錆びた釘の浮いた古い木材で作られた階段を、三人のウマ娘が昇っていく。
青々とした葉を通り抜けた陽光が鮮やかな緑を届ける道を、ユキノは溌溂とした笑顔で進んでいく。
「ひゃあぁ、気ン持ちいいですねえカフェさん!」
「ええ、本当に…」
カフェは道すがらの野草に手を添えながら答える。
「カフェさん、そいつはヒルガオっていうンですよ、日当たりがいいから山ン中でも元気ですねえ」
「ユキノ君、滋養強壮に効きそうな野草なんてものはないかねえ。
出来れば普段我々が見れないような貴重なものがいいのだが」
タキオンはといえば、いつの間に手に取ったのか試験管に何種類かの野草を詰め込んで、怪しげな液体を注ぎ込んでいる。
階段を上がりながらにしては、器用に作業をこなすその姿はさすがにアスリートのそれというべきか。
「んー、そったらなこと言ってもこのあたりには実家の山でも見れるようなものしか生えてませんよ」
「そうなのかい?
…お、こいつは以前採取したことがあるなぁ、色見がやや違うのは地域差かねぇ」
「タキオンさん、あんまりよそ見していると転んでしまいますよ…」
呆れ顔でタキオンに注意を促した瞬間、カフェは弾けたように一つの方向に向かって視線を移した。
「カフェさん、あと少しでお社につくみたいですよ!
…カフェさん?」
ユキノが声をかけるが、凍り付いたようにカフェは動かない。
「どうしたんだい?」
タキオンが諸々の道具を鞄にしまい、カフェの横に並んで同じように視線を追う。
「お友達の…」
カフェの瞳に怪しい光が宿る。
「お友達の傍に…強い存在が」
「強い存在?」
タキオンが聞き返したのと同時に、カフェは勢いよく駆け出す。
社への山道とは外れた、獣道とも言えない藪の中を駆けて行くカフェ。
残された二人はカフェの突然の行動に呆気に取られて動かない。
しかしすぐに状況を把握したのか、慌てて二人もそのあとに続き始める。
「…か、カフェさん!
道さそれたらあぶねぇ!」
「…ふぅん、やれやれ」
…
カフェの内心はひどく焦っていた。
お友達の気配自体は、この山に入ってから常に感じていた。
時折すさまじい速度で移動するそれは、駆けるお友達の動向としては納得できるものであった。
しかし、ある時からそれは社の近くのあたりでぴたりと止まり、動かなくなった。
「…一体何が」
そして先ほどのあの瞬間、お友達の気配の方向にとてつもなく強い気配を感じた。
もしかしたら、お友達よりも強い、肌を泡立出せる強力な力。
近づきつつある今は、更に明白に感じるお友達の位置にぴたりと存在する存在。
(…まさかあの子が力負けするとは思えないけれど…!)
勢いよく藪をかき分け、服に草の汁が付くこともいとわずに駆け続ける。
やがて目の前に明るい、開けた場所からの陽光が映り始める。
目の前の大きなつわぶきの葉をかき分けたその先には。
「…うわぁ!!」
色素の薄い髪をした青年が腰を抜かして倒れこんでいた。
「ぬわあぁッ!夏目、ドッペルゲンガーだ!
見るな、見ると祟られるぞ!」
同様に飛び上がった丸い形状の獣が飛びつくように青年に縋りつく。
「…?」
カフェの思考がいったん止まる。
確かに、お友達の気配は目の前に広がる開けた広場に感じた。
しかしそこには一人の青年と、とにかく丸い体型をした三毛猫がいるだけ。
「き、君は…一体」
「…」
カフェは取り合えす広場の中に立ち、辺りを見渡す。
既にお友達の気配はなく、そのそばにいた強い気配もまた綺麗に消え去っている。
青年があたりを見渡しながら呆気に取られたようにカフェの方を見て、最後に三毛猫の方に視線を移す。
「む…!
…にゃん、にゃんにゃんにゃーん!」
猫がカフェの方をみて、ひとしきり鳴いたのを見ると、青年は再びカフェの方を見た。
「…あなたたちは」
短い間、青年は豆鉄砲を喰らったような顔をしていたが、すぐさま笑顔を浮かべると頭に手をやった。
「び、びっくりしたぁ!
いきなり飛び出してくるものだから、狸か何かかと…!」
「す、すいません…」
カフェはひとまず、頭や肩についた葉を落としながら、青年に向かって頭を下げた。
「…珍しい野鳥がいたものですから、その…夢中になってしまって」
青年は胡坐座りの体勢をとると、目を細めて笑みを浮かべた。
「こちらこそ、大げさに驚いてごめん」
「いえ…」
カフェはあたりを見回す。
(…もう一人、声が聞こえたような)
「あ、あの!」
青年が慌てたように声を上げ、腕に猫を抱いて立ち上がった。
「君、この辺りでは見かけないけど、観光?」
「え、ええ…はい、そのようなもので」
「カフェ~?」「カフェさーん!」
すぐそばの藪から、ユキノとタキオンが体中を葉っぱだらけにしながら現れる。
「じゃじゃ!?タキオンさん、カフェさんいましたよ!」
「ああ、本当だ。
酷いじゃないかカフェ、急に走り出すものだから…ああ、もう体中が葉っぱやら草の種だらけだ…。
おや…?」
「あンれ、カフェさんその方は?」
ユキノとタキオンは青年に気が付いたのか、体についた葉を落としながら二人に歩みよる。
「お二人とも急に走りだしてすいません、この方は…」
青年は三人を前にして気恥ずかしそうに猫を抱きながら頭をかく。
「実は俺もここでニュンコ先生…この猫を探してて」
「んにゃぁん」
青年の腕の中で三毛猫が鳴き声を上げる。
「…そこを私が飛び出してしまって、ひどく驚かせてしまったんです」
「そうだったのかい…しかし、その丸っこいのは…ネコ、なのかい?
