とある理想の異世界伝 作:爪先
異世界で迎える朝は当然爽やかなものではなかった。
まさか「魔王の影響で人が歩かない街道」の近くで野宿なんてするとは思っておらず、しかも赤黒い草の上だ。それに年頃の女の子が隣で寝ている状況、なぜか慣れているとはいえ緊張も少しはする。上里は少し凝り固まった体を伸ばしてから、ふと横に眠るトラオリの方へ視線を移した。彼女はぶつぶつ寝言でも言っている。
「むにゃ……勇者さまの二の腕ぇ……へへへへ……」
なにかこうやって身の危険を感じることも久々だと感じた。まだ一泊しかしていないのだが。
上里はトラオリを揺らして起こそうとする。
「ほら、朝だ。トラオリ?起きて」
「……えぇ……もっと二の腕ぇ……」
さて、ようやく起きてきたトラオリによって朝食の準備が整えられた。
相変わらず謎のクッキーみたいな食べ物だけだ。食べるとパサパサとして口の中が乾き、ふわっと小麦のような香りがする。
「むう、そろそろ違う食べ物も調達するべきですかねえ。もぐもぐ」
「でも、街道に店なんてあるの?今まで見てないけど」
上里はいままでの道のりを思い返す。店はおろか人だっていなかったはずだが。
「ええ、ないですよ」
もぐもぐしていたものを飲み込んだトラオリ。
「? じゃあどうするんだ?」
「ふっふっふ。狩るんですよっ、魔物を!」
まあそりゃあ魔王の影響といったら魔物かあ。なんて考えつつ、それにしても、
「いやぼくたち武器も何もないじゃないか」
と言うと、トラオリは上里がなんの心配をしているかわからないといったふうで、
「え?そこは、だって上里さまは勇者ですし?なんとかなりますって、絶対っ!」
「いやならないよ」
こちとら普通の高校生だ。流石に素手で魔物に立ち向かう勇気はない。
というか、今は必然性を感じていないだけか。彼は、彼を慕う人を守るためなら、何の装備もせず敵に立ち向かえる男である。でも、流石にここで張る命でもない気がするのだ。元の世界に戻りたいし。
なんとか穏便に済ませられないのか。
「ほんとに他に方法はないの?魚を釣るとか、木の実を拾うとか」
トラオリはまったく意外だとばかりに表情筋を動かして、
「え、そんなのでいいんですか?じゃあ早く言ってくださいよ、まったく」
「いや、いいのかよ」
安心する上里。でもトラオリは珍しく真剣な表情になって言った。
「でも、この先どうしても戦わなくてはいけない時が、いずれ訪れます。覚悟は、していてくださいね」
さて、街までの道中、旅館や道の駅、それどころか民家さえもないわけだから困るのは、体を清めることができないということだ。トラオリに聞けばこの世界にもお風呂の概念はあるようで、日本のように毎日とはいかないまでも、結構入浴はしているらしい。トラオリも好きだという。
「まあ旅の時はしょうがないっちゃあ、しょうがないんですけどね。でもっ、今日あたりから道の横に川が出てくると思いますから、そこで水浴びくらいはできると思いますよっ」
もちろん何もしないよりはよっぽど良い。上里だって一日中歩いていれば汗もかくし、匂いなども気になるところだ。石鹸なんかもあったら良かったろうが、ぜいたくは言えない。
その後しばらくすると本当に川が見えてきた。思っていたより川幅が広い。流れは速くないが、水の流れから時々顔を出す岩肌が少々恐ろしい。空と草木の色から川の水まで赤いんじゃないかと心配になったが、そんなことはなかった。
「上里さま、先に浴びちゃってくださいっ。私は近くに食べられるものでもないか探してきますので」
「でも、他に人がほとんどいないとはいっても、裸になるのはちょっとね……」
周りを見回す上里。もちろん公然の場で堂々と露出するなんてことはしたくない。上里にだって恥じらいはある。
「あ、それなら大丈夫ですよ。私湯あみ着なら持ってきてますから」
トラオリが用意してくれた衣服は女性用のものだった。
もちろんほかにしょうがないのでそれを着ることにする。彼女が言うに、勇者を拾う時までその性別はわからなかったから、とのことだが特に納得はしなかった。同じくトラオリから受け取ったタオルを腰のあたりに巻き付け、衣服を脱ぎ、たたんで岩の上にのせた。湯あみ着はワンピースタイプだった。肩のひもなんて慣れているはずがない上里だったが、それは異様に似合っていた。女性用といっても、色はブラウンで派手でもない。デザインもいたってシンプルで、まあ上里には似合ってしまったのである。
さて、川に爪先を入れてみる。
ピリッと水の冷たさが皮膚から伝わってくる。上里は川底の流れによって丸くなった石の滑らかさと苔によるぬめりを足裏に感じながら川の中央に近づいて行った。
水をすくってみる。浴びる。上里の顔から首筋にかけて無数の水滴がつたっていき、やがて鎖骨へとたどり着く。上里は髪をも濡らしていく。赤い空の赤い光に照らされて上里は妖しく輝く。上里の身体は、髪は、顔は、鎖骨はさらに濡れて、濡れて、濡れてますよっ!!上里さまっ!?なんですかそれ女の子用の衣服着て女の子より可愛くていやらしくてどうするんですかっ!!もうちょっとでこの草陰から飛び出して至近距離で眺めまわすところでしたよっ!?!?
