拝啓、誰かもわからない貴方へ   作:わらにんぎょう

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拝啓、親愛なる貴方へ

 

 私が、その動画を見つけられたのは単なる偶然だった。いくつもの偶然が重なった、ある種の奇跡だった。

 

 

『それでは、今日はここまでにします。バイバイ、またね』

 

 

 イヤホンから、とても、とても懐かしい声が聞こえてくる。手にしたスマホには、記憶の中とあまり変わらない姿が映し出されている。いや、昔よりも少し痩せただろうか。元から折れそうなほど細かったのに、その細さに拍車が掛かっているように見えた。

 

 

『──きっと恨んでたはずなのに、それでも最後まで笑いかけてくれてありがとう……』

 

 

 恨んでいる訳がない……恨まれるべきは、私なのに……。

 

 動画の中で苦しげに息を漏らす彼女を見るたびに、胸の奥が強く締め付けられる。

 

 

 私──雨宮鈴音は、小学生の頃いじめを受けていた。キッカケはもう忘れてしまったが、ほんの些細なことだったと思う。

 

 子供ゆえの残虐さを遺憾無く発揮した彼らの行いは、どんどんエスカレートしていった。

 

 もう自ら命を経ってしまおうかと考えたことも、1度や2度ではなかった。きっと、あのまま行けば今頃この命はなかっただろう。でも彼女のおかげで……私はなんとか生きられたのだ。

 

 画面の中で儚げに笑う少女は、恩人であり、巻き込んでしまった人であり……親友であった。彼女、雪月茉由(まゆ)は虐められていた私を庇い続けて、私と一緒に虐められることになったのだ。

 

 二人で虐められていくなかで、私たちは共依存と言うべき関係性を築いていった。何をするにしても二人で身を寄せ合って生きていた。お互いがお互いしか味方がいなかったのだ。二人組を作る時などは逆に誰よりも早かったのを覚えている。

 

 

 茉由は身体が弱かったから……本当に虐めが命を脅かすものになり得た。小学生だった私はその思考に至っていたわけではなかったが、積極的に矢面に立ち、できるだけ彼女に直接の被害が及ばないようにした。

 

 そうして私が庇うたびに「私のせいで……」と謝ってくるのだ。元はと言えば巻き込んだ私が悪いのに。

 

 そうして長い間続いた虐めは、小学校六年生になってようやく終わりを迎えた。茉由のお兄さん、そしてご両親が頑張ってくれたのだ。最初は両親に相談して物事を大きくしすぎるのが嫌だったのだろう。両親に内緒でお兄さんにだけ相談を持ちかけていたようだ。

 

 でも流石にお兄さんだけではどうしようもなくて、最後には茉由のご両親にも話が行くことになった。

 

 そこで何があったかはもう覚えていない……ただ、虐めの主犯格と、和解という形で終わったのは覚えている。普通は加害者側か被害者側のどちらかが転校になるのだろうが、なぜだかお互いにそのまま通うことになった。

 

 しかし当然その後急にみんなで仲良くなんてことになるはずもなく、今まで通り私と茉由の二人で過ごしていた。

 

 そうしてズルズルと依存しあっていった私たちの関係は、中学に入って唐突に終わりを告げた。

 

 茉由が家庭の都合で、他県に引っ越すことになったのである。あまり事情は聞いていないが、もしかしたら茉由をあの中学校から遠ざける意図もあったのかもしれない。地元の公立中だったため、ほとんど小学校のメンバーがそのまま上がって来たから……。

 

 唐突に別れることになった私達は、お互いに携帯を持っていなかった。連絡先を交換することは叶わず、ただ「また会おうね」という約束だけをして離れ離れになったのである。

 

 茉由がいなくなってから、私は学校に行く意味を見出せなくなってしまった……。学校に行ってもどこにも居場所はなかった。

 

 だから、私は不登校になって、家に引き篭もるようになってしまった。高校に上がった今でも、学校を休みがちである。

 

 でも、そうして引き篭もってネットに入り浸っていたおかげで、この動画を見つけることができた。

 

 特に大きくバズっていたわけでもない、いいねも500程度のその投稿を見つけられたのは単なる偶然だった。

 

 たまたま私がフォローしていた一人がリツイートしていたこと。その日たまたま私の機嫌が良く、黒いサムネイルのその動画を開く気になったこと。さまざまな偶然が重なった結果だ。

 

 Twitterにずっと潜っていたからこそ、そんな偶然が起こり得たのだ。人生何が起こるかわからない。

 

 

『合言葉は……あ、そうだ! 私たちしか知らないあの子たちの名前を送ってほしい! えへへ、我ながら天才だね』

 

