クラウディアから発艦したリトルウイング号は、初速を稼ぐためのメインスラスターを目標速度まで点火し、それ以降は慣性航行に切り替えていた。
宇宙での加速は慣性が維持されるため、目標速度まで達すれば速度変化なくそのまま進むことができるし、加速重力の影響も最初の加速のみ、慣性航行に移行すれば人体にかかる負担はなくなる。
現在のリトルウイング号は時速5万1600km、マッハに換算すると41.8。
具体的に言えば、なのはたちの地球を30分で一周できるような出鱈目な速度で飛行を続けている。そんな船の中、重力発生器など付いていないので全員が無重力に身を躍らせている。
髪の長いなのはやフェイトはふわりと髪が中に踊っていて、その毛先が人に迷惑をかけないようにするため、2人はしょっちゅう髪に手をやって漂う先を変更していた。
そんな中でコクピットに近づいたはやては、ジャンが入力する航路図を見て、ふと疑問を感じた。
「なぁ、2人とも。アーズガルドに向かうコースから少し逸れてるで?」
はやてがそういうと後部座席にいたメンバー全員の視線が集まる。そう聞くはやてにサガミは特に焦ったり困ったりしたような様子もなく、リトルウイング号の姿勢を微調整しながら淡々と答えた。
「ちょっと遠いからな。まっすぐ向かうと燃料に無駄が出る。そこでこっちだ」
サガミの言葉に応じるとジャンはすぐに航路図の縮尺を変更する。地図を広域モードにするとリトルウイング号の向かう先に小さな点があるのが見えた。
「衛星……?」
「ヘルダル。アーズガルドを周回する衛星だな。こいつの重力圏を利用し、スイングバイで加速して一気にアーズガルドに降下する」
なのはたちの地球で言うと月みたいなもので、少し角度は変わるもののリトルウイングとアーズガルドの間にその衛星は存在していた。
もし衛星がアーズガルドの裏側にいたらまっすぐ向かうつもりであったが、アーズガルドとリトルウイングの間にあるのなら利用しない手はない。
「スイングバイ?」
「その惑星の重力を利用する航行方法だ。用途としては軌道を変えたり、速度を稼いだりと色々ある。天体重力推進とも言ってな」
「ジャン、講義は後だ。スイングポイントまで残り2分」
「早っ!」
はやてが驚くのも無理はない。クロノをはじめとした観測チームが計算した目標時間から見てかなり早い到着予定時間だ。そしてリトルウイング号のエンジン性能が高いのと、衛星を経由した航路のおかげでもある。衛星がなかった場合はもう少し時間がかかっているのは間違いなかった。
「さて、燃料を節約した上での突入だ。全員シートベルトはしっかりつけておけよ?かなり派手な動きになる」
その言葉に席を離れて無重力で揺蕩っていたはやてをはじめとして、他のメンバーも座席に座りシートベルトを着用する。ふとコクピットから船が向かう先を見る。大きな星のように見えていた光が輪郭を帯び始め、そして信じられない速度で大きくなっていくのが見えた。
現実離れした速度感に全員が思わず息を呑む。
リトルウイング号が衛星の重力圏内に入り、ガタガタと船体が揺れ始めた。その音にさっきまで余裕そうだったなのは達の表情に緊張が走る。隣に座っているフェイトの手を握りしめ、フェイトもなのはの手を握り返した。
「スイングバイまで3、2、1」
「う゛っ」
衛星を頭上にするように突入したリトルウイング号は重力に従って衛星に張り付くよう軌道を変えていく。警告音がコクピットに流れるほど、中に乗る人たちには星から離れようとする側に加速重力が生じる。つまりなのはたちは上から押しつぶされそうな力を強く感じていたのだ。
「くぅ……!」
「これは……なかなか……キツイね!」
しかもこの強さは収まることを知らず、むしろ加速を得るたびに押し付けられる強さが増していく。シートに押し付けられるような負荷に全員がうめき声や喉を鳴らすような音を漏らして耐えていた。
「この加速を利用して一気にいく!全員しっかり捕まってろ!」
衛星を介したリトルウイング号は、巡航速度の倍近い加速を得たまま、そのまま一直線に大きな天体であるアーズガルドへと舵を切った。