どうも頭がぼんやりする。
街道を行く道中、毎晩の野宿のせいか、一日中歩き詰めだからか、魔物への恐怖心からなのかはわからない。おそらく全てだろうなと上里は考える。
「上里さまっ!あれが街ですよ!あの谷を越えた向こう側!!」
「……まだ谷越えるの……?」
正直体力の限界だ。なんとなく灼熱の学園都市を思い出す。あの空気の中活動するのは相当堪えたが、今回も同じように疲れた。もちろんあの時ほど暑くはないし、むしろちょうどいいくらいの温度なのだけれど。
「あれ上里さま、もしかして疲れてます?」
そんな疲労困憊満身創痍の上里とは違って、トラオリさんはいつも元気だ。あの小さい体のどこにそんなパワーがあるのだろう。それより。
「いや逆に気づかなかったの!?ずっと横にいたよね!?」
疲れからか珍しくキレ気味上里にトラオリも困惑。
「あの……、すいません私たちには疲労回復魔法というものがありまして……もしかして上里さまは使えなかったり……します?」
これがツンツン野郎だったら手が出ていたかもしれない。
街は高い壁で囲まれていた。
といっても上里には見える範囲でしか確認できない訳だが、トラオリによれば360度まるっと城壁で守られているそうである。石造りだろうか、苔であったりところどころ劣化しているような気もするが、この高さと迫力では魔物とはいえど突破できないだろう。
「ここが最初の目的地、エレステですっ。魔物の影響から逃れた人々が暮らす街。もちろん中は平和です」
城門へ歩いていくと、物騒な鎧で全身を固めた兵士が2人、立っている。全身銀色でピカピカしている。こちらを認めると近づいてきて、ガチャガチャと金属がぶつかる音が大きくなる。
「お前達は?」
近づくとわかるが、2人とも顔は思っていたより怖くなかった。身体は思っていたより大きかった。男子高校生としてはあれくらいの筋肉に少し憧れなくはない。
「こんにちは。わたくしトラオリと申します。こちらは上里さま。勇者さまです。司祭さまのお手紙がこちらに」
2人はトラオリをじろりと眺め、それから上里の頭から爪先まで目線を移し、
「拝見しましょう」
と恐ろしく渋い声で言った。
門番が司祭の手紙とやらを調べている間、上里とトラオリは待ちぼうけだ。
「司祭さまというのはそんなに偉い人なんだね」
「そうですよっ。あの方がいらっしゃらなかったらこの街もいまの賑わいはあり得ませんからね。ここも、隣の街もそのまた隣も、みんな司祭さまの行動には感謝しているんですよ」
「ふうん」
司祭さまがどんなことをしているのかはよくわからなかったが、とにかく偉い人なのだろう。しかし彼が予言なんてしたから上里はこの世界に来てしまったのかもしれず、少し複雑な気持ちになる。
「手紙は見させてもらいましたよ。確かに司祭さまのものでしょう。通行を許可します」
手紙をあらためるだけにしては時間がかかったように感じたが、やっと街の中に入ることができた。
高い壁に囲まれたその都市に高い建物は無かった。せいぜい二階建て、三階建てといったところだろう。上里は自分のイメージする中世ヨーロッパの街並みと、この街の風景がほぼ同じであることに驚いた。
「さあ上里さま、ここがエレステという街ですっ。昔から交通の要衝ではあったんですけど、最近は魔王の勢力が強いこともあって、さらに人が増えているんですよっ」
普段日本のビルや木造建築を見慣れているせいか、石造り、レンガ積み、煙突、それら建物の全てが新鮮に見える。
門をくぐってからしばらく真っ直ぐな道を真っ直ぐ歩くと、前方に橋が見えた。小さいが、真っ赤な見た目が派手で存在感がある。なにも空の赤さに合わせなくてもいいのに。
「ほら、こうやって壁の下を通って川が流れているでしょう?今も昔も、この流れを使って物を運んでいるんです」
これはいつか水浴びをした川だろうか。
