ミッドチルダ。
次元世界における第1管理世界で、時空管理局の運営に大きな影響を持ち、魔法文化が最も発達している世界。そしてミッドチルダ式魔法の発祥の地だ。
ミッドチルダの首都となるクラナガンは第1管理世界の名の通り、さまざまな人と物が集まる交易の中心部で、管理局の地上本部や最先端の医療センター、最高裁判所、次元世界の輸出入に携わる監査機関の本部ビルなどなど、この世界だけじゃなく次元世界において重要な役目を持つものが全て収まっていた。
そんな重要な役目を持つ首都近郊で、数年前に次元世界を揺るがす大規模なテロ事件があったというインパクトは、想像以上の衝撃と驚愕、そして困惑を呼び起こす。
経済的なダメージはあったものの、重要機関の麻痺という最悪の状況が回避されたのは不幸中の幸いと言えるだろう。
破壊された交通インフラや商業施設、オフィスビル群は目覚ましい速さで復旧されていて、現在では当時の凄惨さは見る影もない。
だが、人々を混乱の渦に叩き込んだ「J.S事件」の爪痕は、復旧を終えてもなお、見えない形で深く残っていた。
クラナガン発、北部にあるベルカ自治領方面の快速レールウェイに一時間ほど揺られると高層ビル群の景色は一変し、閑静な住宅街が広がってくる。首都クラナガンは交易都市であり、それらに従事する者や、監査、管理する組織に属する者、そして時空管理局に属する多くの人々が集まる場所であるが、居住するには些か人も物も集まりすぎていた。
ミッドチルダに移住してきた古代ベルカ人が北部地方に根を下ろしたことから分かるように、それに比べ北部地方は緩やかな四季はあるものの年を通して気候も穏やかで、クラナガンで働く人々のベッドタウンとして最適な土地柄を持っていた。
「なのは、ヴィヴィオは?」
「今日はもう寝ちゃったみたい」
そんなベッドタウンの一画に居を構えたのは「J.S事件」でエースオブエースという名をさらに高めた魔導師、高町なのはとその親友であるフェイト・T・ハラオウンである。
時間から2年が経ち、機動六課解散後はなのはは教導隊へ、フェイト執務官として、それぞれが元の所属先へと戻ることになった。
とくになのはは事件の局面で無理をしたことが祟り、以前のようなパフォーマンスができなくなったこともあって、危険な任務を割り当てられないよう配慮されてのこともあった。
しかしそれがあって、「北部に一戸建てを建てよう!」というのはおかしな話で、なのはが長年手をつけずに貯金口座に貯め込んできた大金を贅沢に使って家を購入したのは、一人の少女が起因していた。
高町ヴィヴィオ。
J.S事件で、聖王オリヴィエ・ゼーゲブレヒトの複製体で「聖王の器」として作られた存在。事件を通してヴィヴィオと絆を深めたなのはは彼女を娘として迎え、共に生きていくことを決意。自身の身体のこともあって無茶ができなくなった反面、ヴィヴィオの成長を見守る時間も増えた。
事件を通して知り合った聖王教会のカリム・グラシア少将に北部にある聖ヒルデ魔法学院を紹介してもらったのをきっかけに、なのははヴィヴィオと、共に育てることを約束してくれたフェイトとの生活のために一軒家を購入したのだった。
「最近、よく笑うようになったよね。ノーヴェと一緒にストライクアーツの練習をするようになったからかな?」
「聖ヒルデ魔法学院に通うようになって、お友達もでき始めたみたいだし、それもあるかも」
執務官の仕事を終えて帰宅したフェイトから上着と鞄を受け取ったなのはは楽しげにヴィヴィオの成長ぶりをフェイトに話す。
北部での生活。はじめてくる土地にヴィヴィオも最初は戸惑っていた。J.S事件後はどこか大人びたような空気感があったけれど、ノーヴェと出会いストライクアーツを習うようになり、聖ヒルデ魔法学院に通うようになってからは年相応の振る舞いをするようになった。
「なのははすっかりお母さんだね」
「えっ。それって歳をとったってこと?」
