ワイズナリー・バイエンス社とは、第4管理世界「カルナログ」で新暦0060年に中堅企業が合併し、新たに設立された企業だ。
もともとの母体であったバイエンス社はデバイス用の小型通信機器の製造、販売が主であり、デバイスの製造、管理を時空管理局が独占していた時代から関係のある古い企業でもあった。
合併し、新たな経営陣が就いたところで次元航行に欠かせない小型から中型までの輸送艇を開発、製造していた「ティラー・インダストリー」を輸送艇部門として吸収。
ティラー社が手掛けていた小型輸送艇、F506ストライクヴェクター輸送艇をフルモデルチェンジし、これが大ヒット商材となる。
輸送艇部門が軌道に乗った新暦0067年に、レジアス・ゲイズによる「技術共益圏の拡大」の演説が行われ、これまでデバイスの研究、開発、製造を独占していた時空管理局が、新たなデバイスの研究開発を企業が行っても良いと声明を出した。
その結果、多くの企業がデバイス開発に舵を切り、ワイズナリー・バイエンス社も輸送艇部門で出た利益を投じてデバイス開発に着手。その後、時空管理局が開発した既存のデバイスに追加できるパッケージや、オプションを開発しつつ、より高度に並列化された人工知能の研究を進めてきた。
新暦0078年。この年はワイズナリー・バイエンス社にとっての転機であった。10年近く取り組んできた人工知能を、時空管理局の科学部門が製造した生体ユニットに搭載することで、新たなデバイスタイプの開発に成功する。
それが、昨今話題となっている「シンセサイド・プログラム」の一翼を担う「レプリロイド」と「レプリカント」であった。
そんなワイズナリー・バイエンス社であるが、元々合併を行い企業力を強化してきた一方、大規模な土地に建てられている本社などといった大手企業あるあるの体制は取っていなかった。
本社ビルはカルナログの一等地にあるとはいえ規模は小さく、税理部門や人事部、輸出管理部や資材調達部などなど、あらゆる部門がカルナログやミッドチルダに点在する支店に収まっているので、非常にまとまりがない。
よく言えば効率重視、悪く言えばとっ散らかった企業と言えた。
待機している2シーターモデルのモーター・クルーザー(MC)の中で、インカムをつけたティアナは振り返りで読んでいた自分の報告書を閉じ、ため息をつく。
かつての指揮官であるはやてからの依頼を受けた執務官、ティアナ・ランスターは、その時に受け取ったデータに入っていた調査対象の拠点の乱雑さを見て、最初は呆れて声も出なかった。
念願の執務官試験に合格し仕事が軌道に乗り始めたとは言え、この界隈じゃティアナもまだまだ若手である。
自分よりも経験のあるフェイトや他の執務官に同行する任務が多いし、個人で任せられるものもその範囲はかなり狭いものとなっていた。
任せられる仕事量から、当初はあまり期待されてないのだろうかと不安に思っていたところ、執務官のフロアにやってきたはやてが「コピー頼むわ」くらいのノリで「ワイズナリー・バイエンス社」の秘密調査を依頼してきたので、この件でかかりっきりになることを予見した上司によって業務が調整されていたのだとティアナは後から知ることになる。
前述した通り、ワイズナリー・バイエンス社の組織構成はそりゃあもうとっ散らかっていた。
なんというか、後付けで部門やら所課が雪だるま方式に付け加えられていって、組織情報を閲覧したところ部門の責任者も目まぐるしい速さで交代や昇進が行われている。
そんなスパゲッティコードのような組織内情のくせに売上高は毎年更新しているというなんとも不思議な企業でもあった。
【なぁ、これほんとにやらなきゃだめ?】
片耳につけているインカムから心底嫌そうな声が聞こえてくる。、
今ティアナがいるのはカルナログの首都、グラニマ。
この世界の主要産業の本社が連なるビル群の路地に停車しているMCの助手席に収まった体を起こし、ティアナはフロントガラス越しに隣のビルを見上げる。
そのビルは観光庁が所有する20階建てのビルで、管理局権限を駆使して夜間の出入り許可を取り付け、ついでに路地に駐車することも許可ももらっている。なので不法駐車で罰金を取られることもない。
