「海賊万博、ですか」
「破滅の予感ね」
テーブルに置かれたチェス盤を眺め、黒の駒を動かしながらウェンディが呟く。
どうしてそういうことを言うんだと対面に座っていたコビーは嘆息し、見るからに呆れているだろうなという態度に彼女はむしろ嬉しそうだった。
「なんてことを言うんですか」
「だって本当にそう思ったんだもん」
「それは、確かに皆さん警戒されてますし僕も嫌な予感はしています。でもそう堂々と口にすると士気に関わるわけで」
「平気よ。ここに居るの私たちだけじゃない」
室内に居たのは四人の海軍将校。小さな部屋だ。盗聴の恐れもない。
視線を動かしたウェンディはコビーの副官であるヘルメッポへ笑みを向ける。
「ねぇヘルメッポ君、明日が万博当日よ。死なないでね」
「なんで不吉なことを敢えて言うんスかっ⁉ 大丈夫ですよ、死にませんよ!」
「あんなへろへろで根性のないバカ息子がこんなに立派になったのに……」
「悼まないでください! 死なねぇっスよ!」
演技とはいえはらりと涙を流そうとするウェンディにヘルメッポが大声で抗議する。
入隊してすぐの頃に偶然顔を合わせたのをきっかけとして、長らく彼女との交流は続いていた。会えば大抵はこうだ。飄々として楽しそうに二人をからかい、時には性質の悪いブラックジョークなども平然と口にする。真面目なアドバイスなど一度として受けた試しがなかった。
私の仕事はまるで別物だから、見習うのはガープさんにしておきなさい。
初めて会った日にそう言ったのが、今にして思えば唯一のアドバイスだったように思う。
その見習う対象が尋常ではないほど破天荒なので二人は苦労したのだが、若輩者にしてスピード出世はそのおかげだろう。
大佐となったコビーはすでに“海軍の英雄”と呼ばれるようになっていて、陰に隠れてはいるがその活躍には副官のヘルメッポの力が不可欠である。
それはそれとして、世間には評価されていても海軍内部にはまだ上が居るのも事実だ。
例えばチェスなどは、思考力を高めるために大将“青キジ”の勧めで始めたものの、今まで一度としてウェンディに勝ったことがない。まだ自分に足りない物があるのだと感じる瞬間だ。
「でも、世界中から海賊が集まってくるんですよね……」
「そりゃもう大変よ。しかもこのタイミングなんだもん。絶対何か起こるに決まってるわ」
「嬉しそうに言わないでくださいよ。僕らも作戦の参加が決まっているんですから」
「あら、私だって協力するのよ。仕事の内容は違うけど」
白の駒を動かしたコビーが早くも緊張して思い詰めているのを見て、すぐに黒の駒を動かしてからウェンディがふっと笑う。
真面目で優しいのが彼のいいところだ。だが責任を重く捉え過ぎてしまい、時として余裕が感じられないのはまだまだ若さである。
自身も20代と若くして将校になっているとはいえ立場は別物。
若き英雄は頼もしくもある反面、まだまだ心配でならない。
「考え過ぎないでよ。本番は明日なんだから。ここであれこれ決めたって現場に行けば必ず想定外の事態は起こるものよ」
「そうですか……でも考えずにはいられませんよ。数十年ぶりの開催で、きっととんでもない数の海賊が集結するんです。もちろん全員が味方とはならないでしょうけど」
「ふーむ、仕事人間ねー。年上のお姉さんとデートのチャンスとか思わないの?」
拗ねるように唇を尖らせ、つまらなそうに言ってみるとコビーの顔にさっと赤みが差す。真面目な彼は非常に純情だ。恋愛などにはほとんど関心さえ見せずに仕事に従事している。心配もしてしまうがそれが彼の良いところなのだろうと普段は指摘することは多くない。
試しにつついてみれば、コビーの動揺はあからさまだった。してやったりと微笑むウェンディは見るからに勝ち誇っている。