「んー、大人になったって感じ……なのかな」
同じ歳なのになぁと首を傾げるなのはだが、フェイトから見るとヴィヴィオとの出会いがなのはを変えたようにも思えた。
昔は誰かを助けるために相当無茶な事もしていたなのはだが、一度墜落を経験して、それから様々な世界を見て、多くの人に出会って、なんでも一人でやると言う姿勢から誰かを頼るという姿勢に緩やかに変わっていっていた。
そして、ヴィヴィオと出会い、「J.S事件」が決定打になった。あの事件以来、なのはの一人で突っ走るような危うさは消えて、ゆっくりと事を見据えて、必要なら誰かを頼るなんて事も増えた。
少し前なんて、ヴィヴィオが熱を出して寝込んだときは教導隊の仕事を全部ヴィータに任せて、付きっきりで看病なんてこともしていた。ちょっと前なら両方ともやろうとして無理をしていたのに、その心境の変化にフェイトは驚いたし、仕事を丸投げされたヴィータも驚いていた。もちろん、いい意味で。
そんな親友の変化を喜びつつも、フェイトの心には暗澹たる思いが渦巻いていた。
「良い子だよね。ヴィヴィオ」
「うん、ヴィヴィオも、お友達のみんなも、みんな良い子だよ」
「みんなが……ヴィヴィオたちみたいに良い子たちだったらいいのに」
小さく唇を噛み締める。仕事はプライベートに持ち込まないようにしているが、今日フェイトが担当した事件の調書は、随分と心に堪えていた。
その様子になのはの表情も悲しげなものに変わる。
今日、フェイトが担当したのは未成年の魔法犯罪だった。金品欲しさに魔法の力で人を脅していたのはヴィヴィオとそう歳が変わらない少女だった。
その少女は外世界からミッドチルダにやってきた非認定の移住者。それも犯罪組織間に張り巡らされたブラックマーケットで〝購入〟され、違法デバイスを使った犯罪を強要されていた。
少女の出身は外世界の中でもとくに古代ベルカの戦乱期に残った汚染遺跡の影響が強く、生活にも発展にも毒素を振り撒く汚染遺跡が邪魔をして貧しい生活を送っていた。そんな中、魔力資質を持つ人材を探していた犯罪組織が、魔力を持つ少女に目をつけ、法外な金額を提示して彼女を購入したという。
汚染遺跡に苦しむ家族のために犯罪に手を染めた少女は、組織から組織に売り渡され、故郷から遠く離れたミッドチルダにやってきた。
そして、彼女を飼っていた犯罪組織は数ヶ月前に管理局による大量検挙によって瓦解し、行き場を無くした少女は生きるために一般市民を襲い金品を強奪していたのだが、先日に管理局の魔導師によって捕縛されたのだ。
そして、少女の調書を担当したフェイトは、相手の過酷な過去を聞き、ひどく心が痛んだ。過去の経歴から情状酌量の余地はあるものの、自ら犯罪行為を犯したので、相応の罰則は生じてしまう。それでも、少女の顔はどこか救われたような表情になっていて、その表情が余計にフェイトの心を揺さぶり、抉ったのだ。
「フェイトちゃん」
声をかけられてフェイトは自分の表情がこわばっていることに気づく。気持ちを切り替えるため小さく息を吐き出して、首を横にふる。
「ダメだね。ちょっと弱音吐いちゃった」
最近、こんな事件ばかりだ。執務官として、犯罪者と対峙するために調書を行うのは必要なことなのだが……不幸な出来事や、生活のため、誰かのため、そして自身の幸福と快楽のため、犯罪行為に手を出す者がどんどん増えていっている。
魔法という力がこんなに身近にあるのだ。その常識外の力を悪意を持って使えば取り返しのつかないことになりかねないのに、その結末を想像する力が全世界的にどんどん衰弱していっている。現場に立つフェイトから見て、その危機感は日に日に増しているようだった。
「弱音を吐くことがダメなんてことない」
そう断言するなのはの言葉に、泥沼の中にあったフェイトの気持ちはわずかにだが浮上する。
「こんなことがもっと増えると思うと……とても怖い」
