海賊だから踊ろうぜ   作:ヘビとマングース

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迷子

 日常が終わりを告げたのは突然だった。

 なぜそうなってしまったのだろう。

 特別なことはしていない。毎日同じことを繰り返していただけだ。

 

 その日、早朝の畑仕事を終えて、先に家へ帰って朝食を作っているはずのじいちゃんが家の外で倒れているのを見た。

 傍に立っていたのは黒い服に身を包んだ長身の男。シルクハットを被って肩にコートをかけている青白い肌の人物だった。

 右手には血の付いたナイフ。そしてじいちゃんの体の下にも赤い液体。

 確認すると頭の中から思考が消し飛んだ。何も考えられなくなって真っ白になる。

 

 見知らぬ男、その名を知る由もなかったがラフィットが振り返った。

 運んでいた道具を全て落として立ち尽くしているタロオを確認するとにこりと笑いかけ、目の前の状況などまるで認識していないかのように振り返る。服に付いた血を気にしているようで、すぐにハンカチを取り出すと拭おうとしていた。

 

「ああどうも、こんにちは。すみませんね。あなたのおじいさん強かったものですから」

 

 にこやかな顔で親しげに話しかけられる。

 この状況がおかしいと思う余裕もなくタロオは呆然としていて、反応はなかった。

 

「安心してください、殺していませんよ。私、ちゃんとわかってるんです。どこを刺せば死ぬか、どこなら刺しても死なないか。元保安官ですから」

 

 服に跡が残りそうなのは苛立っている様子だったが、話す声色は穏やかで、ナイフに付着していた血液を拭き取ろうとする。

 笑いかけるラフィットは、ただ雑談をしに来た、とでも言いそうな態度であった。

 

「実はですね、あなたを迎えに来たんです。私と一緒に来てもらえませんか? 我々にとって大切な用事があるんです。もちろん脅したりはしませんよ。ただ来てもらうのはあなたのためになると言いましょうか……」

 

 コホンと咳払いを一つして、彼は背筋をぴんと伸ばして説明をした。

 

「あなた、食べたでしょう? 不気味で味の悪い果実を。あれは我々が探していた物なんですよ。いえ食べたことは責めませんが、このままだと少し困ったことになりますから。ただ一緒に来ていただければそれでいいんです。危ないことは何もありません」

 

 タロオは動けず、やはり倒れたじいちゃんから目を離さない。

 

「いかがでしょう? 来ていただけませんか?」

「タロオ……んに、逃げろ」

 

 じいちゃんが声を発した、その直後、銃声が響く。

 体がびくっと反応した。

 まさかの光景にタロオは大きく目を見開く。

 

「喋ってるんですよ、私が。途中で割り込まないでください」

 

 素早くピストルを抜いたラフィットがはたと気付いて再び笑みを浮かべる。

 タロオに目を向けて、今の出来事もなかったかのように声は穏やかだ。

 

「おっと、失礼。大丈夫、死んでいませんよ。殺さないように撃てるんです。元保安官なので」

 

 撃たれた。じいちゃんが撃たれた。

 理解した瞬間、意識が飛ぶ。

 視界が真っ白になり、何も認識できなくなる。

 

 次に目覚めた時、タロオは見知らぬ場所に倒れていた。

 体が半分ほど水に浸かっていて体に力が入らない。呼吸が辛うじてできるが苦しく、少し慌てて顔を振って、その衝動で動き出せた。

 何度かせき込み、ようやく状況を確認できるようになる。

 

 辺りを見回すと何もなかった。

 彼が居る円形の大地を残して辺り一面が広大な海。

 太陽は低い位置にある。おそらくは朝。

 そうだ、畑仕事を終えたんだと思い出した。その後のことが思い出せず、誰も居ない場所で一人だけ取り残され、タロオは激しく混乱する。

 