「いっ、いいいいえそのっ、僕はウェンディ少将を尊敬する先輩として見ていますから! デデデデートだなんてそんな大それたこと……!」
「何よ~、それじゃ私に魅力がないみたいじゃない」
「からかい過ぎなんでしょ。おれだってそんな目で見てませんよ」
「えっ、ひどくない? 結果はどうあれとりあえず見てほしいんだけど」
照れるコビーと呆れているヘルメッポはだめだ。親しくなったせいかお世辞の一つも言わない。
それでもめげずにウェンディは自らの副官に目を向ける。
我関せずとコーヒーなど飲みながら黙り込んでいるオレンジ色の髪の女性へ声をかけた。
「ねぇ~イスカちゃん。あなたは私のこと好きでしょ? そういう意味で」
「いえ」
「えっ?」
「いいえ」
素っ気ない態度で目すら合わせずに突き放され、落ち込んだウェンディが肩を落とす。
いつもながら簡単に黙らせる手腕には感心せずにはいられない。同情を引くように落ち込んだ姿を見せるウェンディを見てから、流石だと目を向けてくるコビーとヘルメッポに、嘆息したイスカは呆れた口調で言った。
「仕事柄必要な技ではあるが、この人はいつもこうだ。お前たちもいい加減まともに受け取るな。柔よく剛を制すというように、時には言葉も攻撃も柔らかく受け流すのが大切だぞ」
「それ私が教えたのよね? イスカちゃん」
「知りません」
「冷たいわ。出会った頃はあんなに熱かったのに」
「誤解を招く言い方をしないでください。私は何も変わっていません。あなたが出会った頃より面倒になっているだけです」
不満そうな声を出すウェンディを敢えて相手にせず受け流して、イスカが小さくため息をつく。
普段こそ自分ではコーヒーを淹れることすらできないほど頼りないものの、彼女はやり手の監査役として海軍内部では広く知られている。本人の調査は誰にも気付かれずに遂行され、これまでに数々の不正が明らかにされてきた。近頃では部下の育成にも次々に成功しているらしく彼女の一派が挙げた功績は多い。
中将に相応しい人物なのではないかとずいぶん前から囁かれている人物であった。
言い換えれば海軍内部にそれだけ問題があるという意味合いでもある。
大小様々とはいえ、片付ける問題が多過ぎて人員が足りないという話もあった。
それについても「正しくない海兵は粛清すべし」と考える元帥“赤犬”と、「みんなおれより頑張りなさいよ」と考える大将“青キジ”の支援があるため、人員の増加もあり得るのだという。
日常においては卵焼きの一つも作れないポンコツ。内部監査においては他人の心が読めるのではないかと恐れられる存在。
チェスの腕前一つ見てもそれは確か。他人の性格を理解して先の展開を読み切り、相手に不利で自分に有利な状況を悉く作り出す。
イスカがウェンディの下についているのは自らの意思だった。たまにウザいが彼女は凄い。
「イスカちゃん恋バナしない?」
「しません」
「今好きな人居るの?」
「あなたでないことは確かです」
不満そうにえ~っと眉根を寄せる姿に、凄いはずなのだ、と自己暗示のように繰り返す。
頭を抱えるイスカは耐え切れずに彼女から視線を外し、少し離れた位置にある椅子に座ってそれを見ていたヘルメッポは、まるで哀れむように悲しげな顔をしていた。
「集中できてないわね。そんなに考え込まなくてもいいのに」
「ふう……やっぱり無理ですよ。どうしてもそのことを考えてしまって」
普段に比べてコビーの手番は時間がかかっている。やはり明日のことが気になってしまっていつも通りに過ごせないらしい。
それを聞いても驚きはしない。彼はそういう性格の人物だ。
微笑みを崩さないウェンディは白の駒を指先でつつき、わずかに声色を変えた。