まるで狸のようだけど…」
「た、タキオンさん!」
ユキノが慌ててタキオンの発言を制する。
「あはは…気にしないでくれ、よく言われる」
青年が笑って答えると、腕の中で三毛猫が不機嫌そうに唸り声をあげる。
「俺は夏目貴志、このあたりに住んでるんだ。
こいつは飼い猫のニャンコ先生」
「んなぁご」
「それで、君たちは…お友達?
此処には三人で来たのかな」
「ああ、この土地の人か。
私はアグネスタキオン、学園の行事…のようなものでここには旅行に来ていてね。
しばらくはお世話になるよ」
「あたしはユキノビジンでがんす。
よろしくおねがいお願いします!」
「…マンハッタンカフェ、といいます。
先ほどは本当に失礼を…」
「ああ、いいんだ…そんなに気にしないでくれ。
君達こんな山奥で人に出会って、驚いただろう」
アグネスタキオンは周囲を見回して笑みを浮かべる。
「確かに、このような道から外れた場所で人に出くわすとは、不思議なものだね」
「ほンにそうですねぇ。
あんのぉ、制服さ着てらっしゃいますけど、夏目さんは学生さんなんです?」
「え?」
青年は確かに学生服らしいズボンと、ワイシャツを着ており、肩から下げた鞄には教科書らしい冊子がいくつか収まっている。
「あ、すんません!
あんまり男性の制服姿って見慣れて無いもンで、なんだか新鮮で…えへへ」
「そうなのか?」
「我々の通っている学園は女子高だからねぇ、確かに普段は見ることは少ない。
それよりも君、普通の学校であれば今は夏季休校…夏休みの筈だが」
「ああ、今日は登校日だったんだよ」
「ふぅん、そうなのかい」
夏目という青年は、なんとも所在なさげに苦笑いを浮かべる。
どうやらあまり人との会話は得意ではないらしい。
カフェはなんとなく、自分と同じような性質を感じ取り。
「…お騒がせして申し訳ありません。
私たちはこの先のお社に向かうつもりだったのですが、ここからどちらに向かえば参道に戻れますか…?」
夏目に助け船を出すべく、話題をそらした。
「あ、ああ…それなら、その木の間を抜けてしばらく歩けば参道にぶつかる筈だ」
「…そうですか、ありがとうございます。
どうやらあなたも猫ちゃんが見つかったようですし、あまりお引止めしてもご迷惑でしょう。
私たちはこれで失礼します」
「ああ…野鳥、見つかるといいな」
「野鳥?」
興味深そうに夏目を見ていたタキオンがカフェに向き直る。
「君、野鳥なんて追って走り出したのかい?」
「…ほら、行きますよ」
キョトンとした顔のタキオンの腕をとり、引きずる様に歩き出すカフェ。
「そンではおしずがに、まだどっがでお会いすんべ猫ちゃん~。
カフェさーん、まってくなんしぇ!」
カフェは未だ疑問を投げかけ続けるタキオンを引きずりながら歩き続ける。
その後ろを笑顔を浮かべながらユキノが続いていく。
(…確かに、お友達の気配がしたのはあの場所だった。
偶然…にしては、あまりにも)
消えたお友達ともう一つの気配。
普段、あまり感じる事のない違和感にカフェの心にはえもいわれぬ感覚が渦を巻く。
その時だった。
カフェたちのすぐ横を、ガタイの大きい二つの影が入れ違いで通り過ぎていく。
「はいはい、どうも失礼いたしますよぉ」
「失礼、失礼!」
「あ…どうも、すいませ」
反射的に出た言葉、その瞬間…動いた口を慌てて閉じる。
こういう者には慣れているはずなのに、足が止まる。
今すれ違ったものは、この夏場には似つかわしくない和装で…。
「お、あれは…やはりいらしてましたか!さっすがお耳が早いですなあ!」
「さすが、さすが!」
頭に角が生えていなかったか、目は一つだけでなかったか、頭が牛のそれではなかったか。
「ん?」
それがこちらに向かって振り返ったのを感じる。
「どした、どした?」
「んむぅ、今あの人の子、我々に返事をしたような」
「おーい!」
突如として、後ろから声が上がる。
カフェの横を歩いていたタキオンとユキノが振り返る。
これは夏目の呼びかける声だ。
「朝露で足元が滑るから、気を付けていくんだぞ!」
「ああ、お気遣いどうも」
「ありがとがんすー!」
再び、タキオンとユキノが歩き出し、立ち止まったカフェの前を歩き出す。
すると、再び後ろで声が上がった。
「…うむ、気のせいだな。
この辺りでは見かけん顔だし、どうやら夏目殿の知己のようだ」
「きのせい、きのせい」
「なっつめどのぉ!
我ら犬の会、応援にはせ参じましたぞ!」
「夏目」、今すれ違ったものは確かにそういったのか。
気配が走り去っていくのを感じる。
ゆっくりと、背後に目を走らせる。
映るのは、二人の妖の後ろ姿、そして。
確かにまっすぐにぶつかった、夏目の優し気な視線だった。
木漏れ日を反射して輝くそれは、やがて妖のかき分けた藪の葉に隠れて、見えなくなった。