目を覚ますと最初に感じたのは、美味しそうな匂いだった。家庭的な料理の匂い━━言ってしまえば故郷でいつも感じていた匂いだ。
タカアキはゆっくりと起き上がり、部屋を見渡した。知らない場所だ。
と、そこで昨日の出来事を思い出した。
「……そっか」
帝都で働くため村を出て、既に一ヶ月以上経過している。故郷を思い出す匂いだが帰って来た訳ではない。ここは帝都だ。
そんなアンニュイな気分に浸かっていると、
「じゃ〜ん。おじいちゃんが朝を快適に目覚めさせます!」
突然何かが部屋に入って来た。その何か━━ドクだが━━は既に起きていたタカアキを見ると、つまらなさそうに口を尖らせた。
「何だよ。朝のお約束イベントをジジーで砕こうと思ったのに」
「どういう意味だ?」
本気で分からなさそうな顔をしているタカアキに一瞬目を見開くドクだが、すぐに嬉しそうな顔になる。
「田舎者はこれだから〜。よし! 帝都の常識を教えてやろう! いいか、朝は幼馴染みの可愛い女の子にだな━━」
「何余計なことやってるのよ、ジジイ」
大仰に身振り手振りを付けて説明を始めるドク。そんな彼の頭を軽くフライパンで叩き、アリアが言った。
「アリアちゃん、来ちゃ意味ないだろ!? お約束イベントが発生してしまう!」
「何の話よ」
肩を落とすアリアの格好は何故かエプロン。右手にしたフライパンは使用済みの様だ。タカアキはそれを見て目を丸くする。
「え、お前が料理?」
「家畜にお前呼ばわりされる覚えはないわ」
つっこむトコそこか? と真面目な顔をするドクを無視し、アリアはくるりときびすを返す。
「遊んでないで早く起きなさい。ご飯が冷めてしまうわ」
食べたくないならいいけど。と付け加え部屋を後にするアリア。タカアキは目を丸くしたままだ。驚きを隠せずに、口もあんぐりと開けている。
まったくもって意味が分からない。
「……なんだありゃ。あれじゃ女の子みたいじゃねぇか」
「アリアちゃんは女の子だぞ。大丈夫か、お前」
素でドクにつっこまれ、タカアキはそうなんだけどさ……と頭をかく。
「サヨを殺したり、イエヤスを助けたり……よく分からんくて」
「……タカアキ……だったか?」
ドクが急に声を落とす。怪訝に思いそちらを窺うと、ドクは真剣な顔でタカアキを見下ろしていた。
「人には必ず表裏ってヤツがある。その辺を切り分けんと、世の中上手くやってけんからなぁ」
「表裏、か」
「一面だけじゃ人は判断出来んよ。俺だってスラムじゃかなり腕の良い医者で通ってるしな」
「え、マジで?」
「マジで」
タカアキが再び目を丸くすると、ドクは得意げな顔をする。
「ただのエロジジイかと思ってたぜ」
「もちろん、否定はしねぇさ」ドクは豪快に笑い飛ばす。「だがそれもやっぱり表裏だ。……お前さんだって、隠してることぐらいあるだろう? ……不吉な力、とか」
急に心の奥に仕舞い込んである「闇」を突かれ、タカアキは咄嗟に何も言えなくなった。やはりただの惚けた老人ではない。
「ま、深く考えんでもいいんじゃねぇか? お前にとって有益か無益か。人との関係なんてそんなもんさ」
さてアリアちゃんの飯だ。と部屋から出て行くドク。タカアキも悩むよりまずは腹を満たそうと判断し、部屋を後にした。
「え? 朝ご飯? いらないのかと思って片付けたわよ」
玄関部屋に顔を出した二人に、アリアは冷たく言い放った。
タカアキはやっぱりアリアが苦手だと思ったのだった。
タカアキとドクは捨てずに保存されていた朝食━━パンを主食に卵焼きとベーコン。それにサラダ━━を平らげ、アリアを加えて机を囲んでいた。
今後のことを話し合う会議だ。
ドクは特に変わらず医者として生活を続けられるが、タカアキとアリアはそうもいかない。
タカアキは元々出稼ぎに来ていて家はない。アリアの方もナイトレイドに家族を殺されている。しかも「仕止め損ねた標的」として命を狙われ続ける可能性すらある。