茶色と黒い筋に覆われた星、アーズガルド。その天体を中心にポイント・ガンマとも呼ばれる領域は、管理局でも未調査な部分が多い。惑星近辺にデブリベルトがあるかと心配していたが、幸いにもそう言った危険な要素はなく、リトルウイング号が降下するにあたって邪魔になる要素は何もなかった。
「サガミ。降下ポイント計算完了。いいぞ、このまま直進だ」
ジャンの指示に従い、サガミはリトルウイング号の進行速度を修正していく。データ上ではアーズガルドの大気成分はカルナログやミッドチルダと差はない。なので突入角度や速度は待機成分が似ている星が参考値となる。
サガミとジャンは船体が燃え尽きない且つ、無駄な減速をしなくても済む軌道を計算で叩き出して、その軌道に沿って飛んでいた。
つまり、それはどういうことか。
「サガミくん?あの、サガミさん!?」
後部座席の前に設けられた強化ガラスから見えるアーズガルドは、すごい勢いで景色が過ぎ去っていっていた。速度で言えば地球を30分で一周てまきる速度に加え、衛星のスイングバイで得た加速も加わっているのだ。
そんな速度で星に降りると言うのか?正気か?と言うのが、同乗して船に身を預けているなのは達の共通認識だった。
「早い早い早い!げ、減速ぅ!」
「今減速したらガスと燃料が無駄になる。大気摩擦と空気抵抗を利用してこのまま降下する!」
突入角度を整えたサガミは星を頭上にしていた船体をゆっくりと回転させ、耐熱装甲が進行方向へ向くように調整する。船が大気の摩擦で真っ赤に熱しられていく。
速度は食われるが許容範囲だ。
操縦桿を握りしめながら船の進路を維持するサガミだが、後部座席に座るなのは達はたまったものじゃなかった。
「これ……はぁ……!」
「ひぃいい怖い怖い怖いぃいい!ずっと落ちてる!」
重力圏内に入った。つまりそれは落下する感覚が戻ってくるということだ。悲鳴をあげるセインやはやての言う通り、乗り心地は最悪。ジェットコースターでいう急落下の感覚がずっと続いてる。
空戦魔導師は空を縦横無尽に飛び回るので、この手の感覚には慣れているが、自分意思で制御できない点と、これまで体感したことない落下速度。
なのはとフェイトも静かにしているが恐怖心は拭えきれなかった。幸い、側面の小さな窓は小さく、外がどんな様子かは伺えないが、コクピットを見ることができる後部座席の先頭列に座るなのは、フェイト、はやては信じられない速度で近づいてくる地面を目の当たりにしていた。
高度がみるみる下がっていく。
「ウープウープ・プルアップ」と、コクピットにループで警告が発せられるが、サガミは警告を無視してまっすぐ地表へと近づいてく。
もう目と鼻の先まで迫った地面に、全員が悲鳴を上げようとした瞬間だった。
「逆噴射開始!同時に着陸態勢!」
機首に設けられた高圧ガス噴射装置を作動させ、低速飛行となる離着陸時にも揚力を増大させるためのフラップを最大限に下げて揚力を稼ぎつつ、旋回と空気抵抗を使って一気に減速。
急旋回する形で速度を落とし切ったリトルウイング号は、そのままランディングギアを展開して驚くほど静かに地表へ着陸を果たしたのだった。
「タッチダウン確認。予定通りの時間ぴったりだ。どうだった乗り心地……大丈夫か?」
外縁部の調査時は危険がいっぱいな環境で航空機のような静かで安定した着陸は望めない。なのでこう言った荒っぽい着陸や突入が日常茶飯事。
サガミとジャンは日常的に慣れがついていたが、こんなデンジャーな突入を体験したことのないなのは達の顔色はかなり悪く、着陸時に振り回すような旋回をしたこともあって、セインやティアナは目を回していて、他のメンバーもげっそりとした表情となっていた。
「もう2度とこんな操縦の船には乗らない……!」
なのはの地獄の底から這い出るような恨み言を聞き、サガミはジャンとアイコンタクトをしてからこう答えた。
「今回はまだ優しい着陸だったぞ」
その言葉に、なのはたちの誰も反論することはなく、ただ乱れた呼吸とすり減らされた精神を回復させることに集中するのだった。