理由は前の話と順番を迷ったからですね。
拝啓、お母様、お父様。
そちらは変わりないですか。いつも通りに過ごしておりますか。
何でもありません。何でもないのです。ただ少し不安になってしまっただけですから。
プエラ分派寮の屋上で四方を赤い壁に囲まれてしまったことに気が付いて、私はその事実に歯噛みしました。
手元には、送信失敗が表示されたスマートフォン。気付かなかった自分に吐き気がします。
正夢となってしまった夢の中と同じ、
明日はセイアさんと二度目の会談。明後日はサクラコさんと久々のデート。この異常事態が長続きする類のものだとするのなら、それらは諦めなければいけないかもしれません。
既にミライさんは部屋に戻って分析を開始してもらっていますが、多少の解析でこの現象の原因が明らかになるとは思っていません。予兆がなかったこの現象が我々が知る理外の代物であることはなんとなく想像がつきますから。
『それでも、何か糸口が掴めるかもしれませんから』
そう語ったミライさんの表情は真剣そのもの。
私はどちらかというとこれが別の災害の予兆である可能性を懸念して、彼女に気になる部分があったらすぐ報告するようにお願いをしました。
ミタカちゃんには対策本部の設営を依頼しました。寮の二階にある談話室を
「上から見てきましたが、やはり全方位を囲まれていますね。電波妨害もあるのか外部との通信も不可能です」
「こっちも安否確認が終わったよ。全員、この分派寮付近にいたから寮に戻ってきたみたい」
屋上から飛び降りて玄関前に下りてきたのですが、リツカさんはそれについて何も言いません。余裕がないのか、単純に慣れたのか。どちらでも構いませんが、少し寂しさを覚えてしまいます。
リツカさんからデータを貰って、スマートフォンで確認します。
なるほど確かに分派の所属者一覧のチェックリストに全て印がつけられています。彼女の事だから適当にやったのではなくちゃんと確認してくれたのだと思いますが、だとしたら明らかに違和感を感じる部分があります。
「リツカさん、過不足はありませんか?」
「ないよ。分派の子は全員あの赤い壁の内側に居たし、分派に所属していない子はあの壁の内側には誰一人としていなかった」
私の質問の意図を正しく受け取ったリツカさんが、
そもそもプエラ分派の皆さんは、私のような引きこもり体質の人間ばかりではありません。
リツカさんはそもそも首長室を本拠地としているために寮にいる時間はそれこそ夕方以降ぐらいですし、ミタカちゃんは暇があればパーツ集めに走り、トコちゃんとかは取り巻きの子たちを連れてお茶会によく行っています。戦闘部隊の子なんかも正義実現委員会の射撃訓練場に足を運んだり模擬戦をするために演習場に向かったりとそれなりに外出していることが多いです。
ですのでまだ日も陰っていないようなこんな時間に、分派の全員がこの寮に戻ってきているというのはなかなかどうしてあまり見られる光景ではないのです。
「偶然このタイミングだったのだと思いますか」
「まさか。これはプエラ分派に対する攻撃でしょ。出来すぎてる」
リツカさんと意見が一致します。
分派所属ではない子が寮の周辺にいないことに関しては、
それを加味した上で、分派の敷地から数十メートルの範囲に分派の全員がいること、そしてその範囲にプエラ分派の所属ではない人間がいないこと、という二つの条件を同時に満たす時間というのは夜を含めても探すのがなかなか難しいのです。
そのごく限られた時間に私たちプエラ分派全員を外に出さないよう囲いで覆ったということは、間違いなく我々に対する攻撃であると考えていいはずです。
「ミライさんの分析待ちにはなりますが、壁が実態を持っているのか、行き来して問題ないものなのかどうかというの早めに把握して周知する必要がありますね」
「あ、今それは戦闘部隊の一部隊にお願いしてるよ」
「え?」
リツカさんが事も無げに告げたその言葉に、私の頭の中でグルグルと思考が巡ります。