 なぜか海水に触れていると力が抜ける。自分が暮らす島が見えない。

 一体どこへ行ってしまったんだ。

 混乱する彼が自分の見た光景を思い出したのは、それから数時間経っても救助が現れず、ひたすら一人で考え続けていた時だった。

 

 できることは何もなくて、ただひたすら助けを待った。

 かつて彼を攫った巨大怪鳥が現れるまで、タロオはそこを動けなかったのだ。

 

 

 

 

 びくっと体が跳ねて目を覚ます。

 またあの嫌な夢だ。

 血を流して倒れるじいちゃん。不気味に笑う男。記憶が途切れて見知らぬ土地に取り残されて感じた孤独。

 思い出したくもないのに何度も見る。おかげで体と共に精神まで疲れ切っていた。

 

 辺りは暗く、現在は夜。

 隠れるように路地裏の硬い地面に横たわっていたタロオはのろのろと体を起こした。

 心身ともに限界だったが眠る気にもなれず、壁に背を預けて膝を抱える。

 

 何が起こったのだろう。それはいまだにわからない。

 少なくとも自分が故郷とは異なる島に連れてこられたのは確かで、重大なカルチャーショックを受けるほど故郷とは何もかも違っており、頼る人も居ないため一人で街を彷徨っている。

 どうすればいいのかわからない。だが早く帰りたいと思っている。その気持ちだけは確かだ。

 

「腹減ったな……」

 

 見知らぬ土地で知り合いも居なければ金もない。

 ここ数日、口にできたのは無料で飲んでいいらしい公園の水道水と、食べられる物とそうでない野草が数種類。よほどゴミを漁ろうかとも思ったが、たとえ捨てられたとしてもそれは他人の物だろうと考えてなんとか踏みとどまった。

 

 島に来たのはおそらく巨大怪鳥に連れられてだろうが、帰る術はなく、なぜここに居るのかもわからない。

 タロオはすでに極限状態にあった。意識が朦朧として視界が霞んでいる。

 

「ゲフゥ⁉」

 

 俯くタロオの近くで唐突に一人の男が倒れた。どうやら脚を震わせる馬の背から落ちたらしい。

 疲労困憊で気力はない。それでも島の老人たちに優しかったタロオはもぞもぞと動き出し、顔もよく見えない暗がりの中で落馬した男へ近付いた。

 

「あの、大丈夫だべか?」

「ゲホッ、ゼェ、ハァ……アァ、大丈夫だ。元気いっぱいだ」

「とてもそうは見えねぇんだが」

 

 血色の悪い顔をしている。黒ずくめの服装で身長が高い。しかし決して健康的には見えない男で同じく馬もひどく具合が悪そうだ。

 病気なのかもしれない。だとしたら医者を。

 そう思ったタロオは自らも満足に動けないことを思い出して、諦めるように息を吐いた。

 

「おっちゃん、面目ねぇ。できれば助けてやりたいけんども、オラも思うように体が動かね。ここ何日か草しか食ってなくて……やっぱ肉じゃねぇと力になんねぇんだ」

「おぉ、顔色が悪い。今にも死にそうだ」

「おっちゃんには言われたくねぇけどな」

「腹を空かせてるのか? だったら、ほら、りんご食うか?」

 

 倒れたままの男は懐に隠した籠を取り出して、そこに入っているりんごを差し出した。

 見ただけで瑞々しさを感じて良いりんごなのだろうと思う。とても美味そうだ。

 目にした途端にいつからか黙り込んでいた腹の虫が凄まじく騒ぎ出して、じゅるりとよだれが溢れ出す。思わず飛びつきそうになったタロオだが理性は忘れていなかったようで、伸ばしかけた手を止めて男の反応を確認した。

 

「す、すごく、有難いんだけども。ほんとにいいのか? オラ、金もねぇし、代わりに渡せる物もなんもねぇ。それどころか故郷に帰ることもできねぇし……」

「アァ、心配するな。金なんていらねぇよぉ」

 

 男はにやりと笑っていた。そんな表情でも今のタロオには天使のように見える。

 

