その腕に備わる〝因縁〟を目撃した瞬間、夜天の書の主人であるはやて、そしてヴォルケンリッターの騎士全員の思考にノイズが走った。
額の奥底に何かが刺さるような鋭い痛みに顔を歪める。その痛みと共に流れ込んでくるイメージ。その光景は、果てなく遠い過去であると不思議と理解できた。
まだ闇の書が「闇の書」とも「夜天の書」とも呼ばれる遥か昔。
「それ」は単なる保管装置だった。
人種は発展と衰退を繰り返すことを宿命付けられているような存在で、時間という途方もない概念の中で、繁栄と絶滅を繰り返す。多大なる時間をかけて築き上げた文明は呆気なく消え去り、新たな文明ができるまで再び多大な時間が生じる。それはあまりにも非効率だ。
故に彼らは、自らの築き上げた技術や文明といった知能的なもの全てを記録できる「保管装置」を作り上げた。
築いては失い続ける人の足跡を永久的に保管する記録媒体。その役目だけで充分だったはずだった。だが、前述した通り人は刹那的に生き、繁栄と絶滅を繰り返すことを宿命付けられた種族。
先人達の残した技術や文化を記録し続ける記憶媒体を当代の文明がそっとしておくはずがなく、やがて過去の叡智が記録される記憶媒体を巡り、人は争い始めた。
最初の変化点は、記憶媒体そのものに「自己防衛システム」を与えたことだ。刻の天才の手によって回収された記憶媒体に備わる自己防衛機能は、蓄積された膨大なデータと度重なる改修により、一種の自我を獲得することに成功する。
その有様は、さながら人造生命(シンセティック)とでも言うべきだろうか。
単なる自己防衛プログラムの管理システムに過ぎなかった存在は、さまざまな記録、文化、伝承、風俗、それらが辿った歴史を学び、いつしか自らを「騎士」と名乗るようになった。
記憶媒体を守護する「ヴォルケンリッター」。
システムを管理する管理人格が形成され、管理人格が認証した所有者は「書の主」と呼ばれていく。
それが後に「闇の書」あるいは「夜天の書」と呼ばれる存在の起源であり、原典。繁栄と滅びを繰り返す世界を渡り、その足跡を記録し続ける存在。
権力者たちは、ある種の伝説となったその存在を大いに恐れた。当代の王は叫ぶ。「過去の負の知識すらも内包したソレ自体が悪である」と。
最初は些細な願いだった。繁栄しては滅ぶ人の足跡を記録し続けるため。
それだけが目的だったはずの存在は、いつしか人々から遠ざけられ、畏怖と恐怖を込めて「闇の書」と呼ばれるようになった。
文明の繁栄と滅びのサイクルの中、とある文明で「闇の書」は人の手によって管理されることになった。
管理人格と度重なる交渉と対話をもって、ヴォルケンリッターもその文明の管理下に置かれることを了承。闇の書はその時代の天才によって適切な措置を施される。
そうなるはずだった。
たしかにそれは実現した。
闇の書との適合性が認められた人の前に体現するという性質を付与されたと同時、闇の書に一つの防衛システムが追加された。
「ナハトヴァール」。
それが悲劇の始まりだった。
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「全てを言う必要は……ないな?」
腕に備わるナハトヴァールの形をしたものは、すぐさま魔力光を飛散させながら形を崩して消え去る。
ほんの一瞬の攻防での出来事に過ぎなかったが、ダインシーファが言い放った言葉で、闇の書と深く関わるはやてと、ヴォルケンリッターの騎士たちには十分すぎるほどに伝わっていた。
防衛システムであるはずのナハトヴァール。
それが備わったことで闇の書は本物の「闇」を抱える羽目になった。
魔力を蒐集し、必要量に足りた瞬間に自己防衛システムという魔物が呼び覚まされ、無差別に文明や世界に攻撃し、そして滅ぼしていった。
初めてナハトヴァールが発動し、世界が荒野となった光景を見て、管理人格であったリィンフォース・アインスは自ら止められずにこの光景を作り出したことに恐怖し、そして絶望した。
滅ぼした世界の残骸を前にしたあの絶望と焦燥感は今でも全員が忘れることのできない悪夢そのものであり、癒えることのない傷だ。
そして、その時は誰もが気づかなかった。
元凶であるナハトヴァールを闇の書に取り付けた〝天才〟が、その場にいる誰の記憶にも残っていなかったという事実。
たった今、確信した。
目の前にある者こそが闇の書へ「ナハトヴァール」を組み込んだ天才と同一人物であるということを。