「川から魔物が侵入して来たりはしないの?」
「まあ物流が消えたら終わりですからね。そこの守備はバッチリなされてるはずですよ!はずですっ」
橋を渡ってからは川に沿って歩いた。壁に囲われているからか、風はほとんど吹いていないように感じる。空はやっぱり赤かった。ずんずんと進んでいくトラオリと、それに半歩遅れてついて行く上里。
「街についたらどうするんだっけ?とにかくぼくは一回休みたいんだけど……」
なにせもう何日もベッドで寝ていないのだ。別に布団はフカフカじゃなくていい、部屋が狭くても文句は言わない、隣の客が大声で騒いでいたとしても許そう。早く眠りにつきたかった。
「まずは食料調達っ、それから上里さまの服を買って、武器を買って、あと、えっと、あそうだ」
と言うと、トラオリは振り返って、
「回復魔法、一発いっときます?」
と笑った。
無言でうなづく上里。トラオリもうなづき返して、
「じゃあパッパとやってしまいましょう」
そして、何か魔法陣のようなものでも組むのかと思ったがそんなことはせず、ただ一言、
「ミューデ」
なんだか怖い。いままでの疲れが嘘のようだ。
切羽詰まったテスト前、徹夜の後の栄養ドリンクなんかとは比べ物にならない効果と、それに伴う違和感がハンパなかった。後で聞くところによればこの世界で一番最初に習う魔法だと言う。
「もうこれ使いまくってますからねー、朝一番の回復魔法、これがトラオリの元気のミナモトですっ」
いままで重かった足もだいぶ軽く感じる。現実の世界でも是非使いたいと上里は思った。特に冬の体育、持久走のあととか。あれの後の授業とか眠くてたまらないのだ。是非たのむ。
「それじゃあ上里さま、元気になったみたいですし、買い物済ませちゃいましょっ」
ウキウキ笑顔で上里の手をとり駆け出すトラオリ。言葉遣いなどはしっかりしているけれど、こういった部分などはまだ幼さが感じられる。自分の世界を客人に案内できることが嬉しいのかもしれない。
入ってきた門から見て右側、方角で言えば北らしいが、そっちの方の壁がだんだんと大きくなってくる。
「ねえ、この壁ってもともとこんなに高かったの?ぼくの知っている城塞都市でも、こんなに高くは無かった気がしてね」
知っているとは言ってもヨーロッパのものを写真でいくつか見たくらいだが、それにしてもここのものは高い気がする。魔物が強大になる前からこんなにも高く聳え立っていたのだろうか。
「いえ、そんなことはないですね。上里さまの世界のことはよくわかりませんけど、ここまで高くしたのはここ最近の話ですよっ。まあなにせ魔物たちは強いですからね。以前は普通に壁を越えて街の中にはいってきていたそうで」
「じゃあ、工事は大変だったろうね」
「そこで尽力されたのが司祭さまなのです」
トラオリは歩く速度を落とすと、上里と肩を並べつつ、こちらを見上げるようにして話を続けた。
「司祭さまは資金援助の他に、魔法によって魔物を追い払う仕事もなさいました。それはそれは強力ですからね、司祭さまは……。あっ、私も司祭さまに魔法を習いましてねっ!」
以前話していた、「司祭のおかげでこの街は発展している」というのはこういうことか。とすると、司祭さまというのは各地でそんなボランティア活動に勤しんでいるのだろうか。
しばらく歩いたあとのこと。
「買い物はいいんだけど、お金とかあるの?トラオリ?」
そういえば街道に店なんかほとんど出ていなかったので、貨幣も紙幣もまだ見かけていない。
「へへへっ出立のときに預かっているんですよー!たくさん金貨っ。ほらほら」
そう言ってバッグの中をあさるトラオリ。
「……あれ?」
何度もゴソゴソとしているが、金貨のキラキラとした輝きは見受けられず、ただトラオリの顔が青くなって行くだけ。
どこにもそれらしきものは、なかった。
「あれーっ!?!?」