 

 そう最後に告げて、動画が閉じられる。私たちしか知らないあの子たち。

 

 暗号めいたそれに、少し頭を捻って考える。

 

「うーん……」

 

 しばらく考えていると、一つだけ心当たりがあった。いや、むしろこれしか当てはまらなかった。

 

 クローゼットの中から、仕舞ってあった3体のぬいぐるみを取り出す。懐かしい思い出のぬいぐるみを。

 

 イルカのココに、アザラシのゴンザレス。そして、子ペンギンのペン次郎。

 

 昔はよく、二人でおままごとをして遊んでいた。その時によく一緒に遊んだぬいぐるみ達だ。イルカのぬいぐるみは、茉由から貰ったものである。

 

 彼女のTwitterへ行き、DM画面を開く。そして震える指で、慎重に合言葉を打っていく。

 

 もう動画投稿から1ヶ月近く経っている。まだDMを見てくれているのか、そもそも見れる状況にあるのかもわからない。

 

 それでも、一縷の望みを掛けて送信ボタンを押した。

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 返信が来るまでの数時間、全く落ち着くことができず、何も手を付けることができなかった。ずっと来るかもわからない返信のためにTwitterに意識を割き続ける時間に神経を擦り減らしてしまった。

 

 ピロンと通知の音が鳴った瞬間には、心臓が胸から飛び出そうなほどに強く跳ねた。

 

 

『すぅ……? 本物、なの?』

 

 

 返って来たDMにはそんなことが書かれていた。ドクドクとうるさい胸を押さえながら、そっと文字を打っていく。

 

 

『本物だよ。まゆ』

 

『そんな、うそ、こんなこと』

 

 

 向こうもまさか本当に私があの動画からやってくるとは思っていなかったのだろう。取り乱しているのか、意味をなさない言葉を送ってきている。

 

 

『なんか、あの動画見られちゃったと思うと、ちょっと恥ずかしいね』

 

 

 そして、ようやく落ち着いたのだろう。そんな取り止めもないメッセージが送られてくる。

 

『せっかくだし、LINE交換して通話しない? 電話番号送るね。まゆの病室って通話大丈夫?』

 

『大丈夫だけど、もう少しでスマホ預けないといけないかも』

 

『わかった』

 

 

 そうして電話番号を教え合い、そのままLINEも交換した。茉由はペン子をアイコンにしているようだ。ペンギンのぬいぐるみがドアップで写っている。

 

 しばらくして向こうから通話が掛かってきた。

 

『えっと……その…………すぅちゃん?』

 

「……久しぶり、まゆ」

 

 声は、お互いに掠れていた。おそらく緊張だけのせいではないだろう。弱々しい茉由の声を聞いて、胸の奥が痛んだ。

 

『私……あ……えっとね……』

 

「落ち着いて、大丈夫。深呼吸して」

 

『うん……』

 

 スマホ越しに、すーはーと呼吸音が聞こえてくる。そうすること30秒ほどだろうか。ゆっくりと茉由が話し始めた。

 

『こうして、実際に声を聞いたら……話したかったこと全部飛んじゃった……』

 

「シャイだもんね。まゆ」

 

『いっぱい、言いたかったこと、あったのになぁ……。何を話していいかわかんないや』

 

 うーん、と溜めを作った茉由は、特大の爆弾を落とす。

 

『ねぇ、最近学校はどう?』

 

 そう聞かれて、一瞬呼吸が止まった。頭が真っ白になって、口が独りでにパクついて────咄嗟に、嘘をついた。

 

「たの、しいよ」

 

『そっか、そっか…………よかったぁ……』

 

「……よかったの?」

 

『そりゃ、だって……そうでしょ? 親友が何事もないなら……それより良いことなんてないよ』

 

 嘘をついた罪悪感で、息が重く感じる。空気とは、こんなにも吸い難いものであったか。誰も見ていないのに、自然と目線が下がって、物が散乱した床が目に入る。

 

 こんな状態で、よくもこんな嘘が付けたものだと、自分でも思う。

 

 でも同時に──嘘をついて良かったとも思った。

 

 彼女に、余計な心労を掛けたくはないから……。

 

「まゆは……いや、なんでもない。ごめん」

 

『あはは、別にいいよ。私は入院する前から色々とあったから……学校には通えてないかな。でも家にずっといるのも楽しかったよ! 学校行くのちょっと怖かったし』

 

「……」

 

『うん……学校は怖いよ。ごめんね、昔のこと……いっぱい巻き込んで、庇わせてしまって……ずっと、謝りたかったの。今更だけど、ごめんなさい』

 