「貴様か……何もかも……貴様が……」
あの地獄を作り出したのも。
あの絶望を生み出したのも。
あの焦燥を与えたことも。
長きにわたる滅びと絶望の旅を強いれることになったことも。
リインフォース・アインスとの永遠の別れを決定付けたことも。
その全てが、目の前にいる男が作り出した。
レヴァンティンの柄を血が滲むほど握りしめたシグナムは、憤怒を瞳に宿して刃を横一閃に振り抜く。
「許さんっ!絶対に貴様だけは許さん!!」
「シグナム、あかんっ!!」
はやての静止を振り切って、シグナムは飛び出す。その脚力は床にヒビ割れ、飛び出した衝撃で後方には砕けた床の破片がまるで散弾のように飛び散り、踏み込んだ場所には小さなクレーターを作り出すほど。シグナムの体は無防備なダインシーファの懐へと入り込む。
袈裟へ振り上げるように抜いたレヴァンティンの刀身は目標を過たずに振るわれたが、その閃光のような剣閃はぴたりと押し止められた。
「バカな……」
シグナムの剣を止めたのはダインシーファの四肢ではない。突如として現れた黒い霧のような〝魔力〟だった。
魔力に囚われたレヴァンティンは、その圧倒的な力にふるい落とされてしまう。
剣がダメならばと怒りのまま身一つで立ち向かつがそれも叶わず、可視化したほどの魔力によって横凪の殴打で吹き飛ばされたシグナムは、ここから離れた研究棟のビルへと吹き飛んでゆく。ガラスを突き破り内部にまで達したシグナムは、様々なものを薙ぎ倒しながら残骸中へと埋もれてゆく。
「君たちでは勝てないよ」
冷めた目つきのまま、はやてを見つめるダインシーファ。
「鋼の軛〝くびき〟!!」
その肉体に白金の軛がいくつも突き刺さる。
シャマルが持つクラールヴィントから発せられる風の足枷が魔力の竜巻を生じさせ、ダインシーファの周りに漂っていた黒い魔力の霧を振り払ってゆく。
竜巻の中に閉じ込められた敵の直上で、大きく拳を振りかざしたザフィーラが、自身の魔力を推進力として一気に彼我の距離を詰めた。
「貰ったぁあああっ!!」
流星の如く降り落ちてゆくザフィーラの一撃を、シャマルの操る魔力の暴風の中でダインシーファは真っ向から受け止める。
それも片手一つで。
驚嘆した表情を浮かべる間も与えず、地面から溢れ、実体化した魔力による刃がザフィーラの体を貫く。
「ザフィ……」
声を上げたシャマルも同様に背後から迫り上がった刃によって腹部を貫かれる。ザフィーラの口から吐き出された血が顔に降り注ぎ、ダインシーファの頬を濡らした。
ぐったりと力を失ったザフィーラは振り払われ、はやての真横にいたシャマルに衝突し、そのまま後ろへと吹き飛ばされてゆく。
その場に残ったのはリィンフォース・ツヴァイと、はやてだけだった。
「な、んや……その馬鹿げた魔力は……」
その異様な光景を前に、はやては戦慄する。
ダインシーファの周りには可視化された魔力が溢れ、それは実態を持ってまるで触手のように蠢いていた。
明らかに異常だ。
デバイスも使っていないはずなのに、なぜそれほどの魔力が運用できるのか理解できない。
ダインシーファは簡潔に答えた。
「そうか。君たちの根源は魔力素を変換したことで得られた魔力そのものだ。その力そのものが真髄だと思っていたか?いいや、違う。お前たちが築き上げた技術力をベースにしたものと同じにされては困る」
これは魔法の一端で、その一部に過ぎないと、ダインシーファが手をかざす。するとその手のひらに周囲に揺蕩っていた魔力が収束してゆく。
明らかな質量を有するその魔力が球体を形作った瞬間、ダインシーファはその球を掌で握りつぶした。
結晶が砕けるような音があたりに響く。握りしめられた手を中心に、エネルギーフィールドが一気に解き放たれ、それは瞬く間のうちに周囲を飲み込んでいった。
異変はすぐに起こった。
まず初めに、魔力で駆動するすべての機器が機能不全に陥ったのだ。運搬用ガジェットから電子掲示板。デバイス関連の機器、その全てが一気にシャットダウンされてゆく。
「なんやこれ……魔力が……リィン!?みんな……!!」
それははやての融合騎でもあるリィンフォースや、ヴォルケンリッターも例外ではない。
フィールドに触れた途端、瞳から生気が消え、リィンフォース・ツヴァイは糸が切れた人形のように地面に倒れた。
なんとか立ちあがろうとしていたザフィーラやシャマルも、その場でぐったりと倒れ、完全に意識を失ってしまっている。
何?……何が起こってる?!