「侵入方法がこれしかないんですから。諦めも肝心ですよ?」
【それがヤダだったから宮仕えをやめたってのに……世知辛い世の中だねぇ】
インカムを通して話をしているのは屋上にいる男性だった。彼はせっせと機材を地面に固定して、さらに隣にあるビルの上階を見上げながらそう言葉を吐いた。
コンクリートに機材を固定具合を確認し、幾十にも巻かれたワイヤーハーネスの先端部を使う射出器に引っ掛ける。
そのままスコープを覗き込みながら角度調整ダイアルを回し、ある程度標準が合うとこらでハーネスを巻き取るモーターのスイッチを入れる。すると、ギリギリと音を立てながら緩んでいたハーネスが巻き取られていき、ピンと張り詰めるほどの力が込められていった。
「目標はC塔の35階です。そこにはワイズナリー・バイエンス社の財務管理部門があります」
ティアナの声を聞きながら足でレバーを倒すとバシュッと音を立ててハーネスが空高く射出された。
張力によって得られたエネルギーはグングンとハーネスを空高く押し上げ、そしてビルの最上階に到着し、コンクリート床に撃ち込まれ、差し込まれた鏃(やじり)からは返し刃が出てしっかりとコンクリート床に固定される。
遥か頭上から垂れているハーネスを力一杯引くがびくともしない。それを確認した男性は床に置かれていたチェストベルトを装着し始めた。
【なぁ、公式の会社案内にも載ってるようなとこに要望された情報ってあるわけ?】
「だからこうやってしらみ潰しに支社を調べてるわけじゃないですか」
【いくら依頼だからって言っても泥棒の真似事はあまりしたくないんだけどなぁ】
そう言いながら準備を進める男性は、ミッドチルダの裏社会では名の知れた「探偵」である。名はノックス。本名は表に出さない主義だ。
実はこのノックスという探偵、過去にティアナの兄であるティーダと共に増え始めた魔法犯罪と戦っていたのだが、違法に持ち込まれたロストロギアをめぐる事件の最中に相棒であったティーダを失い、それ以来は一人で探偵を続けていた。
2年前にティーダの足跡を追っていたティアナと共に、ある事件に巻き込まれるという出会いではあったものの、その事件以降、相棒の忘形見であるティアナに何かと頼まれごとをされるようになり、そして今回の依頼に繋がっていたりする。
ただ、今回の依頼は過去のよりも数段過激である。なにせ今からするのはただの企業への不法侵入。普通に考えて犯罪行為であった。
「それを言うなら私なんてバレたらどうなるかわかったもんじゃないです。それに付き合わされてるんでイーブンですよ」
そう言いながらティアナは別のファイルを開く。ワイズナリー・バイエンス社の組織構成は複雑怪奇。管理局権限で内部調査をすることもできるが、それはあくまで広報や経営層、人事部といった探られても腹が痛くならないような部署ばかりだ。先日は調査に乗り込んだ結果、輸送艦艇の製造現場の見学というよくわからない結果に終わっていて、報告した際ははやても何とも言い難い表情をしていた。
正攻法のままじゃ、はやての依頼内容である「ワイズナリー・バイエンス社の資金の流れ」なんて到底掴むことはできない。ティアナ自身もあの手この手とコネを使ったり、ツテに頼ったりと方法は変えてみたが効果は薄い。というわけでお得意な「過激」な手段に出たわけだ。
【あーあー、まったく。ティーダが知ったら何というか……間違いなく俺は地獄に落ちるな】
「兄さんなら何も言わずに背中を押してくれるわよ」
【それ、俺は無事じゃ済まないやつだからな?というか、よく付き合ってるよ。ティアナも】
「そのリスクを負っても信頼に足りうる人からの依頼ですからね」
それはそうだろうな、とノックスは依頼元である八神はやてのことを考える。なんていってもあの「J.S事件」を解決した功労者だし、今じゃ沿岸警備隊の指揮官という役職持ちである。宮使いをやめたとは言え、その立場がいかに凄いものかノックスもわからないわけもなく、ティアナが憧れと信頼を抱いているのも頷けた。
チェストベルトに屋上に飛ばしたハーネスの金具を取り付けて、再び巻取り用のモーターのスイッチを押す。あとは寝転んだまま限界まで張力がかかるのを待つだけだ。