「なんで謝るの……悪いのは、私なのに……」

 

『いや、何もできないのに突っ込んで、余計に酷く……』

 

 その言葉を聞いた私は、思いっきり息を吐いた。

 

「そういうこと、言わないで欲しい……少なくとも今私が生きているのは、まゆのおかげだから。って、いきなり話が重くなりすぎだね。せっかくまた話せたんだから、ここら辺で謝り合戦はやめよ?」

 

『う、ん……そうだね』

 

「ごめんね? そうだ……せっかくだから、実際に会えないかな? 明後日土曜日だし、面会行きたい」

 

『私も……会いたい。でも大丈夫なの? 多分遠いよ?』

 

「大丈夫、土曜日暇だし。あんまり遅くならないようにすれば平気」

 

『そっか……えへへ』

 

 電話越しに、茉由の笑う声が聞こえた。かすれているけれど、昔と同じ優しい声だった。

 

「病院の場所とか、詳しく教えてもらってもいい?」

 

『うん、えっとね……』

 

 茉由が病院の名前と面会時間を伝えてくれる。調べてみると、やはり私の家からはかなり遠かった。それでも、行けない距離ではない。

 

「朝早く出れば、お昼前には着けそう」

 

『ほんとに無理しなくていいよ?』

 

「ふふ、大丈夫だって。…………ずっとずっと会いたかったから。やっと、約束を果たせそうなのに、ここで諦めるなんてあり得ない」

 

 私がそう言うと、茉由はしばらく黙った後、小さく笑った。

 

『そっか……じゃあ、待ってるね』

 

「うん、絶対行くから」

 

 短く約束を交わした後、少しの間、茉由が黙り込んだ。一体なんだろうか。

 

 何かを悩むように溜めを作った茉由が、ようやく口を開く。

 

『あのね……私も……いや、恥ずかしくてなんて言えば良いかわかんないや。ちょっと、心の準備が……』

 

「えー」

 

『もう! あのね、直接会ったら、言いたいことが沢山あるの。だから……明後日、待っててね』

 

「わかった。まぁ、物理的に待つのはまゆなんだけど」

 

『あはは……じゃあ、もうスマホ預けないとだから切るね』

 

「うん」

 

『ばいばい…………大好きだよ』

 

 そう言い残す彼女を最後に、私たちは通話を切った。最後に不意打ちで囁いてくるの、やっぱり茉由らしいなと思った。

 

 スマホの画面を見つめながら、私は久しぶりに外に出る準備を始めることにした。ずっと部屋にこもっていたせいで、まともな外出着なんてほとんどなかったけれど、それでもいい。きっと茉由は気にしないだろう。

 

 ずっと会いたかった親友に会える目処が立って、今までにないほど心が軽い気がした。

 

 

 そう────土曜日の朝、彼女の訃報が届くまでは。

 

 

 

 

 

 

 ────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 その知らせは唐突だった。待ち望んだ土曜日が来て、外出の準備をしているときのことだった。

 

 唐突に、茉由の電話番号から電話が掛かって来たのである。

 

 そして、彼女の叔母を名乗る女性から茉由が亡くなったことを告げられた。あまりにも突然だったその知らせに、私はまともに返事をすることもできなかった。私の動転具合を察したのだろう、改めてLINEで葬儀の日程などが送られて来た。

 

 

「嘘、でしょ……?」

 

 

 そう呟く声は震えていた。

 

 そこに書かれていた内容を、一度では理解できなかった。いや、理解したくなかった。

 

 画面に表示された文章を、何度も何度も読み返す。けれど、何度見ても『永眠』の二文字は……そこから消えてはくれなかった。

 

 昨夜、容体が急変して、そのまま息を引き取ってしまったと……電話口で伝えられたその言葉が、頭の中で反響する。その言葉を、どうしても認めたくなかった。

 

『明後日、待っててね』

 

 と、そう言ったのに。

 

 頭の中で、無数の「もし」が巡る。

 

 ──もし、もっと早く動画を見つけていたら?

 ──もし、もっと早くDMを送っていたら?

 ──もし、昨日の電話の時に「明日行く」と言っていたら?

