知らない大人について行ってはいけないとの教え、未だに私は守り続けております。
とりあえず鉛球をぶち込んで本音で会話してから、なんていう物騒な手順は実践したことはありませんが、努めて相手の言葉の真意を読み取るように心がけております。
先日の救出作戦について、皆さんの士気が高かった理由が判明しました。
主張は大きく二つに分けられまして、一つは単純に出撃の機会を与えてくれたのだと思っている方々。
こちらは私の印象がそうさせるのでしょうか。新しい武器を与えて、正義実現委員会の射撃場の使用許可をもぎ取ってきて、そんな中でいざ集合となれば戦いに行くのだと意気込んでも不思議ではないかもしれません。
実際戦闘になってしまいましたし、こちらはまだ理解ができますね。
最近私を悩ませているのは、もう一方の理由の方々。正しく捜索任務だと理解したはずなのに、何故か他分派生徒の取り込みを始めたのだと考えてやる気を出していた方々です。
こちらはどうもミライさんのケースに引っ張られすぎているようで、私が救出に向かう
それが私があの救出作戦の後に無所属ならプエラ分派はどうですかと声を掛けたのを皆さんに聞かれていたようで、どうにも誤った情報が広まってしまったみたいです。
結果どうなったかと言いますと。
「リツカ先輩! また別の分派からの抗議のお手紙が届いています!」
ミタカちゃんがキラキラと目を輝かせながら言いますが、戦争でも仕掛ける気でしょうか。
いえ、恐らくこうして抗議が来ているということはこちらが政争を望んでいると思われているのは間違いないと思われます。内容も「これ以上やるなら手が出るぞ(意訳)」というものですので向こうの堪忍袋の緒も限界に近いのかと思われます。
その辺りはリツカさんの管轄ですので、先週から胃薬という新しい友達を手に入れた彼女にお手紙の返信という大事なお仕事を押し付けて我々は火消しに走る毎日です。
「承知しました! 次からはもっとスマートに、バレないようにということですね!」
やるな、と言っているのがなかなか伝わらないのが悲しいところです。成績は補習授業部に入れられていない辺り足りているはずなのですが、理解力が足りない方々ばかりで困ってしまいます。
実際にこちらに移動してきた方は二名だけでして、打率は一割も行かないぐらいなので実害が出ているかというと実際はそうでもありません。移動してきた方も一人は無所属、もう一人はミライさんと同じパテル分派からで、元々分派の移動を考えていたところに今回の声がかかって決めたのだとか。まあそういう人でもない限りそうそう所属分派を変えたりはしませんよね。
そういえば補習授業部と言いますと、何やら昨日の夜にゲヘナの方でどっかんどっかん騒ぎを起こしたみたいです。どうやら試験会場が突然ゲヘナの古い建物に変更になったようでして、先日の深夜受験の事もあって今年の試験はこういった変更が多いのかなと思ってしまいます。
しかも試験会場が温泉開発部の被害に遭って解答用紙紛失で失格になってしまったのだとか。悲しいこともあるものですね。
「そういえばリツカさんはシャーレの先生とお会いしたことがあるんですよね? リツカさんから見てどんな人でしたか?」
手紙の返答を考えて唸っているリツカさんに代わって休憩がてらお茶を淹れていた私に、ミライさんから質問が飛んできました。
ぎょっとした表情でリツカさんがこちらを向きましたが、あれ、言っていませんでしたっけ。
しかし先生の印象、印象ですか。なかなか答えづらい質問ですね。
正直いろいろ限界なところがあってまともな精神状態でお会いしたわけではありませんし、私がコーヒーをがぶ飲みしたせいで一言二言ぐらいしか話せませんでした。
なのであまり先生に対する印象がどうとかそういう以前の問題だったりするのですが、ああも期待の目で見られてしまっては何か回答せざるを得ませんよね。一体どうしたものでしょうね。無難な言葉は、私のチョイスだとまた変な誤解を生むかもしれませんし。
「敵になることは、ないでしょうね」
そうして私から出たのは、何の役にも立たない当たり前のこと。