【そういえば聞いたことあるか?次元世界で色々な人材をかき集めている話】
ふと、思い出したように言うノックスの言葉に、ティアナは記憶している限りの情報を元に答えた。
「噂程度では……管理局も詳しく把握していない謎の組織ですよね」
【把握できてないのか?】
「活動をしていることは観測しているのですが、活動内容や目的といったものは現在も調査中ですね」
なんでも、あらゆる次元世界に出没しては優秀な人材をヘッドハントしているのだとか。最初は管理局広報部の戦略かと思われたのだが、広報部は一切関与しておらず、集められた人材も何処かに消えているとのこと。怪しさこの上ないため、管理局も調査を進めているのだが、捜査範囲は次元世界全体だ。調査もそう簡単にいかず、犯人の輪郭すら捉えることができていないのが実情だった。
【なるほどな……よし、準備できた】
「……あの、そんなので本当に大丈夫なんですか?」
改めてティアナは気になっていることを口にする。ノックスが装備しているのは「逆バンジーキット」だ。
原理は非常に簡単。
まずは対象を遙か上空に持ち上げるワイヤーハーネスを目的の高さよりもさらに高い位置にセットして引っ張り、固定。そして、セットされたワイヤーハーネスの下層にチェストベルトを固定して、ロックを外せば引っ張り力に任せて対象を空高く飛ばすことができる。
このキットの難点は事前準備が大変なのと、目的位置より高い建物が必要……つまり、ビルの天辺までは飛べないと言う点がある。しかし、今回の目標階数はビルの中腹よりちょっと上くらいなので使用範囲的には問題はない。それにこのキットにはさらに利点があった。
【魔力で空を飛べば魔力反応が残るからな。やるならアナログ方式が1番だ。カウント開始。5、4……】
巻取り用のモーターが最大トルクを出して数秒、ギリギリと軋むワイヤーを一瞥して、カウントを進めるノックスは3秒前に小さく息を吐いた。
【2、1……作戦開始】
足元に用意したスイッチを踏み込むとワイヤーの固定が外れ、ノックスの体は逆バンジーという名の通り空高く打ち出された。引っ張り力に逆らわずに目的の階数まで手早く登っていき、はやてから預かった「非常用便利道具」の一つ、魔法の鍵(電子ロック番号を即座に解析して開錠する端末)で施錠された窓を開く。
いよいよもって盗人っぽくなったなと心の中で呟きながら、ノックスはビルの内部へと侵入していく。到着したのは廊下に続く窓であり、チェストベルトとワイヤーハーネスを繋ぐ金具を外しながら辺りを見渡す。
ワイズナリー・バイエンス社のロゴが印字された部屋の入り口はすぐ近くにあった。念の為に魔力反応を探知する端末を部屋に向けて起動する。わずかな魔力反応があるなら、トラップである可能性が高い。しかし端末は反応を示さなかった。
【ま、財務管理部門に過激なセキュリティはないか。侵入成功。さて、ここはどうだろうねぇ】
ノックスは魔法の鍵で部屋のロックを解除して侵入すると、すぐにサーバールームへと足を向けた。ワイズナリー・バイエンス社は部門が分散しているためか、支店ごとに大きなサーバーが用意されている。無人の中稼働しているラックマウントサーバーの入力端子にこれまたはやてから預かった秘密道具の一つ、遠隔端末を差し込む。
【ティアナ、どうだ?】
「ちょっと待って……よし、同期成功」
遠隔端末はその名の通り、差し込んだ機器の情報を特殊な通信回線で遠隔からアクセスするための端末だ。地上にあるティアナは助手席からワイズナリー・バイエンス社のサーバーにアクセスし、すぐに解析を始める。
ちなみにこの端末、差し込んだ先のセキュリティファイルを取り込んで即先でアクセスキーを生成するとんでも機器である。
作ったのはその道のプロと、はやて談なのでたるが、深く聞かない方が身のためと言うことは機動六課の中でも周知の事実だった。
【ここはあたりか?前回みたいに骨折り損はごめんだぞ】
「大当たりですよ」
工場見学の公開処刑にうんざりしているノックスの言葉にティアナは万の思いがこもった声で答えた。ようやく見つけた。ティアナが引っ張り出したのは財務管理部門の命である顧客ファイルと入出金の口座リストだった。