私が言葉を詰まらせたのを見てリツカさんがこちらの顔色を窺いますが、私はまだ試行の渦から抜け出すことができないまま、動揺を続けるのみ。
どうしてリツカさんはそんな危険な命令を出したんでしょう。もともとは周辺の警戒と調査だけだったはずでは。少なくとも私が先ほど彼女から聞いたのはそうだったはずです。ああそうかリツカさんは狂気の光――色彩について知らないから、警戒することなく向かわせてしまったのか。あれの性質を考えたら触れるのは危険なのでは? でも壁の外側に行けるのであれば皆を脱出させて私だけ残るという手もあり得ない話ではありません。その部分の調査をいつかやっておきたい気持ちは少なからず持ち合わせています。しかしそれで取り返しのつかないことになってしまったら? 壁に触れたその子がその肉体と精神を捻じ曲げられて元に戻れなくなってしまったら? 私はその子にどう責任を取れると――
「辰……カタネ」
考え込む私の横から軽い着地音と見知った声が聞こえてきました。
そちらに振り向けばロケットランチャーを背負う少女が一人。そしてその少し離れた背後には、彼女と同じ部隊の子たちが大急ぎでこちらに向かってきているのが見えました。
そこでまず一つ、違和感。
トコさんは確かに戦闘能力に優れている方ではありますが、遠くから息を乱して走ってくる皆さんをここまで置き去りにして、それなのに全く疲れた様子もないような化け物じみたスタミナを持っていたでしょうか。
何かおかしなことが起きているのかもしれないとトコさんに注視して、二つ目の違和感。
その表情が心なしか笑みを浮かべているように見えたのです。今の状況を楽しめるようなそんな余裕があるような子だったでしょうか。私のイメージではもっと慌ててあたふたとしているのが緊急時の彼女の姿だと勝手に思っていたのですが。
「ああ、思い出しましたわ。そう、あなた、あのときに会った子でしたのね」
ただ言い間違えただけと流していた部分が、言い間違いではないと分かってしまいました。
理由は判りませんがトコさんは突然、何度顔を合わせても思い出すことのなかった去年の私とのやり取りを思い出してしまったようでした。私もそれに気が付いて当時を思い出し、自然と視線が下がってしまいます。
そうしているうちに足音が近づいてきまして、切羽詰まった声がようやく私たちに届くようになりました。
「トコ様が……! あの壁に触った瞬間トコ様が……!」
「彼女は壁に触った瞬間いきなりああなりました! 今のトコさんは危険です!」
その言葉に顔を上げ、トコさんと一緒に戦闘部隊に入った取り巻きの方や隊長を任せている子の焦燥ぶりから、それが疑いようもない事実なのだと受け入れます。
壁に触れた瞬間に起こった身体能力の急激な向上と、忘却していた記憶の復活。
どこかで聞いた話が現実になっているみたいで、腹が立ちますね。こんな物騒なものと、相対しなければならないなんて。
「リツカさん、全員に連絡を。赤い壁には絶対に触れるなと、間違ってもあの壁の外に出ようとするなと周知して徹底させてください」
「わかった!」
この場を離れていくリツカさんを見送って、改めてトコさんと向き合います。
私の記憶が戻った彼女が、今の私をどう評価するかはわかりません。しかしあの壁に触れてすぐ私のところに向かってきたということは、どうにも嫌な考えが浮かんでしまいます。
「知ってて声を掛けてきていたんですの? ずっと、思い出さない馬鹿な奴だと馬鹿にしていたんですの?」
トコさんが、こちらに一歩足を踏み出しました。
彼女が醸し出す気迫に、私は思わず足を一歩引いてしまいます。
「私がなるはずだった首長の座に自分がついて、私のことを笑っていたんですの?」
それは彼女が知るはずのない情報です。どこかで漏れ聞いていたのかもしれませんが、そうだとしても彼女がそこに辿り着くでしょうか。
その思考に、別の何かの介入が入っていることを疑いました。
そんな考察をしている間にも、彼女が放つ怒気は膨らみ続けます。