「……まあ、私はしばらくドクに匿ってもらうけど」しかしアリアは事も無げに言った。「元々利害関係だしね。これを機に借りを返してもらうわ」
「イエヤスもいるし、俺もしばらくは居させてほしい。出来るだけ手伝いもするしさ」
ドクとしてはお得意様を無下には出来ないし、患者を放り出す訳にもいかない。選択肢は無いも同じだ。二人の居候話は簡単に纏まった。
しかし今後はそれだけでは済まない。
「俺はタツミを助け出す」
「私はナイトレイドを殺す」
意見が割れたのだ。
方や拐われた友人を助けるためで、方や両親、護衛共に殺された……言わば仇討ち。
細かく言うなら、タツミは既に殺されたか懐柔されたと意見するアリア。仇討ちなどさせる訳にはいかないと言うタカアキ。
ここで意見が割れていた。
「タツミはそんな馬鹿なやつじゃない。殺し屋なんかに手を貸すか」
「その殺し屋が見込みがあるって言ってたのよ。とっくに仲間になってるわ。諦めなさい」
「大体、殺されたからって殺してどうする。馬鹿じゃねぇの?」
「馬鹿はそっちでしょう? どーせ読み書き出来ない家畜のくせに」
「読むことぐらい出来るわ、バーカ!」
「そんなことで自慢しないで。馬鹿なの? 死ぬの?」
「おい、会話が低レベルだぞ、お前ら」
次第にヒートアップし、ドクにたしなめられるまで、二人の言い争いは続いた。
━━結局言い争いに決着は着かなかった。どうしてもタツミを助けたいタカアキと、仇を取りたいアリアは両者一歩も引かなかったのだ。
これについては優劣を付けれるものでもなく、どちらが正しいというものでもない。それを踏まえ、ドクは二人に一つの案を出した。
それは標的が同じという利点を活かし、とりあえずの協力体制を取るということだった。
具体的には二人でナイトレイドの捕獲。タツミの居場所━━ナイトレイドのアジト━━を聞き出す。その場合にはアリアの十八番、拷問にかける。その過程で居場所を吐かず、死んでしまった場合は仕方なし、といった具合だ。
アリアはその案に満足し、タカアキは渋々了承した。
「だが、相手はあのナイトレイドだぞ」
ドクが神妙な面持ちで二人を見据える。
帝都を震わす殺し屋集団。警備隊や、富裕層の護衛を掻い潜り暗殺を遂行するその実力は言わずもがなだ。
「確かにあいつらは化け物だ。だがだからって引けない。ダチが捕まってんだ。引ける訳がねぇ」
それでもタカアキは自身の得物を握りしめ、真っ直ぐな瞳を向ける。決意は十分だった。
「……私だって」
アリアも負けじとドクを睨む。
「こいつみたいに、ひっぱたかれても黙ってるお人好しじゃないのよ。私が奴らに報いを施してあげるわ」
「気持ちは負けねぇ……か」
二人の決意を受け止め、ドクは嘆息した。
「だがそれだけじゃ駄目なのは分かってるよな? ナイトレイドは漏れなく全員帝具使いだ」
帝具という言葉に、アリアは身体を震わせる。だが、その言葉を聞いたことのないタカアキは、首をかしげた。
「帝具って?」
「田舎者って本当、何も知らないのね」
「そろそろ殴るぞ」
「喧嘩すんなお前ら」
こめかみに血管を浮かせるタカアキを、ドクがどうどう、となだめる。
「帝具ってのは、千年前始皇帝が造り出した四十八の超兵器のことだ」
「それは現在の技術では造り出すことは出来ないらしいの。ロストテクノロジーってやつね」
ドクとアリアはそれぞれ淡々と語り出す。
「だがそれ故強力なやつが多くてな。中には一騎当千の力を秘めるのもある」
「持ってるか持ってないかだけでも、戦闘能力に雲泥の差が出るわ」
「そんなんが帝国にはあるのか……」
タカアキはようやく、アリアが戦慄した意味が分かった。帝具がそれほどまでなら、ナイトレイドが全員帝具持ちだという事実は恐ろしいものだ。
「帝具は始皇帝が、自分が死んでも国を守るために造らせたモンらしい。武器や防具なら受け継いでいけるからな。素材は超級危険種やレアメタルだ。強くない訳がねぇ」