「爆発なんてしない……好きなだけ食べていい。全部食べていい」

「かっ、かたじけねぇ!」

「お前は、運がいい……」

 

 呟かれた言葉も聞こえないほど夢中になってりんごにかぶりつく。

 しゃりっと小気味良い音を立てて、咀嚼すると溢れんばかりの果汁が口の中いっぱいに広がる。こんなに美味いりんごを食べたのは生まれて初めてだ。前々から好きな果実ではあったが今日のこの一個は生涯忘れないだろう。

 

 タロオの手と口は止まらなかった。ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら必死に食べて、芯まで残してたまるかと構わず食べ尽くし、許可を得る前に次の一個を手に取る。両手で大事そうに抱えて一口ごとに幸福を感じていた。

 二個ほど丸ごと食べ終えてからは涙が止まらず、嗚咽が大きくなる。

 生きている。まだ腹の虫は鳴き続けているが、ようやくまともに食べ物を食べることができて、実感を得た感動で動けなくなってしまった。

 

「うぅ、ぐすっ、ありがどう……! なんでこんなとこに居んのかもわからなくて、ずっと一人で心細くて……あんた、いい人だっ。オラの命の恩人だ」

「ゲホッ、ガフッ。アァ……そんなことはねぇ。おれは、命の恩人なんかじゃねぇ」

「んなことねぇ! オラはあんたがくれたりんごで生き返ったんだ。今までほとんど死んでたみたいなもんだった。このお礼は必ずお返しせねば」

 

 まだ万全の調子とは言えないが少なくとも気力は戻ってきた。

 目を輝かせてやる気を見せるタロオは拳を握って男の顔を覗き込む。すごく体調が悪そうなのが気がかりだった。できることはきっとあるはずだと思う。

 

「困ったことがあったらなんでも言ってくれ。学はねぇけど体力だけはある。毎日畑仕事と狩りで自動的に鍛えられてっからな。食うもんさえ食ったら体力には自信あんだ」

「ゴホッ、おれは、お前にひどいことを言っちまう……」

「なんだそりゃ。なんでそうなんだ?」

「お前はもう、故郷にゃあ帰れねぇんだよ」

 

 ゴホゴホと時折咳をしながら男は苦しそうに言う。

 それを耳にした途端、タロオが固まった。ぴくりとも動かなくなって静止してしまう。

 男がにやりと笑ってさらに言った。

 

「お前が沈めちまったんだ。あそこにあった島を丸ごと全部……大きな、ゲホッ! ハァ、天と地がひっくり返るほどの地震を起こして……」

 

 そう言われても理解ができなかった。

 そんなことがあり得るわけがないではないか。人が島を沈めるなどできるわけがない。

 混乱するタロオは不安に駆られながらもきょとんとしていて、聞きたいが聞きたくない、複雑な心境でもその男から逃げられなかった。

 

「な、なに言ってんだ? 沈めたって、島が沈むわけねぇべ。ひょっとして都会流のジョークってやつだべか? いやー悪いけどオラ島から出たことねぇからそういうのわかんねくて」

「帽子を被った……ゲフッ、男が来ただろう」

「オラは、そういうの、じいちゃんのダジャレしか……」

 

 フラッシュバックする。

 見知らぬシルクハットの男。倒れたじいちゃん。ナイフにべっとり付いた血。

 記憶が途切れて、目覚めたら見知らぬ場所に立っていた。どこかへ連れ去られたのだと思った。何のためかは知らないが置き去りにされて、お仕置きか悪戯か、すぐに終わって元の生活に戻れるものだと思っていた。

 

 故郷は、お前が沈めちまったんだ。

 今になってその言葉が重くのしかかる。

 まさかと思い、信じられなくて、動揺して呼吸が荒くなる。

 

 にやりと笑うドクQはりんごが入った籠を差し出してきた。

 タロオと視線が交わり、不気味な雰囲気と妙な状況にようやく気付く。

 