「君がまだ魔法に出会う前に何度も見た光景ではないか?」
「何を言ってるんや!貴方は……何をしたんや!」
「半径1キロメートル。その空間内にある魔力素を全て消失させた」
ダインシーファの発した言葉で、はやては混乱する。魔力素を消失させる?AMFなんて生ぬるいものじゃない。そんなこと、魔導師……魔法を使う者にとって悪夢でしかなかった。
「私は人と魔法のバランスを見つめる選定者。だが同時にこうも思っていた。魔法なんてものが存在するから世界は狂う」
ダインシーファは幾度も見てきた。魔法によって繁栄し、魔法によって滅ぶ人の様を。何度も何度も何度も何度も。アルハザードという絶滅間際まで行った文明があったというのに、人は飽きもせずに絶滅のために進歩を続ける。
実に愚かだ。愚か過ぎて言葉も出ない。
「過ぎた力だったんだよ。魔法というものは。便利だから誰もが使い、そして滅んでゆく。もうたくさんだ。もうウンザリだ」
誰もが笑っていられる世界。明日が来ることに何の疑いもなく、平和に、穏やかに暮らしていける世界。それだけを願って一体どれだけの人々が死んでいったというのか。どれだけの人の命を捧げればいいのか。
その答えも争いという文字でしか答えられないのなら、いっそ奪った方がいい。ダインシーファの思考は、その答えに辿り着いた。彼は選定者という役割を放棄し、人と魔法の在り方に手を加えようとしたのだ。
いや、すでにもう手を下している。
「魔力素を消滅させるこの力は、今まで私しか使うことができなかった。だが、この文明世界でようやく作り上げることができたよ。これで世界の全てから魔法を排することができる。シンセサイド・プログラムの真の目的。それは世界から魔法を永遠に消失させること。これからやってくる世界。……なに、君たちは昔はこうだったのだろう?ほんの少し、昔に戻るだけだ。……何もかも」
今ある光景。それこそが、ダインシーファによって与えられる新たな世界の姿だ。魔力があるから人は見果てぬ欲に駆られ、全知全能であると錯覚する。その果てに破滅と絶滅があると言うなら、そもそもそのような「力」など与えなければいい。
過去に行った〝魔力動力炉に見立てた実験〟では、魔力素の代わりに酸素を消失させてしまったが、あれは致し方ない実験の結果だった。
あの失敗があるからこそ、この計画は大きな前進をすることができた。魔力を消し去る技術のためにアルカンシェルを作り、より効率の良いエネルギー変換技術のためにアインヘリアルを作った。
レリックによる事件も、マリアージュ事件も良い布石になった。
そう告げるダインシーファを、はやては夜天の書を構えながら睨みつける。
その胸にある本は何も答えない。
魔力ストレージではなく、単なる本という存在に成り下がった夜天の書では何もできない。
それを知っているダインシーファは、はやてに微笑みを向けた。
嘲笑でも、同情でもない。
なにも絶望することもない。
全ては、魔法も何もなかった〝現実〟に回帰するだけなのだから。
「ダインシーファ……!!」
「八神はやて。君もまた、〝主役〟だろう。たが、そのうちの一人に過ぎない。そして今は、君では私を止められない」
だから私は君たちにチャンスを与えよう。
彼が指を鳴らすと、鉛色の光が降り注ぎ、それを起点にゲートが開いた。魔力が使えない空間内で発生する事象は、今のはやてたちでは理解できない技術で創り上げられたものだ。
光の向こう側には、レプリカントとレプリロイドが立っている。ゲートを潜ると、ダインシーファはまるで明日また会えるかのような気軽さでこう言った。
「では、然るべき時にまた会おう」
ゲートが閉じる。何事もなかったかのような喧騒が戻ってくる。消失していた魔力素が元に戻り、意識を取り戻したリィンフォース・ツヴァイや、ザフィーラたちに囲まれながら、はやては何もなくなった虚空を見つめているのだった。