普通にバレたら企業スパイとした逮捕案件なのだか、それほどまでに八神はやてはワイズナリー・バイエンス社が手がけた「シンセサイド・プログラム」を危険視している。とにかく早く戻って報告をしなければならない。
【そうか、それはよ……】
安堵と同時、ノックスの声が凄まじい破砕音と共にかき消された。大音量でティアナの鼓膜を叩いたその音に耐えきれず、インカムを遠ざけたティアナはビルの上階を見上げる。遠くから聞こえる爆音と共にオフィス用品が窓から放り出されているのが見えた。
「ノックス!?どうしたの!?返事をして!」
離していても破砕音が聞こえてくる。ガリガリというノイズと共に破砕音が少し遠ざかると、息を荒げたノックスの声が響いた。
【奴さん、待ち伏せしてたみたいだな!ティアナ!お前は離脱しろ!こいつは闇が深いぜ!】
「なにがあったの!?」
【警備ドロイドだ!しかも旧式!あっぶねぇ!?こいつら旧式だから探知に引っ掛からなかったんだ!】
甲高い銃声のような音と破砕音。再び途切れるノックスの声。やられた、とティアナは思わず口にする。ドロイドは数年前に登場した自立型の支援ユニットで、もともとは魔導師の支援補助ユニットとして開発されたのだが、魔法犯罪者に悪用されるケースが多発した結果、生産がストップしたものだった。ただ、今でも警備タイプのものを採用しているところもあり、今回はそのタイプに引っかかってしまったと言うことになる。
事前に打ち合わせしていた通りにMCの運転席に体を捩じ込んでティアナはエンジンをかけた。いざとなったらノックスを捨てて一人で港口まで逃げることも計画にあったが、ティアナはエンジンをかけたままビルの上階を見つめる。
「ノックス!ねぇ、ノックス!?……ケイスさん!返事をして!」
ノックスの本名を祈るような声で叫ぶティアナ。だが、その祈りを裏切るようにノックスがいるフロアを全て吹き飛ばすような爆発が起こる。上下階のガラスがその衝撃で割れて、粉々になったガラスがティアナの乗るMCに降り注いだ。
【アイ!キャン!フラァアアアアイ!】
その音声と共に、爆煙に紛れて一つの影が宙に飛び出す。チェストベルトに金具をつけたノックスがその身を宙に放ったのだ。引っ張り力を無くしたワイヤーハーネスは飛び降りたノックスの体重と重力加速に従ってグンと伸びていく。しかし、その伸びは地上までは届かず、残り五階という高さで再び上に向かおうとしていた。
「ふんぬぅ!!」
上に戻り始めたハーネスを手に持っている「武器」で切り裂いたノックス。支えを失った体は再び落下を始めたが、手に持った「武器」をコンクリートの壁に押し付けて無理やり速度を殺す。
いくつか壁キックで移動したノックスは地上に着地するとすぐにティアナの乗るMCに走り、すでに助手席に移動したティアナの隣に乗り込むとアクセルを全開にしてその場から一気に逃走する。
「ぶっはぁー、あー、死ぬかと思った」
チェストベルトにぶら下がったハーネスの残骸を道路に投げ捨てながら息を吐き出すノックス。その頬や肩には生々しい切り傷があったものの、致命傷に繋がるような傷はなかった。
「よかった……本当に……」
その様子を見てティアナも一安心する。兄と無茶をしていた人だ。いつ、兄と同じような形になるかもわからない。危険な仕事に巻き込んでいる側ではあるのだが、それでとティアナにとって、ノックスは失うには大きすぎる存在だった。
それに気づいたノックスはティアナの顔を見ないまま、その頭をワシワシと撫でる。普段なら抵抗するのだが、その時ばかりはティアナも受け入れていた。
「……さて!ここに留まるのは得策じゃないな。さっさとズラかろう。クライアントにも報告しないとな」
「秘匿回線でメールは送ったわ」
「やるぅ」
MCを走らせて大通りに出る。人通りも多いのでさすがにここまでは追ってこないはずだ。そう考えている二人は妙な違和感に気づかなかった。
【対象、予定通りに離脱を開始。C4の逃走ルートを走行中】
【よろしい。そのまま行かせてくれ。監視は継続だ】
襲われた割にはその追ってがあっさりと諦めたことに。