「国を守るために武器を……?」
「ん? どうした?」
帝具が造り出された理由を聞き、タカアキは思案顔になる。どこか引っ掛かると言うか、納得いかなかった。
「いや……理由って本当にそれか?」
「さあ? 諸説あるけど、国を守るためってのが有力らしいわ」
「そうか……」
納得はいかなかったが、正直自分でもよく分からない勘だ。タカアキは首を振ってそれを思慮の外へ追いやる。そしてドクに先を促した。
「それに帝具には、あるジンクスがある」
「ジンクス?」
これはアリアも知らなかったのか、眉をひそめた。ドクは頷く。
「帝具はその威力故、帝具使い同士が戦えば……必ずどちらかが死ぬ」
帝具は必殺の武具だ。一騎当千の武具……あるいは闘士がぶつかれば、お互いただでは済まない。当然と言えば当然だ。
「つまり帝具使いじゃないやつが帝具使いと戦えば……分かるよな?」
それは子供でも分かる計算問題だ。強さ百の人間と一の人間。どちらの数が大きく、また勝つかなどは一目瞭然だ。
「それでもやるか?」
「当然」
異口同音だった。ドクの問いかけに、二人は一歩も引かない。ドクはもうそれ以上とやかく言うのは無粋だと判断をした。
「よし、じゃあこうしようじゃねぇか」
ドクは言って人差し指を立てる。
「どうせ戦うなら弱いやつからだ。……首斬りザンク。知ってるか?」
「ええ」アリアが即答する。「ナイトレイドとは別に、帝都を騒がせてる辻斬りね」
「ああ、そうだ。元は帝都の首斬り役人だったが、何年も続ける内に首斬りが癖になったらしい」
うげ……とタカアキが舌を出す。ザンクがイカれているやつだと、容易に想像がつく。
「そいつは死刑囚じゃ物足りんくなって、帝具を持ち出して辻斬りになった……って訳さ」
「そいつを殺せばいいのね」
事も無げにアリアが言い放つ。表情は変わらず、涼しげに髪を撫でる。
「ああ。と言ってもタカアキの坊やが殺しは許さんだろうから……帝具の回収を名目とする」
「帝具持ち……だが、ナイトレイドより格下ってとこか」
「そのザンクに勝てなきゃ、ナイトレイドに勝つなんて夢のまた夢だ」
ドクに言われ、タカアキは俯く。確かにナイトレイドは一目見ただけで強いと分かった。パッと見の人数は五人……いや六人。宙に浮いていた四人と、後から顔を出した金髪の女。それとわずかに気配を感じた、アリアの母親を殺しただろう一人。
彼我の戦力差は歴然だ。
「怖じ気付いたならいいわよ。私一人でやるから」
そうしたタカアキを尻込みしている様に見えたのか、アリアが横目で彼を流し見る。
むっとしてタカアキはアリアを睨んだ。
「違うわ」それからドクを見る。「分かった。それでいこう。で、達成したらなんだが……」
「ご褒美にアリアちゃんのおっぱいを揉みたい、と」
「違うわ」
「なら、なじられる方か!? なかなか通だな」
「それも違うわ!」
ドクとタカアキのやり取りで、アリアの表情筋みるみる内に死んでいく。
「俺を鍛えて欲しい!」
「ドMに?」
「殴るぞ、エロジジイ!」
しかしタカアキが手を出すより早く、アリアの掌底がドクのあごに飛ぶ。
クリーンヒット。下手すると死ぬ。
アリアにしてみれば、もしかしたら死んでも構わないのかもしれないが。
「酷いぜ、アリアちゃ〜ん」とガンガンするのか頭を押さえるドクに、アリアは舌打ちを浴びせる。どうやら殺す気だったらしい。
「えーと、アリアを鍛えたの、あんただろ? 俺も鍛えて欲しいんだ。より強くなって……タツミを助け出すために」
「ほう……」
ドクは目を細め、感嘆の声を上げる。
「俺は剣術もまだまだだ。あんたに指南してほしい」
「……なるほど。よし、無事生きて帰って来れればアリア共々鍛え直してやる!」
「……私も?」
「お前には基礎を教えただけだからな。二人とも基礎は出来てる。もうワンランク上を目指すとするか」