 

 私がくだらない嘘を守るために、学校に行っていないことを隠すために、土曜日に先延ばしにしてしまったから……。素直になっていれば、最期に一度だけでも会うことができたかもしれないのに。

 

 考えても仕方がないとわかっている。わかっているのに、後悔ばかりが膨らんでいく。

 

 着替え直す気力もなくて、外着のままベッドに倒れ込んだ。

 

 ぐしゃりと潰れたスカートが、私の心を代弁しているように見えた。

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 通夜にはお母さんも同行することになった。

 

 着慣れない制服に袖を通して車に揺られる時間は、酷く現実味がなかった。

 

 新品同様のセーラー服は……まだまだ固くて、着心地が悪い。不恰好には映っていないだろうか。こんな姿を茉由に見られたら、嘘がすぐにバレてしまうんじゃないかと不意に思った。

 

 通夜の会場はこじんまりとしていた。家族葬の形式だとしても、少ない人数での式であった。それが少しだけ悲しかった。

 

 厳かな雰囲気の中、ぽつりぽつりと小さな話し声が響いている。私は母の後ろをついて歩きながら、式場の奥へと進んだ。

 

 遺影に目を向けるのが怖かった。でも、見ないわけにはいかなかった。

 

 意を決して顔を上げると、そこには淡く微笑む茉由がいた。優しくて、穏やかな微笑みだ。

 

「……まゆ」

 

 目の奥がじんと熱くなる。こんな形で再会するなんて、思いたくもなかった。

 

 

「雨宮さんですか?」

 

 

 ふと、声を掛けられて振り返ると、茉由にほんのりと似た女性が立っていた。

 

「茉由の養母の、雪月幸子です」

 

 おそらくこの人が、動画でも何度も触れられていた、茉由の叔母さんなのだろう。動画聞いていた印象通り、優しそうな人だ。

 

「まゆの友人の、鈴音です。この度は……心よりお悔やみ申し上げます」

 

「ふふ、しっかりしているのね。……どうか、茉由に会ってあげてください。きっと喜びます」

 

 幸子さんに促されて、祭壇に向かう。

 

 棺の中に横たわる茉由は、眠っているように穏やかな表情だった。今にも目を開けて笑いかけてくれるのではないか。そんな気持ちにさせられる。ほんの少し前に一緒に話したばかりなのに、もう彼女はこの世にいないなんて、信じたくなかった。

 

「ごめんね……」

 

 そう呟くも、返事は返ってこない。その瞼も、その唇も……もう二度と動くことはない。それを見せつけられたような気がして、堪えきれずに喉の奥から嗚咽が漏れた。

 

 

 それからのことはあまり覚えていない。いつの間にか通夜式は終わり、気がつけば通夜振る舞いをいただいていた。ぽかりと胸に穴が空いたような気分で、外からの情報が全く入ってこなかった。

 

 家に帰る車の中、母に何かを言われた気がしたが、ほとんど聞き流してしまった。

 

 

 明日の告別式は、私一人で行くことになった。女の子の一人旅は危ないからと、お母さんに少し渋られたが押し通した。お母さんは仕事の関係で明日は同伴できなかったから。

 

 

 夜道は街灯があってもなお暗く、心の中の虚無感をより強くさせた。

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 今日も休日だというのに、着慣れない制服に袖を通す。昨日よりはこの肌触りにも慣れただろうか。

 

 式場まではバスとJRを乗り継いで行くことになった。交通費はお母さんが出してくれた。

 

 告別式は、昨日よりも少し人が減っていた。昨日は病院関係者なども参列していたのだろう。

 

 参列者の中で制服に身を包んでいるのは私一人だった。

 

 もう、茉由に会えるのはこれが最後だ。その事実に、胸の奥がずっしりと重くなった。それと比例するように、式場に奥へと進む足取りも重く感じた。まるで、足に大きな重りを付けられたようだった。

 

 

 式は、嫌味なほど滞りなく進んだ。最後の時間だというのに、恐ろしいほどに速く時間が過ぎて、胸の奥を漠然とした焦燥感が満たした。

 

 もう、気がつけば別れ花を捧げる時間だ。

 

 

 白いカーネーションを手に持って、ゆっくりと、一歩一歩壇上に進む。

 

 

 棺の中は、既に花でいっぱいだった。白と桃色に包まれた彼女を見て、不謹慎にも美しく感じた。穏やかな顔で横たわるその姿は、童話の中の眠り姫のようだった。

 

 彼女のそばにそっと花を添える。心が追いついていなかったのか、涙は出てこなかった。最後の別れに泣き顔を見せずに済んで良かったと、ふわふわとした心の中で思った。

 

 

 棺が閉じられて、鍵が掛けられていく。別れは、一瞬だった。

 

 彼女が運ばれていく様子を、最後までぼんやりと見送った。

 

 

「雨宮さん、今日も来てくれてありがとう。きっと茉由も喜んでいるわ」

 

「茉由の養母さん……」

 

 

 霊柩車に乗せられていく棺を見送っていると、小走りで茉由の叔母さんがこちらにやってきた。その手に持っていた白い封筒を手渡される。

 