こちらを慮ってくださる様子もありましたし、最大限こちらに歩み寄ろうと、意思を尊重しようとする様子が見て取れました。いえ、単純に軽口で距離感を近くしようとしてくれたりコーヒーを受け取ってくださったりしただけで大した根拠はないんですが。
待って。ミタカちゃんはどうしていきなりスマホに何か入力を始めたんですか。リツカさんとミライさんは何だか呆れた顔をしておりますし。
とりあえずまたプエラ分派に私の知らない思想が振り撒かれたことだけはわかりました。
ミタカちゃんにはもうバラすべきじゃないですかね。夜に部屋へ戻るときにリツカさんにそんなことを相談したら、駄目だって言われてしまいました。理由は教えてくれませんでしたが、楽しそうだからか知りませんがとりあえずダメみたいです。
「お久しぶりですね。といっても、こうして顔を合わせるのは初めてになるでしょうか」
夜。ランニングルートの残り数か所をどうするか地図アプリと睨んでいますと、いきなり背後から不審者さんに声を掛けられました。
黒服、とそう名乗っていた気がする、寮への不法侵入者です。あの遊園地にいた木人形さんが知り合いだと言っていたのでもしかしたらコンタクトに来るのではと思っていたのですが、案の定夜の散歩中に声を掛けられてしまいました。
罪状が不法侵入から声かけ事案にグレードダウンしているので、現行犯で逮捕といかないのがなかなか難しいところですね。
「あなたが扉越しに一方的に言葉を浴びせていたのを会話と呼ぶのであれば、初めましてではないのかもしれませんね」
「これはこれは手厳しい。ですがこうして奇跡の担い手とお話しできて、嬉しく思いますよ」
相も変わらず胡散臭いです。
別に私がこうして外を歩いているのはあなたみたいな不審者に声を掛けられるのを待っているわけではないのですが。なぜか最近夜道で誰かと出会うことが多いのですが、別にそれを期待して外に出ているのではないのです。私としては体は動かしたいけどなるべく人には会いたくないが故に裏道を選んでいるのですから。
それにしても以前の話も適当に聞き流していて覚えていないのですが、随分と小難しい話し方をされるものです。煙に巻きたいのか話を聞いてほしいのかよくわかりませんね。
しかし私たちプエラ分派のことを『奇跡の担い手』と呼んでいるのは変わらないようです。サクラコさんから教えていただいた創設時の出来事が関わっているのでしょうか。木人形さんしかり、彼らが望みそうな表現なので意味はないのかもしれませんが。
「ですが一体どういう心変わりなのですか? 貴女が外に出てきたきっかけは、やはりあのスパイに要因があるのでしょうか」
「なし崩しで外に出ることになっただけです。本質は何も変わらないままですよ」
しかしスパイとは一体誰のことを指しているのでしょうか。
容易に考えられる可能性としてはリツカさんがド本命で、次点がミライさんとかになるのでしょうが、黒服さんの言い方からすると何やら私が外に出た事情を知っているご様子。となれば外に出た後に分派に来たミライさんは除外されて、タイミング的にもリツカさんのことを指していると考えるのが自然でしょう。
ですが少し冷静になれば、彼らは悪い大人だということを思い出せます。
その放たれる言葉が真実であるという保証がどこにあるのでしょうか。むしろこちらの不和を誘うために敢えて先ほどのような揺さぶりをかけるような物言いをしているのでは。そう考えてしまうのは、流石にトリニティに染まりすぎでしょうか。
「今からでも私たちのところへ来ませんか? これからトリニティで起こることを考えれば、貴女を死地に置き去りにするのは心が痛むのです」
そうだ、思い出しました。
この方は以前引きこもっていた私を訪れたときもトリニティから去って自分の元へ来てほしいと言っていたのでした。当時の私がその選択を選ぶはずもなく、今の私も状況が違います。
しかし私も言葉が足りない自覚がありますが、目の前の悪い大人は意図してそれを実行しているように思います。不安を煽り、不信を育て、意のままに操ろうとする姿勢が透けて見えるようです。そのやり口を見ると信用には至らず、その言葉もなかなか受け入れられるものではありません。
それに以前とは違う立場にある私の胸中には別の不安が生まれています。