今はまだ、なんとかなっている。人をかき集めて、人海戦術を駆使して、なんとか現状を保とうとしている。でも、あと5年……いや、それ以下の年数が経てば、どうなるかなんて誰にもわからない。
「どうしたらこんな事がなくなるんだろう」
最近、そんなことばかり考えてしまう。リビングの窓から見える夜空には青白い月が浮かんでいたが、ミッドチルダにきた頃はよく見えていた星々が、今では霞んですっかり見えなくなってしまっている。
夜闇がどんどんと濃くなっている。
そんなフェイトに、なのはは力強い笑みを浮かべて頷く。
「皆んなで立ち向かう。これまでも、これからも。いつもと同じように」
「……そうだね」
今は立ち向かうことしか出来ない。だから出来るところまで足掻こう。自分の手で、海と陸を。大切な人たちを守るために。
そう思いを再確認するフェイトの横で、なのはもまた自分の置かれた状況を内心では憂いていた。
(みんなが立ち向かう時……私もその中で戦えるのかな)
再び、J.S事件のような大規模な出来事が起こったとき。リハビリと魔法制限が余儀なくされた自分は、どこまで親友や、後輩たちについていくことができるだろう。
夜空に浮かぶ月は光を振り撒くだけで、その先に続く未来は、まだ誰にも予測できる物ではなかった。
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「シンセサイド・プログラム……」
場所は同じくミッドチルダの北部。なのはたちが住むベッドタウンからは大きく離れ、古代ベルカ自治領内に聖王教会は鎮座している。
古代ベルカ時代にあったとされる建築物を模倣して作られた聖王教会本部では、聖王教会の教会騎士団に属すると同時に、時空管理局理事官も務めるカリム・グラシア少将に、はやてが面会に訪れていた。
理由は先日、役職持ちのほとんどに送付されたメッセージで、そのメッセージには資料も同封されていて、以前、ジョン・オールドマン中将の執務室で見たものと同一のものであった。
「カリムはどう思う?」
「客観的に見れば合理的かつ現実的な提案だと感じますね」
カリムの率直な意見に、はやては出された紅茶に茶請けのクッキーを一口ずつ味わってから息をつく。
「確かに、今の情勢を考えたら甘ったれたことを言ってる場合じゃないからな」
魔法犯罪。それは、魔力素質を持つ一般市民、あるいは組織化された犯罪勢力が犯す罪だ。そして魔法犯罪を引き起こす原因が密造されたストレージデバイスによってもたらされている。
カリムは一つのデータをアーカイブから引っ張り出しながら顎先に人差し指を顎に当てて思考を整理していく。
「技術共益圏の拡大……6年前に管理局が方針を大きく転換してから物事は凄まじい速さで動き始めた」
6年前の新暦0067年。
その年は、ちょうど……なのはが任務で異世界から帰還の中、襲撃に遭い、瀕死の重傷を負った年でもある。
当時は、まだデバイス技術を管理局が独占しており、外部企業や研究機関がデバイスの開発や製造、販売することが全面禁止されている時代だった。
だが、あることがきっかけで管理局と魔法の体制は大きく揺るがされる。
詳しい内容はブラックボックス化されていて、これまで多くの人間が「何があったのか」を解明しようとしたが、その全てはデータの海の中に葬られていた。
事実としてわかっていることは、それきっかけにレジアス・ゲイズ中将が「技術共益圏の拡大」を宣言。絶対数で劣る魔導師への戦力拡大、そして新たな革新技術を求め、第三者機関への情報提供、デバイスの開発、製造、販売が解禁されたのだった。
それは劇的なまでに世の中を変えた。
「管理局が独占していたデバイス技術が開示されてから、あらゆる企業や研究機関がデバイスの開発に乗り出した。私たち時空管理局や、聖王教会もその恩恵を少なからず受け取っている」
「一般隊士向けのアームドデバイスの普及にストレージデバイスのアップグレード。次元航行艦船の発展に都市交通の発展と……あげたらキリがないわ」