一歩こちらに近付いてきた彼女に、私は未だ彼女に対して抜けきらない恐怖が足を後ろに引かせます。
「自分を追い詰めた私がただの
頬を何かが伝います。
それは本能的な身体反応です。トラウマに対する、拒否反応です。
彼女の昏く焦点を失った目には、私は今どんな表情で映っているのでしょうか。
「――許せませんわ」
彼女は私が選んだ得物を構えました。
頭に鳴り響く致命傷回避センサーを無視したとしても目の前のトコさんが心底恐ろしかった私は足を一歩引こうとして、もう既に下がれるところまで下がってしまっていたことに気が付きます。
分派寮の壁が、もう私に逃げ場がないことを残酷にも告げました。
「と、トコさん? 私は、そんなに丈夫ではないんですよ? そんなもので撃たれたら、死んでしまいますよ?」
ああ、怖い。
トラウマを引きずり出された私には、ただ震える声で命乞いをすることしかできません。
「お願いです。撃たないでください」
「ああ、いい気味ですわ」
嫌だ。死にたくない。
今まで必死に取り繕ってきた外面はどこへやら。私はただ顔を涙でグズグズにして彼女に許しを請うことしかできませ――
「そんなことをしたら、トコさんが……!」
自分の口から出た言葉が、信じられませんでした。
でもその言葉が自分の中から生まれたことは、疑いようのない事実でして。
「私を馬鹿にした報いを、受けてくださいまし」
こんな状況ですらトコちゃんを欠片も嫌っていない自分の存在に、ようやく気が付きました。
彼女は私のトラウマで悪意を向けられるとビビってしまうのはそうなのですが、でもそれはそれと割り切ってしまえるぐらい、私は彼女のことを
「カタネちゃん!」
「首長補佐!」
衝撃。意識が明滅し、どこかからピシリと嫌な音が聞こえました。
気が付けば、私は地面に膝をついていました。指一本も力が入らず、首を持ち上げることすら難しそうです。
ごぽりと、口から生暖かいものが溢れ出しました。もうそれを知覚する部分が機能していないのか、鉄の味は感じられません。
ちらりと私の右足の方に視線だけ動かせば、少し先にリツカさんから預かっている銃が転がっているのが見えました。私の血を浴びてしまったのか、その銃身はいつか夢で見たように真っ赤に濡れています。
――良かった。あの景色はリツカさんの未来を示唆するものではなかったんですね。
そのことに安堵すると、ひゅーと喉が風を通す音が聞こえました。
おかしい。自分の中の音だけが、いやに鮮明に聞こえてきます。本当ならもっとリツカさんや他の子たちが騒いでいそうなものですが、その辺りは全く聞こえてくることがありませんでした。
悪寒。
ミシリ、と私の身体から人体が出してはいけなさそうな音が聞こえてきました。ピシリ、ピシリという先程の嫌な音も一緒です。
胸部にとてつもない衝撃を食らった私の身体は、そのまま後ろ向きに倒れ、地面に転がります。
寝転がって首が下を向いたおかげで、視界は霞んではいるものの皆さんがいる方向を見られるようになりました。
私の方に駆け寄ってきたのはリツカさんでしょうか。彼女自身の頭を抱えながら何かを言っているようで、随分と動揺しているのが見て取れます。
視線をずらせば足元の方向、少し離れたところに何人か集まっていました。頑張って目を凝らしてみると、どうやらトコさんが他の人たちに組み伏せられているみたいです。
数人がかりで地面に押さえつけられ、トコさんの顔だけがこちらを向いています。
霞んでいるけど、分かってしまいました。彼女は今、呆然とした表情をしています。正気に戻ってしまったのでしょう、まるで自分が何をしたのかわからないというような、そんな表情でした。
少し眠たくなってきたので、私が起きるまでには立ち直っていてくださいね。これから戦闘が起こるのなら、あなたの火力は絶対に必要になりますから。
大丈夫です。だってあなたも、プエラ分派の一員ですから。
カタネ、もう作者がどんなに頑張っても曇らない。
次回、主人公の体がボドボドになっているので別視点です。