私のどこにあったのかわからない場所から、この目の前の大人を分派の子たちに近付けてはならないという警鐘が鳴り響いているのです。少しばかり
しかも先の欠落した情報から考えても、何か良からぬことを計画されているようですし。
「私がそちらに行ったとして、分派の皆さんはどうなりますか?」
「……? そんなことを貴女が気にする必要がありますか?」
「なるほど。今の返答でろくでもない方々であることは十分に伝わりました」
私が彼らの手に下っても、特に分派の方々の安全が保障されるわけではないようです。
元々引きこもっていた私にその話を持ち掛けてきていた時点で分かり切っていたことではありますが、今の私がその選択肢を選ぶと思っているのなら随分と馬鹿にされたものですね。
情が湧いた。
言葉にすると随分と浅はかな選択理由に思えますが、それは『トリニティ』を好きになれない私にとってすれば、初めて生まれたこの場所に対するプラスの感情です。
リツカさんが引っ張り出してくれたから。
ミタカちゃんが認めてくれたから。
紛い物の虚像でも、皆が私の事を慕ってくれるから。
そこから生まれたほんの僅かばかりの投げ出さない理由だけで、分派の皆さんを見捨てない理由には事足ります。
「申し訳ありませんが、私がそちらの提案に乗ることはできません」
「何故? 死ぬことが怖くはないのですか? 自分だけでも助かりたいという気持ちをお持ちなのではないのですか? 貴女が受けた仕打ちを考えれば、十分許されることのように思いますが」
「私はプエラ分派の首長ですから。少しお馬鹿な
立場に縛られすぎていると、そう思うでしょうか。
ですが私からすればその方が生きやすいのです。無限択の選択肢から自分の行動指針を選び取るよりも、立場に見合った選択というのは限られていて、選びやすい。無論そこに責任が発生することもありますが、他の人の人生を道連れにしていると思えばいくらか胸が
自分について決めるときは一人で地獄行きの電車に乗りますが、皆を巻き込めば仲良く同じ電車に乗って地獄行きです。たとえ死地に向かうとしても自分だけではないというのは安心します。惨めでも同族がいれば自分は底辺ではないと思えますからね。最低な考え方だと認識はありますが。
ですがそういう折り合いをつけることでようやく今の立ち位置を受け入れることができているのですから、少しばかりの温情を賜りたいところです。
「わかりました。でしたら、こちらをお渡ししておきます」
「タダより高いものはないと言いますので、あまり受け取りたくはないのですが」
「まあそう言わず、保険のようなものなので受け取っていただければ」
「保険?」
黒服さんは胸ポケットから手のひらサイズの小さな端末のようなものを取り出して、私に押し付けました。受け取る気はなかったのですが、説明だけして私の足元に置いて立ち去ってしまいましたので、こんな怪しいものを放置するわけにもいきませんので回収することになりました。
私にした説明がまるっきり嘘で遊園地での
そんなわけで私は渋々それを自室に持ち帰り、クローゼットの奥の方に投げ入れることとなりました。
効果は保証しますなんて言っていましたが、怪しすぎて使う気になりませんからね。
「あぁ、怖かった」
自室の布団に包まって、先程のやり取りの最中に足が震えなかった自分のことを褒め称えます。
それにしても、最近妙に喋る機会が多い気がしますね。
こういうのは本当はリツカさんの方に行ってほしいのですが、なぜか私単品で話さなきゃいけない機会が増えてきているんですよね。入れ替わりをしている以上仕方ないのかもしれませんが。
求められているのは『花羽リツカ』なので、その名を騙る私に来てしまうのでしょう。
そのおかげで少しずつボロボロだった言語機能が回復してきているのは、怪我の功名と言えるでしょうか。やはり人間、経験することが
しかし不安が付きまとうのもこれまた事実です。
私は『花羽リツカ』という鎧を捨てたとき、普通に人とやり取りができるでしょうか。
首長という肩書を失ってただの辰カタネに戻ったとき、私は自分の道を選ぶ指針を見つけられるでしょうか。
精神的な強さを手に入れるにはそこをどうにかしなくてはいけないな、と私は自室の天井を見上げながら思いました。