「りんご……食べるか?」

 

 嫌な予感がした。

 差し出された籠を手で払って、りんごをぶちまけながら飛び跳ねるように起き上がるとタロオはその場を離れようとする。

 

 ドクQに背を向けて路地を駆け出した直後、暗い道の先から誰かが歩いてくるのに気付いた。

 軍帽を被った大柄な男。やはり黒ずくめの服に身を包んでいる。

 葉巻の煙が燻っているのが辛うじて見え、左手には刀を握っているのがわかった。

 前方から現れたシリュウに戦き、足を止めたタロオは、他に逃げ道はないかと慌てて視線を動かして周囲を確認する。

 

 前方からはシリュウ。後方には座り込んでいるとはいえドクQ。

 人目を避けるために路地裏へ入ったのがまずかった。

 逃げ場はない。それでもタロオは諦めようとはせずに、一瞬の隙をつけばどちらか一方の脇をすり抜けて逃げられるのではないかと考える。体はふらふらして力が入らず頭も回らないが、やらずに好き勝手されるのは嫌だ。

 足を開いて低く身構え、タロオはあくまで抵抗の意思を見せた。

 

 顔色一つ変えずにシリュウが刀の柄に手を置き、大股に進み出てくる。

 改めて恐怖を感じたその時、しかしシリュウの視線が上がった。

 

 背後で大きな爆発が起こった。驚いたタロオが思わず振り返ると、ドクQとその愛馬であるストロンガーが大きな炎に巻かれてもがいている。

 何が起こったのか。タロオの理解を待たずに状況はさらに進展する。

 宙を駆けた炎が彼の頭上を飛び越え、シリュウへ襲い掛かった。

 

 一筋の炎が二、三、四筋と分かれて四方から向かってくる。

 瞬時に刀を抜いたシリュウが居合で斬撃を飛ばすのだが、斬られる前に炎は彼の周囲にある建物に火を点け、一瞬にして轟々と燃え上がらせた。

 

 少し遅れて悲鳴を上げながら地面を転がるドクQの傍から別の炎が飛び出した。

 本命はそちらだ。素早く身構えたシリュウが居合で迎え撃とうとする。

 真っすぐに飛んでいく炎はやがて人の形になり、四方を炎で囲まれたシリュウの前へ、飛び込むようにしながら右拳を突き出した。

 目にも止まらぬ速度で刀が抜かれるものの、正面から拳に激突し、一瞬の拮抗。

 直後には爆発して、凄まじい規模の炎が夜の闇を切り裂いた。

 

「火拳ッ‼」

 

 狭くはない通りを埋め尽くすほどの巨大な炎が駆け抜けた。

 呑まれたシリュウの姿は一瞬にして見えなくなり、拳を引いて炎が散った後、燃え盛る建物はまだそこにあるが彼の姿は見えない。ずいぶん遠くまで飛ばされたようだ。

 

 タロオは何も言えないまま傍らに立った青年を見上げる。

 オレンジ色のテンガロンハットを被り、頬にそばかすがあって、鋭い目つきをしていた。

 怖そうな人かとも思ったが状況からして助けてもらったのは明らかであり、目が合った途端に子供のように笑って、その印象はすぐさま改められる。

 

「よお、無事か?」

「あ……無事です、けども。町が燃えてるんでねぇか?」

「おっと、そうだった」

 

 恐る恐る気になることを言ってみると青年が右腕を振るう。

 まるで彼の支配下にあるかの如く、建物を燃やしていた炎が一瞬にして沈下してしまった。

 驚愕して固まるタロオに、たった今火を消したばかりの右手を差し出して青年が笑う。

 

「おれはエース。見ての通りメラメラの実を食ったから火はへっちゃらだ。どうぞよろしく」

「お、オラは、タロオだ。なんか、なんか……よくわかってねぇ」

 

 困惑した顔で言ったタロオを見て、先程同様、やはりエースはにかっと笑った。

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