「わからないことは恐怖かしら。もしもあなたが明日起こることを全て理解していたとして、今みたいに緊張して眠れなくなると思う?」
「それは……どうでしょう。やっぱり緊張はすると思います。でも何が起こるかわかっているのならきっと対策を練るでしょうから、考える時間が増えて少しは落ち着くかもしれません」
「そう。なら少しだけ教えてあげる。明日の万博、ブエナ・フェスタ主催というのは嘘よ」
あっさりと言われた言葉にぎょっとしてしまう。
冷静な表情のイスカとは裏腹に、コビーやヘルメッポが固まって言葉を失ってしまって、しばし時間が止まったかのように息を吞む。その中でウェンディだけが普段と同じ態度だった。
「嘘……? ブエナ・フェスタが主催するわけではないんですか?」
「ええ」
「な、どうしてそんなことがわかるんです」
「うーんそうねぇ。調査と勘と、あとは新聞読んでるから? やあねぇ、ただの予想よ。外れてても怒らないでね」
「怒りません、けど、あなたが言うとそうだと思わずにはいられませんよ」
「多分ね、大海賊同盟の方よ。きな臭い話は大体あっちが多いから」
動かない白の駒を指先でカタッ、カタッ、と揺らして、ウェンディは視線を下げている。
どこまで見えているのだろう。戦慄するコビーは恐る恐る尋ねた。
「どうしてそう思うのか、聞いてもいいですか」
「別に名推理でも何でもないのよ? 少なくとも現時点でわかってるのは大海賊同盟側が人間を洗脳できること、その人間を操作できること、時には死んだはずの人間が生き返ったかのように見せられるってこと。それはマリンフォードで判明したことよ」
ついには白のポーンを指先で摘まんで持ち上げてしまい、コビーはごくりと息を吞む。
「火拳が死んだあの戦争に参加して、後に大海賊同盟に属することになったメンバーは四人。その中で黒ひげは想定外の事態に驚いているようだったし、バーソロミュー・くまはすでに改造が完了していたから自意識はない。あとはドンキホーテ・ドフラミンゴと正体不明の謎の少年。七武海になった後の黒ひげの船に乗ってたって話だったわね」
つらつらと情報を挙げて平然と話していた。
彼女は記憶力が良い。一度見た物は忘れずに記憶の底へ仕舞っておけて、必要に応じて取り出すことができる能力があるのだという。悪魔の実とは異なる彼女自身の能力だ。
観察力にも優れているため、おそらく当時の戦場で目にした多くの光景を手繰り寄せ、そうして話しているのだろう。
当時曹長として大規模な戦争に参加したコビーは、混迷極まる初めての戦場で激しく混乱して、記憶している情報などほとんどない。ただ凄惨な映像ばかりが頭の中に浮かんできて、思い出すのが怖くなるほどだ。
コビーが戦後になって改めて集めた情報を彼女はその場で入手している。それだけでも決定的な違いを感じずにはいられない。
ごくりと息を吞むコビーは先程とはまるで違って見えるウェンディに改めて畏怖の念を覚える。
「ここだけの話、例の少年、政府が秘密裏に行ってた研究の被験者なんだって。悪魔の実に関する兵器開発で利用されていたの。いわゆる人体実験ってやつよ」
「えっ⁉ 本当ですか⁉」
「ええ本当。上層部はすでに知っているわ。だって本人がそう言ってたんだもの」
「本人? その人に会って話したんですか?」
「世経に自分から売り込んだのよ。でもそれを危惧してたサイファーポールが張ってたからなんとか強引に揉み消したんだけど、そのせいでモルガンズはカンカン。リベンジに燃えてるから明日の脅威の一つには世経の存在もあるってこと」
驚きが大き過ぎて多くを話せない。
背筋を伸ばしていたコビーが背もたれに寄りかかり、脱力する。
政府が秘密裏に行う人体実験。確かに世に出れば大問題な情報だ。政府の役人と海軍が緊張するのも致し方ない状況だろう。