これまで管理局に一点集中していた開発の負担は認可された企業や研究機関に分配され、本局や地上本部に技術部隊の者たちからすると、その効果は絶大であった。様々な技術要素が開発されていき、ミッドチルダに張り巡らされたレールウェイもまたそう言った技術発展による成果であった。
「けれど、緩やかな発展が急激に加速して、人は手にした力を制御しきれていない」
「供給過剰……とでも言うべきやろうか?」
「扱える者の絶対数が少ないのです。そうなっても仕方ありません」
企業や研究機関がデバイスの開発をするようになってから、同じように製造されたデバイスをロンダリング(洗浄)し、密輸されるようになる。それらのデバイスは「違法デバイス」と呼称され、現在も多くの魔法犯罪者が違法デバイスを使って犯罪行為を行っている。そして、デバイス開発市場が大きくなればなるほど、魔法犯罪も世界中に拡散していった。
「管理局の最高評議会は、シンセサイド・プログラムを好意的に受け取っています」
レジアス・ゲイズが亡くなって、管理局の急激な組織改革はなくなったものの、魔法犯罪が激減することはなく、それどころか増加の一途を辿っている。希少な魔法資質を持つ者たちが犯罪行為に走る中、管理局は常日頃から人手不足に苦しめられている。
このままいけば、管理局ではカバーしきれないほど次元世界中の治安が悪化するのは火を見るよりも明らかで、そんな時勢の中で魔力資質に頼らない治安維持システムが提案されれば、誰もが期待感を持っても仕方がない。
シンセサイド・プログラムの資料をスクロールしながら、カリムとはやてはその裏側にある事実に顔を顰めた。
「あの技術の根底にあるものは……」
「ええ、おそらくプロジェクトFの技術でしょう」
フェイトが産まれた理由。エリオが生まれた理由。そして、オリヴィエのクローンとしてヴィヴィオが生まれた理由。その全てに関わるのが、プロジェクトF(フェイト)だ。
皮膚移植や臓器移植のために生体ユニットを作る企業や研究所もあるが、そのすべてが研究段階にあるにもかかわらず、シンセサイド・プログラムでは当たり前のように生体ユニットが生産され、デバイスの手足となるようになっている。
この完成度のものを量産するとなると、二人が知る技術はプロジェクトFしかない。
「水面下で技術を溜め込んで、堂々と公に晒すか……嫌なやり方やな」
エリオを作った犯罪組織や、スカリエッティの技術をなんらかの形で手にした者たちが、その技術を持って管理局に売り込みに来ているのだ。
その推測に歯噛みするはやてに、カリムは少し思案してから外部に漏らさぬように暗幕を部屋の窓に展開し、外部から入れないように鍵も閉めた。
「カリム?」
「騎士はやて。これはまだ誰にも伝えていない事です」
そう言って、カリムはアーカイブからひとつの書面を出し、はやてに向けた。
「先日、預言者の著書(プロフェーティン・シュリフテン)で出た結果です」
その書面を怪訝な顔で読むはやて。次第にその表情は驚愕に変貌した。
「これって……!」
それは、カリムが危惧し、はやてが機動六課を設立するきっかけにもなった予言。いずれ起こりうるであろう陸士部隊の全滅と管理局システムの崩壊。その予言が再び現れたのだった。
「けど!あの予言はJ.S事件が終わってからもう……」
「ええ、この数年間はこのような予言はありませんでした。しかし……」
何かの間違いかとも思った。しかし、彼女のレアスキルであることは間違い無く、その予言は正確であることは過去の「J.S事件」が証明している。
「あの予言は……まだ、終わってない?」
震える声で呟くはやてに、カリムは投影された光学式モニターに顔を照らされながら、真剣な眼差しだ呟く。
「私たちもまた、備える必要があるかとしれません」
わかっていることはただひとつ。
あの危機感は、まだ去っていないということだけだった。