 

「これ、茉由から預かっていたの。昨日渡せなかったから、今日渡せてよかったわ……」

 

 

 封筒には、綺麗な字で私の名が書かれている。それを見て、心臓がどくりと跳ねた。私に封筒を渡して、茉由の叔母さんが霊柩車へと乗り込んだ。

 

 茉由を乗せた車が、遠くなっていく。ひたすらに遠く……もう二度と目に入ることがないほどに。

 

 それを見送って、先ほど渡された封筒に目を落とす。やはり、私の名前がそこにある。それを確認してそっと鞄の中に仕舞った。じんわりと汗ばんだ手をハンカチで拭う。手汗で封筒が濡れてしまってはいないか、少しだけ不安になった。

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 家に帰れば、部屋の静けさが重くのしかかった。鞄からそっと封筒を取り出し、ベッドに座る。茉由の字で書かれた「雨宮鈴音」の文字を他人事のように見つめた。

 

「まゆ……」

 

 震える指で封筒を開ける。中には丁寧に折られた便箋と、一枚の硬い紙。

 

 紙には「ペン子ちゃんを貴方に託す」と書かれている。裏には「すうちゃんへ」という文字と、可愛らしいペンギンのイラスト。これは一体何なのだろう。

 

 身構えながら開いたが、その緩い絵を見て、少しだけほっこりとしてしまった。

 

 便箋を開くと、茉由の柔らかな字が目に飛び込む。

 

 

 拝啓、親愛なる貴方へ

 

 こんにちは。手紙なんて書いたことないから、ちょっと照れるね。書き方もよくわからないから適当だけど許してね。もしものための保険みたいな手紙だから、読まれない可能性が高いし。

 本当にDMが来るとは思わなくて、心臓が止まるかと思ったよ。これを読んでるってことは、実際止まっちゃったんだけど。実はこういうジョーク一度は言ってみたかったから嬉しい。

 すぅちゃんの声、昔と変わらないね。話してたら、あの頃に戻ったみたいだった。最後に、せめて声だけでも聞けて嬉しかった。ごめんね、約束守れなくて。転校しちゃってからも、ずっと会いたかった。いろんなことがあって、結局最後まで約束守れなくて、本当にごめんなさい。

 すぅちゃんとの思い出だけは、何度忘れても、最後まで消えなかったよ。ぬいぐるみで遊んだこと、あの雨の日のこと、全部。

 いつもそばにいてくれて、ありがとう。すぅちゃんがいたから、私、頑張って生きられたんだ。すぅちゃんは私のおかげで生きられたって言ってたけれど……私も、最後までこうして生きられたのはすぅちゃんのおかげなんだよ。

 もし私が先にいなくなっても、どうか悲しまないで。ペン子ちゃんとペン次郎、私だと思って大切にしてね。

 すぅちゃん、今までありがとう。大好きだよ、これからもずっと。

 

 そうそう、この紙はまたいつか私のところに遊びに来る機会があったら、お母さんに渡して欲しい。ペン子ちゃん交換券だよ。遠いから無理はしなくて良いけど、いつか絶対また会いに来てね。ふふ、私ってこんな手紙書いちゃうくらい重い女だから。これくらいのわがままは言わせてね。

 

 敬具?

 

 

 涙が溢れて、便箋に落ちる。慌てて、これ以上汚れないように涙を拭った。本当に、情緒がぐちゃぐちゃだった。最後の手紙なのに、やっぱり茉由は変わらず昔のままらしい。

 

 もう一度手紙を読み返す。これだけの長文を書くのは辛かっただろうに。そんなことを悟らせない綺麗な字で書かれている。手紙と交換券をそっと封筒に戻す。机の引き出しに仕舞おうとして、中がひどく散らかっていることを思い出した。

 

 

「掃除……しなきゃ」

 

 

 散らかった床も同時に視界の端にチラつく。

 

『私と思って大事にしてね』だったか。こんな部屋でペン子をお迎えするわけにはいかないなと、現実逃避気味に考える。

 

 まだ胸の内は空っぽで、重たい何かが全身にのしかかっている。まだ何の整理もついていない。

 

 それでも、これを機会に変わっていかないといけないのだろうと、漠然と思った。今の私は、とてもじゃないけど、彼女に見せられはしないから。

 

 少しは着慣れた制服を撫でれば、まだザラザラとした感触がある。

 

 

 クローゼットを開ければ、ペン次郎のつぶらな瞳が私を見つめる。そっと抱きかかえてみれば、ほんのり埃臭い。

 

 されど、昔と変わらぬ柔らかな感触が返ってくるのだった。

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