「その研究について調べてみたの。施設はすでに半壊状態、研究データや成果はなし。誰かが意図的に壊したんだと思う。例の少年がそこの出身者で、仮に研究成果の持ち出しに成功して政府への復讐なんかを考えている場合、情報を渡さないようにそう行動するのは理解できる」
「それじゃあ、その話が本当かどうかもわからない、ですよね」
「ところが、その半壊した施設にメッセージが残されていたの。私みたいな人間が来ることを見越してわざわざ置いといたのね」
ごくりと喉を鳴らしたのはコビーだけではない。
身を乗り出して前傾姿勢になり、気になる続きを求める。
「何があったんです?」
「お墓よ。簡単に作られた物だけど大きなエントランスの中央に穴を掘って、1から10まで一列に並べて番号が振られていたわ。枯れていたけど全てに花が供えられていて、その中で2と7と10には金貨が置かれて、9番目だけ唯一お墓がなかった」
「それは……」
「意味深でしょ? 彼は伝えたがっているのよ。どういう意味かわかる?」
にこりと笑いかけるが目は試すかのようだった。彼女は答えを待っている。
嫌な予感がして止まってしまった思考が動き出し、まさかと思う。
「もし本当に謎の少年がその研究の生き残りだったとして、仮に研究が成功して兵器が現存していたとしたら……持ち出された兵器は3つある」
ウェンディの表情を見て、間違っていないのだと悟った。
室内の空気がさらに重くなった気がする。
わずかに息を吐き出し、嫌そうな顔をしたウェンディがやれやれと言い出した。
「でもそれ以上はだめ。探っていることに気付いたCP-0がわざわざ口止めしに来たわ。これ以上はトップシークレット、調べても偶然知ってもだめなんだって」
「だけど、本当に政府が主導していた研究なんだとしたら」
「ええ。彼らは報告を受け取っているはずだし、研究の内容について知っている。どの悪魔の実が関係しているのか、どんな兵器が持ち出されたのか把握している」
「明日、サイファーポールは海賊万博に現れますか?」
「その中でもトップの“イージス”ゼロがね」
ぐっと顔を突き合わせて話し合う二人の姿にヘルメッポがハラハラしていた。
ほんのわずかな沈黙にも耐えられず、慌てながらも恐る恐る声をかける。
「な、なぁ、それってあんまり首を突っ込まない方がいい話なんじゃないか? CP-0が出てくるならマジでヤバい話だぜ」
「そのヤバい話のせいで、新世界全体が混乱してるんだよ。ヘルメッポさん」
「これはチャンスよ。おそらく相手側はそんなに隠そうとなんてしていない。目的が本当に復讐かどうかはわからないけど自分から情報を売り込むくらいだから、自分の存在を世に知らしめようとしている。そう考えてもこの騒動の原因はドフラミンゴではなく謎の少年。仮に9番目の子供としておきましょうか」
「“祭り屋”として有名なブエナ・フェスタの名前を使い、海賊万博を開催して、世界政府の人体実験を公表する。それが目的でしょうか」
「それだけならいいけど、そうは思えないわね」
珍しく演技ではなく物憂げな顔を見せたウェンディが頬杖をつく。
「ブエナ・フェスタの死体が見つかったわ」
「ええっ⁉」
「マジ⁉」
「だけど情報を整理すると、死亡推定時刻と同じ時間、別の島で裏社会の要人と密会するフェスタの目撃証言があった。兵器か能力を使って偽物を動かしているのよ」
「海賊万博の、準備のために……」
「相手にとっては、明日がどうしても大切なのね」
しんと静まり返る室内。
唐突なノックの音が沈黙を切り裂いた。
「どうぞー」
「失礼します! ウェンディ少将、ほっ、報告です!」
「落ち着いて。何かあった?」
「たっ、たった今、
報告を聞いて皆の表情が一様に変わり、ウェンディだけが冷静に頷いた。